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お念仏を申す生活法話

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スマホは本当に便利ですが…

2021-06-05
 去年の2月にスマホに切り替えて一年が経ちました。
一年間のサービス期間が終わり
料金設定が上がったということで
昨日お店に行って確認させていただきました。

 やっぱり上がっていました。
この一年間全く使っていない機能は解約するにしました。
 日常使うものはほぼ決まっています。
最近頻繁に使っているのはユーチューブです。
懐かしい音楽が次々に気軽に聴けて本当に便利です。

 そして気になる用語とか現代の新しい言葉を検索すると
すぐ教えてくれて本当に便利です。

 本当に便利な代物ですが
ネットを使うことで
その分お金がかかることがわかりました。
何とこれまでの20%の増額料金になっていました。

 スマホはまさに人工頭脳です。
スマホには百科事典が何冊も入っているということです。
 私たちは学校で辞書の使い方を習いました。
「あいうえお」から繰っていきます。
ア行カ行サ行と続きます。
英語でいったらABCです。

 スマホを使えば辞書を引かなくても
ピンポイントで調べものができるのです。
 知識として覚えておかなくてもいいのです。
その都度スマホで知識が入手できるのです。

 本当に便利ですが
その分お金がかかります。

 さてネット社会の到来で便利になり時間の余裕ができて
心豊かな生活ができるようになったかというと
どうでしょうか。

 例えばネットで即座に必要な知識を入手できるとして
それはこの身に身についたものではありません。
 生活の中で身につけたものでありませんから
それを応用して考え新たな知識を身につけることには
なりません。

 その時々のもので忘れても
ネットで検索すればいいのですが
本当に身についた知識という根っこの知恵がないと
私たちはどこまでも自分中心のものの見方で
自分の都合に合わせて生きていますから
自分の都合に合ったネット情報に
その都度振り回されることになるのではないでしょうか。

 私たちが生きる根っこです。
生きる依りどころです。

 お念仏のみ教えこそ私の生きる依りどころです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
仏のいのちにさせていただくみ教えです。

 お念仏申す生活をさせていただきます。
あなたも私も分け隔てなく等しく救うてくださる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきの中に
私たちは共々に生かされて生きていけるのです。

 スマホは本当に便利ですが
スマホに使われるのではなくスマホを有効に使い
お念仏申して自他ともに心豊かに生きる生活を
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.5)


南無の心でいのちを敬う

2021-06-04
ご門徒さんからいただいたグラジオラスのお花を仏さまにお供えしました(2021.6.4.8:00)
 テニスの大坂なおみ選手が全仏オープンの大会前に
試合後の記者会見を拒否することをSNSで発信し
一回戦で勝ちましたが会見をしないで罰金を科せられ
結果として全仏オープンを棄権する事態になりました。

 規則で試合に勝っても負けても出場選手の義務として
記者会見が課せられ拒否すれば罰金を科せられるなど
選手のメンタル面に配慮してほしいという訴えです。
 大坂選手自身3年前からずっとうつの病気に
悩んでいるとの発信もありました。

 他の選手は大方「記者会見も私たちプロ選手の
仕事の一部」という受け止めのようです。

 勝った時はそれこそ誇らしげに話せることも
負けた時は「何で負けたの?」「あのプレーは?」などと
容赦ない質問に泣き出す選手もいたということです。
 選手も人間ですから体調やコンデションによって
感情の起伏もあり辛い思いをすることもあるでしょう。

 ただメディアを通して選手の生の声が聞け
いろんな情報が伝わることで
選手への親近感になり人気が出てテニス界自体が
盛り上がることにもなると言われます。

 有名税という言い方をされます。
有名になればなるほど周囲の注目を集め厳しい見方も
覚悟しなければならないこともあるのでしょうか。

 社会の不特定多数の人から見られている立場の人です。

 私たちお坊さんはどうでしょうか。
社会の一般的な固定観念で見られているお坊さんです。
 普段は特別な見方はされませんが
何か事件でも起こすと
一般の方とはちょっと扱いが違ってきます。

 学校の先生然り政治家や公務員
お医者さんなど公職の人です。
 メディアの格好のえぎきにされ
たちまち大きく報道される人たちです。

 お坊さんは聖職者と言われたりすることがあります。
清く正しく美しく生きる人とでもいうのでしょうか。
 皆さんから見ると聖職者であってほしいという
願望をこめてということでしょうか。

 お坊さんも皆さんと同じ生活者です。
人と生まれて家庭で育ち家族を持って
いろんな思い苦しみ悩みをもった一人の人間です。

 確かに仏道に生き仏法を説く身として
心得ておくべきことはありますし
社会的な役割も十分承知して生活しなければいけません。
 社会の厳しい目で皆さんに見られていることは
逃れられません。

 ただどんな立場にある人もこの同じ社会に生きるなかで
互いに南無の心で敬い合うことが大事だと思います。
 
 南無はナマステというインドの言葉から発したもので
東南アジアの国々で人と人とが会う時に
互いに合掌してお礼をする姿を見かけます。
 敬うというしるしです。

 その人が立派な人だから職業だからと
敬うのではありません。
 どんな人もお互いに敬い合っていくのです。
いのちを敬うのです。

 あなたのいのちも私のいのちも
仏に成らせていただくいのちと敬うのです。
 仏さまから願われているいのちです。
南無の心で敬い合っていくのです。

 英語でリスペクト
尊敬するという意味の言葉ですが
あの人はリスペクトできる人とか聞くと
リスペクトできない人もいるのかと思って
何かしっくりきません。

 南無の心は私のはからいが入ることなく
どんな人もそのまま敬うということです。

 お互いにいのちを敬い合っていくなかに
その人人の苦悩に寄り添い支え合うことも
できるのではないでしょうか。

 南無阿弥陀仏です。
阿弥陀さまに相談するということです。
 阿弥陀さまはどんな愚痴でも何でも聞いてくださって
南無阿弥陀仏と喚んでくださいます。
「私がいつも一緒だから大丈夫
安心して共に生きていきましょう」と
南無の心でおはたらきです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.4)

あなたはかかりつけのお寺がありますか?

2021-06-03
庫裡玄関前のさつきの花が今満開です(2021.6.3.6:00)
 昨日午前中に門徒さんから電話があって
ワクチン接種の日に重なったことで
法事の日時を変更してほしいとのことでした。

 私と同年輩の方で65歳以上が対象の接種券が
6月1日に発送され昨日6月2日に届いて
早速申し込んだということでしょう。

 すぐ思ったのは自分のところには
まだ接種券が届いていないということでした。

 郵便の配達時間は地域で異なります。
私の地域はいつも夕方になります。
 案の定4時過ぎに接種券が届いて早速申し込もうと
コールセンターは混むと思ってかかりつけ医という
病院に電話しました。

 「定期的に通院されている方ですか」と聞かれました。
「随分前は毎月受診していましたが
それからはあまり行っていません」と返事しました。

 私としてはその病院はかかりつけ医と思っていて
何かあった時には風邪でもその病院で院長先生に
診てもらおうと決めているのですが
言われてみると今現にかかっている病院ではありません。

 それでコールセンターに電話して
2、3分ほど待ちましたが予約が取れました。

 皆さんはかかりつけ医という病院がありますか?

 かかりつけ医があって定期的に診てもらうのは
何か既存の病気があるということですが
私も毎月診てもらう病院があって
ただ接種できる病院では今のところないのです。

 かかりつけ医があることの有難さは
高齢者になって体調が悪くなることも多くなり
何かの時に備えて安心できることだと思います。

 さて「あなたはかかりつけのお寺がありますか?」
という質問です。

 お寺と門徒さんの関係を思いますが
かかりつけ医のように
定期的にそのお寺にお参りしているでしょうか?

 皆さんは毎朝円光寺にお参りされていますから
まさにかかりつけのお寺が円光寺であり
かかりつけのお寺の門徒
医王といわれる仏さまに診てもらう患者さんです。

 毎日お寺に通う通院患者です。
ではお寺に住まいする私はというと入院患者です。
 かかりつけどころではありません。
生まれてこの方ずっとこのお寺に入院して
仏法を聞けよお念仏を申せよと
お念仏の薬を頂戴し治療を受け続けているのです。

 かかりつけ医と勝手に思っている私がいます。
かかりつけのお寺と思っている門徒さんです。

 思っているということはまだ病院に
行っていないということです。
 お寺のことでいえばお参りすることもなく
日頃は関係ないところで
自分や家族に何かあった時葬儀や法事のご縁で
その時だけ頼むお寺になっていないでしょうか。

 お寺は死を縁に死んでから後に用事のあるところ
と思っていませんか。
 仏教は死んでから後の教えで
生きてる私には関係ないと思っていませんか。

 阿弥陀さまのお救いの法は今こここの私に開かれた
今の救いを説かれているのです。
 仏法を聞いてお念仏申す身になってくれよと
あなたのためにかかりつけのお寺が用意されているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.3)


阿弥陀さまの本願念仏のお心に相応した私のお念仏申す生活です

2021-06-02
 昨日ご門徒のお家のお参りでお勤めをしていて
暑くて汗が出てきました。
 日田で33度の真夏日になったというニュースで
最早梅雨を通り越して夏の到来です。

 まだ冬物の布袍を着けていたことです。
気温以上に暑いはずです。
 今日からいよいよ衣替えで
夏物の布袍に着替えました。

 衣替えの時期は一般に6月と10月ということでしたが
今は官公庁が率先してクールビズということで
早々に暑さに応じた服装を勧めて民間もこれに習い
合理的でよいことだと思います。

 ただ公的な場ではまだまだ正装が重んじられ
正装をしておけば無難ということもいえます。

 男性でいうと襟のついたシャツにネクタイ上着が定番で
夏の葬儀に暑いからといって
クールビズでのお参りははばかられます。

 私たちの僧衣というお衣も夏冬用があり
着用の時期もちゃんと決まっています。
 決めていないと暑いからといって5月の法要に
夏物を着ていったら他のお坊さんはみんな冬物で
バツが悪い以上にお参りの皆さんの視線が気になります。

 僧衣は夏冬で極端に違い冬物は厚くて重く
夏物も布を何重にも織り込んだものがあり
葬儀で汗びっしょりになることも多く
葬儀社の方が配慮して冷房を最高に強く入れてくれます。
 それでお参りの方にとっては
ちょっと寒いぐらいかもしれません。

 私たちの日々の生活にも決まりがあります。
公に決められたこともそうですが
私的に自分で決めていることもあり
私の生きる依りどころといったことにも
なるのでしょうか。

 決められたことに縛られたくない
自分の思いのままに自由気ままに生きることが
理想のように思いますが
一方何かに依らなければ生きていけない
そうした生活の決まり基準に相応した生活です。

 相応という言葉は
御文章さまによく出てまいります。
 相応じると書きます。
この相応はどこが主体基準かというと
阿弥陀さまの本願念仏のお心おはたらきです。
 阿弥陀さまのお心に相応するご本願に適った生活を
聞かせていただくのがお念仏を申す生活です。

 阿弥陀さまは具体的にこうしなさい
こうしたらいけませんよとはいいませんが
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくなかに
日々の生活をさせていただくということです。

 どう生きるかお念仏申して阿弥陀さまに相談して
阿弥陀さまのお心に適ったお念仏申す生活を
今日も一日させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.2)


ワンオペ法話会

2021-06-01
6月の誕生会のお花です。おあさじの会・円成会のお誕生日を迎える方3人に贈ります。
 6月に入りました。
6月は水無月といって水が無いと書きますが
今は既に梅雨の最中です。

 ここ数日ずっと晴天が続いて夏到来を思わせる暑さです。
お勤めをしていて汗が出てきます。
 今日は衣替えの日でもありますが
まだ冬の布袍のままです。

 先日「ワンオペ落語会」という新聞記事を読みました。
ワンオペというのはワンオペレーションの略で
一人で事業するという意味です。

 真打の実力をもつ落語家さんが日本全国各地を回って
落語会を開いているということです。
 年間の殆どが地方回りで定住する家を持たず
ホテルや旅館に点々と宿泊して動き回っているのです。

 落語会を一人で開いているということは
会場の確保準備から情宣実施に至るまで
全部一人でするというのです。

 コロナ禍で昨年来各地各種の行事イベントが
中止や延期になっています。
 お寺の法要行事もお休みすることが続いています。
何をなぜできないのかというと
大勢の人を対象に一か所に集めて行う催しものは
このコロナの時代では難しいということです。

 この毎日のお朝事はコロナの中も
お休みすることなくずっと毎朝定時に続けています。

 お寺のご縁は仏さまのご縁で
私たちに広く開かれたものであり
この私が仏法聴聞のご縁に遇って
お念仏申す身にさせていただくことが肝要です。

 何人集まったから
お念仏いただけるということではありません。
 ご講師を迎えてお参りの方がいてご法座の体裁ができて
お念仏いただけるということでもありません。

 コロナ禍で布教をされるご講師は大変です。
お寺のご法座がキャンセルになったり無くなったりで
生活の糧がなくなるのです。

 ご法座にたくさんの人が集まって
皆さんがお布施をはこんで
僧侶もそれぞれの役割で布施をさせていただいて
ずっと何百年も続いてきた私たちのご法座です。

 お念仏のみ教えを聞かせていただくことについては
お念仏のご縁はまさにワンオペではないかと思います。
 ワンオペ法話会とでもいいましょうか。
お釈迦さまに返るのです。

 お釈迦さまは35歳でお悟りを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでずっと
インドの各地を遊行といって伝道の旅を続けられます。
 お釈迦さまは定住の家を持つことなく
その土地土地に寝泊まりをして
その土地の人に仏さまのみ教えを説かれて行かれたのです。

 お釈迦さまだからできたということです。
誰でもできることではありません。
 ただそのお釈迦さまのお心を訪ねていくとき
お念仏の先人の願いと長い間のご苦労があって
僧侶が定住しご門徒衆がお参りされる
聞法の道場たる今のお寺が出来上がったのですが
これからのお寺のあり方を見直す意味で
ワンオペ法話会は一つのヒントになりそうです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.1)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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