浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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3月11日の朝です
 お勤めの前にいつものように喚鐘を打ちに外に出たら
東の空がパーッと明るく雲が茜色に朝焼けして光り輝いて見えました。
 いよいよこれから次第に朝が明るくなって本格的に春になっていくんだなと思います。
 
 東日本大震災から今日で8年になります。
今日東北の被災地の皆さんはどんな朝を迎えたでしょうか。
朝の景色はどう見えましたか。どんなことを思われたでしょうか。
 
 日々の生活を思います。
8年前の朝は普段通りに学校に職場に送り送られて一日を始めた家族が帰る家を失い離れ離れになるということです。
 何か当たり前のように私たちは日々暮らしていますが、当たり前が本当に有難いことだなとまた思います。
 
 最近毎年のように地震や台風集中豪雨と自然災害が日本各地で多く起こっています。
いつどんな形で私たちの身の上に起こるのかわかりません。
どう備えていいのかもわかりません。
 
 今こここの命を生きていることを思うとき
大きないのちのつながりのなかに共に生かされて生きることの有難さ尊さを重ねて思います。
 
 お浄土への道すがらを今日もお朝事のご縁をいただいて共々に歩ませていただける有難さです。
東日本大震災の被災地の皆さんに思いを致し私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.11)
 
お念仏申して生老病死の身を生きる
 最近著名人のがんの公表が続いています。
がんというとすぐ死を連想される方も多いと思います。
 
 また著名人が亡くなると新聞にお悔やみ記事が載ります。
そこには死亡原因がよく書かれてあります。
例えば肺がんで亡くなったとか、大腸がんとが脳梗塞とか心臓疾患とかいったものです。
 
 ただ誰でもみんなこの世に生まれて来たから死んで行くんですよね。
私たちはこれまでに何度も何度も生まれては死に生まれて死にと生死を繰り返して
このたびはこの人間界に生まれて来たと仏教は説きます。
そしてこれからも生死の迷いの世界を繰り返し経巡って悩み苦しんでいくというのです。
 
 誰でも必ず死ぬことは知っています。
老いたくないいつまでも若くありたいと思っても日々老いていきます。
健康でいたいと思っても病気なるときは病気になります。
 
 老病死の身を今まさに生きているのがこの私の現実ですが
どこまでも自分の思い通りに生きたいと思う私が老病死のわが身の事実にであうとき
そのことに向き合うことも受け入れることもできなくて苦しみ悩み迷うというのです。
 
 闘病といいます。病と闘うというのです。
その気持ちは本当に尊く大事です。気持ちがなかったら苦しい治療に耐えることもできません。
しかしどんなに頑張っても必ず命終える身であることに変わりありません。
 
 仏さまは病と共に老いと共に生きることを教えてくださいます。
老病死の苦悩のわが身をそのまま引き受け「必ず救うまかせよ」と
南無阿弥陀仏のお喚び声となっていつも私にご一緒です。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して病んでいけるのです。
ナンマンダブツとお念仏を申して老いていけるのです。
ナンマンダブツとお念仏を申して死んでいけるのです。
 
 死んでいけるとは死んで往くところがあるということです。
死んだらお終いではありません。
 迷いを離れて阿弥陀さまのお浄土に往きさとりの仏に生まれさせていただけると
往生浄土のみ教えを私のこととして聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.10)
 
ご法事のご縁を大切にお勤めさせていただきましょう
 17回忌のご法事の申し込みがありました。
ご法事のご通知はお寺から毎年12月の暮れにご法事を迎えるお家に差し上げています。
 はっと思ったのは、そこのお家は7回忌13回忌とこれまでご法事をお勤めしたことがない
日頃お寺とあまりご縁のないお家だったということです。
 
 17回忌というと大切な方がご往生されて16年が経った今、なぜご法事のお勤めを思い立ったのかなと思ったのです。
ご事情がありましてお寺でお勤めをすることになりました。
 お母さんのご法事です。遺った子どもが施主となってお勤めすることです。
大切な方とお別れして年月が経てば経つほどに先に往かれた方のことを思う気持ちも変わってくるものです。
時間が経ったら忘れてしまうような関係ではありません。
 時が経てば経つほどにその人のことを身近に思えるようになることもあるのではないでしょうか。
亡くなられた年齢に近づけば近づくほどにまた思いも違ってくることかなと思ったりします。
 
 お寺からご法事のご通知をすることも大切なことだと思います。
17回忌の後は25回忌33回忌50回忌と続きます。
その間には新しい家族も増えてまいります。いのちのつながりは広がってまいります。
 ご法事を勤めるかどうかは後に遺った方が考えることです。
 
 ご法事は大切な方とご一緒だったことを思うご縁です。
大切な方がいて今の私があるということです。
 大切な方と出会いそして別れるということですが
私たちのお念仏のご法義をいただきますと、別れるといってまた出遇っていくということです。
お浄土の仏さまとなってまた私のところに還ってみえて
ナンマンダブツとお念仏を申すなかにいつでもどこでも出遇っていけるといただきます。
 
 人と人との別れはありますが、ご法事のご縁をいただいて
先に往かれた方々も後に遺った私たちも共々に大きないのちのつながりのなかに生かされて
ご一緒させていただいていると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.9)
 
「呼ばぬなら 呼ばせてみせよう ナモアミダ」
 あるお寺さんの山門の掲示板に「呼ばぬなら 呼ばせてみせよう ナモアミダ」という言葉が掲げてありました。
その言葉を見てすぐ思い出したのが、あの戦国の武将の信長、秀吉、家康の句です。
 信長は「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトギス」秀吉は「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
家康は「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトギス」と、それぞれの武将の性格心持ちを詠んだ句として有名です。
 
 さて「呼ばぬなら 呼ばせてみよう ナモアミダ」皆さんはどのように聞かれますか。
ナモアミダ南無阿弥陀仏は阿弥陀さまの「まかせよ救う」のお喚び声おはたらきです。
 呼ぶというのはこの私です。私がお念仏を申すということですが
中々この口からお念仏がでない私です。
 
 この私のこのしぶとい口からお念仏が出てくださるということは
阿弥陀さまのおはたらきがもう既に私のところに届いてくださってあるしるしだといただきます。
 
 「呼ばぬなら 呼ばせてみせよう ナモアミダ」と
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきのなかに私たちはもう既に救い取られてあるのです。
 そのことを聞いてくれよ聞かせていただくその中に私の口をこじ開けてナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
 
 私が私がとどこまでも自分を中心に日々生活している私たちですが
私の見えないところで私をそのまま支えてくださる阿弥陀さまのおはたらきがあることをまた味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.8)
 
今日もお念仏の遠足の一日です
 昨日は小学校のお別れ遠足だったということですが、雨で学校で遠足のお弁当を食べたそうです。
この3月はお別れ遠足で4月になるとお見知り遠足と続きます。
 
 小学校の頃を思い出します。
お別れ遠足は護国神社のある松栄山でした。
今は家々が広がり車が行き交う道をとても遠足どころではありませんが
当時は木造の狭い海原橋を渡って田畑のなかを歩いて行ったような記憶が残っています。
 松栄山は結構遠くてまだ着かないのかまだ着かないのかと何度も思って歩いたのではないでしょうか。
でも遠いけれども近いというか何かいつの間にか松栄山に着いていたという感じです。
 
 お別れ遠足は6年生を送る遠足、お見知り遠足は新1年生を迎えるということです。
遠足ということを私たちの人生に重ねて思います。
 遠足って遠い足と書きますが、遠い遠いはるかな道を歩いていくんですね。
遠いところですが、遠足の目的地は決まっています。
決まっているからもう少しもう少しと頑張って歩いていけるのです。
 
 では人生という遠い旅、その目的地はどこでしょうか。
お念仏のみ教えを聞かせていただくと、それは阿弥陀さまのお浄土だよと教えてくださいます。
 遠い遠いはるかに遠い一度も行ったことのないところです。
そしていつ着くかもわからないところです。
いつ着くかわからないけれども必ず着くところと聞せていただき安心して歩いて往けるのです。
 阿弥陀さまのお浄土は阿弥陀さまがこの私のために用意をしてくださった私のいのちの終着地です。
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のお喚び声に励まされてナンマンダブツとお念仏申して歩いて往けるのです。
 
 遠足の楽しみはみんなで一緒に歩いて往く楽しさです。
松栄山まで一人で歩いて行くんだったら途中で「やめたー」ということにもなってしまいます。
 二人三人四人五人と一緒に連れだって歩く楽しさです。
この人生の道のりは色んなことがあるけれどもみんな一緒だと歩いて往ける、みんな一緒に同じところに往けると
そのこと一つお念仏のみ教えを聞かせていただき日々の日暮しをさせていただきます。
 
 今日もお念仏の遠足の一日です。
遠い遠い道のりのようですが、いつの間にか目的地に着かせていただく
阿弥陀さまが私たちに開いてくださった広い道を共々にお念仏申して歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.7)
 
阿弥陀さまは方便法身の姿となって私たちにお念仏をお勧めです
 今日のご和讃に方便という言葉がありました。
方便というと嘘も方便といって方便イコール嘘と思ってらっしゃる方もあると思います。
 方便とは大事な仏語で真実に導く手立てという意味で使われます。
 
 浄土真宗のご本尊阿弥陀如来さまを方便法身といいます。
私たちがこの目にしている阿弥陀さまです。姿形となって私たちの前に現れてくださいました。
 その大本は真実の法といいます。真実とは色もなく形もましまさず言葉も絶えたりといわれます。
人間のこの目で見えない、考えることも思うこともできないとなると何かよくわかりませんね。
 そこで阿弥陀さまは真実の世界から姿形を現わしてくださったというのです。
真実真如の世界から来生してくださったということで仏さまのことを如来といいます。
 
 私たちがこの目で見ている阿弥陀さまです。スーッとお立ちの仏さまです。
お顔も私たち人間に似てますね。手のお姿もあります。
 まさに私たち人間と同じような姿となって現れてくださったのは
私たちにこの阿弥陀の真実に気づいてほしい真実を知ってほしいという願いからなのです。
 
 そして今皆さん阿弥陀さまの方を向いていますね。
これは姿形があるから向けるのです。
 真実といったり空といったり、どこに向いてお礼をしていいのかわからないのではなく
こちらを向いてわが名を呼んでくれよお念仏申してお礼をしてくれよという
阿弥陀さまのお心おはたらきが方便法身というかたちになって私たちの前にスーッと姿を現してくださってあるのです。
 
 皆さんのお家のお仏壇の阿弥陀さまもそうです。
お仏壇に阿弥陀さまがましますからお家の方が一堂に御仏前に座ってみんな一緒に手を合わせ
ナンマンダブツとお念仏を申すことができるのです。
 そこまで私たちのことを思い、南無阿弥陀仏の救いの法を聞いてくれよ信じてくれよ
お念仏申してお浄土に生まれてくれよと大きな願いを方便法身のおすがたとなって
ずっと立ちっ放しで私たちを喚んでくださってあるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.6)
 
情報社会のなかのお寺のあり方を思います
 昨日は大海組のお坊さんの研修会がありました。
テーマは「過去帳またはこれに類する帳簿の取扱い」ということで
情報管理のついて今は難しい時代になっており、お寺もその対応をしっかりしていかねばならないということです。
 
 個人情報の保護がいわれます。
個人情報が流出し一人歩きして悪用されそれが偏見や差別につながるという指摘です。
 お寺にはご門徒さんの個人情報がたくさんあります。
それも生きて在る個人と亡くなった故人の情報です。
昨日のご講師は講題に「こじん」と平仮名書きしましたと最初にことわられました。
 
 今だけの情報ではなくて過去からの情報というなかに私たちは日暮ししているというです。
これはお寺だけのことではありません。
 あの家は昔こんな職業だったとかあの家の誰々はこんなことをした人だったとか
知らなくてもいい情報も耳に入ってくることがあります。
そうした情報を聞く知るなかにその情報を私がどう受け止めるのかです。
 
 大抵はああそうなんだと聞き流すようなことも
現在のことに結び付けてああやこうやと思ったり情報を膨らませて面白おかしく伝わったりして
結果人を傷つけるようなことにもなりかねません。
 どこまでも自分を中心に自分を善とするものの見方をする私たちの有り様が問われます。
 
 これは決して仏さまの見方ではありません。
阿弥陀さまはすべてのものを分け隔てなくそのまま救うというおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 今のあなたのそのままを必ず救うというのです。
善いことをしたら救われて悪いことをしたら救われないのではありません。
ああしなさいこうしなさいと一つの注文もしないで必ず救うというのです。
 
 あなたのそのままを救うぞということは
いつもあなたのことを思っている仏さまがご一緒してくださってあるということなのです。
 そのことを聞かせていただくなかにこの私です。
仏さまのように世のため人のためにとまでいかなくても
すぐ隣の人のことを思うて、お念仏のみ教えを伝えるお手伝いをさせていただけたらと思います。
 
 お寺には仏さまの情報がいっぱいです。
お経さまをはじめ仏さまの情報を伝えていくことがお寺の使命です。
 善人も悪人も問わずすべての人に開かれた仏さまの情報です。
人から人へと伝えられてきた仏さまの情報です。
人と人とのつながりのなかに南無阿弥陀仏の声となって私のところに届けられています。
 
 お寺にはご門徒さんの情報がいっぱいですが、それはそのまま仏さまの情報でもあります。
そうした情報を本当に活用してお念仏の声を世界に子や孫に伝えていきたいものです。
 
 私たちは仏さまのみ教えお念仏につながったお互いです。
それぞれ顔が違うように名前も違い仕事も違い生活ぶりは様々です。
そうした違いを超えてこれまでもこれからもつながっていけるのが仏さまのみ教えだとまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.5)
 
24時間営業のコンビニのあたりまえとありがたさ
 コンビニのことが今話題になっています。
セブンイレブンという大手コンビニチェーンでオーナーさんが人手不足という理由で
24時間営業を止めて深夜はお休みにしたということです。
 セブンイレブンの本部はこれは契約違反でオーナーの解任と1700万円の違約金を求めて大変な問題になっています。
 
 セブンイレブンが凄いのはこういう事態が広く知られることで企業イメージに悪影響が出るとみたのでしょう
早速直営店の全国10店でまさにセブンイレブン朝の7時から夜11までの営業をし深夜は休むという実験をすることで
今後の対応を考えるということが発表されました。
 
 コンビニ、コンビニエンスストアというのは便利な店ということです。
私たち消費者の利便性を第一に考え今では役所や銀行宅配業務、チケット販売など
ありとあらゆる職種のサービスを展開するまでになって、本当に便利です。
 
 そして何といってもいつでも行けば開いていてどんな人も平等に全てのサービスが受けられるという
24時間営業ということはコンビニの大きな営業戦略の柱なのです。
 
 それが分かっていてそれに違反する行為はマニュアル通りでいえばアウトです。
しかし人手不足は今やどの業界でも喫緊の大問題であり
オーナー一人でやりくりするには限界がありオーナー自らが24時間店頭に立つことを強いる結果にもなります。
労災問題にもなりかねないことで大方の意見は判官びいきもありオーナー側に賛同する見方になっています。
 
 日本の人口はこれから減少傾向にあり働く人も消費者も少なくなってくる現状で
大看板の24時間営業ということ自体を見直す時期にきているのかなと思ったりします。
 確かに24時間営業は深夜に仕事を終えて来店する人にとっては大変有難いものだと思います。
 
 ただ消費者の私ではなく労働者の私という視点で考えて一日24時間ずっと働いている人はいません。
そんなことをしていたら体調を崩し命が危なくなる事態にもなります。
食事をしたり運動をしたり身体を休めてリラックスして仕事も効率よくできることにもなります。
 眠る時間が大事です。人間の体サイクルの基本は夜は眠るということです。
 
 今の企業でいうと工場あたりは24時間稼働が当たり前です。
そういうなかにあって思うのはマニュアルで均一的なものを求めるのではなく
個々の状況に応じて相談し柔軟に対応することができたらいいと思います。
 
 阿弥陀仏さまのお救いを重ねて思います。
阿弥陀さまのお救いはいつでもどこでも誰にでもといいます
 いつでもナンマンダブツとお念仏申してくれよというんですから
24時間いつでも眠っているときもナンマンダブツとお念仏申すことができるのです。
 そしてどこでもですからコンビニに行かないとお寺に参らないとお仏壇の前でないと
お念仏申せないということではないのです。
 誰でもこの私のために阿弥陀さまの方から私のところに来てくださって
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」と喚んでくださっているのです。
 
 「私がいるよ。大丈夫だよ。安心しなさい」といつでもどこでも私たちに寄り添ってくださる
大きな大きなお慈悲のおはたらきのなかに今こここの私を生きて往くことができるのです。
 
 頑張って頑張って生きている私たちです。
そのことは百も承知で阿弥陀さまは私たちにお念仏をお勧めなのです。
「よりかかれ、よりたのめ。阿弥陀はいつもあなたと一緒だよ」とね。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.4)
 
納骨のご縁をいただきます
 昨日は四十九日満中陰のご縁で納骨をさせていただきました。
納骨は天気が気になるところで、先週六・七日のお参りでお家の方が
「来週末の予報は雨模様ということで心配です」と言っていましたが、雨が降ることもなく無事納骨ができました。
 
 円光寺墓地にあるお墓です。
納骨堂でしたら棚にそのまますっと納骨できるのですが、お墓は中に人が一人入って納骨するようになっています。
手を伸ばしても奥の棚には届きません。かえって衣服が汚れることにもなります。
 
 昨日はおばあちゃんの納骨でお孫さんがお墓の中に入って納められました。
ひいじいちゃんにひいばあちゃん、おじいちゃんの3つのお遺骨があってこのたびのおばあちゃんということです。
 
 先に往かれた方はお遺骨となって私たちのこの目に見える姿でのこります。
その人のことを偲ぶということでお墓参りをします。
お墓参りすることは先に往かれたご先祖に会われるということです。
 
 これからはおばあちゃんに会いにお墓参りすることでしょう。
ただ先に往かれた方は仏さまですから、私が会いに行くのではなくて
仏さまの方から私に会いに来てくださると聞かせていただきます。
 
 いつでもどこでも私に会いに来てくれて私と共に生きてくださる仏さまに成ってくださったという
南無阿弥陀仏のご法義おはたらきなのです。
 ナンマンダブツとお念仏申すところ先に往かれた仏さまが私と共に生きてくださるのです。
「一人じゃないよ、私がいるよ大丈夫だよ」というおよび声のお念仏となって私のいのちをそのまま支えてくださり
これからもずっとずっと一緒に生きてくださるのです。
 そのことをまた納骨のご縁で有難くいただいたことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.3)
 
朝ドラ『まんぷく』を観て、仏さまのお心を思います
 NHKの朝ドラ『まんぷく』を観ていて、仏さまのことを重ねて思います。
世の中の役に立ちたい、みんなを幸せにしたいという思いで
誰もが安く手に入れておいしく簡単に食べられるラーメン作りを始めた萬平さんが
何度も何度も試行錯誤を重ね大変な苦労の末に、ついに即席ラーメンを完成させます。
 
 すべての人を分け隔てなく迷いの世界から救いたいと法蔵菩薩さまは五劫という長い間考えに考え抜かれて本願を建て
兆載永効という長い長い間ご修行されて本願を成就され阿弥陀仏になられたという南無阿弥陀仏のいのちの物語です。
 その絶え間ないご苦労を思います。
 
 萬平さんのラーメンをまねて次々に類似の即席ラーメンが出てきますが
特許認可がおりて一段落し、萬平さんは「これで一人勝ちや」と言います。
 その様子をすぐ傍で見ていた福子さんはこれまでとは違う萬平さんの姿に違和感を覚え
店頭に並ぶ安価な粗悪品を求める人たちの姿を見て
これでは即席ラーメン自体の信用がなくなると
「萬平さんが作ったラーメンが皆さんに食べてもらえなくなってもいいんですか」と萬平さんをたしなめます。
 
 福子さんの意見に萬平さんは思い直し、特許を公開しようと決断するのです。
苦労に苦労を重ねて作り上げた即席ラーメンの特許を公開するということは誰にもできない勇気あることです。
 自分一人の幸せだけでなくみんなの幸せを願い
周りの人すべての人を幸せにしなければ私は幸せにはなれないという仏さまの大きな願いを重ねて思います。
 
 すべての人を必ず救う幸せにすると成就されたのが南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏一つで救われる、南無阿弥陀仏にまかせよ必ず救うと阿弥陀さまはいつでもどこでもおはたらきなのです。
 三分間待たなくてもお湯をかけなくてもいいのです。
ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞いてくれよ信じてくれよというのです。
 
 テレビの中のお話ですが、実話に基づいたものですから
本当にすごいことをされたのだなとあらためて思います。
 そしてここにも仏さまのお心おはたらきが行き渡っているようにも有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.2)
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