煩悩の身をそのまま救うお念仏申す身にしてくださるのです
2020-06-17
観無量寿経に「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とあります。
ありとあらゆる世界に阿弥陀さまの光明が遍く照らし行き渡って
念仏の衆生を摂め取って捨てない救うというおはたらきを摂取不捨のご利益といただきます。
一方ご和讃に「煩悩に眼さえられて摂取の光明見ざれども大悲ものうきことなくて常にわが身を照らすなり」とあります。阿弥陀さまの必ず救うというおはたらきが光明となってもうすでに私のところに届けられているのだけれども
煩悩に眼がさえぎられて光明が見えないといいますが
大悲のおはたらきは煩悩の身の私をそのまま光明の中に摂め取ってくださるというお救いなのです。
この身です。
本願を信じお念仏申す身にさせていただくと聞かせていただきます。
今日もこの私の口からお念仏申せました。
お念仏を申す身にさせていただくということは
もうすでに南無阿弥陀仏のおはたらきが私に至り届いて摂取の光明の中にあるということなのです。
煩悩具足の凡夫です。このわが身のことです。
煩悩が身について離れないのです。
どんな善行修行を積んでもこの身から片時も離れることなく煩悩がしっかりこの身についた私です。
阿弥陀さまは煩悩の身を生きるこの私を目あてにすっとお立ちになって南無阿弥陀仏とおはたらきです。
煩悩のままに救うて往くというのです。
親鸞聖人はそのお心を「不断煩悩得涅槃」とお正信偈さまに述べられています。
阿弥陀さまの摂取の光明に抱かれて煩悩の身を生きていけるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.17)
ありとあらゆる世界に阿弥陀さまの光明が遍く照らし行き渡って
念仏の衆生を摂め取って捨てない救うというおはたらきを摂取不捨のご利益といただきます。
一方ご和讃に「煩悩に眼さえられて摂取の光明見ざれども大悲ものうきことなくて常にわが身を照らすなり」とあります。阿弥陀さまの必ず救うというおはたらきが光明となってもうすでに私のところに届けられているのだけれども
煩悩に眼がさえぎられて光明が見えないといいますが
大悲のおはたらきは煩悩の身の私をそのまま光明の中に摂め取ってくださるというお救いなのです。
この身です。
本願を信じお念仏申す身にさせていただくと聞かせていただきます。
今日もこの私の口からお念仏申せました。
お念仏を申す身にさせていただくということは
もうすでに南無阿弥陀仏のおはたらきが私に至り届いて摂取の光明の中にあるということなのです。
煩悩具足の凡夫です。このわが身のことです。
煩悩が身について離れないのです。
どんな善行修行を積んでもこの身から片時も離れることなく煩悩がしっかりこの身についた私です。
阿弥陀さまは煩悩の身を生きるこの私を目あてにすっとお立ちになって南無阿弥陀仏とおはたらきです。
煩悩のままに救うて往くというのです。
親鸞聖人はそのお心を「不断煩悩得涅槃」とお正信偈さまに述べられています。
阿弥陀さまの摂取の光明に抱かれて煩悩の身を生きていけるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.17)
