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お念仏を申す生活法話

「悪人こそ救いのめあて 私こそ救いのめあて」

2021-09-17
 今日17日の『日めぐり歎異抄』のことばは
「悪人こそ救いのめあて 私こそ救いのめあて」です。

 本文は歎異抄第三条の
「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」
<「善人でさえ浄土に往生することができる。
 まして悪人は言うまでもない」とある。
 この言葉は、常識的に考えれば、理解不可能である。
 ここでいう悪人とは、煩悩だらけの人間のことである。
 具体的には、私のことである。
 この私こそ阿弥陀さまの救いのめあてなのである>

 「悪人こそ救いのめあてである」という悪人正機の教えは
親鸞聖人の教えの代名詞のようになっていて
私が高校生の時に習った記憶がありますが
鎌倉時代に親鸞というお坊さんが浄土真宗を開いて
悪人正機という教えを説いたというぐらいのことです。

 善いことをすれば救われて
悪いことをすれば救われないと聞くと
うんと頷ける私たちですが
悪人こそが救いのめあてであるというと
えっと思うのではないでしょうか。

 親鸞聖人ご在世の頃
悪人正機の教えを聞いて悪人が救いのめあてだったら
進んで悪いことをしようと聞いた人がいました。

 造悪無礙(ぞうあくむげ)という
悪事を犯しても浄土往生の救いのさまたげにならないという
異義といわれる正統な教義とは異なる教説です。

 悪人こそ阿弥陀さまの救いのめあてという悪人は
法律上道徳的に悪いことをした悪人ではなく
阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出された悪人で
煩悩具足の凡夫の私こそが悪人だと親鸞さまは
法然聖人の教えを聞かれたのです。

 人人を見てあの人は悪人でこの人は善人という
私たちのものの見方ではありません。
 阿弥陀さまが私に真正面から向き合うなかで
智慧の光明でこの私を悪人と知らせて
大悲のお心おはたらきでそのまま光明の中に
救うてくださるのです。

 この私をこそ摂め取って捨てないお姿が
お立ち姿の阿弥陀さまです。
 すっとお立ちになって向こうから
私を眺めているのではありません。
 南無阿弥陀仏のお名号となって
私のところに来てくださって「まかせよ救う」と
喚んでくださっているのです。

 悪人とはどういう人なのでしょうか
悪人とは誰のことなのでしょうか。

 欲の心怒りの心愚かな心を暇なく起こし続けて
日夜生きている私のことだったと
お念仏の法に聞かせていただくときに
「わが名を称えて我をたのめ必ず救う」と
阿弥陀さまのお喚び声が聞こえてきます。

 「他力をたのみたてまつる悪人
もっとも往生の正因なり」のお言葉を力強く承ります。
 阿弥陀さまの仰せに「はい」っと信順して
今日一日も往生浄土のお念仏の道を歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.9.17)


円光寺
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