在家の仏道
2018-03-04
私たちの浄土真宗の仏教は在家の仏教といわれます。
家に在る、住まいするということです。家があるということは家族があって共に生活をしているということです。
生活をしていく中で仏道を歩ませていただける、いただく仏教なのです。
在家の仏教に対して出家の仏教といいます。
出家とは捨家ともいい、家を捨てるのです。
家族の縁を切る。財産や地位や名誉も全部捨てて仏門の入り仏道修行に励むのです。
山の仏教ともいいます。ひとり山に籠ります。
世俗の一切の執着、とらわれを全て絶つことから修行が始まります。
家族とともに社会生活を営む私たちは到底出来ることではありません。
ではそうした出家修行ができない私たちは救われないのかというと、
親鸞聖人が20年間の比叡山でのご修行ののちにお出会いなされた法然上人は、
そういう在家の人こそ救わずにはおかないとすっとお立ちになった仏さまがいらっしゃるという
南無阿弥陀仏のお救いの法を説かれたのです。
家族をもつということは、楽しいことですが、一人だったら気ままにということも、
二人三人四人になると、私の思い通りにならないことが増えてまいります。
我が身のこともそうです。老いていく病んでいくいのちを終えていく、老病死の身を生きねばなりません。
思い通りにならない、苦しみです。
そういう私たちを目当てに「必ず救う、まかせよ」と南無阿弥陀仏のご本願のお心おはたらきをいただいて
私たちがこの世に在りながら家庭をもちながら仕事をしながら仏道を歩ませていただくことができるのです。
南無阿弥陀仏、お念仏の仏道です。
仏法を聞かせていただくなかに生活させていただきましょう。
お家のお仏壇、御仏前にお念仏申して今日の一日を始めさせていただきましょう。
今日の一日を振り返り仏さまにお礼を申させていただきましょう。
在家の仏道を心して、これからも歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.4)
