浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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阿弥陀さまは方便法身の姿となって私たちにお念仏をお勧めです
 今日のご和讃に方便という言葉がありました。
方便というと嘘も方便といって方便イコール嘘と思ってらっしゃる方もあると思います。
 方便とは大事な仏語で真実に導く手立てという意味で使われます。
 
 浄土真宗のご本尊阿弥陀如来さまを方便法身といいます。
私たちがこの目にしている阿弥陀さまです。姿形となって私たちの前に現れてくださいました。
 その大本は真実の法といいます。真実とは色もなく形もましまさず言葉も絶えたりといわれます。
人間のこの目で見えない、考えることも思うこともできないとなると何かよくわかりませんね。
 そこで阿弥陀さまは真実の世界から姿形を現わしてくださったというのです。
真実真如の世界から来生してくださったということで仏さまのことを如来といいます。
 
 私たちがこの目で見ている阿弥陀さまです。スーッとお立ちの仏さまです。
お顔も私たち人間に似てますね。手のお姿もあります。
 まさに私たち人間と同じような姿となって現れてくださったのは
私たちにこの阿弥陀の真実に気づいてほしい真実を知ってほしいという願いからなのです。
 
 そして今皆さん阿弥陀さまの方を向いていますね。
これは姿形があるから向けるのです。
 真実といったり空といったり、どこに向いてお礼をしていいのかわからないのではなく
こちらを向いてわが名を呼んでくれよお念仏申してお礼をしてくれよという
阿弥陀さまのお心おはたらきが方便法身というかたちになって私たちの前にスーッと姿を現してくださってあるのです。
 
 皆さんのお家のお仏壇の阿弥陀さまもそうです。
お仏壇に阿弥陀さまがましますからお家の方が一堂に御仏前に座ってみんな一緒に手を合わせ
ナンマンダブツとお念仏を申すことができるのです。
 そこまで私たちのことを思い、南無阿弥陀仏の救いの法を聞いてくれよ信じてくれよ
お念仏申してお浄土に生まれてくれよと大きな願いを方便法身のおすがたとなって
ずっと立ちっ放しで私たちを喚んでくださってあるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.6)
 
情報社会のなかのお寺のあり方を思います
 昨日は大海組のお坊さんの研修会がありました。
テーマは「過去帳またはこれに類する帳簿の取扱い」ということで
情報管理のついて今は難しい時代になっており、お寺もその対応をしっかりしていかねばならないということです。
 
 個人情報の保護がいわれます。
個人情報が流出し一人歩きして悪用されそれが偏見や差別につながるという指摘です。
 お寺にはご門徒さんの個人情報がたくさんあります。
それも生きて在る個人と亡くなった故人の情報です。
昨日のご講師は講題に「こじん」と平仮名書きしましたと最初にことわられました。
 
 今だけの情報ではなくて過去からの情報というなかに私たちは日暮ししているというです。
これはお寺だけのことではありません。
 あの家は昔こんな職業だったとかあの家の誰々はこんなことをした人だったとか
知らなくてもいい情報も耳に入ってくることがあります。
そうした情報を聞く知るなかにその情報を私がどう受け止めるのかです。
 
 大抵はああそうなんだと聞き流すようなことも
現在のことに結び付けてああやこうやと思ったり情報を膨らませて面白おかしく伝わったりして
結果人を傷つけるようなことにもなりかねません。
 どこまでも自分を中心に自分を善とするものの見方をする私たちの有り様が問われます。
 
 これは決して仏さまの見方ではありません。
阿弥陀さまはすべてのものを分け隔てなくそのまま救うというおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 今のあなたのそのままを必ず救うというのです。
善いことをしたら救われて悪いことをしたら救われないのではありません。
ああしなさいこうしなさいと一つの注文もしないで必ず救うというのです。
 
 あなたのそのままを救うぞということは
いつもあなたのことを思っている仏さまがご一緒してくださってあるということなのです。
 そのことを聞かせていただくなかにこの私です。
仏さまのように世のため人のためにとまでいかなくても
すぐ隣の人のことを思うて、お念仏のみ教えを伝えるお手伝いをさせていただけたらと思います。
 
 お寺には仏さまの情報がいっぱいです。
お経さまをはじめ仏さまの情報を伝えていくことがお寺の使命です。
 善人も悪人も問わずすべての人に開かれた仏さまの情報です。
人から人へと伝えられてきた仏さまの情報です。
人と人とのつながりのなかに南無阿弥陀仏の声となって私のところに届けられています。
 
 お寺にはご門徒さんの情報がいっぱいですが、それはそのまま仏さまの情報でもあります。
そうした情報を本当に活用してお念仏の声を世界に子や孫に伝えていきたいものです。
 
 私たちは仏さまのみ教えお念仏につながったお互いです。
それぞれ顔が違うように名前も違い仕事も違い生活ぶりは様々です。
そうした違いを超えてこれまでもこれからもつながっていけるのが仏さまのみ教えだとまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.5)
 
24時間営業のコンビニのあたりまえとありがたさ
 コンビニのことが今話題になっています。
セブンイレブンという大手コンビニチェーンでオーナーさんが人手不足という理由で
24時間営業を止めて深夜はお休みにしたということです。
 セブンイレブンの本部はこれは契約違反でオーナーの解任と1700万円の違約金を求めて大変な問題になっています。
 
 セブンイレブンが凄いのはこういう事態が広く知られることで企業イメージに悪影響が出るとみたのでしょう
早速直営店の全国10店でまさにセブンイレブン朝の7時から夜11までの営業をし深夜は休むという実験をすることで
今後の対応を考えるということが発表されました。
 
 コンビニ、コンビニエンスストアというのは便利な店ということです。
私たち消費者の利便性を第一に考え今では役所や銀行宅配業務、チケット販売など
ありとあらゆる職種のサービスを展開するまでになって、本当に便利です。
 
 そして何といってもいつでも行けば開いていてどんな人も平等に全てのサービスが受けられるという
24時間営業ということはコンビニの大きな営業戦略の柱なのです。
 
 それが分かっていてそれに違反する行為はマニュアル通りでいえばアウトです。
しかし人手不足は今やどの業界でも喫緊の大問題であり
オーナー一人でやりくりするには限界がありオーナー自らが24時間店頭に立つことを強いる結果にもなります。
労災問題にもなりかねないことで大方の意見は判官びいきもありオーナー側に賛同する見方になっています。
 
 日本の人口はこれから減少傾向にあり働く人も消費者も少なくなってくる現状で
大看板の24時間営業ということ自体を見直す時期にきているのかなと思ったりします。
 確かに24時間営業は深夜に仕事を終えて来店する人にとっては大変有難いものだと思います。
 
 ただ消費者の私ではなく労働者の私という視点で考えて一日24時間ずっと働いている人はいません。
そんなことをしていたら体調を崩し命が危なくなる事態にもなります。
食事をしたり運動をしたり身体を休めてリラックスして仕事も効率よくできることにもなります。
 眠る時間が大事です。人間の体サイクルの基本は夜は眠るということです。
 
 今の企業でいうと工場あたりは24時間稼働が当たり前です。
そういうなかにあって思うのはマニュアルで均一的なものを求めるのではなく
個々の状況に応じて相談し柔軟に対応することができたらいいと思います。
 
 阿弥陀仏さまのお救いを重ねて思います。
阿弥陀さまのお救いはいつでもどこでも誰にでもといいます
 いつでもナンマンダブツとお念仏申してくれよというんですから
24時間いつでも眠っているときもナンマンダブツとお念仏申すことができるのです。
 そしてどこでもですからコンビニに行かないとお寺に参らないとお仏壇の前でないと
お念仏申せないということではないのです。
 誰でもこの私のために阿弥陀さまの方から私のところに来てくださって
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」と喚んでくださっているのです。
 
 「私がいるよ。大丈夫だよ。安心しなさい」といつでもどこでも私たちに寄り添ってくださる
大きな大きなお慈悲のおはたらきのなかに今こここの私を生きて往くことができるのです。
 
 頑張って頑張って生きている私たちです。
そのことは百も承知で阿弥陀さまは私たちにお念仏をお勧めなのです。
「よりかかれ、よりたのめ。阿弥陀はいつもあなたと一緒だよ」とね。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.4)
 
納骨のご縁をいただきます
 昨日は四十九日満中陰のご縁で納骨をさせていただきました。
納骨は天気が気になるところで、先週六・七日のお参りでお家の方が
「来週末の予報は雨模様ということで心配です」と言っていましたが、雨が降ることもなく無事納骨ができました。
 
 円光寺墓地にあるお墓です。
納骨堂でしたら棚にそのまますっと納骨できるのですが、お墓は中に人が一人入って納骨するようになっています。
手を伸ばしても奥の棚には届きません。かえって衣服が汚れることにもなります。
 
 昨日はおばあちゃんの納骨でお孫さんがお墓の中に入って納められました。
ひいじいちゃんにひいばあちゃん、おじいちゃんの3つのお遺骨があってこのたびのおばあちゃんということです。
 
 先に往かれた方はお遺骨となって私たちのこの目に見える姿でのこります。
その人のことを偲ぶということでお墓参りをします。
お墓参りすることは先に往かれたご先祖に会われるということです。
 
 これからはおばあちゃんに会いにお墓参りすることでしょう。
ただ先に往かれた方は仏さまですから、私が会いに行くのではなくて
仏さまの方から私に会いに来てくださると聞かせていただきます。
 
 いつでもどこでも私に会いに来てくれて私と共に生きてくださる仏さまに成ってくださったという
南無阿弥陀仏のご法義おはたらきなのです。
 ナンマンダブツとお念仏申すところ先に往かれた仏さまが私と共に生きてくださるのです。
「一人じゃないよ、私がいるよ大丈夫だよ」というおよび声のお念仏となって私のいのちをそのまま支えてくださり
これからもずっとずっと一緒に生きてくださるのです。
 そのことをまた納骨のご縁で有難くいただいたことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.3)
 
朝ドラ『まんぷく』を観て、仏さまのお心を思います
 NHKの朝ドラ『まんぷく』を観ていて、仏さまのことを重ねて思います。
世の中の役に立ちたい、みんなを幸せにしたいという思いで
誰もが安く手に入れておいしく簡単に食べられるラーメン作りを始めた萬平さんが
何度も何度も試行錯誤を重ね大変な苦労の末に、ついに即席ラーメンを完成させます。
 
 すべての人を分け隔てなく迷いの世界から救いたいと法蔵菩薩さまは五劫という長い間考えに考え抜かれて本願を建て
兆載永効という長い長い間ご修行されて本願を成就され阿弥陀仏になられたという南無阿弥陀仏のいのちの物語です。
 その絶え間ないご苦労を思います。
 
 萬平さんのラーメンをまねて次々に類似の即席ラーメンが出てきますが
特許認可がおりて一段落し、萬平さんは「これで一人勝ちや」と言います。
 その様子をすぐ傍で見ていた福子さんはこれまでとは違う萬平さんの姿に違和感を覚え
店頭に並ぶ安価な粗悪品を求める人たちの姿を見て
これでは即席ラーメン自体の信用がなくなると
「萬平さんが作ったラーメンが皆さんに食べてもらえなくなってもいいんですか」と萬平さんをたしなめます。
 
 福子さんの意見に萬平さんは思い直し、特許を公開しようと決断するのです。
苦労に苦労を重ねて作り上げた即席ラーメンの特許を公開するということは誰にもできない勇気あることです。
 自分一人の幸せだけでなくみんなの幸せを願い
周りの人すべての人を幸せにしなければ私は幸せにはなれないという仏さまの大きな願いを重ねて思います。
 
 すべての人を必ず救う幸せにすると成就されたのが南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏一つで救われる、南無阿弥陀仏にまかせよ必ず救うと阿弥陀さまはいつでもどこでもおはたらきなのです。
 三分間待たなくてもお湯をかけなくてもいいのです。
ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞いてくれよ信じてくれよというのです。
 
 テレビの中のお話ですが、実話に基づいたものですから
本当にすごいことをされたのだなとあらためて思います。
 そしてここにも仏さまのお心おはたらきが行き渡っているようにも有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.2)
 
3月は4月スタートに向けての準備期間です
 3月に入りました。春です。朝も随分明るくなりました。
春スタートというのは4月からですが、3月は4月スタートに向けての大事な準備期間になります。
 
 学校では3月に卒業式があります。
卒業といえば別れですが、別れは出会いの始まりで4月は入学入社ということです。
次のスタートに向けての卒業という大事な人生の節目です。
 
 何をするにしても種々準備することの大切さを思います。
いつも常日頃から準備しておくという準備もありますが、この時期だからこそ集中してするできる準備です。
 これまでの人生を振り返り、これからの人生を思い描くなかに
じっくり考えて次のステップに向けて準備をすることで新たなスタートがきれるということです。
 
 昨日一昨日と米朝首脳会談がベトナムのハノイでありましたが
結局は両者で合意ができませんでした。
 朝鮮半島の非核化と経済援助(制裁解除)という大きなテーマについての協議です。
本当に難しい問題だと思いますが、トランプ大統領はツイッターで金委員長のことを持ち上げ
どんなに困難な問題でも直接二人で会って話したら分かりあえると発信していました。
 
 ただそんな簡単なことではないことは世界中の誰がみても分かっていることです。
これまでの歴史が物語ります。朝鮮戦争北朝鮮の建国からいっても60年以上の歴史です。
近年では核実験の実施やミサイルの度重なる発射もありました。
 それぞれ立場の違う国同士です。それぞれの国を代表する人の思惑も違います。
これまで無視したり敵対していた者同士が分かりあえるには相当の準備と時間が必要だということです。
 
 それほどまでの準備とまではいかなくても、できるだけの準備をして
4月からの新たなスタートに備える一か月にしたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.1)
 
「オオモリって何ですか?」と尋ねられました
 ご法事のご縁でお勤めの後お茶をいただきます。
お参りの方と向き合ってこちらから言葉をかけることもありますが、こういうことを聞かれました。
 
 「ラジオで日曜日の朝『西本願寺の時間』を聞いています。
そのなかでオオモリと言われますが、どういうことでしょうか」という質問です。
 オオモリと聞かれて何かなと思っていましたら、それはボウモリじゃないのといってくださる方がいて
合点がいきました。
 西本願寺の時間のパーソナリティが徂徠真弓(そらいまゆみ)さんというお寺の坊守さんで
放送の最初にいつも「ジャズヴォーカリストで坊守の徂徠真弓です」と言われる声が
オオモリと聞こえて何のことかなとずっと思ってらっしゃったということです。
 
 浄土真宗のお寺では住職(ご院家さん)の連れ合いのことを坊守といって「坊守さん」と親しく呼ばれています。
坊守とは坊舎(お寺)を守ると書くようにお寺にあってご院家さんを支える心強いパートナーですというお話をしました。
 
 このたびのご縁で何といっても日曜日の7時から西本願寺の時間を聞いてくださっていることが本当に嬉しかったです。
その方はご夫婦でお店を自営していて多分朝早くから起きてラジオをつけっ放しにしてお仕事をしているのでしょうね。
 西本願寺というお寺の放送ということで気を付けて聞いてくださり耳に残った言葉がオオモリだったということで
そのことを尋ねてもらえるって本当に有難いことだなあと思いました。
 
 今は日々の生活のなかでラジオを聴くことはどれくらいあるでしょうか。
若い人になったらそれこそスマホです。
パソコンからもいろんな情報を必要なものだけ簡単に得ることができます。
本当に便利です。
 
 だからラジオをつけなくってもということですが、でもラジオを日常的に聴いている人もいるということです。
年輩の方になるとスマホやパソコンよりラジオやテレビです。
 
 そういうなかに一人でも多くの人に「西本願寺の時間です。今日もお念仏を申しましょう」と
徂徠さんの声がスーッと入ってくるということが
やっぱりラジオの力というのは捨てたもんじゃないなと思いました。
 
 それからその方が質問してくれたということです。
長い間オオモリって何だろうかと疑問だったと思います。
聞きたくても中々聞けなかったことがご法事のご縁でできました。
よかったですね。疑問が晴れてよかったですねと言いました。
 
 仏事のこと何でもどうぞお尋ねください。
ナンマンダブツとお念仏申すご縁があってお話ができたことを本当に有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.28)
 
ゲーテの最期の言葉は「もっと光を」でした
 ドイツの有名な詩人ゲーテは「若きウェルテルの悩み」の作者でも世界中に知られていますが、83歳で亡くなられます。
その時言った「もっと光を」が最期の言葉として後世に伝えられています。
 悩み多き人生を達観するようにもっと光をと、希望をもって生きてくれよと
最後に私たちに言い遺してくれたのでしょうか。
 
 ところが「もっと光を」と言われた後に「そこの格子戸を開けてくれ」と続けられたそうです。
臨終の床です。部屋が閉め切られて暗かったのでしょうか。
明るい光を求めて「その格子戸を開けてくれ」ということだったのでしょうか。
 
 光は希望を表します。私たちがこの人生を生きるうえで光は大きな大きな安心となって私たちを支えてくださいます。
逆に真っ暗闇のなかでは私たちは不安を抱えそれが苦しみ悩み迷いとなってくるということです。
 
 私たちの阿弥陀さまのおはたらきは智慧の光明、摂取不捨の光明といわれます。
苦悩の迷いに沈む私たちをあらん限りの光明で照らしてくださりそのまま救うとおはたらきなのです。
 
 阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出されたご自身の姿を親鸞聖人は煩悩具足の凡夫といただかれました。
法然聖人は愚者と言われています。
 阿弥陀さまの智慧の光にわが身の真実ありのままの姿を知らされそのまんま摂取不捨救われていくのです。
 
 ゲーテは「もっと光を」と言われました。
私たちはもうすでに阿弥陀さまの光のなかに摂め取られてあるのです。
そのことを「もっと聞けよ」とお勧めです。
 
 智慧の光明摂取不捨の光明のみ教えをわが身のこととして聞かせていただきましょう。
もっと聞けもっと聞けよとのご催促にお念仏申して
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.27)
 
沖縄で県民投票がありました
 沖縄の県民投票が一昨日あって、辺野古への米軍基地移設に反対する得票が72%の多数を占めたということです。
全有権者数の4分の1以上になり、予め条例で決めていたように
日本の首相とアメリカの大統領にその旨を報告するということです。
 実際の反対票でいいますと全有権者の37%だったそうです。
 
 今回の県民投票には法的な拘束力はありませんが、この数字をどのように見るかということです。
安倍首相が在任中にこれこそは成し遂げたいという政治課題が憲法改正です。
この憲法改正の国民投票は投票数の2分の1の賛成で成立します。
昨今の選挙の投票率は概ね半分前後なので、その2分の1でいったら4分の1です。
そのことからしても4分の1以上という数字はかなり高いハードルです。
 
 37%の反対の意思表示があってもそれ以外の63%の人は反対ではないのではないかという見方もありますが
ただ今回の県民投票は今の沖縄県民の民意そのものと受け止めるべきでしょう。
この前の県知事選挙の過去最高の得票数より今回の反対得票がはるかに多かったという事実です。
 
 昨日はテレビ各局のニュース特集で沖縄の人たちに投票前後の複雑な思いを聞いていました。
最初から賛成反対を決めていた人もいれば、「どちらでもない」という選択肢を含めて
最後まで悩んで悩んで投票した人、投票自体を棄権した人と様々でした。
 
 ただすべての沖縄の人の思いは本土の人にも本当に沖縄のことを考えてほしいということだったと思います。
沖縄の歴史は首里王国の時代から周囲の国々との交易と政争のはざまのなかにあって
太平洋戦争末期には地上戦(沖縄戦)があり住民の4分の1ともいわれる多数の犠牲者をだし
戦後長く占領下にあって日本への返還も一番遅れ、未だに米軍基地がいっぱいという現実のなかで
日暮らししている沖縄の人たちは「私たちは同じ日本人じゃないの」という思いで
これは沖縄のことだと無関心を決め込むのではなく自分たちのこととして考えてほしいという思いではないでしょうか。
 
 安倍首相はじめ政府関係者は口をそろえて「この投票結果を真摯に受けとめます」といいますが
昨日も埋め立て工事は進んでいたということです。
 よく沖縄に寄り添うということを言われます。沖縄のことをいつも考えていますというメッセージです。
ただ何かあると寄り添うという言葉で取り繕っているような印象がしてあまりいい感じがしません。
 
 寄り添うということです。
私たちの阿弥陀さまはいつでもどこでもこの私に寄り添ってくださる仏さまになってくださいました。
 阿弥陀さまはあなた一人に寄り添っていくよと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
あなた一人、あなた一人、あなた一人にです。
 どんなことがあっても決してあなたを見捨てることがないからいつも私が一緒だから安心して
あなたと共に生きていくよ、そしてあなたが命終えるとき私の浄土に生まれさせ仏にさせるよという
力強いおはたらきのなかに、私たちはみんな安心して生きていけるのです。
 
 仏さまの教えはあらゆるいのちのつながりのなかに私たちみんなが自他共に一緒に生かされて生きているという教えです。
そこに敵味方はありません。みんな一緒の御同朋なのです。
 日本だけではなく世界中で戦争があってほしくないというのが仏の願い、みんなの願いです。
武器も基地も要らないのです。
 
 でも私たち人類の歴史は有史以来ずっと略奪と戦争の繰り返しを続けてきました。
敵味方に色分けされ、血を分けた肉親同士もです。
 人間の欲望の極まりが戦争です。
これほど仏さまの願いから遠い遠い世界はありません。
 それは政治のことだからどうしようもない仕方がないあきらめるしかないと傍観を決め込むのではなく
だからこそ仏さまのみ教え仏さまの願いを聞かせていただくことの大切さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.26)
 
阿弥陀さまにおまかせの私の往生です
 昨日NHKのテレビで「大往生」という特集番組がありました。
103歳のお父さんを全盲の娘さんが看取るということでした。
在宅でということで80歳の在宅医の先生がずっと訪問看護されていました。
 
 大往生とよく言いますが、大往生と聞いて皆さんはどういうことを想像しますか。
多分一つはわが家でということでしょう。家族に見守られてということでしょう。
そして痛みもなく安らかに眠るように死を迎えるということを思われている方が殆どだと思います。
 
 ただそうありたいという思いはあっても中々その通りにはいきません。
何か大があると中があって小があるということですが、これは人間の私のものの見方であって
死の迎え方が人それぞれに違うし思い通りにはならないということなのです。
 
 これを苦というのです。思い通りにならないということです。
どのように死んでいくのか、その死にざまもそうですし、その生きざまも人それぞれ違います。
 
 往生に大中小はありません。
阿弥陀仏は苦悩に迷う私たちを見て取って、どんな人も平等に必ず救うというご本願を起こし
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のおはたらきの仏さまに成ってくださったのです。
 その南無阿弥陀仏のお心おはたらきに信じまかせるなかに私の往生は決まるのです。
往生は私が決めることではなくて阿弥陀さまが決めてくださってあることなのです。
 だから本願を信じ念仏申す私たちは等しく阿弥陀さまのお浄土に往生できるのです。
阿弥陀さまのおはたらきに大中小の差別はありません。
 
 そのことを臨終のときに初めて聞くのではなく平生から聞いてくれよというのです。
平生業成といいます。平生、今ここにこの私の往生は決定していると聞かせていただくのです。
 親鸞聖人は現生正定聚といって今すでに正しく浄土に往き仏に生まれる仲間に定まってあると
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法を明らかに示してくださってあります。
 
 そうはいってもこの娑婆世間に生きる私たちは娑婆世間のことがいつも気がかりです。
いつも往生のこと阿弥陀さまのことを思うお浄土のことを思うということではありません。
 
 こうして皆さんお朝事にお参りをされました。
お寺参りはお浄土参りといただきましょうとお話しています。
 お寺にお参りするこのご縁のなかにどうぞ皆さんこの私の往生を思うてください。
阿弥陀さまのことを思うてください。
 
 そしてこの後皆さんお家に帰ります。お家に帰ると日々の生活が始まります。
まさに娑婆の生活です。
 ただこの娑婆の生活のなかに苦悩する私たちのために
阿弥陀さまの大きな大きな必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらきがあるということを
ご縁ご縁にお念仏申して聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.25)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949