名残り惜しく思えどもお念仏申して今を生きる
昨日はラグビーワールドカップの準々決勝日本対南アフリカの試合をずっとテレビで観ていました。
試合が終わり日本が負けましたがずっとテレビの前から離れられませんでした。
会場の観衆もずっとスタンドにとどまった方が多かったようです。
日本の選手もずっとグランドで健闘を讃え合いほっとした表情を浮かべて写真を撮ったりしていました。
何かみんなが名残りを惜しむような感じでした。
日本の試合はこれで最後で寂しいという感情とありがとうという気持ちが行き交う名残り惜しさです。
名残り惜しくてその場を中々立ち去れない思い、もっともっと余韻に浸っていたいということでしょう。
『歎異抄』の御文に
「名残り惜しく思えども娑婆の縁尽きて力なくして終わる時に彼の土には参るべきなり」とあります。
名残り惜しく思ってもこの世を去っていかねばならない時が来ます。その寂しさはありますが
この命終わっても南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけるというのです。
名残り惜しいといって選手も観衆もスタジアムにずっと留まるわけにはいきません。
試合に負けてこの大会での日本の活躍はもう観ることはできませんが、次の試合次の大会があるのです。
次の楽しみです。次に向けてこれからも続くのです。
私たちのこの命です。
死んだら終いの命ではなくお浄土で仏さまと成りこの世に還って来て人々を救うというのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちの営みつながりのなかに生かされているというのです。
だからこそ今を精いっぱい生きていこうというのです。
南無阿弥陀仏の仏さまは死んでから後に用事のある仏さまではありません。
今まさに私のところに来てくれて私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
お念仏申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに今日の一日も生き抜かせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.21)
