浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
サマースクールから一夜明けて
 8月になりました。
昨日一昨日と一泊二日でサマースクールを行いました。
今年は61人という近年にない大人数の子どもが集まってどうなるか心配もありましたが
中高校大学生のスタッフ、お寺の仏教婦人会壮年会、そして保護者の皆さんのサポートで無事に終えることができました。
ありがとうございました。
 
 今年で39回になります。
ちょっと振り返ってみると私がこのお寺に帰って来てしばらくして第1回が28歳の頃です。
まだ結婚もしていません。新院も生まれておりません。
 そういうなかで子どもたちにサマースクールということでお寺のご縁に遇ってほしいと
ご門徒有縁の皆さんに呼びかけ始めて39年を迎えたということです。
 
 今回参加したなかにお父さんお母さんがサマースクールに参加したことがある子どももいたと思います。
お父さんお母さんから勧められて参加してくれたのかなと思います。
 お寺の本堂という異空間で子どもたちが共同生活するわけですから
自分の思い通りにならないこともあって子ども同士で言い合いになったり喧嘩になったりということもあるし
私も大きな声を出して叱ったこともあります。嫌なことです。
 
 嫌なこともあったと思うけれども振り返ってみればあの時円光寺でサマースクールがあって
暑い中を参加してみんな一緒にお寺に泊まって食事をして遊んだという思い出が一つご縁となって
次の子どもにそして孫にとつながって行くのが私たちのお念仏のご法義おはたらきだと思います。
 
 みんなつながってあるということです。
これまでもこれからもつながってあるというなかにまた来年も円光寺で会いましょうと閉会したことです。
 
 人と人とのつながりです。お念仏のご縁つながりです。
私がどうこうすることではなく仏さまの大きな大きなつながりのなかに生かされて生きているということです。
それは大切な方が亡くなった後もずっとずっとこれからもつながっていくという無量のいのちのご縁です。
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに私たちの大きな安心があると
サマースクールのご縁でまた教えていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.1)
 
京都も本当に暑かったです
 昨日京都に会議で行きました。
朝6時にここを出て夜の10時に帰って来ました。京都にいたのは6時間半です。
何ともバタバタ慌ただしいということです。
 
 京都も最高気温が35度超えの猛暑日で暑かったです。
ただ京都駅周辺の人は前に行った6月に比べてぐんと減っていました。
この暑さの中での観光はちょっと覚悟が要ります。
それぞれの夏の過ごし方です。
 
 昨日の会議で面白いデータを聞きました。
以前はお寺の周辺にご門徒さんの家があり三世帯四世帯の家族が一緒に住んでいましたが
今は核家族化が進みお寺の周辺からご門徒さんのお家が他所に移り
お寺とご門徒さんのご縁が段々と薄くなってきています。
 
 一つの統計ですが2時間以内の所だったらお盆のお参りやお葬儀法事のご縁は続くということです。
しかし2時間を超す関係だと、他所に出た人はお寺も直接知っていますが
その子どもや孫になると仏事のご縁は今住んでいる近くのお寺に頼むかもうそれっきりになってしまうというデータです。
 
 私たちの生活営みが本当に変わったしこれからも急速に変わっていくなかに
お寺とご門徒さん人と人とのつながり関係をどのようにもっていったらいいのかと協議する会議でした。
 30人ばかりの会議で2人の門徒さん以外はお坊さんだけの会議です。
それも主に60代70代の年輩のお坊さんばかりの会議でした。
 これからというのは若い方の大きな課題です。
若いお坊さんがこれからのお寺をどのように考えどのようにしていきたいのか
先輩方はちゃんと受けとめ聞いてお互いに知恵を出し合っていくことこそ肝要です。
 
 何分私たちお坊さんの社会はまだまだ遅れてます。
昨日も危機感がないという発言がありました。
 今やっていけているのならそれでいいのではないかということですが
将来の展望が全くないなかでの次の世代への責任転嫁です。
 お寺をめぐる社会の流れは想像以上にどんどん移り変わっているのです。
 
 そういうなかにこのお朝事のご縁です。日々平素のご縁です。
こうしたご縁を一つ一つ大事にして私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.30)
 
ご法事のご縁で家族になれる
 昨日ご法事がありましてお昼の2時からのお勤めでした。
二人の息子さんが遠方から家族連れで帰ってみえるということでした。
 
 お勤めの後で「今日は久しぶりに家族全員が揃いました」と聞きました。
二人の息子さんご夫婦に子どもさん二人の二家族で8人、計10人のご縁になりました。
 
 お孫さんからいったら七回忌のおじいちゃんのご縁です。
ご往生から6年が経ったということです。
 四人のお孫さんのうち1歳の子どもさんはおじいちゃんに直接会っていませんが
三人のうち一人は6歳になる子です。生れたばかりでおじいちゃんとお別れしたということです。
一番年長の子が小学6年生ということですから、小学校に入学して卒業するという6年です。
 
 昨日お話しましたが、今は核家族の形態が殆どで
家族といえば親子の関係を言いおじいちゃんおばあちゃんになると親族という見方があるそうです。
 ご法事のご縁に親族のお孫さんが帰ってみえたということです。
そして皆さんご一緒に御仏前に座ってお勤めができました。
 お孫さんは終始神妙な顔つきでした。
日頃そのお家で暮らしているわけではありません。
よその家です。ある意味そのお家のお客さんなのです。
 
 ただ皆さんご一緒にお勤めができて昨日の夜は10人でゆっくり食事をして過ごされると聞きました。
ご法事のご縁で家族になれるということです。
 家族になれるって、元々家族なのですが
それぞれ住む家が違いそれぞれの生活をしているお互いです。
 そのそれぞれを一処に集めてくださって家族にしてくれるのです。
 
 おじいちゃんは人の命を終えたけれどもおじいちゃんがおじいちゃんでなくなったわけではないよとお話しました。
人の命は終えましたが、仏さまのいのちとなっておじいちゃんの仏さまが
いつどもどこでもみんなのことを見守りご一緒してくださってあるのです。
 ナンマンダブツとお念仏を申すところにみんながずっとずっとつながってあるということです。
 
 今はご法事に子どもさんがお参りすることが本当に珍しくなりました。
直接の親子兄弟の関係が殆どでその他の親戚の方のお参りも見かけません。
 お孫さんにとっておじいちゃんおばあちゃんは命の大恩人です。
子どもの頃からご法事のご縁に遇うことは本当に大事なことなのです。
 
 今6年生の子が次の13回忌のご縁には高校3年生になります。
その年齢年齢で違う思いでご法事を迎えられることだと思います。
 
 仏さまのご縁は平素日頃のご縁です。いつでも仏さまのご縁に遇うことができます。
ただ自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私たちが日頃のご縁に遇う頃は本当に難しいことです。
だからこそご法事のご縁を大切に受け止め有縁の方に広く呼びかけて
精いっぱいお勤めさせていただきたいとまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.28)
 
念仏家族というご縁つながり
 今は家族の形態が多様で変ってきています。
ある調査で、家族ということについて、親子の関係は家族というが祖父母との関係は親族ということを聞きました。
 
 日頃一緒に生活をしている親子は家族なのです。
おじいちゃんおばあちゃんはたまに家に来たりとか
夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの家に行ったりとかいう関係つながりだといいます。
言われてみればそうかなと思ったりもします。
 
 もう一つ葬儀の後の法事についての調査結果です。
今は葬儀をしない、葬儀をしても法事はしないところが増えてきて、法事を勤めても7回忌ぐらいまでで
それ以降の13回忌17回忌25回忌33回忌50回忌の法事は勤めないということです。
 
 今は超高齢社会になって90歳代の親の葬儀の喪主を70歳代の子どもが勤めるということで
70歳代の子どもが元気で勤められる法事の年忌は7回忌までかんということのようです。
 子どもが勤められなくても孫がいるではないかということですが先ほどの話です。
孫からいったら祖父母は家族ではない親族です。
ご法事の施主は直接の家族が勤めることで、親族になると法事の案内を待つ人になるわけです。
 
 こうした現実のなかで私たちはお念仏のご法義をどのように伝えていくのか
今まで通りのようなことをしていても中々先が見えない難しい事態が実際に起こっています。
 
 お念仏のご法義です。
私たちがこの人間界に生まれて来たのは仏さまのみ教えに遇うためなんだよと
お釈迦さまは私たちに教えてくださりお念仏の法を勧めてくださっています。
 
 日々の生活ぶりは皆さんそれぞれ違いますが
こうして毎朝お朝事のご縁にお参りされて今日の一日をご一緒に始めさせていただける
私たちはお念仏のご法義につながった念仏家族だといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.27)
 
監督の決断
 夏の高校野球地方大会が佳境に入っています。
昨日は岩手県予選の決勝戦があり注目の佐々木投手を擁する大船渡高校が常連校の花巻東高校と対戦しました。
 
 大谷翔平投手を上回る高校生最速の163キロを記録して全国区の人気を集めることになった佐々木投手ですが
決勝戦に登板することなくチームも敗れて悲願の甲子園出場を果たすことができませんでした。
 
 この佐々木投手の登板回避が大きな話題になり今日の新聞テレビ等でも取り上げられることでしょう。
なぜ佐々木投手が登板しなかったのか監督は登板させなかったのかということです。
 大船渡高校のエースであり甲子園めざして3年間一緒に戦ってきた仲間とのそれも最後の大事な試合です。
佐々木投手を中心にみんなで甲子園に行こうとチームメイト後援者の思いいっぱいだったと思います。
 
 ただ監督は自らの責任で登板させないという決断だったといいます。
監督が一番選手のこと、まだまだ高校生の成長途上の子どものことを3年間ずっと見てきたと思います。
 そうしたなかで最終的には監督の判断です。
それはそれで監督の判断でしかないと思うのですが、やっぱり傍から見るとなぜどうしてということです。
 
 結果甲子園に行けなかったということですが、佐々木投手やナイン選手たちの人生がこれで終わるわけではありません。
これからそれぞれのいろんな人生の歩みのなかで
その時の監督の決断監督の思い願いというのがどういうことだったのかまた思い起こすことがあると思います。
 それは〇か×かではないと思います。
登板させる登板させないという二者選択ではなくて多くのものの見方があると思います。
 
 そういうなかに監督はまさに親ですよ。
親の心が聞こえてくるわかることもあるということではないでしょうか。
 私たちの阿弥陀さまを親さまといいます。
親さまのお心が分かるでしょうか。
 私が私がとどこまでも自分を中心に生きている私たちお互いです。
親さまのお心は南無阿弥陀仏「まかせよ救う」とおはたらきくださり
いつも私が一緒だよ、あなたのことは私が一番よく知っているからね、私にまかせなさいというんです。
 
 まかせよ救うの南無阿弥陀仏のお心おはたらきに「おまかせします阿弥陀さま」と
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.26)
 
コンプライアンス
 会社の不祥事があった時にコンプライアンスという言葉をよく聞きます。
法令順守、決めごとを守りましょうということです。
 人と人が織りなす社会、組織や会社では決めごとをしていないと
各々が自分勝手なことをしていては組織の体になりません。
 
 人と人とでは約束事です。
約束事を守らないと人間関係が成り立っていきません。
 特に大きな組織になればなるほど法令ということが大事になってきます。
そこでまず法令を決めましょうということから始まります。
そして決めた以上はお互いに守りましょうというコンプライアンスです。
 言われてみればその通りですが、これが中々守れない人がここにいます。
守れない人がいるから法令を決めるということにもなります。
 
 このたびの吉本興業のことは反社会的な組織人との交際の問題から吉本自体の会社の問題になっています。
昔からの組織の体質がそのままで芸人・会社両者の会見でフアミリーとか家族という言葉が出ていました。
 一方は家族だったら親はどんな出来の悪い子どもでも守り通すと言い
もう一方は親がどうしようもない子どもに勘当やと言って本当に勘当するのではない
そこに親の大きな愛情があると言ったことが言われていますが
昔ながらの家族の関係でなく今や6000人の芸人を抱える組織で基本的なコンプライアンス
労働条件や報酬を明らかにする書面の契約が無く全て口頭で行われていたというから驚きです。
 
 今の時代今の社会で到底通用するものではなく、それを公の記者会見で言うことには大きな認識のずれがあります。
人が生きる人権の問題です。
権力者が自分の良いように使うことを縛るのがコンプライアンス法令順守の精神です。
 
 さて私たちの仏法もまた法です。南無阿弥陀仏の法です。
お念仏の法は私を縛るものではありません。逆に縛りから解放するのがお念仏の法です。
私が私がとこうしないといけないこうすると世間からひどい目に遭うと不安に慄く私を
この阿弥陀さまはちゃんと見てとって「どんなことがあっても決して見捨てることはない」と
いつでもどんな状況にあっても私に寄り添ってくださる仏さまに成ってくださったというお救いの法です。
 
 決して阿弥陀さまのお心に甘えるということではありません。
阿弥陀さまのお心に聞かせていただくのです。
阿弥陀さまのお心に適うことかどうかお念仏を申して聞かせていただきます。
 
 いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒ですという安心をいただいて
自分のはからいに縛られていたことから解放され
周りを見る目も自分中心の見方から仏さまのお心に添う見方に解放されて
より良い判断ができることになるのではないでしょうか。
 
 お念仏申して今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.24)
 
参議院選挙の後で
 参議院選挙が終わって総括というかテレビ番組で各党の代表が討論しています。
今度の選挙は今までにない特徴があったと思います。
 今回も投票率が50%を切って半分以上の人が選挙に行かず自らの権利を放棄する異常事態が続きます。
 
 そのなかで「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る党」が
議席を獲得し政党としての要件を満たす得票を得たということです。
 特にれいわ新選組は200万以上の票を獲得しました。
結党僅か3か月で社民党の倍以上の得票を伸ばし選挙資金も用立てたといいます。
 
 れいわ新撰組について選挙後の報道で知ったことが多く東京を中心とした大きな動きだったということです。
SNSというネットを使った選挙手法だったといいます。
 
 一方NHKから国民を守る党は新選組とはまた違った手法を使いました。
各選挙区に候補者を全部立てたということです。
各選挙区の得票数は少ないものの全国では100万近くを集めました。
国民の小さな声を丁寧に得票として集めたということです。
 
 今のネット社会の選挙戦術と昔ながらの草の根の取り組みです。
これは選挙だけのことではなくこれからの社会の様々な取り組みに当てはまる大きなヒントになることだと思います。
 
 このお寺の活動もそうです。
日頃です。日頃というのがここです。このお朝事のご縁もそうです。
仏さまのご縁を日頃から頂くということです。ここから始まる日頃です。
お互いの顔と顔を合わせ見て声が聞こえるということです。
 
 もう一つはネットです。
円光寺も3年になりますかインターネットをしています。
 ネットは発信する者がいて受信する者がいます。
ただ受信する物が必要だし受信をする者が受信をしないとボタンを押さないといけません。
 
 これまでのお寺とご門徒皆さんとの通信つながりは今も紙媒体です。
皆さんに紙文書で法要行事のご案内を配っています。それを見るか見ないかは皆さんです。
ボタンを押すというはっきりした意思表示がなくても目に付けばそれを見る読むことができます。
 この前還暦を祝う会のご案内を直接該当者に名前を書いて手紙で出しましたが
その人から「還暦を祝う会ってこれまでにあったんですか」と言われました。
10年以上前からありました。ご門徒皆さんへの通信にご案内もし報告もしています。
ただそれは紙で、それを見てるか見ていないかの違いです。
 
 年間たくさんのご案内を丁寧に出してはいます。
ただ皆さんがそれを隅から隅まで読んでいるかといったら殆どの人は見てもいないのではないでしょうか」
気持ちのある人しか見ていません。
それでも気持ちのある人は見ていますからやはり丁寧に一つ一つご案内することからすべてが始まるのです。
ちゃんと宛名書きしたものは見るのでしょうが、全て宛名書きすることまでできません。
 
 そしてこれからはよりネットになってきます。
ネットでボタン一つで方々に発信することができるのです。それも不特定多数です。
発信しないと受信することはできません。
 そして受信する方がボタンを押すんです。そのつながりです。
たとえ顔と顔は見えてなくてもつながっているんです。
つながってここ、お寺のご縁です。互いに仏さまのご縁に遇って顔と顔が見えるんです。
そしてお念仏のみ教えがつながるのです。
 
 人から人へ確かに確かにお念仏のみ教えが伝わってき私のところに届けられたのです。
顔と顔が見えるなかに子や孫に次の世代へと先人の思いがずっとつながって今日のこのご縁になって結ばれているのです。
 
 そういうことでいったら今度の参議院選挙はいつものように自民党が一人勝ちで終わったという見方ではなく
今ある政党に期待していない者の動きが一つ始まったのかなと思ってお寺のことをまた重ねて思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.23)
 
ファミリーという社会
 吉本興業のタレントの闇営業のことで一昨日当人のタレントさん二人が記者会見を開き
昨日は日曜日の生番組で吉本興業の有力タレントさんが出演して色んなことを話されていました。
 
 ずっと見ていて聞いていて吉本興業が悪いということではなく
何か昔かたぎの仲間内の組織のあり方が今の時代社会に合っていないのかなと思いました。
 ファミリーということを言っていました。
ファミリー家族って温かい言い方ですが、ファミリーということだけで今の社会はやっていけないと思うのです。
多様性の社会といいます。色んな方々がいらっしゃいます。
 今回のことでいったら反社会的勢力といわれる方々です。
この社会のつながりのなかにあってファミリーだけでは解決できない問題が吉本興業にもあったということです。
 
 日曜日の話では社長に直接話をしに行った会長もいて一緒に話をしてということだったら
記者会見をする前にじっくりお互いに話をしていたら何か展開も違ってきていたようにも思います。
ただそこは大きな組織になればなるほど思うようにコントロールできない吉本興業になっていたのかなと思ったりします。
 お笑いの芸人さんです。笑わせて何ぼという方です。
そういう方が涙ながらに会見をしなければならない事態です。
傍から見ると何とかならなかったのか、これからどうなるのかなと心配することばかりです。
 
 それこそファミリーというところで何かうまくやっていくことができなかったのかなとも思います。
しかし事が表ざたになった以上社会はもうしっかり見ています。
ここで何かうまく治めようとしたら逆にお笑いの世界が疑いの目で見られるようなことにもなりかねません。
 
 私たちです。私たちは一人では生きていけません。この社会というなかに生きています。
このお寺もそうです。お寺も一つの大きな社会のなかに生きています。
 そういうなかにあってこの私です。
それこそ右に行ったり左に行ったりと迷う私です。
その私をこの阿弥陀さまという仏さまはちゃんといつでもご覧になって見てらっしゃる知ってらっしゃるのです。
そして南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私と共に生きてくださるのです。
お念仏申して阿弥陀さまのお心をまた聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.22)
 
夏休みの朝の鐘つきとラジオ体操を始めます
 雨が上がって今日は6時から鐘をついて体操をしました。
この夏休みの期間中<朝の鐘つきとラジオ体操>を今年も始めさせていただきます。
昨日はあいにく雨で体操ができませんでした。雨の時は体操はしません。
こうして皆さんにお朝事にお参りいただいて今日の一日を共々に始めさせていただける有難さを思います。
 
 今日体操をしていまして、一年ぶりですから次はどうだったか忘れて戸惑うことが何度かありました。
考えると駄目ですね。考えずにそのまま体の動きにまかせることでいいのですが
考えると次はどうだったかその次はというところまで考えて、これがはからいということですね。
 
 体操をして思い出すのが小学校の頃の体操の時間です。
全校集会で一年生から六年生まで全校生徒が校庭に集まって特に運動会の前など体操の練習をします。
 当時は今のプールのある所の旧校舎で校庭いっぱいに生徒が広がって大体学年2クラス3クラスで500人前後です。
500人いるとダラダラ体を動かす生徒もいれば500人バラバラです。
 そこで真ん中に体操の先生が立って指導するのですが、その先生の姿をいつも思い出します。
白い帽子に白いトレパントレシャツ姿で何かとても眩しかったです。
 大分前の映画「瀬戸内少年野球団」の夏目雅子さんの姿をまた重ねて思います。
その体操が本当にきれいなんです。背筋をまっすぐにして手足を大きくいっぱい伸ばして本当にきれいなんです。
体操一つでもするんだったらきれいにしましょうということを教えてくださいました。
他人のことではなく自分のことです。自分のためにということです。
 
 このお勤めもそうです。仏さまのご縁に遇わせていただきます。
ご縁に遇わせていただくときはきちっと姿勢を保って声も上げてお勤めをしましょうということです。
人が見ているからではありません。しないといけないということでもありません。
 仏さまのご縁をいただくということそのこと一つなのです。
 
 明日からもこの6時からのご縁です。
それぞれのお仕事生活ぶりは違いますし続けるということは大変ですが
私にできる精いっぱいのことをさせていただくお気持ち一つでご縁に遇っていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.21)
 
地獄の話
 仏教浄土真宗では地獄のことをどのように説きますかという質問です。
浄土真宗はただ念仏一つのおはたらきで阿弥陀さまのお浄土に往生し救われて仏に成ると
お浄土のことは説きますが地獄のことはあまり詳しく説くことはありません。
 
 ただ以前はこのお盆の時期には地獄の釜が開くという話もありますので
地獄絵図を掲げて絵解きをし地獄のお話をしていたようです。
 仏教で地獄を説かないのではありません。
六道輪廻といって地獄餓鬼畜生修羅人間天上という六道六つの迷いの世界を経巡っているのが迷いの私たちだと説きます。
 
 他人の話ではなくこの私は今人間界に生まれて生きていますが
人間界に生まれる前があったその前もあったその前もその前もその前もあったという話です。
それが地獄だったか餓鬼の世界だったか畜生だったかは分かりませんが
六道世界を経巡りずっとずっと迷い続けて今この人間を生きているのがこの私というのです。
ということはこれからもこの人間の命を終えた後もずっと迷い続けていくということです。
 
 今人間に生まれて生きているということは一つは今までずっと罪を重ねてきたから人間に生まれたということであり
もう一つは人間に生まれていよいよ仏さまの教えに遇うご縁をいただいたということなのです。
 
 ご縁をいただいていますね皆さん、仏さまのお話を聞かせていただいています。
この私一人をこそ必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまという仏さまのお話です。
この阿弥陀さまはどんな人もすべて等しく救うというのです。
 
 もう一つ質問がありました。
阿弥陀さまのお救いはどんな人も救うといいますが、本当にどんな人も救われるのですかということです。
近年の極悪事件の犯人も、どんな悪いことをした人でも阿弥陀さまは救うのかということです。
 
 阿弥陀さまのお救いに今生の救いと来世の救いがあります。
御文章さまにもありますがお経さまに「浄土には往き易くして人無し」というお言葉があります。
 阿弥陀さまが建立されたお浄土は十方衆生を救うと誓願成就された世界で
どんな人も等しく救われて往くというどんな人も往き易いのです。
 でも続いて人無しと説かれます。
阿弥陀さまがどんな人も救うとお浄土を用意されていてもお浄土に往生する人がいないというのです。
 
 阿弥陀さまのお浄土を疑う者がいるということです。
その疑う者こそ、この私なのだと聞かせていただきます。
 阿弥陀さまの大きなお心お手回しに背中を向ける私です。
 
 ただこの阿弥陀さまは決してあきらめません。
ありとあらゆる手立てを講じて南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 この世で救われなくてもまた来世に私がどのような迷いの世界に生まれるかわからないけれども
どこまでも追っかけてくるというのです。
追っかけて追っかけて追っかけて最後の最後救い取るのです。
 これがどんな人も救われる、必ず救い取られるということなのです。
 
 では今救われているのかというと、それは私が判断することではありません。
ただ私が今お念仏申す身にさせていただいていることは
この私が人間界に生まれて来たというご縁をいただいたということです。
そしていよいよ阿弥陀さまのお浄土に生まれ六道輪廻の苦を離れてさとりの仏さまに成らせていただけるのです。
 
 そのこと一つ南無阿弥陀仏のおはたらきです。
隣の人のことではありません。私一人のことです。
その思いでどうぞこれからもご縁ご縁に遇わせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.7.20)
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