死んだらゴミになるのではありません
生活するなかにゴミがいっぱいでます。
ゴミというのは生活に必要がないものです。必要なものは取っておいて必要のないものはゴミに出します。
大きなごみ袋にいっぱいゴミをつめてゴミ箱に入れると、何かすっきりします。
ゴミを捨ててゴミが我が身から離れるのです。
ただこのゴミの行方です。
ゴミを出すことでそのゴミが無くなるのかというと、ゴミ収集車が来て持って行って焼却処分をしたりとか
再利用したりとかして全く消えて無くなるということではありません。
人間死んだらゴミになるとある識者が言われました。大変なインパクトがありました。
死んだら火葬されます。火葬されるとお骨と灰になります。
骨壺に入れますが全部入るわけではありません。残ってものがゴミとして捨てられるのです。
でも皆さんどうですか、皆さんの大切なお方とお別れをしてお遺骨はこの目に見える形で残ります。
捨てられますか。お骨はゴミですか。
たとえ他の人がゴミだと言ってもゴミではありませんよね。
だからこそ骨壺に入れてご安置するところに納骨するのです。
一昨日納骨堂に新たに納骨された方がありました。
そのお方は一年以上前にご往生されましたがその時は納骨堂がいっぱいでした。
それで方々納骨堂をさがしたそうですが、その間お遺骨はずっとお家でご安置されていました。
このたび納骨堂に空きができたということで一昨日十数人ほどのご縁の方がお参りされて納骨されたことです。
子どもさんもいました。おばあちゃんでありお母さんのお遺骨の行く先です。
ゴミに出して安心するのではありません。
その行方をここだと決めてお墓や納骨壇にご安置できるということです。
決まったところにご安置できることはまた会いに行けるということです。
会いに行って手が合わさるのです。
それも一人ではなくご家族ご親族みんなで会いに行けるのです。
納骨堂は明るいうちは開いていますからいつでもご自由に本堂から入ってお参りしてくださいとお話しました。
ご縁です。お寺参りのご縁がいよいよできるのです。
先に往かれた大切なお方がつくってくださったご縁です。
仏さまです。大切なお方をこれからも仏さまと仰いでいけるのです。
死んだらゴミになるのではありません。
人間の命を終えて南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちを仏法の世界に導きお念仏申す身にさせていただく
仏さまに成ってくださるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.27)
