浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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新生活が始まります
2018-04-02
 新年度4月に入って今日が月曜日ということで、今日から学校に行ったり会社に行ったりという新生活が始まります。
新しい一年が始まるということで、希望と不安が交錯する独特な感じの時期です。
 
 特に学校に進学したり就職したりとかで親元を離れて生活を始める人はまさに初めて経験することばかりです。
今までは当たり前のように親にしてもらっていたことが、自分一人で生活をしていかなければなりません。
不安はもちろん戸惑いもありますが、逆に今までできなかったことしたかったことが自分でできるという夢があります。
 
 ただこれも自分の思い通りになるということではありません。皆さんもこれまで経験したことでしょう。
思い通りにならないなかに一層不安にさいなまれ、こんなはずじゃなかったと苦しみ悩むことにもなります。
 あらためて親の有難さを思います。
 
 御和讃に「釈迦弥陀は慈悲の父母」とあります。
お釈迦さま阿弥陀さまはお慈悲のお父さんでありお母さんであると
親鸞聖人はお釈迦さま阿弥陀さまを慕っておられたということです。
 
 お父さんお母さんはいつでもどこでも「影のごとくに添いたもう」と、私のことを思い寄り添ってくださっています。
お父さんお母さんはお亡くなりになっても、どこまでもお父さんお母さんです。
 今は仏さまとなっていつでもどこでも私を見守ってくださり私と共に生きてくださっています。
「一人じゃないよ、わたしがいるよ、大丈夫だよ」南無阿弥陀仏とおはたらきくださる仏さまです。
 
 お念仏を申すなかに安心して新生活を始めましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.2)
 
桜の歌人、西行法師
2018-04-01
 4月1日です。新年度の始まりで新たな気持ちで今日の朝を迎えた方が多いと思います。
 
 昨日は満中陰のお勤めで墓地に納骨に参りました。
昔からの地域の墓地で桜の木がたくさんあり青空のもと満開の桜花でした。
 
 墓地に桜の木はつきもののようにあります。
私が若い頃、大分の花見といったら松栄山の護国神社か上野の墓地公園でした。
 
 墓地であったり神社仏閣に桜がよく似合います。
桜を詠んだ和歌も多くありますが、平安時代の末期にでられた西行法師は桜の歌人とよばれるほど有名です。
 平安末期は源氏平氏の武家勢力が台頭して貴族政治から武家政治へと転換する大きな歴史の過渡期で
親鸞聖人もこの平安末期に生まれ鎌倉時代を生きられました。
 
 西行は元々は武士で妻や子どももいましたが、ある日突然出家してお坊さんになります。
桜を詠んだ一首に「願わくは 花の下にて 春死なん あの如月の 望月の頃」とあります。
 願うならば桜の花の下で死にたいと。如月は旧暦の二月、望月の頃とは15日の頃をいうそうです。
2月15日はお釈迦さまが入滅された、お亡くなりになった日といわれています。
 そしてその願いがかなったのか、2月16日に亡くなられます。
1190年といいますから、親鸞聖人が17歳、ちょうど比叡山で学問修行に励まれていた頃です。
 
 桜の花のいのちに重ねてもののあわれ無常感ということを仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
仏さまの国日本の人ひとが桜を愛でる大きな意味ではないかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.1)
 
「天国や地獄は本当にあるんですか?」
2018-03-31
 今は春休みで、先日七日日のお参りで子どもたちが後ろで一緒にお勤めをされました。
いつものようにお話をさせていただいた後、女の子に「天国や地獄は本当にあるんですか?」と質問されました。
えっと思いました。どうすぐ答えたらいいものか少し戸惑いました。
 
 逆にこう聞きました。「そういうことってお友だちの間でも話題になっているの?」と。
今はユーチューブなどネットですぐ検索ができるということです。
 そのなかで有るという回答もあれば無いということも、また有るとも無いとも答えない回答もあるのでしょう。
そこでお坊さんに聞いてみろうということになったのかもしれません。
 
 小学5年生の素直な質問です。ここはていねいに答えることが肝心と思いましたが
小学校5年生にわかるようにどう答えていいのか考えてしまいました。
 
 お経にはこう書いてあるよというのも一つの答え方ですが、
すぐ有るとか無いとか答えるのではなく、私自身の問いとして一緒に向き合うことが大事だなと思いました。
無理に答えを出そうとすると、聞く方は納得がいかない、ごまかされたような感じになるかもしれません。
 
 その子のおばあちゃんが最近亡くなって、七日七日のお参りが始まり先日このお家にお仏壇を申すことになりました。
そこでこんな話をしました。
 
 地獄には鬼がいるというね。鬼は悪いことをしたらその人を責めて懲らしめるというね。
だから昔の人は地獄が有るということを言って、私たちに悪いことをしちゃあいかんよ、
善いことをしなさいと教えてくれたんではないかな。
 
 ただおばあちゃんは今は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成ってくださってあると聞かせていただくから
お浄土の仏さまに成ったら、悪いことをしている私を責めたり懲らしめたりはしないで
そんな私を見て悲しまれるんだって、悲しくて悲しくて涙を流して
居ても立ってもおられず、南無阿弥陀仏のおはたらきで私のところに来てくださり
「いつも私が一緒だから、大丈夫だよ」と私に寄り添い抱き取ってくださるんだよ。
 
 私たちのすべてをすでに見抜かれてそのまま救うとおはたらきの仏さまが阿弥陀さまなのです。
その南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のお心おはたらきを聞かせていただくことが大事なんだよ、とお話しました。
 
 もう一つ「死んだら仏さまに成るんですか」と聞かれました。
 仏さまは今迷いの身を生きている私のことが心配なのです。
だから今仏さまのお心を聞いてくれよと願っておられるのです。
 死んでから後のことではなく今聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ただ先に往かれたおばあちゃんのことは心配しなくて大丈夫だよ。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきで今はお浄土に生まれて仏さまに成ってくださっているからね。
 
 お浄土を表すこのお仏壇にお参りして仏さまにお礼をしようね。
お参りしてもしなくてもいつでもどこでもおばあちゃんの仏さまはあなたのことを見守っているからね。
だから大丈夫だから、これからも仏さまのお話を聞いてください、と言いました。
 
 最初は何とか質問に答えようと力が入りましたが
お話をしながら共々に聞かせていただき、仏さまのお心を味わわせていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.31)
 
お家の中心に仏さまをお迎えします
2018-03-30
 昨日は入仏法要のご縁がありました。
新しくご門徒になられたお家で、昨日が六七日でしたから、つい最近大切なお方とお別れをされたということです。
悲しみのご縁ですが、お仏壇をご安置し仏さまをお迎えするという尊いご縁になりました。
 
 仏さまが入ると書いて入仏といいます。仏さまをお迎えいたします。
その仏さまは浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来さまです。
 
 ご本尊をご安置するお仏壇を申します。今は家具調のお仏壇が人気だといいます。
入仏法要にお参りして初めてお仏壇をみることが殆どですが、お仏壇の体をなしていないものに遭遇することもあります。
 
 私たちの浄土真宗のお仏壇は伝統的に金仏壇といいます。
金仏壇というとキラキラしていて現代風の家屋にそぐわない何か落ち着かないと感じる人もいらっしゃって
紫檀黒檀というお仏壇を求める方も多くなりました。
 
 これが良いとか悪いとかいうのではなく、ただ金仏壇には意味があるということです。
本堂のお内陣も金仕様です。これは光を表します。無量光明土とお経さまに説かれる阿弥陀さまのお浄土の世界です。
 摂取不捨のおはたらき、光のなかに私たちをすべて摂め取って捨てないという阿弥陀さまのおはたらきそのものなのです。
 
 そんなお話を前もってしていましたから、昨日は金仏壇でした。
お家はマンションで六畳一間のお部屋です。
その広さに見合うお仏壇で、昔のような大きなお仏壇ではありません。
 
 これからはお家の造りに合わせてお仏壇は段々小さくなってまいります。
小さくてもいいんです。大きい小さいは関係ありません。
 要は、お浄土を表すお仏壇の中心に阿弥陀さまの仏さまをお迎えするということです。
家族がそろうお家の中心に阿弥陀さまをお迎えすることで、家族が一堂にお礼ができる生活をさせていただくことです。
 悲しいご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただけるのは、先に往かれた仏さまのおかげです。
 
 お仏壇の中心は阿弥陀さまですが、お仏壇に手を合わせるとき、阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さま
そしてご先祖有縁の仏さまにありがとうございますとお礼ができる、お礼をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.30)
 
お花の心おはたらき
2018-03-29
 お天気で晴れ癖という言い方があるそうです。
このところ天気予報がずっと晴れマークが続いています。
 境内の桜もすでに満開ですが、まだ散る気配もなくきれいです。
 
 昨日一昨日と京都に行き、昨日はゆっくりと京都東山の方を散策しました。
行くところ行くところ桜がいっぱい満開でした。
 こんなに桜の木がたくさんあったのかとも思いましたし、京都の古い神社仏閣の佇まいによく合うんですね。
外国の方がたくさんでした。日本の方もたくさんですが、みんなにこにこしていました。
 
 いいですね。どこまでも抜けるような青空でしょ、桜でしょ、満開ですよね。
お花は本当に私たちを優しい心にしてくれるんだなと思いました。
 
 お内陣に仏さまのお花があがっています。
仏さまのお花はこっち私たちの方を向いています。
 このお花は仏さまの慈悲というお心を表します。
慈悲の心は「あなたと共に」というお心です。私にスーッと寄り添ってくださいます。
むしゃくしゃする心をそーっと和やかに優しくしてくださる、仏さまのおはたらきです。
 
 桜今満開で、いいですね。これが雨が降って風が吹いたらそれこそすぐにでも散ってしまいます。
「明日ありと 思うこころの あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と親鸞聖人がお得度の時に詠まれたといわれています。
 
 明日がある明日があると思って生きている私たちですが、無常のいのちですから、明日のいのちも分かりません。
ただこのいのちは仏さまに成らせていただくいのちだよと聞かせていただくなかに
私たちは今日の一日をまた和やかに朗らかに、雨の日であっても優しい気持ちで生きぬかせていただける
仏さまの大きな大きなお慈悲のお心おはたらきをまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.29)
 
安政の大地震~西郷どんと円光寺~
2018-03-26
 今年の大河ドラマは「西郷(せご)どん」で西郷隆盛が主役です。
 
 昨日のラストシーンは安政の大地震でした。安政2年10月2日とありました。
篤姫と隆盛の共演の場面で、篤姫が主役の大河ドラマにもこの大地震があったように思い出します。
 
 安政2年は1855年で、2年前の嘉永6年1853年に黒船の来襲がありペリーが浦賀にやって来て大変な騒ぎになっています。
そして翌年嘉永7年1854年には南海トラフを震源とする大地震が立て続けに起こります。
 
 豊予海峡地震もその一つで、円光寺の本堂庫裡鐘楼が転覆崩壊したと寺の記録にあります。
 第13代住職叩岩の頃です。記録では地震の前年1853年に庫裡を新築したとあります。
驚くべきは地震の翌年に本堂を修復、4年後に庫裡を再建設したとあることです。
どれほどの規模の建物かわかりませんが、住職を中心に門徒衆のあつい思いを感じます。
 
 幕末から明治維新にかけ、日本の国が大きく変わる時期にあって、南海トラフ地震が続発し、
円光寺も寺の存亡を揺るがしかねない大変な事態にあったことを思います。
 
 そうした歴史のなかで、先人がまさに命がけでお寺をお法りを護り伝えてくださったことを有難く思い
今お寺をあずかる私たちの世代の務めをあらためて思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.26)
 
花あかり
2018-03-25
 今境内の桜が満開です。花もよくついて今までで最高ではないでしょうか。
 
 花灯りということばがあります。
夜に満開の桜を見ると、灯りがともっているような花が光を放つといいます。
 
 お浄土のお花を思います。お浄土には蓮の花が咲いていると、お内陣に蓮の花が描かれています。
御和讃に「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」とあります。
 阿弥陀さまのお浄土には蓮華が咲き乱れ、その蓮華の一つ一つの花からは、
三十六百千億というたくさんの光を十方に放って、この光のいたり届いていないところはどこにもないと。
 そして「仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり」と続き、
その花のなかから光の数と同じだけの仏さまが十方に赴かれ、
その仏さまのお姿はまるで黄金の山のように輝いているいると仏さまのお徳を讃えられています。
 
 一つ一つの花から三十六百千億という数多くの光が放たれ
仏さまとなって私たちのところに来てくださってあるというのです。
 
 私たちの仏さま、阿弥陀さまの摂取不捨のおはたらきです。
光のなかに誰一人漏らさずこの私を包み込んでくださってあるといただきます。
 その南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞いてほしいと願われています。
あなたのことをいつも思うているよ、あなたを必ず救うという仏さまになってくださいました。
 
 花あかりです。
花を愛でる時、ここにも仏さまがいらっしゃって私のことをいつも思うて
私をいつでもどこでも包み込んでくださってあるんだなと思わせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.25)
 
お念仏でつながるご縁
2018-03-24
 昨日満中陰四十九日のお参りをさせていただきました。
初めてお参りするお家です。
 
 お葬式のご縁があって七日七日のお勤めがあり四十九日のお勤めということになるわけですが、
お葬式を北九州のお寺さんでされてお家のご事情でこちらにお仏壇を移したいうことです。
 
 初めてお参りするお家で、初めてお会いする人です。
何もかも初めてのご縁にあって、いつものようにお正信偈さまのお勤めをさせていただきました。
「ご一緒にお勤めしましょう」と聖典を配って言いましたら、後ろから声が聞こえてまいりました。
 
 初めてのご縁ですが、懐かしい感じがしました。
というのはお仏壇です。お仏壇の中心に阿弥陀さま、そして阿弥陀さまを取り囲むように親鸞さま蓮如さまと
この本堂のお内陣のお荘厳の通りなのです。
 そしてご一緒に南無阿弥陀仏とお念仏を申せるということです。
 
 初めてのご縁ですが、つながってあるということです。
私たちは南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされて生きてあるということを
声に出てくださり相となって表れてくださってお互いに見ることができるというご法義なのです。
 
 このご縁で円光寺のご門徒になっていただきました。
深い深いご縁、遠い遠いはるか昔からこの私のためにスーッとお立ちになった仏さまが、
南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださって、いのちといのちをつないでくださる。
 阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきのなかに今日の一日もあることをまた有難く尊く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.24)
 
大坂なおみさん
2018-03-23
 テニスの話です。
大坂なおみさんという女子選手がアメリカの大会でセリーナ・ウィルアムズという
元世界ランキング一位の選手にストレートで勝利したというニュースです。
 
 大坂選手は前の週の大会でツアー初優勝をしています。
あの有名なシャラポワや強豪選手を次々と破ってということで
まだ20歳で日本国籍ですが、日本人のお母さんとハイチ系アメリカ人のお父さんのハーフの方で、
3歳でアメリカのニューヨークに移住しテニスを始めたといいます。
 
 インタビューでセリーナ選手は大阪選手の小さい頃からのあこがれの選手で
始めて対戦できたこと、そして勝つことができたことが大変うれしいと無邪気に語っていました。
 
 今年は冬のオリンピックもあってスポーツの話題が多いですが、
選手のコメントのなかにリスペクトという言葉をよく聞きます。
 尊敬するという意味です。競技をするうえで相手を敬うことが大事だといいます。
 
 勝負の世界ですから皆が勝者にはなれません。勝つ選手もいれば負ける選手もいます。
勝ち負けをこえて互いに敬い合うということです。
 
 そうですよね。一人では勝負になりません。そこに相手がいます。相手がいての勝負です。
相手をまず尊敬する。憧れることも尊敬ですね、この選手を目標に切磋琢磨して成長していくのです。
 
 これはスポーツの世界に限ったことではありません。
私たちの日々の生活のなかにもそれは言えることです。
 人と人との関係、つながりのなかで私たちは生きています。
お互いにリスペクト、敬い合うなかに私たちの社会が成り立っているということです・
 
 身近な親子であっても夫婦であっても兄弟であっても友だちであっても、リスペクト、
お互いを認め合い敬うということがなかったら、
それこそ頭ごなしに親だから、何だからというかたちで一方的にやられたらたまりません。
 
 大坂選手はアメリカに育てられたと思います。
アメリカという国は色んな言い方をされますが、多民族国家で
一つの価値観に固執しない自由な雰囲気があります。
 その点日本という社会は生きにくい世界かなと思ったりもします。
 
 阿弥陀さまのお念仏の世界は様々な違いを超えて全てのいのちが光輝き合う世界です。
阿弥陀さまはどんな人も条件なしにリスペクト、必ず救うぞ寄り添っていくぞとおはたらきです。
 南無阿弥陀仏の力強いおはたらきは、どうしていいか途方に暮れ迷い、その場に立ちすくみ、
生きることから逃げ出してしまいそうな人に生きる力を与えてくれます。
 
 仏さまのみ教えに出遇ってほしいと思います。
お念仏のみ教えを聞かせていただき、ナンマンダブツとお念仏を申すなかに
みんな生活ぶりは違うけれどもこの人生を生き抜かせていただけます。
 そして阿弥陀さまのお浄土に共々に生まれて仏さまとならせていただく、
大きな大きないのちのつながりのなかにリスペクト、お互い敬い合って生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.23)
 
「じいちゃん、またねー」
2018-03-22
 夜中の雨はやみましたが、今は風が吹いています。
境内の桜が今満開ですけれども、雨が降って風が吹くと心配です。
 ゆっくり花見もしないうちに散ってしまうのではないかと思って見ましたが、まだ散ってはいません。
 
 案外というか、桜の花は結構しぶといですね。
でも一週間、10日の命といいますか、ひらひらとまたぽつんとまた舞い上がって散っていきます。
 
 一昨日の彼岸会のご縁にご法話お聴聞させていただき南無阿弥陀仏のお心おはたらきを味わわせていただきました。
 お父さんにお別れしていよいよ火葬するとき、小さな子どもに「最後にじいちゃんに声をかけよ」といったら
その子が「じいちゃん、またねー」と結構明るい声で言ったというお話です。
 
 「またねー」また会いましょうということです。
お寺の子どもさんですから、日頃から仏さまのお話を聞いているのではないかと思いますが、
私たちの仏法には「さよなら」はないといいます。お念仏にさよならはないと。
 さよならというと何か永遠の別れというようなことですが、
確かに人と人との別れですけれども、お浄土に生まれて仏さまとなってこの世に還ってみえると聞かせていただきます。
 私もこの命終えていきますが、同じお浄土に生まれて再会です。
なつかしい方々と再び会うことができるというお約束ですから、別れてもまた会いましょうと「またねー」です。
 
 案外明るい声でということです。
お釈迦さまが涅槃に入られた、そのご様子を描いた涅槃絵というものがあります。
 お釈迦さまのそばに有縁の方たち、お弟子さんたち、そして動物も皆な悲しみのなかにあったといいます。
その人たちを取り囲むようにたくさんの菩薩さま方が微笑んでおられたというんです。
 
 菩薩さまは仏さまの国から来られて私たちを導いてくださる方々です。
それらの菩薩さまがみんな微笑んでいたというのです。
 
 死んだらお終いではなくていよいよ涅槃に入って衆生済度のおはたらきが始まるということなのです。
そしてお釈迦さまの80年のご生涯、仏さまのみ教えに導いてくださってありがとうございましたという思いなのでしょう。
 
 「じいちゃん、またねー」と声をかける、声をかけられる。
その声こそが南無阿弥陀仏なのです。
 ナンマンダブツとお念仏を申すなかの今日の日々であり、また人生の節目に節目に別れもありますが、
ただ悲しみのなかに放っておかず春の陽ざしのように私たちを明るく照らしてくださる阿弥陀さまのおはたらきを思います。 
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.22)
 
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