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お念仏を申す生活法話

「私のはからいが 邪魔になることもある」

2021-09-25
 今日25日の『日めぐり歎異抄』のことばは
「私のはからいが 邪魔になることもある」です。

 歎異抄第10条の
「念仏には無義をもって義とす。
不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき」
<「他力の念仏は、自力のはからいがないことを
 本義(根本的な意義)とする」とある。
 「念仏をたくさん称えれば安心し
 少ししか称えなければ不安になる」
 それが自力のはからいである。
 他力の念仏は、私が称えているままが
 阿弥陀さまがはたらいてくださっている
 (真実へと導いてくださっている)姿なのである>です。

 私たちははからいをもって生きています。
私のはからい思いです。
 それはどこまでも自分中心の思いであって
欲の心怒りの心愚かな心の煩悩に通じます。

 仏さまはかねてよりこの私を
煩悩具足の凡夫と見られたのです。
 私たちは命終わるときまで
煩悩具足の凡夫の身を生きていくというのです。

 念仏申すことにも私のはからいが入ると
阿弥陀さまのお心とは遠い念仏になるというのです。
 私が称える念仏ということに力が入ると
念仏をたくさん称えたほうがいいとかいう見方になって
他の人が称える念仏にも善い悪いと見方を付けます。

 他力の念仏といいます。
他力とは阿弥陀さまの力おはたらきですから
阿弥陀さまからいただいたお念仏というのです。
 私がこの口で称える私の声になったお念仏ですが
称えるままが阿弥陀さまがおはたらきくださっている
お念仏と聞かせていただくのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申すそのままが聞こえてきます。
「われにまかせよ必ず救う」の阿弥陀さまのお喚び声です。
 阿弥陀さまの他力のおはたらきのお念仏が
私に至り届いたときに「はい」と
お念仏申させていただきます。
 阿弥陀さまのお救いの御恩に報謝する
お礼の念仏です。

 南無阿弥陀仏と声に出して
お念仏を申させていただきましょう。
 私の耳に届いてきます。
隣の人にも届きます。
 阿弥陀さまのお救いのおはたらきが
十方衆生に行き渡ってくださっている尊いご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.9.25)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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