浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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降誕会の仏さまのご縁です
 今日は宗祖降誕会のご縁です。
降誕と言います。
 親鸞聖人はただ人ではない、仏さまの国から降りてこられたお方
私たちにお念仏のみ教えを届けるためにお誕生になられたといただくご縁です。
 ただ親鸞さまのお心をいただくと親鸞さまは私たちと同じお念仏のお仲間としていらっしゃるように思います。
 
 親鸞さまのお誕生をお祝いするご縁ですが
私たちもこの人間界に誕生しました。そして今を生きています。
 ただ生きるということは楽しいことばかりではありません。
苦しいことや悲しいこともいっぱいあります。
 今日もこれから何があるのかわからない、まさに無常の中に生きている私たちお互いです。
 
 昨日は仏教婦人会の総会のご縁でご法話お聴聞させていただきました。
ご講師は女性の方でお寺の坊守さんそしてお坊さんです。
 生活のなかでのいろんな苦しみ悩みを率直にお話されました。
久しぶりに仏法が親しく聞けたような気がします。
 
 私もそうですが、何か袈裟衣をつけると型通りのお話になります。
浄土真宗はという阿弥陀さまのご法話です。
 それでいいのです。型が中心がぶれたらこれは浄土真宗仏教になりません。
 
 ただご法話をする人も一人の人なのです。
人として生まれ人として生きているのです。
 自分の思い通りにならない苦しみ悩みをいっぱい抱えて生きている人なのです。
ご法話される人もお聴聞される人も共々に仏さまの仏法を聞かせていただくのです。
 共に生き共にお念仏のみ教えを聞き共にお念仏の道を歩ませていただくのです。
 
 昨日お聴聞しながら、私は何のために生まれてきたのかと問われたような気がしました。
人生の根本的な問いです。
 私たちはどこかでこの問いに向き合って生きています。
でも日々の生活が忙しくて、生きることで精いっぱい私のことで精いっぱいなのです。
 
 だからこそのご縁なのです。
このお朝事のご縁もそうです。
今日は日曜日で家でゆっくりゆったり寝ていていいんです。
 でも仏さまの御はたらきがあったんですね。
仏さまの御もよおしのなかにここに座ることができたのです。
 
 私が座ったと心得たら、それは仏さまのお心に背くことになるのかもしれません。
ここに座れここに座れお念仏を申せ仏法を聞けよと
ご縁をつくってくださった仏さまです。
 その仏さまに今度はこの私が成らせていただけるのです。
仏法を聞くために人間に生まれてきたんだということを
今日の降誕会のご縁のなかでお互いにたずねてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.19)
 
仏さまのご縁をいただきます
 仏さまのご縁をいただきます。
阿弥陀さまのご縁です。
 
 昨日もご縁をいただきました。一つはお葬式のご縁でした。
今日は仏教婦人会の総会のご縁、明日は親鸞聖人の降誕会のご縁です。
 
 その仏事ご縁ご縁はそれぞれ違います。
対象を限った仏事もあります。
 慶びの仏事もあれば悲しみの仏事もあります。
 
 みんな阿弥陀さまのご縁です。
阿弥陀さまがどうか仏法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよと
この私のためにつくってくださったご縁といただきましょう。
 
 そこに座れそしてお念仏申せよ仏法聞けよと
阿弥陀さまのおはたらき南無阿弥陀仏一つと聞かせていただいて
「はい」っとそのまんまこの身を御仏前にはこばせていただきましょう。
 
 私たちの日々の生活です。
私のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの日暮しのなかで
仏さまのご縁に遇うことは本当に難しいことだと思います。
 だからこそそういう私を見てとった阿弥陀さまがこの私のために特別につくってくださったご縁といただいて
今日と明日のご縁に遇わせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.18)
 
ままならない我が身を抱えるこの私をそのまま救うと南無阿弥陀仏の仏さまです
 ままならないと言います。思いのままにならない、思い通りにならないということです。
お釈迦さまは「人生は苦なり」とお示しです。
苦とはままならない、思い通りにならないという意味です。
 
 この人生は思い通りにならないというのです。
それは私の周りのものが私の思い通りに言うことを聞かない何もしてくれないということもありますが
実はこの我が身のことがままならない、思い通りにならないということなのです。
 
 自分のことであって我が身がままならない、思い通りにならないとはどういうことでしょうか。
私たちは生きています。いつまでも若く健康でありたいと思って生きています。
しかし我が思いとは裏腹に老いていきます、病気にもなります。
そしてどんな人も必ずこの命を終えていかねばなりません。
 
 生老病死の四苦です。ままならないこの身をかかえて思うように生きることのできない私がいます。
そこに私たちの根本的な苦しみ悩みがあるとお釈迦さまは教えてくれます。
 
 その上で苦しみ悩みを抱えた私たちをそのまま救う仏さまがいらっしゃると教えてくださるのです。
阿弥陀如来の仏さま、南無阿弥陀仏のお救いです。
「まかせよ救う」の喚び声となって私のところに来てくださりご一緒してくださる仏さまです。
 
 そのままの救いです。
私の思いを超えた阿弥陀さまの大きな願いです。
すべてのものを分け隔てなく救うという願いです。
 
 すべてのものと聞いてこの私のことです。
この私にこうしなさいああしなさいと注文を付ける仏さまではありません。
 南無阿弥陀仏そのまま救うとおはたらきなのです。
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただきそのまま救われていくと聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツとお念仏申して私の思い通りになるのではありません。
思い通りにならないこの身を抱えるこの私がナンマンダブツとお念仏を申すなかに
そのまま救われていく世界があることをまた有難く聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.17)
 
お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです
 お仏壇には仏具が備わっています。
ろうそく立て、花瓶、香炉はどの宗派のお仏壇にもあります。
すべて仏さまの智慧と慈悲の功徳を表すものです。
 
 先日お参りしたお家で湯呑のようなお道具に水を入れて「お水はどこにあげるのですか」と聞かれました。
お水は華瓶(けびょう)という仏具にあげるのですとお答えしました。
 
 この本堂お内陣のお荘厳でいうと、阿弥陀さまの前の上卓にお仏飯が二つあがっていますが
その外側にあるのが華瓶一対で樒や青木を入れその中に水をお供えしているのです。
 
 この水は阿弥陀さまのお浄土に流れる清らかな水を表していて
香りのよい香木に水を入れて香水、香りのよい水をお供えするのです。
 お浄土の水は八功徳水という八つの功徳があるといいます。
清らかで美しく軟らかな甘い水で、おいしく飲みやすい水ということにもなりますが
仏さまが飲む水、飲むための水ということではありません。
 
 皆さんの思いのなかにお仏飯をお供えするようにお水もお供えして
仏さまがご飯を食べるのに水がないとのどに引っかかるとか
暑いとのどが渇くので水をあげるという人もあると思いますが
仏さまの世界のことは私たちがあれこれ思いはかることではないのです。
 
 今日の御和讃御文章さまの中にもありましたが、仏さまの功徳は不可思議といいます。
私たちの思いはからいを超えているというのです。
 
 ではどうしてお線香を炊いたりお灯りをあげたりするのかというと
お浄土の仏さまの功徳をお経さまからいただいて先人がお浄土の荘厳として
私たちに伝えてくださったものだからなのです。
 
 お仏壇のお荘厳は仏さまのみ教えそのものです。
私たち凡夫の目にも見えるような形で教えてくださるそのままをお飾りさせていただきましょう。
 そこに私たちの思いがちょっとでも入ると仏さまのお心を疑うことにもなります。
分からないことは何でも聞いてください。
 
 宗派によってお仏壇自体そしてお荘厳が違うことを心得ておきましょう。
他の宗派のお仏壇をみて「水はあげなくていいですよ」とか言わなくていいです。
逆に他の宗派の方が私たちのお仏壇をみて「お水があがってないけど」と言われても
その時は「そうですか。お寺さんに聞いてみます」と受け返してください。
そして「お寺さんに聞いたらこうでした」とお話したらいいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.16)
 
阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲に抱かれてお念仏の道を歩ませていただきます
 阿弥陀さまを摂取不捨の仏さまといいます。
この私を摂め取って決して捨てない必ず救うとおはたらきの仏さまになってくださいました。
 
 摂も取も「とる」という字ですが
摂の字を親鸞聖人は「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といただかれています。
 逃げる私です。阿弥陀さまからいうと背中を向けている私です。
背中を向けて逃げる私を追いかけて追いかけて救いとるというのです。
 
 取は「迎えとる」といい
逃げる私をどこまでも追いかけ迎えとるというのです。
 阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲にくるめ取られるということです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよ信じてくれよと南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
声となってどこまでも私を追いかけ、追いかけられて聞かせていただくのです。
 
 私が聞いて私が信じて救われるのではありません。
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくそのままが信心いただくことなのです。
 
 聞かせていただくことが肝要ですが、聞くことが救いの条件ということではありません。
阿弥陀さまの御尊前にこの身を置かせていただきます。お念仏を申させていただきます。
 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せに
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とそのままお礼をさせていただきます。
 
 今朝はひやっとするなかにも本当にさわやかな朝になりました。
いよいよ絶好のお朝事参りの時節になります。
 この一年でいいますと、暗い寒い時期もあり暑くて汗が噴き出す時期もあります。
 
 お参りしてくれよ聞いてくれよお念仏申してくれよと
阿弥陀さまの摂取不捨の大きなお慈悲のなかに
今日もこうして皆さんと共々に遇わせていただく身の幸せを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.15)
 
浄土真宗南無阿弥陀仏のお救い
 浄土真宗の救いです。南無阿弥陀仏の救いの法おはたらきです。
現当二益の救いといって、現在の救いと当来の救いといいます。
 
 浄土真宗は浄土に往生して仏に成るという死んでから後の教えだから、今は救われていないと言われる方がいます。
蓮如上人は浄土真宗は平生業成の教えだと、今まさに救われてあるとお示しです。
 
 帰る家がある安心です。お浄土がある安心です。
家にはまだ帰ってはいませんが、帰る家があると聞かせていただく今の安心です。今の救いです。
 
 現生正定聚の現益といいます。
この命終えて阿弥陀さまのお浄土に往生し仏に成ることを決めてくださってあるという安心こそ現在の救いであり
お浄土で大般涅槃の仏さまのおさとりを開かせていただくことが当益当来の救いです。
 
 現益と当益は別々のことではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つだと聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つに今もそしてこれからも命終わってからも
大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲のなかに救われてあるといただけるのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきはいつでもどこでも誰にでものお救いです。
いつでもは今です。どこでもはここです。
そして誰にでもというのはこの私めあてにお救いくださってあるといただきます。
 
 ずっとずっとお立ち姿の阿弥陀さまです。
阿弥陀さまのおすがたをほれぼれと拝見し今日もこうして仏徳讃嘆のお勤めができたことの有難さ尊さです。
そのこと一つ心にいれて今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申す日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.14)
 
仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう
 昨日お葬式がありました。初めてのご縁の方でした。
一週間10日ほど前からご様子が悪いということで
もしもの時にはお葬式をお願いしたいという連絡があって
昨日の日曜日にお寺に相談にみえる予定でした。
その二日前のご往生でした。
 
 お顔を拝見しご遺族の方からお話を聞いて
初めて会う方ではなくて実はずっとずっと前から深い深いご縁があった方でした。
 
 ご縁といいます。ご縁をいただくといいます。
私たちの人と人との関係もご縁といわれます。
縁あって人間に生まれお母さんお父さんとご縁をいただきました。
 
 ただ今日こうして御仏前につらなる私たちのご縁は仏さまのご縁といただけるのです。
人と人とのつながりは生きている間のつながりということですが
仏教のみ教えを聞かせていただきますと、私たちのご縁は生まれる前からつながってあったというのです。
そしてこの命終えてもずっとずっとつながっていくというのです。
 
 このいのちのご縁こそ南無阿弥陀仏といただけるのです。
私の口からナンマンダブツナンマンダブツとお念仏が出てくださるというのは
南無阿弥陀仏の大きなご縁に遇って今を生かされてあるということです。
今までも生かされていたということであり、これからも生かされていくという広く開かれたご縁つながりであります。
 
 死のご縁は本当に悲しいご縁です。
悲しいご縁ですがこれから七日七日のご縁をいただくなかに
仏さまのみ教えをああそうやったああそそうやったと聞かせていただけるのです。
 仏さまのご縁を共々にいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.13)
 
慶び事も悲しみ事もみんな仏さまのご縁です
 昨日はお寺さんの結婚式があり、先日はお寺で8年ぶりにご門徒さんのお葬式をお勤めしました。
結婚式は慶び事でお葬式は悲しみ事ですが、共通してご本尊の阿弥陀如来さまのご尊前で執り行います。
 
 今日のご縁もご本尊の阿弥陀さまを中心とした仏教壮年会の例会です。
一人一人それぞれ生活ぶりが違うお互い私たちが一つ処に集うことができるということです。
慶び事の縁であれ悲しみ事の縁であれみんな仏さまのご縁なのです。
 
 仏さまのご縁を私たちが一緒に一つ処でいただける
その一つ処こそ阿弥陀さまが私たちのために用有をしてくださってあるお浄土といただきます。
 
 ナンマンダブナンマンダブとお念仏申して自分の思い通りになるという人生ではありません。
人生は苦なりとお釈迦さまがご教示のように思い通りにならない人生を私たちは生きています。
 
 苦しみ悩み迷いのなかにあっても南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
阿弥陀さまが決して私たちを見捨てることなくご一緒してくださる人生を共々に歩ませていただけるのです。
そこにあなたに遇えたこの人生でよかったと安心できるお念仏のお救いがあるといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.12)
 
50回忌は昭和45年にご往生された方のご法事です
 昨日50回忌のご法事がありました。
50回忌といいますと昭和45年にご往生された方のご法事です。
 
 令和の元号になりました。
この前が平成ですが、私の年回の数え方では今は昭和94年です。
 50回忌の方の往生は、94から49を引いて45、昭和45年になるのです。
 
 50回忌と33回忌のご法事は昭和に亡くなった方になります。
あとは平成に往生された方でこれからは昭和と平成の二本立てで
今年は平成31年、来年は平成32年、再来年は平成33年ということになります。
 
 50回忌は49年前のことです。半世紀です。
人生の半分以上が経過しました。
 昨日も当時の話になりました。
家も周りの環境もすっかり変わった、生活ぶりも豊かに便利になったという話です。
 
 49年前はまだ学生時代、就職して間もない頃です。
遊んで回っていたとか親の言うことを聞かないで悪いことばかりして学校の先生にも怒られたとか
そんな話が次ぎ次ぎと出てきます。
 
 今は笑って話せることですが、親も周りの人たちも一体これからどうなるのかと
心配ごともたくさんあったと思います。
 ただ色々あるなかにもみんな元気で大らかだった時代がよみがえってきます。
 
 先人に育まれて今の私たちがあるということです。
これまでの歩みを振り返ることができるのもご法事の有難さです。
 そして今度は私たちが次の世代に伝えていくことです。
私が死んで50回忌のご法事の時に子や孫はどんなことを話すのでしょうか。
 
 最近はご法事を勤めないところもでてきました。
勤めても家族だけというご法事が多くなりました。
 本当にもったいないことだと思います。
ご法事は先人が今は仏さまとなって私と共に生きてくださってあると聞かせていただくご縁です。
 
 私が私がと自分を中心に生きることで人を思いやる気持ちが薄くなってきたように思います。
この目には見えないけれども先人の仏さまの大きなお慈悲のなかに生かされて生きてきた49年の歩みを
本当によかったと感謝の気持ちで振り返ることができるのもご法事の大きな意味だと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.11)
 
過去帳は南無阿弥陀仏のいのちのつながりの証です
 お寺には過去帳があります。
過去帳をそのままいうと過去にあった記録ということです。
 過去帳には先に往かれた亡くなった方故人の法名と俗名が書かれています。
往生年月日と年齢、そしてもう一つ施主喪主のお名前が書かれてあります。
 施主は亡くなった方ではありません。
現在ご存命の故人と深いつながりの方で続き柄が書き添えられています。
 
 故人は施主の父であったり母であったりということですが
施主のことでいえば過去帳は単なる過去の記録ではなく、施主に託された故人の思いがつまったものなのです。
 
 施主には務めがあります。
故人のご法事をお勤めさせていただくことです。
 お寺の過去帳を繰ってご法事のご通知を施主にさせていただきます。
円光寺では50回忌を最後にしていますが、故人の思いの代行です。
 
 仏さまのご縁をいただいて仏法を聞いてくれよお念仏申す身になって
この人生を精いっぱい生き抜いて阿弥陀さまのお浄土に生まれて来いよという思いです。
今は仏さまとなって南無阿弥陀仏のおはたらきで私たちをお守りしてくださってあるのです。
 故人の思いを施主はじめ有縁の方々がしっかり受けとめご法事のお勤めをさせていただくのです。
 
 私たちには戸籍があります。この世に生まれ生きている証です。
その戸籍は私が亡くなるとどうなるのか、×がつくんです。
 ×をつけられた故人の名前を見たときに死んだらお終いと思います。
それも×で終わるんです。
 
 人の命は必ず終わりがあることですが
私たちはお念仏一つのおはたらきでお浄土に生まれ仏さまに成らせていただけると聞かせていただきます。
 
 仏さまに成ったら×はありません。
無量のいのちをいただくのですから、過去帳には×はないのです。
ずっとずっとつながってあるんです。
 
 いずれみんな命終えていきますが、そのときも施主はいます。
お念仏のおはたらきのなかに先に往かれた方も後にのこった方もつながってあるのです。
ずっとずっとつながってあるのです。
 
 血のつながりということもそうですが
円光寺をご縁にお念仏のみ教えにつながった私たちお互いです。
 それぞれのお役目はありますが
大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかにあることの証がお寺の過去帳だといただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかにお互い生かされて生きてあることに思いを致し
今日もこうして皆さんと共々にナンマンダブツとお念仏を申して仏さまにお礼ができる身の幸せを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.10)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949