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お念仏を申す生活法話

糸の切れた凧

2021-01-15
 テレビのニュースで幼稚園の園児が
凧あげをしている様子を観ました。
 正月の子どもの遊びは
凧あげやコマ回し羽根つきが定番ですが
今は凧あげできるような広い場所がないこともあって
凧あげを見かけることが少なくなりました。

 糸の切れた凧といいます。
凧あげといって凧が独りすっと空高くあがるわけではなく
凧に糸をつけうまく糸を操ることで凧があがるのです。
 糸の切れた凧はそのまま風に吹き飛ばされて
どこかに落ちていってしまいます。

 仏さまのみ教えに重ねて思います。
凧とはこの私のこと阿弥陀さまが操る南無阿弥陀仏の糸と
味わわせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきにつながった
阿弥陀さまと私です。
どこまでも自己中心に生きて苦悩し迷う私を
そのまま必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 阿弥陀さまの願いを聞こうともせず
私は大空を自由に飛びたいと必死に頑張りますが
どんなに頑張っても大空に飛び立つことすらできません。

 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の
お喚び声がかかります。
「はいおまかせします」と気づいたら
凧の私はそのまま南無阿弥陀仏の糸につながって
大空を舞っていたのです。

 私が私がと何か自分一人の力で
頑張って生きてきた私でしたが
実はどんなときもいつも私につながって南無阿弥陀仏と
喚び通しに喚んでくださっていたのです。

 糸の切れた凧は制御不能の状態の私のすがたです。
どこに飛んでいくのかわからない不安な私です。

 旅に喩えるとさすらいの旅をしているようなものです。
風の吹くまま気の向くままと
さすらいの旅は自由気ままで格好よく憧れますが
風の吹くまま気の向くままといって
一体どこに行くのでしょうか。
 旅の行く先も知らず大事なことは帰る処がないのです。
帰る家があるからこそ旅を楽しむことができるのです。

 この人生の旅の行く先はどこでしょうか。
どんな人にも人生の旅を終える時が来ます。
 阿弥陀さまはこの人の命終わって往く処を
お浄土と決めてくださって
南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれて
いろんなことがあるこの人生の旅ですが
そのままお浄土へと生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.15)


円光寺
〒870-0108
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