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お念仏を申す生活法話

「うそも方便」?

2022-07-21
 毎朝新聞のコラム欄を楽しみに読んでいます。
今朝の大分合同新聞『東西南北』欄は
「うそも方便」という言葉で始まりました。

 その全文です。

「うそも方便」という。
うそは良くないが、良い結果を得るためには
時にはうそをついた方が良いこともあるということ。

 方便は、仏教では衆生を救って真の道へ導くために
仮に取る便宜的な手段をいうそうだ。
後でうそが分かっても、そういう事情があったのかと
理解を得られることだろう。

▼「うそつきは泥棒の始まり」という。
悪いと思わないで平気でうそをつくような人は
平気で盗みを働くようになるということ。
 悪事の感覚がまひしてしまう。

 立場のある人がそんなふうだと大変だ。

 発言にうそがあったことを認めなければ
うそにうそを重ねる。
 プライベートではいい人でも
ほかでいい仕事をしても
うそやずるい振る舞いは信頼を失い残念。

▼英国では」、首相が辞任に追い込まれた。
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う行動規制中の
首相官邸でのパーティー問題では虚偽答弁を疑われ
与党議員の性的スキャンダルで任命責任逃れがばれて
謝罪した。
 ついには閣僚らが首相への信頼を失ったと抗議の辞任
政権運営が立ちゆかなくなった

▼組織の大小や新旧にかかわらず
そこに信頼がなくてはうまく回りはしないに違いない。
 100%完璧な人間になるのは難しいが
うそをつかず、ずるをしないことは
心がけさえすれば誰にでもできる。

「他山の石をもって玉をおさむべし」だ。

以上(文面編集責任筆者)です。

 コラム全編で言わんとすることはわかるのですが
「うそ」と「方便」は違います。

 「うそも方便」と言うのは私たち人間のものの見方で
人間の都合の良いように言われるのが「うそも方便」です。

 方便について仏教云々の解説がありましたが
誤解をまねく言い方です。
 方便は巧みな方法を用いて衆生を真実の法に導くための
仮の手立てとしての仏の教えおはたらきです。

 今朝の御和讃に「方便」の言葉を2度
「弥陀釈迦方便して」
(阿弥陀仏と釈尊は
 すべてのものを導く巧みな手だてを施して)
「釈迦韋提方便して 浄土の機縁熟すれば」
(釈尊と韋提希が
 すべてのものを導く巧みな手だてを施したことによって
 浄土の教えを説き明かす機縁が熟し)
といただきました。

 『観無量寿経』のお心を讃える御和讃です。
お経には「王舎城の悲劇」という大事件が説かれています。
 お釈迦さまの在世にマガダ国の王舎城を舞台に
アジャセ王子が父のビンバシャラ王を幽閉し王位を奪い
母の韋提希も幽閉します。

 韋提希はお釈迦さまに
「何で子からこんな苦しみを受けないといけないのか」と
苦悩なき世界を求めて教えを請います。

 親鸞聖人は「釈迦韋提をして
安養をえらばしめたまえり」と
阿弥陀仏の安楽浄土を韋提希に選ばせたといただき
弥陀釈迦韋提希の方便によって
私たちは往生浄土の救いの法に遇うことができたと
いただかれたのです。

 方便といって嘘ではありません。
真実に導く手だてです。

 親鸞さまは韋提希もビンバシャラ王もアジャセも
「権化の仁」と示され
仏菩薩が衆生を救うためにさまざまな形を変えて
仮にこの世に現れたといただかれます。

 方便は仏菩薩がこの私を真実に導く手だてであり
私たち人間の手だてではないのです。

 私たちのご本尊の阿弥陀仏のお姿も
方便法身といいます。
 うその仏さまではありません。
私たちを真実に導いてくださる真実方便の仏さまです。

 真実といっても分からない私たちにも分かるように
この目に見えるお姿で形を現してくださったのです。

 阿弥陀さまは何で立ってらっしゃるのかな
何で右手は上げて左手は下げてらっしゃるのかなと
阿弥陀さまのお心おはたらきを
目で見るなかに真実のみ教えを
聞かせていただくのです。

 「嘘も方便」といいますが
嘘は嘘であり仏教の十悪の一つ「妄語」です。
 嘘をつくものは閻魔様の裁判で
地獄に堕ちて塗炭の苦しみに遭うといいます。

 さてこのコラム自体も人間が書いたもので
私たち人間の一般的なものの見方です。
 嘘は悪いが善い嘘もあると読めますが
善いも悪いも私の都合思いはからいです。

 自分の都合で善い悪いを判断して生きることは
どこまでも虚仮不実な生き方であって
そこに私たちの苦しみ悩み迷いの原因があると
仏教の真実の教えを聞いてくれよというのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.21)


円光寺
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