浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
「父ちゃんが往ってるところに往かせてもらう」と覚悟が決まりました
 十数年前ガンの病気になって入院治療された方のお話です。
ガンと告知され入院したときにこの命も残り少ないと思い悩み大きな不安と苦しみのなかで
早く亡くなったお父さんのことを思い
「父ちゃんが往ったところに往かせてもらう」と覚悟ができて死が怖くなくなったということです。
 
 私たちの浄土真宗のご法義は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成る教えです。
ただお浄土と聞いても阿弥陀さまのいらっしゃるところと聞いても何かピーンときませんが
そのお浄土に先に往かれた有縁の方々が往ってらっしゃると聞くと何か身近に感じて少し安心できます。
 
 私たちの理屈でいうと何でそんなことが言えるのか本当のことかと疑い心が起こりますが
生きとし生けるすべてのものを必ず救うとの南無阿弥陀仏のおはたらきがあると聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私もあなたもみんな
お浄土という一つ処に生まれさせていただけると聞かせていただけるのです。
 
 私が善いことをしたから救われて生まれるところ
あの人と同じところに往きたいとかあの人が往ってるところには往きたくないとか
私の料簡が一つも入らない阿弥陀さまのおはからいおはたらき一つのお救いですから確かなのです。
 
 「娑婆の縁尽きてちからなくしてをはるときにかの土へはまいるべきなり」と
歎異抄に親鸞聖人の仰せです。
 彼の土です。ここ此の土ではありません。
最近よく「あちらにいく」とか「あちらの世界で」とか言われます。
この世に対するあの世です。
 
 ただ彼の土とあの世は違います。
私たちの人間関係でいいますと
私とあなたそして彼とか彼女といいます。
 この場合みんな個々の決まった人をいいます。
この人です。あの人ではありません。
 距離がずっと近い人です。
あの人といったら何か遠くのぼんやりした存在です。
 
 あちらの世界です。
ぼんやりした情緒的なあちらの世界ではなく
お浄土は阿弥陀さまがこの私を必ず救うと決めてくださった確かな世界であり
確かに確かに私たちが生まれ往くところそれがお浄土なのです。
 
 お浄土には私たちの懐かしい方々が生まれて往ってらっしゃる。
だからそのお浄土でまた再会再び会うことができると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏ひとつでいいんだよと
ナンマンダブツとお念仏申して来いよ必ずお浄土に生まれさせるとの仰せですから
「はい」と阿弥陀さまの仰せに順っておまかせをして
そしてこの世のことは命ある限り精いっぱいのことをさせていただけるのです。
 
 病気になってからではなく平生です。
平生今こそ後生の一大事の解決です。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで覚悟を決めさせていただくのです。
そのこと一つお念仏を申すなかにまた聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.22)
 
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む」
 昨日月の話をしました。
法然聖人がよまれた歌に
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」があります。
 
 月の光が届かない人里はありません。
すべての里に届いていますが月を眺める人の心にこそ届いてあるというのです。
 月の光は闇夜を照らしてくれます。
月の光の有難さですが月を眺めて思う人はなかなかいません。
 
 お念仏のお心を歌でたとえて教えてくださっています。
阿弥陀さまの智慧の光明に照らされて
私たちは南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のお救いのなかにあるのですが
阿弥陀さまのお心を聞くことがなかったらもったいないことです。
 
 月を眺めて「本当にきれいだなあ有難いなあ」と心に思うように
仏法に遇わせていただいた人は「ああ有り難いことだなあ」とお念仏を申す人になるというのです。
 
 私たちの日々の生活を振り返るとき
当たり前当たり前と過ごしていることが何と多いことでしょう。
 当たり前ということが本当に有り難いと知らされるのが
今のコロナ感染禍のなかでの私たちの日暮らしではないでしょうか。
 
 今まで気づかなかったことに気づかせていただける
今まで見えなかったことが見えてくると
お念仏のお心おはたらきをいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.21)
 
いのちみんなつながって私たちは一つのいのちを生きているのです
 不要不急の外出を自粛しステイホームで家に居なさいというなかで
遠く離れた家族や親しい友だちと会うことが難しいです。
 
 ただ実際に顔と顔を合わせて会うことはできなくても
パソコンやスマホで顔を見て言葉を交わすことができます。
 孫の元気な姿を見ておじいちゃんおばあちゃんも
ほっと安心しますね。
 
 日本だけではなく今世界中の著名なミュージシャンやスポーツ選手芸能人がSNSで発信しています。
家に閉じこもるようにいる人たちに「一人じゃないよ」と声をかけ
コロナ感染治療の最前線にいる医療従事者に敬意と感謝を表し
「みんなの思いを一つにしてこの状況を一緒に乗り越えていこう」というメッセージです。
 みんなつながっているという心強さを思います。
 
 仏教の縁起の法です。
あらゆるいのちのつながりの中に私たちは生かされて生きてあるという教えです。
「いのちみんなつながっていっしょ」です。
同じ地球に住んでる生きてる私たちは人間だけではなく命あるすべてのものが
元々一つのいのちを生きているということです。
 
 私たち人間のエゴ人間中心の思いはからいです。
どこまでも自分を中心に生きようとする私がいます。
 近年の国際政治の動向をみると自国中心主義が横行し
自国の利益を最優先にして壁を作りつながりを切り裂いて他者を排除する中でのコロナ感染の拡大です。
 ウイルスは国境を壁を軽々と乗り越えて瞬く間に世界中に広まり今も猛威をふるっています。
 
 つながっているということの安心です。
パソコンや電話もない手紙が唯一の通信手段だった時代
先人は大切な人とのつながりをどのようなことで思ったのでしょうか。
 
 東京オリンピックも一年延期になりましたが
昭和39年の東京オリンピックの時に三波春夫さんが歌った「東京五輪音頭」があります。
 その歌詞に「昨日ローマで眺めた月が今日は都の空照らす4年経ったらまた会いましょう」とあります。
月です。太陽といってもいいのですが太陽を見るのはまぶしいですから月がいいですね。
 遠く離れた大切な人を月を見て
「元気にしてるかな。今何してるかな。この月を見てるかな」と月に思いを重ねたのではないでしょうか。
 
 同じ月を見ることでつながっている。
その月を南無阿弥陀仏のお念仏といただきます。
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すところ私たちはみんなつながってあるのです。
ナンマンダブツとつながってホッとする安心できるのです。
「いのちみんなつながっていっしょ」と私たちのお念仏のご法義をいただきます。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきつながりです。
阿弥陀さまが十劫という遥か昔からつながってこれからも無量といいます。
 先に往かれたご先祖有縁の方々も南無阿弥陀仏の大きないのちにつながってご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにずっとずっとつながってあるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に共々に生かされて生きている私たちです。
 
 大変な状況ですが、今晩ゆっくりお月さまを見て大切な人を思いませんか。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.20)
 
コロナウイルスが教えてくれるもの~これでいいのか!
 非常事態宣言が全国に広がって初めての週末ということで
今朝の新聞全国紙地方紙二紙ともに最初の一面に「閑散」という文字が大きくでていました。
 いつもは賑わう町中に人が殆どいない本当に静かな異常な光景の写真が載っていました。
 
 緊急事態の中でも私たちは生きています。
家に居る方が多いと思いますがそれぞれの生活の場で生きていかなければなりません。
 
 人間だけではありません。
命あるものすべてが生きています。
 
 花の命です。桜の花はもうすっかり散ってしまいましたがすぐ若葉がでてきています。
これからも色とりどりのお花が私たちを楽しませてくれます。
 春です。いのち芽生えるときです。
いつもの年のようにお花がいっぱいです。いのちがいっぱいです。
 どんな状況にあっても私たちは共々に生きている
互いに生かされてあるということです。
 
 このたびのコロナウイルスのことであらためて
この同じ地球に生きる私たちは一つのいのちを生きていることを思い知らされます。
 この数年世界各地各国で自国中心主義の政治動向が顕著です。
その根底に人間中心自己中心の私たちのあり様があります。
 我がいのちのあり方について「これでいいのか!」と厳しく問われているような気がします。
 
 今は一刻も早くコロナ感染が収束してほしいと願うばかりです。
 閑散とした私たちの生活環境にあって
こういうときだからこそ私にできることを工夫して
日々心豊かに生きたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.19)
 
コロナ感染禍にあって私たちはどう生きるのか
 今私たちはこれまで経験したことがないコロナウイルス感染禍の中に生きています。
収束の見通しが立たないままに時が過ぎ
昨日の安倍首相の記者会見からも先が見えないもどかしさ不安を覚えます。
 
 ロックダウンされたロンドン、パリそしてニューヨークの異常な光景をテレビで観て
日を追うごとに人類存続の危機といわれることが決して大げさではないと思い知らされます。
 これから何十年何百年ずっと世界史で語り継がれるだろう大きな重い事態に遭って
今私たちは生きているのです。
 
 生きるということはどういうことか
何をすればいいのか何ができるのかといって
自粛しなさいステイホーム家に居なさいということです。
 
 仕事が休業になってこれから先どう生きていくのか
その術もなく困ってらっしゃる方がたくさんいます。
 震災とか台風で被災されたことですとボランティアに行って
できることをさせていただくということですがそれができないのです。
 
 こうした逼迫した状況の中でも仕事をされている方々がいます。
私たちの社会生活が滞らないように日々支えてくださっている方々です。
 社会公共事業に携わる多くの方がいらっしゃいます。
そしてコロナ感染治癒の最前線で危険と隣り合わせで医療に従事されてる方々を忘れてはいけません。
 
 しばらくこうした状況が続くでしょう。
これまで経験しなかったことがこの身に起こってくるかもしれません。
 これから先の予断も推測も全くできない
見えないコロナウイルスとの闘いです。
 
 私たちは南無阿弥陀仏のお救いのご法義をいただいています。
ナマンダブナマンダブとお念仏を申したらコロナウイルスの感染が収まるのかということではありません。
 今一番大事なことは何が私にできるのか何をすべきか
お念仏のみ教えに聞かせていただくなかに
しっかり考え工夫してこの難局を共に乗り越えていく心構えをもって
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
 
 お念仏申して日々生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.18)
 
非常事態宣言です!マスクをつけてご門徒皆さんのお家にお参りさせていただきます
 非常事態宣言が全国に出され
ここ大分も非常事態宣言の対象になりました。
 
 今朝のお朝事からマスクを着けています。
非常事態宣言でお寺はこうしなさいこうしないといけないということではありませんが
皆さんのお家にお参りお勤めすることについて心がけてマスク着用させていただきたいと思います。
 お勤めの際は声を出すのに少し大変ですので阿弥陀さまには申し訳ありませんがマスクを外させていただきます。
ただこうして皆さんと向き合う時はマスクをさせていただきます。
 
 月参りやご法事で皆さんのお家にお参りしてお勤めの後お茶をいただきながらお話になります。
仏事の話も世間話も色々です。今はコロナウイルスのこと一色です。
 ステイホームで家に居なさいと言われ家にこもるような生活で
ストレスがたまることも多くなります。
 仏さまのご縁で皆さんとお話させていただくのもいいことではないでしょうか。
その時もつとめてマスクをしてということです。
 
 コロナウイルス感染の収束を見据えた心構えとして
あらためてマスクをつけて法務をさせていただきます。
 
 普段の月参りお朝事のご縁はこれからもお勤めさせていただきます。
これまでに月参りは3件法事は2件「お休みしてください」と連絡がありました。
 それぞれです。
お寺からこうしなさいこうしましょうというのではなく皆さんの判断です。
 
 このような事態にあって責任ある人がはっきり決めてくれたらいいとも言われますが
日々の生活はこの私のことで人から言われてすることではありません。
 私がどうするのかどう生きるのかです。
ナンマンダブツとお念仏に相談して日々の生活できることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.17)
 
「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
 今日16日は親鸞聖人のお命日で
「信心獲得の章」の御文章さまをいただきます。
 浄土真宗のご法義の要である他力の信心をうるとは
南無阿弥陀仏のいわれを心得ることだといわれます。
 
 このなかで浄土真宗の仏道を親鸞さまはお正信偈さまに「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得ると述べられて
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も煩悩を断ずることなく救われて仏に成るとお示しです。
 
 一般に仏道は苦悩の原因である煩悩を断じてさとりを得ると
煩悩を断じたところが涅槃であり仏に成るというのです。
 
 浄土真宗の仏道はこの世でさとりを開き仏に成るのではありません。 
南無阿弥陀仏の他力の信心一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成らせていただくのです。
 これは浄土真宗独自の教えであり他流の人に誤解をまねくので注意しなさいと御文章は結ばれます。
 
 阿弥陀さまは悪業煩悩を造り重ねてこの世に生まれ生きる私を見て取られ
必ず救うとご本願を起こし南無阿弥陀仏と成就されて今こここの私におはたらきです。
 
 親鸞さまは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで誰もがみんなそのまま救われるというご法義を開いてくださり
阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出されたご自身を煩悩具足の凡夫といただかれました。
 私たちはこの身を生きる限り煩悩をもって生きていくしかありません。
阿弥陀さまは煩悩にまみれた煩悩いっぱいの私と知らせてそのまま救うてくださるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中にある私ですが
私が今この世でさとりを開いているということではありません。
 縁があればどんな悪いこともできるこの私に変わりありませんが
他力の信心をいただいて阿弥陀さまのお浄土に生まれて
必ず仏に成ると正しく定まったなかま正定聚の位に今あるというのです。
 
 そのことを聞かせていただくとき
すえ通った善いことはできない私ですが
少しでも善いことをしようと私にできる精いっぱいのことをさせていただきます。
 
 どこまでも煩悩具足の凡夫ですが
お念仏に生きる凡夫と心に入れて今日一日もお念仏に生かされて生きてまいりましょう。                  
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.16)
 
南無阿弥陀仏のご縁に遇ってご信心いただきお念仏申す身にさせていただきましょう
 今日の御文章さまは「毎月両度の章」です。
毎月二度の寄り合い(法座)を開くのは「往生浄極楽の信心を獲得する」ことが目的で
「ただ酒飯茶ばかりにて退散するのではない」と
飲み食いだけで終わってしまっては寄り合いの本意ではないとのお心です。
 お念仏のご縁に遇って南無阿弥陀仏のご信心をいただきお念仏申す身になってほしいとの願いです。
 
 蓮如上人の当時毎月両度二度のご法座が開かれていたことです。
毎月25日と28日だったそうです。
 今日の御和讃は源空聖人法然さまを讃えるご和讃で
最後に「本師源空命終時~初春下旬第五日」とありました。
 法然さまのご往生は「初春下旬第五日」初春は1月下旬第五日は25日のことで1月25日だったということで
法然さまの御命日25日に寄り合い
もう一日は親鸞さまの御命日11月28日の28日にご法座が開かれていたのです。
 
 この御文章を書かれたのは蓮如さまです。
蓮如さまの祥月命日は3月25日で法然さまと同じ25日が御命日で
それ以降も25日と28日の毎月二度お勤めをされてきたということです。
 
 円光寺は親鸞さまの新暦の御命日1月16日の毎月16日に常例法座のお勤めをしています。
御正忌、降誕会、盆両彼岸はそれぞれの法要に合わせてということで毎月一度の寄合いです。
 「月に一度はお寺参りしましょう」とご門徒皆さんに呼びかけています。
ご信心いただいてお念仏申す身にさせていただきましょうとの願い一つです。
 
 お朝事参りの皆さんは日々毎日のご縁です。
お念仏申す身にならせていただいて御恩報謝のご縁です。
 阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さまありがとうございますと
この手が合わさりお念仏申しお礼をさせていただいて
共々に今日の一日を始めることができるということ
本当に有難いことです。
 
 一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.15)
 
『お育てにあずかって』
 昨日光国寺のご院家さんの著書が恵送されてきました。
5月にお勤めする予定だった住職継職法要の記念に書かれたもので
コロナ感染禍で法要は延期になりましたが
予定通りに出版され届けられたということです。
 
 大学卒業後5年間ハワイのお寺に開教使として赴任されご自坊に帰られて
私たち同世代の僧侶の第一線で教学の研鑽と布教にご精進されてこられました。
 私の3歳年上で同じ頃自坊に帰り同じ大海組のお寺ということで
ずっと親しくご教導いただいたことです。
 
 開教使時代のご法話を読ませていただきました。
23、4歳の頃だと思いますが法味あふれる内容で有難く
今に至るまでのご法話が大変身近にわかりやすく書かれてあり一気に読んでしまいました。
 
 あとがきで
「『さて、本のタイトルは何に?』と考えた時、如来さまはもちろんのこと
私を今日まで支えてくださった皆々さまのご恩に思いを致し
『お育てにあずかって』の言葉よりほかには思い至りませんでした」とありました。
 
「祖母や父母をはじめ、恩師、法友、有縁の方々、光国寺ご門徒の皆さま
更にはハワイの仏教会メンバーの皆さま等々
数え切れぬほど多くの方々のお育てをいただいた歳月であったなあと感謝し
よろこばずにはいられません」と別記されています。
 
 私が生きてきた人生を振り返る時
そこにはいつも私と共に歩んでくれる人がいました。
 自分一人で生きてきたのではありません。
そうしたいろんな方々のお育てをいただいて今の私があるということです。
 
 これまで歩んできた人生は人それぞれ違います。
出会った人も違います。生活ぶりもそれぞれです。
 
 そうした私たちが『お育てにあずかって』と思い返すことができるのは
私たちは同じ中心をいただいているということではないでしょうか。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
 お念仏のお育てにあずかって生きてきました。お念仏のお育てにあずかって生きています。
そしてお念仏のお育てにあずかってこれからもこの道を歩ませていただけるのです。
 
 お念仏の道です。阿弥陀さまのお浄土への往生浄土の道です。
お念仏のお育ては死んだらしまいのお育てではありません。
 人としての人生はいつか終わりを迎えますが
お念仏のおはたらきでそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのです。
 
 『生きる』(中川静村作詞)という詩をいただきます。
「生かされて生きてきた/生かされて生きている/生かされて生きていこうと/手を合わす南無阿弥陀仏」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.14)
 
緊急事態宣言で私たちの日暮らしはどう変わりましたか?
 春の嵐になりました。
花散らしの雨とか風とかいって今満開の今年の桜も見納めということでしょう。
 
 昨日夕方電話があって「こういうご時世ですのでお参りはお休みしてもいいんでしょうか」と
コロナ感染のことで月参りをお休みするという問い合わせです。
 月参りはご門徒皆さんのそれぞれのご希望で申し込まれることですので
お休みすることもできますしお参りもさせていただきます。
 
 ある方からお葬式はどうしてますかと尋ねられました。
お葬式のご縁は待ったなしで延期することはありません。
 いつものようにお葬式のお勤めはさせていただきますが
お葬式のあり方はこの時期小さな小さな身内の方だけのごくごく内輪のお葬式です。
 葬儀社さんに聞くと通夜ぶるまいやお斎といった食事やお酒を出したりすることはないといいます。
三蜜です。狭い部屋で食事を囲んで皆さんがご一緒することは避けましょうということです。
 
 ご法事のことであげ法事といってお寺でのお勤めを申し込まれた福岡の方がいらっしゃいました。
福岡は今緊急事態宣言の指定地域になって大変です。
 数日前に電話があって延期しますということでした。
中止ではありません。
 仏事もそれぞれ工夫し対処しています。
 
 こうしたらいけないと禁止する非常事態宣言ではありません。
あくまでも要請です。
 これが難しい判断を迫られるということです。
お商売をしている方にとってははっきり止めてくださいと言われた方がいいという切実な声です。
 ただ止めるといってもそこに補償がないとという話になってくるので難しいということです。
最終的にはそれぞれの判断それぞれの責任です。
 
 私たちの社会は一人の人間が自分だけで生きてやっていける生活できるというものではありません。
お互いに支え合って生きている社会私たちの生活です。
 生活の補償という大きな政治判断も必要ですが
こういう事態だからこそ皆がお互いに支え合う助け合うことができないものかと思ったりします。
 
 まず私のところでできることです。
不要不急の外出をしないでステイホームです。
 家に居なさいです。
とにかく人との接触を避けていけば感染する感染させることはないということです。
 
 私たちの生活です。
全く家に閉じこもっていては食べること生きることにも事欠きます。
 仕事で外に出ないといけないこともあります。
人との接触を避けることが難しい仕事もあります。
 
 私にできることです。工夫です。
お念仏を申すなかに阿弥陀さまに相談してみて聞いてみて
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.13)
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