私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです
私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです。
ただいまの御文章さまに「当流の安心(あんじん)の一義というは ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」とあり
「南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなわちわれら一切衆生の平等にたすかりつる すがたなりとしらるるなり」と
いただきました。
南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで誰もがみんな平等に救われるというのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきは勝行とも易行ともいわれます。勝れた易しい行です。
南無阿弥陀仏が勝行というのは
阿弥陀さまがすべてのものを必ず救うとご本願を起こされ修行されて成就されたおはたらきだからです。
勝の反対は劣、劣るということです。
仏さまの真実に背を向けてどこまでも自己中心に生き迷いのなかに苦悩する愚かな私を見てとって
そのまま救うとこの上ない勝れた行を阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と成就しておはたらきなのです。
そして易行です。
易行の反対は難行です。
一般に仏道は厳しい学問修行を積んで仏のさとりを開くとの教えです。
ところが家が在り家族と共に生活する私たちには一つの修行さえままなりません。難しいのです。
そこで阿弥陀さまは社会生活を営みながらも救われて往く仏道を工夫してこしらえてくださったのです。
それが念仏一つで救われる仏道なのです。
南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて信心いただきお念仏申す身にさせていただいてこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏のさとりを開かせていただく仏道です。
それも私に何一つ救いの条件を出されるのではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つに成就してあるとの仰せなのです。
「われにまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せにそのまままかせてお念仏の道を歩ませていただけるのです。
難しい修行の一つもない念仏一つの易行なのです。
南無阿弥陀仏を聞いてt信心いただきお念仏申す身にさせていただくといって
聞くことも信じることもナンマンダブツとお念仏申すことも何か私の手柄のようですが
すべてが南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
念仏一つで救われるとは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
阿弥陀仏の本願力回向のおはたらきだからこそ一切衆生が平等に救われるのです。
私もそうだし隣の人もそうだし先に往かれた方もそうだしこれから後に続く者もそうだし
みんな南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきに生かされて
大きないのちのつながりのなかに生きていると聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.24)
