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お念仏を申す生活法話

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あれから10年そしてこれから10年

2021-03-07
 東日本大震災から10年が経つということで
昨日そして今日と震災関連の特集がテレビであっています。
 実際に起こったこと
そして夜はドラマという形でありました。

 被災され帰る家を失い大切な人と別れた
多くの人たち一人一人の人生10年の歩みです。

 震災後当時小中学生が撮ったビデオレターをもとに
10年後の彼らをたずねる内容でした。
 大震災に遭遇するなかで子どもなりに思ったこと
将来の夢です。

 サッカー選手になりたいとかケーキ屋さんになりたいと
どこの子どもたちも思い描く夢ですが
そのなかで将来何らかの形で
震災の復興を手伝いたいことが
多く語られていました。

 10年経ってからの現実はというと
それぞれに頑張って生きてきましたが
必ずしも夢の通りにはなっていないようです。

 そうですよね。
この10年は長い人生の中でも
幾つもの選択を迫られる時期で
高校大学に進学することも就職することもあって
現実的な将来の進路に悩み迷うことも
多かったと思います。

 その中の一人
被災した地元を離れ東京に出た方のことが印象的でした。
東北出身を隠すように言わないようにしているといいます。
「大変だったでしょう」「頑張ってね」という
周囲の言葉が
いつの間にか大きな心の負担になっていたというのです。

 また去年の春大学に進学した方は
この一年コロナ禍で大学に行くことができず
アパートの小さな部屋でリモートで講義を聞き
一日中人と触れ合うことなく生活をしているといいます。

 思い通りに行かないことで
どうしていいのかわからないという現実です。

 また違う番組では社会学の大学教授が
10年間ずっと同じ被災地に出向き
地元の方と生活を共にしたり交流をはかって
被災者の思いを聞き取っていく中で
故郷がなくなっていくことを深刻に思うといいます。

 故郷って皆さんにとってどういう所でしょうか。
「うさぎおいしかの山 こぶなつりしかの川」と
童謡『ふるさと』に歌われた場所でしょうか。
 それは単なる場所ではなくそこには人がいるんですね。
故郷は私の帰りを待ってくれてる人がいる所です。

 その懐かしい故郷から遠く離れた所に移住する方が
この10年で増えたというのです。
 その一つの象徴がお墓だといいます。
墓じまいが増えてきているというのです。

 故郷から出ていく方もお墓があることで
帰ってくる故郷があるということですが
故郷のお寺ということを重ねて思います。

 東日本大震災でお寺も全壊半壊といった
大きな被害に遭いました。
 10年経ってお寺が全て再建されたわけではありませんが
お寺は遠くに移転することなく残っています。
 故郷のお寺を残していこう再建していこうという
ご門徒檀家地域の皆さんの思いです。
 お寺を故郷に重ねて思ってくださっているのです。
 
 あれから10年です。
80歳の方が「この10年は私の人生の半分以上だった」と
ポツンと言っていました。
 時間的にいったら80年の人生の8分の1ですが
それ位変化の激しい重い10年であったということです。

 その10年の歩みがあって今の私があるのです。
若い方もお年寄りも私たちもみんなそうです。
 そしてこれから何年生きられるか分かりませんが
これからの10年です。

 10年後の私にビデオレターを送ってみませんか。
私たちの心の古里である円光寺の
10年後も思っていただいて
これからもご縁ご縁にお寺にお参りしてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.7)


一日一生

2021-03-06
 首都圏4都県に出されている緊急事態宣言の2週間延長が
昨日菅首相から発表されました。
昨年4月7日から5月25日まで最初の緊急事態宣言が出され
今年に入って1月7日から2度目の緊急事態宣言で
1か月後に再び1か月の延長がなされ
このたびの再々延長です。

 先が見えない出口が見えないといいます。
またかまたかの繰り返しで緊張感を通り越して
ほどほど疲れるって感じです。

 緊急事態宣言ってものすごく重いものなのですが
緊急事態宣言下でも町にはたくさんの人が出ていて
「早く何とかしてもらいたいです」などと
インタビューに応えています。
 何か緊急事態に慣れてしまって緊張感がない
何ともヘンテコな光景が外から見るとします。

 コロナ感染の収束と経済の先行きです。
現場の人たちは本当に大変だと思います。
 医療現場の医療従事者からの発言はよく聞かれますが
飲食店舗など接客業の方はその都度振り回されて
危機的な経営の現状が中々伝わってきません。

 出口を見据えた適切な対応が求められますが
何かダラダラと時が過ぎゆく感じで
この一年を振り返ってみても
一体何をしてきたのかと空しい気持ちになるのが
私たちではないでしょうか。

 一日一生という言葉があります。
一生は一日の積み重ねだから
一日を大切に生きることが
一生を大切に生きることにつながるという意味です。

 この一日を一生と思って生き切ることです。
「仏法には明日といふことはあるまじきよし」と
蓮如上人が仰せのように
仏法に聞かせていただくと
諸行無常の世にあって今日一日今を生きることが肝要です。

 今を生きる依りどころこそ
仏法といただきます。
 このお朝事のご縁です。
毎朝こうして皆さんとご一緒にお勤めをさせていただき
今日の一日お念仏申す生活を始めさせていただきます。

 一日が始まり終えてまた一日が始まり終えてと
何か繰り返しのようですが
その一日はお浄土への一日なのです。

 私が頑張って生きるというのではなく
阿弥陀さまの「まかせよ救う」のご本願のおはたらき
南無阿弥陀仏のいのちのつながりの中に
私だけではなくて隣の人も隣の人も一緒に生かされて
生きていることの実感です。

 今日も生きとるぞ今日一日も生きて往くぞと
お念仏申して確かに確かに
お浄土への人生を歩ませていただきます。

 毎日色んなことがあります。
同じ一日はありません。
 朝起きるのがしんどい嫌だなと思い煩うこともあります。
今日はどこどこに行こうあの人に会えるという
待ち遠しく楽しみな朝もあります。

 そうした様々な思いがつのる今日の一日です。
どんなことがあってもあなたを見捨てることがないと
おはたらきくださる阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きる一日一生のお念仏を申す生活を
また有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.6)


誕生日にお念仏のお花のプレゼントです

2021-03-05
 昨日の午後から雨が降り続いて
大きな雨になっています。
 この時期はなたね梅雨といいますが
ちょっと早いかなとも思います。

 桜の開花予想も例年より早いようです。
季節が移り変わる中で雨の役割があるのでしょう。

 毎月70歳以上のご門徒を対象に
円成会という例会をしていますが
今年に入ってからはコロナ禍で
お寺に集まっての会はお休みにしています。

 円成会では毎月誕生会をしており
その月に誕生日を迎える方に
お花のプレゼントをしています。
 3月はお二人の方が誕生日ということで
昨日ご自宅にお花をお届けしました。

 お二人とも今は施設に入所されていて
会うことはできませんでしたが
家族の方に近況をお聞きしたことです。

 一人はKHさんです。
今日が誕生日で90歳といいます。
 ずっと長く総代長をおつとめいただいて
住職をたすけお寺を支えてくださいました。

 お寺のことを日頃から本当に思ってくださって
この雨で思い出すのは
台風の時でしたか風雨が強いなかを
ヘルメットにかっぱを着こんで
「ご院家さんお寺は大丈夫ですか」と
駆けつけてくれたお姿です。

 お寺をわが家のように思ってくださる
ご門徒皆さんの大きなお力添えがあって
このお寺があることを頼もしく有難く思います。

 円成会の皆さんもいつまでも若い若いと思っていたら
80歳から90歳前後のご高齢の方が多くなりました。
 先にお浄土に往かれた方もたくさんいらっしゃいます。

 いくつになってもお寺に変わらい思いをもって
お参りしてくださいます。
 ただいつまでもというわけにはまいりません。
施設に入所しているお方のお話です。

 早く家に帰りたいというそうです。
お寺にお参りしたいというそうです。
 体はままならなくなりますが
お寺を思ってくださるお心は変わらないといいます。

 浄土真宗のお寺は阿弥陀さまのお家
ご門徒有縁の皆さんが帰って来られるお家で
私たちは南無阿弥陀仏につながった念仏家族です。

 お花をお届けします。
お念仏のお花です。
 お花もまた命を終えていきますが
種を残して次の命に受け継がれていきます。

 私たちのいのちもそうです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お互いに生かされて生きてあると聞かせていただきます。
 
 私は今ここに人と生まれて生きていますが
命を終えていきます。
 命終えて終わりではありません。
阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまとなって
南無阿弥陀仏のおはたらきで
すぐさまこの世に還って来るというのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
これからも共々に生かされて
先の方を訪ね後の方を導いて
お念仏のお花を届けていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.5)


「弥陀の本願信ずべし」

2021-03-04
 今日から正像末和讃に入ります。
親鸞聖人が85歳の時に書かれた御和讃です。
 何度も書き変えられていますが
草稿が85歳ということです。

 今日いただいた最初の御和讃は
「釈迦如来かくれましまして」で始まりますが
その前に冠頭讃というご和讃があります。

 夢告讃といいます。
夢のお告げの和讃です。
 その前文に
「康元二年二月九日の夜寅の時
夢のお告げにいわれるには」とあります。

 康元二年は親鸞聖人が85歳の年号です。
2月9日の午前4時に夢を見たというのです。

 その夢の内容を
「弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて等正覚をばさとるなり」
(阿弥陀仏の本願を信じるがよい。
 本願を信じる人はみな
 摂め取って捨てないという利益により
 この上ないさとりを開くことができる)
と讃嘆されるのです。

 62歳頃関東から帰洛(京都に帰る)され
85歳の頃の親鸞聖人の生活は
決して豊かなものではなかったといわれます。

 関東の門弟からご懇志をいただくのですが
間に合わないこともあり
日々の食事も事欠くことがあったのではないでしょうか。

 奥様の恵信尼さまは実家の越後で暮らし
離ればなれの生活で
そんな折り84歳の時に息子の善鸞さまを義絶する
親子の縁を切るという悲しい出来事が起こります。

 親鸞さまは当時としてはすごい長寿ですが
余生をゆっくりゆったり家族に囲まれて過ごす生活には
程遠い日暮らしの中で夢を見るのです。

 阿弥陀さまのご本願を信じて生きて往けよ
ご本願を信じるものは阿弥陀さまの摂め取って捨てない
南無阿弥陀仏のおはたらきで浄土に生まれて
この上ないさとりの仏に成るというのです。

 29歳の時によき師法然聖人からお聞きした
本願念仏の救いの法です。

 思い通りにならない苦悩に生きる
迷いの凡夫を目当てに
阿弥陀さまの摂取不捨の光明は今ここに至り届いて
この私を包み込んでくださってあるといただきます。

 そして命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれ
この上ないさとりの仏と成って
この世に還って来てすべての衆生を救うという
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 そこまで阿弥陀さまは私のことを思うてくださり
いつでもどこでも大きなお慈悲の光明の中に
摂め取ってくださっているのです。

 人と生まれ生きることは本当に思い通りにならない
苦しみ悩みが尽きないままならない人生です。
 ナモアミダブツとお念仏を申したら仏に成って
自分の思い通りになるということではありません。

 この世に生きる私はどこまでも迷いの凡夫であり
この私をこそ必ず救わずにはおかないと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 これからしばらく正像末和讃を
お味わいさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.4)


怨親平等のお念仏の世界です

2021-03-03
 喚鐘をつく6時半が次第に明るくなりました。
春がそこまで来ています。

 東日本大震災から10年です。
10年の大きな節目の年で
テレビ新聞等で特集ものがあります。

 先日NHKの『逆転人生』を観ました。
東京電力の元社員3名の方が出演でした。
 福島第一原子力発電所のメルトダウンの大事故の当時は
営業担当であったり福島の原発にいた方ではありませんが
事故の後東電社員として除染作業や賠償にあたった方です。

 被災地の方と直接向き合う賠償交渉です。
誰もしたくない逃げ出したい仕事です。
 被害者と加害者が対面するようなもので
ひどい言葉を浴びせかけられます。

 最初は何でこんな思いをしなければならないかと
思い悩むこともあったけれども
被災地の方と何度も接するなかに
大事な家を失い家族を亡くした人人の苦悩が知らされて
心寄り添い生活を共にする中でその3人の方は
今も被災地の人たちと交流を続けているということです。

 そのなかの一人の方のお話です。
被災された地域の方との交流のなかで
自分たちにできる復興のお手伝いをさせていただこうと
被災地の土地で野菜や果物を作ることを始めたといいます。

 地元の方はしません。
不評被害ということもあり放射性物質が作物に
混入していたら元も子もありません。

 土地を借りて農作業の手ほどきも受けて
作物ができたものの大きな難関は
放射能が検出されるかどうかという問題です。

 検査の結果汚染はされていませんでした。
地元の皆さんに食べてもらいたいと思ったといいます。
 そこで地元のお祭りにその作物を出品販売したそうです。
スイカやトウモロコシなどを販売するのですが
地元の人たちは振り向こうとしません。

 東電です。
東電のせいで今自分たちが不自由な生活を
余儀なくされているという被害者と加害者の構図です。

 そんななかで地域の代表者が
壇上から来場した皆さんに呼びかけるのです。
「今日は東電の社員の方が来て
地元で作った作物を販売してくれています」と。

 自分たちの地元で汚染された土地を除染し
一から耕し作物を植えて収穫したことを
皆さんも知っているのです。

 「みんなで一緒に盛り上げましょう」の呼びかけで
地元の皆さんとの交流が始まり
絆が深まっていったといいます。

 阿弥陀さまのお浄土お念仏の世界を思います。
被害者も加害者もない怨親(おんしん)平等の世界です。
 どんな人もみんな南無阿弥陀仏のおはたらきで
共につながって生かされて生きる世界です。

 10年です。
10年経っても復興は道半ばです。
 毎月バイクで6時間かけて東京の自宅から福島まで
通い続けている人がいます。
 被災地に家を建てて地元でできたお米や食品を
販売している方もいます。

 原発の現状は出口が見えない状況が続いています。
放射能汚染の怖さは専門家は十分わかっていたことですが
それは机上のことで
想定外といっても爆発が起こった事実は
これから何十年何百年何千年と遺る
大きな重い負の課題です。

 大変厳しい現実を今日も
これからも生きていかねばなりません。
 そうした被災地の皆さんに私たちは何ができるのか
東日本大震災10年の節目に考えさせられることです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.3)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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