浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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みんなの親さま南無阿弥陀仏
2018-05-23
 今話題のアメフト悪質タックル問題で、タックルした選手が顔を出し名を名乗って記者会見を開きました。
監督コーチの指示があったが、拒めなかった自分の弱さが原因といい
相手チーム、けがをさせた選手への謝罪と償いの思いで真実を公表することにしたという内容です。
 
 今朝の新聞の一面はアメフト問題の記者会見のことと
加計問題で愛媛県が公表した新事実についての安倍首相、政府国会の対応が主なことでした。
 
 危険なタックルで相手チームの選手にけがを負わせた加害者です。
本来は批判の集中の的で20歳の青年のこれからの人生にも大きな影響を及ぼすことですが、敢えて覚悟を決めてです。
ここで真実を話さなかったらずっと後悔していくことになるという重い決断だったのでしょうね。
 
 一方は色んな文書記録が出てきても「知らない」「記憶にない」「会ったことがない」を繰り返し
真相を解明しようという誠意が全く感じられません。
とにかくこの場を逃れれば時間が過ぎれば真実は闇の中に忘れ去られると、その一点張りなのでしょうか。
 
 人生の経験もまだまだ浅い青年と人生の酸いも甘いも知り尽くした大人の対応、同じ今の向き合い方です。
今回の二つのこと、二つの対応が本当に好対照に思えてなりません。
 
 ちょっとこういう見方をしました。
今回のアメフトの両青年の対応に親の存在が大きなものになっているということです。
どちらも親と相談しています。そして親の思いというものが強くうかがえます。
 
 子どもは親の後ろ姿を見て育ちます。子どもにとって親は人生を生きる上で一番身近な教科書です。
その人生の歩みのなかで学校の先生、スポーツでいうと監督コーチ、会社組織にあっては上司先輩の指導があって
その人人が成長していくということです。
 
 その中心に親がいます。親の存在は子どもにとって大変大きなものがあります。
親はどんな子どもであっても守り抜きます。ある時は厳しい言葉をかけ、ある時はそのままやさしく抱き取ってくれます。
 
 そういう親の存在があって昨日20歳の青年に会見をさせたのではないかなと思います。
 
 国会の騒動はそれぞれ役職立場があって皆さん偉そうにしていますが、それぞれに親がいます。
親に相談しましたか。相談しようと思っても親は亡くなっていないということですが、相談はできると思います。
親だったらこういうふうにするだろうなと、親だったらこんなアドバイスをしてくれるのではないかと思いを巡らします。
 そういう思いがないと、何か結局は自分さえよければと自分を守る体面を守る組織を守るということだけに終始して
社会全体が何か変てこな感じになってしまうのではないかと思います。
 
 私たちの阿弥陀さまです、親さまといいます。
南無阿弥陀仏の親さまに相談させていただきましょう。
ナンマンダブツとお念仏申すということは親の願いを親の言うことを聞いていくことだよと、
そこに一番の安心があるんだよとまた味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.23)
 
無料食堂
2018-05-22
 この前テレビのニュースで無料食堂のことが取り上げられていました。
無料食堂といって何でも無料なのではありません。
 一般の食堂ですが、店頭に小さな張り紙があって「もしどうしてもお腹がすいてもお家にお金がないときや
お子さんにおいしいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいのにご事情があってむずかしいときなどは
コソっと店長に相談してください」と無料で食事を提供しているということです。
 
 最近は子ども食堂が全国的にさかんで、生活に困っている家庭の子どもさんに食事を提供する活動が行われています。
 
 今の社会は人と人とのつながりが希薄になって隣の人がどういう生活をしているのか
生活に困っている方がいても見えないわからない、見ようとしないわかろうとしない
逆に困ったところを見せないというなかに、今日の食べるものに困っている方がいらっしゃるということです。
 
 困っている人が「たすけて!」と手をあげ声をあげることが難しい社会になっています。
 
 5月初めに始めた無料食堂ですが、半月の間に10件ほどの利用者があったといいます。
いつもこの食堂を利用している人は「大変いいことだと思います。私が食事をして支払うお金が役に立ち
一つの社会貢献になっていると思うと何か嬉しいですね」と言っています。
 
 なかには無料ということで悪用する人もあるのではと思われますが
店長いわく「100人来て99人にだまされても、1人の本当に困っている人を救えるならいいかなと思って始めました」と。
おいしかった、よかったと喜んでもらえたらということです。
 
 今日の御文章さまのなかに「10人は10人ながら100人は100人ながら」というお言葉がありました。
阿弥陀さまのお救いは10人いたら10人とも100人いたら100人とも一人も漏らすことなく救わずにはおかないというもので
100人のうち99人が救われたらいいというものではありません。
残った一人をこそ救わずにはおかないと、一人一人に寄り添っていく南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申し南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただいて
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 いのちが見えにくい社会になってきているようです。
日常の生活、普段の人と人とのつながりのなかで、すぐそばで困ってらっしゃる方がいらっしゃると心を配りましょう。
困っている方が「たすけて!」と声をあげられる社会になっていけたらと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.22)
 
平生日常のお念仏です
2018-05-21
 昨日は年に一度の親鸞聖人降誕会のご縁で、午前中から子ども会そしていろんなバザーがあり
大勢の方にお参りいただいて一日中お寺が大変賑わいました。
 
 仏さまのご縁ですが、たくさんのご門徒衆にお手伝いいただいてはじめてできることです。
特に役員さんはいろんな準備からすると何日も前からお寺にかかりっきりということで本当にご苦労さまです。
 先人から受け伝えられた仏事です。仏さまのご縁という仏事の意味をあらためて思います。
仏さまのご縁をいただくなかにお念仏申す身にお育ていただくことです。
 
 とはいえ大きな行事ですから、終わるとどっと疲れがでます。
そのなかで今朝目が覚めて、このお朝事のご縁です。
いつもの日常にかえります。させていただくことがあるということの有難さを思います。
平生にかえらせていただくなかにまた自分自身を見つめ直す場があるということです。
 
 私たちにとってそれが阿弥陀さまの御仏前であります。
ここに座れ、お念仏申せよとご催促です。
 お念仏は特別なときのお念仏ではありません。平生日常のお念仏です。
いつでもどこでもどのような時でもどんな人にも
このお念仏のおはたらきが行き届いているということを聞かせていただくなかに
お念仏を申す日々の生活をさせていただきます。
 
 私一人をめあてのお念仏ですが、私一人だけのお念仏ではありません。
ご縁ご縁にお念仏を申すなかに隣の人隣の人に南無阿弥陀仏の大きないのちのご法義を伝えていきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.21)
 
ご縁をいっぱいいただきましょう
2018-05-20
 今日は朝早くから婦人会の役員さんがお寺に来てくださって賑やかに降誕会のバザーの準備をされています。
お内陣のお荘厳も紅白のお餅をお供えしてきれいに整いました。
 
 親鸞聖人のお誕生をお祝いする法会です。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。
阿弥陀如来の本願念仏のお救いの法を明らかにしてくださいました。
親鸞さまがお生まれになってお念仏のみ教えを私たちに届けてくださった尊いご恩を思います。
 
 仏教といいますと一般的には葬式法事仏教などといわれ、何か人の死にまつわる暗いイメージがありますが
お釈迦さまのお誕生をお祝いする花まつりもあり、慶び事もまた仏さまのご縁といただきます。
 
 今日は本堂山門の幕も五色幕というにぎやかな幕を張っています。
一人でも多くの方に阿弥陀さまのお救いの法に出遇っていただきたいという親鸞さまのお心もちを思います。
 
 今日はバザーもあります。
毎年のことでお寺のバザーを楽しみに近所の方、日頃ご縁のない方もたくさんお参りいただきます。
 石垣だんごやカレーライス、おにぎりの食品バザー、ご門徒皆さんが持ち寄った物品バザー
そしてかき氷、焼きそば、フランクフルト、フリーマーケットもあります。
 
 いろんな楽しみをもってこのお寺の境内に足を踏み入れ本堂にあがって
阿弥陀さまに両手あわせてナマンダブツとお念仏お礼ができることです。
 こうした仏さまのご縁をいただくなかに私たちの日々の生活があることをまたあらためて教えていただきます。
 
 にぎやかなお寺は人がたくさんお参り出入りされるお寺です。
にぎやかにお念仏の声が聞こえるお寺になっていきたいと思います。
 それが親鸞さまが一番喜ばれることだといただきます。
 
 今日はお天気にも恵まれました。
どうぞ一人でも多くの方に声かけをされて共々に仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.20)
 
お念仏の友として共にお育ていただきました
2018-05-19
 昨日はお葬式のご縁でした。
以前お寺の本堂で葬儀をしたときに司会を頼んだ業者の方にお寺で作ったアナウンス原稿でとお願いしましたが
それ以来その業者が司会をする円光寺が導師のお葬式はその原稿通りに司会をしてくださっています。
 
 開式にあたって「お念仏の友として共にお育ていただき阿弥陀さまのお浄土に往生された
○○さんのお葬式をお勤めさせていただきます」とアナウンスされます。
 
 お念仏の友として共にお育ていただいた方のお葬式です。深い意味があります。
友人代表の方の弔辞がありました。円光寺のご門徒さんです。門徒式章をつけられて御仏前に立たれます。
 弔辞は故人を偲ぶということで、生前の思い出を語り最後に
「お浄土に往生して仏さまとなってこれからも私たちをずっと見守ってください。
いずれは私たちもお浄土に往生させていただきます。お浄土でまた会いましょう」と結ばれました。
 
 中々そこまで言えないというか、お寺さん以外のお葬式ではこれまでにありません。
あの世とか、あちらとか、天国とか言い、「ご冥福をお祈りします」「ゆっくりお休みください」が定番です。
 
 お念仏の友としてと司会原稿にはありますが、その人が果たしてお念仏の友と言われるような日暮しをしていたかどうか
日頃からお寺参りしていたかなどと、あれこれ思いをめぐらすのが、私たち世間一般の見方のようです。
 
 ただお念仏の友としてと言われて「ああそうやったんやな」とお参りの方が頷いていただけるのが
私たち浄土真宗のお葬儀ではないかなと思います。
 
 さてお葬儀に門徒式章をつけましょうと言いますが、中々難しいですね。
昨日のお葬式もご門徒の方がたくさんお参りでしたが
お通夜の時は式章をつけてご一緒にお正信偈のお勤めをされていた方も
お葬式になると式章をつけていない方が多かったように思います。
 門徒式章が身につくというのは本当に難しいことだなと思います。
 
 そういうなかにあって、お通夜のご縁にご一緒に平生のお正信偈のお勤めができご法話をさせていただきます。
そして次の日のお葬式に「お浄土に往生されてこれからもよろしく、そしてお浄土で再会しましょう」と
ナンマンダブツとお念仏申して送っていけるというご法義の有難さを思います。
 死んだらお終いではなくてこれからもずっとずっとつながっていくご縁だなということをまた思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.19)
 
命終わっていのち愈々つながっていきます
2018-05-18
 今日はIさんのお葬式のご縁です。
昨日は歌手の西城秀樹さんがお亡くなりになったということです。私より3歳年下です。
最近私の年齢に近い方が亡くなられていかれますが、これは何も不思議なことではありません。
 
 私たちの命終は病気になって亡くなるとか事故に遭って亡くなるとかいう言い方をしますが
この世に生まれて来た以上はいつか必ず亡くなっていくというのが私たちの人の命の道理なのです。
そして会うた者は必ず別れていかなければなりません。
 
 そうした人と人との別れのご縁に私たちは仏さまのご法義に遇わせていただきます。
私たちは死んだらお終いではなくて、「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただくと、聞かせていただきます。
 
 そのおはたらきは私一人だけではなく隣の人も隣の人も、家族ご縁の方々にもすべてに
この南無阿弥陀仏のおはたらきが及んでいるというご法義なのです。
 
 お通夜のお勤めをしてご法話をさせていただきます。
私に近い年齢の方のお通夜ではその人とのつながりのなかにいろんなエピソードのお話になります。
 
 Iさんとは20年ほど前に京都のご本山にご一緒にお参りしました。
ちょうど私が住職を継職した頃で同年輩の皆さんと5人でした。
 小さい頃からのご縁で思い出もたくさんあります。そういうなかにあって日々の生活はそれぞれであります。
ただお念仏のご法義につながった私たちは命終わっていよいよご縁つながりが深まっていくといいますか、
増々つながっていく、つながっていけるご法義なんだと有難く思います。
 
 たくさんの方々が先人となってお浄土に往ってらっしゃいます。
そのお浄土からのおはたらき、南無阿弥陀仏のおはたらきを今日もこうしていっぱいいただいて
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.18)
 
早朝のお葬式
2018-05-17
 昨日は稙田の葬儀社で朝9時にお葬式がありました。
9時という早朝のお葬式は初めてで、それも遠方ですから前の日から準備を整えて早め早めにと心がけました。
 
 今は家族葬という葬儀が多く、朝の9時でも家族以外にお参りの方はいらっしゃらないという前提です。
一般葬ではご会葬の皆さんの都合に合わせますから、この辺では大抵昼前後の開式時間になります。
家族だけということで早め早めに葬儀を済ませる傾向にあるようです。
 
 お葬儀はその人にとっては一生一度きりのことです。
見送る有縁の方々にとってもお父さんお母さんとのお別れは一度きりのことです。
 だからこそお葬式のお勤めを丁寧にさせていただくことが一番の肝要です。
別に9時のお葬式が丁寧ではないと言っているのではありません。
 
 ただ最近のお葬式はちょっと以前のお葬式とは趣が随分変わってきました。
何やらこれもしないあれもしないと省略することが多くなりました。
大勢の方のお参りがありあれもこれもしてということが大事なことではありません。
 
 それこそご遺族がいろんなことに気を遣って疲れ果ててしまうこともあったと思います。
最も身近な大切な方とのお別れを家族だけでゆっくりしたいというお気持ちはよくわかります。
 
 一番大事なことは大切な人とのお別れのご縁をそのまま仏さまのご縁として
有縁の皆さんと共々にこの私が遇わせていただくということです。
 
 仏事のことを平生日常から聞いておきましょう。
後になってああすればよかったと思ってもやり直しはかないません。
 
 平生からのお念仏相続です。
お念仏のみ教えを聞かせていただくなかに日々生活をさせていただきたいとあらためて思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.17)
 
お念仏がこぼれる
2018-05-16
 本音が出るといいます。
心に積もり積もっていたことが何かの拍子にふっと出ることがあります。
心打ち解けた雰囲気のなかでということですが、皆さんはどんな時にそうした本音がでますか。
 
 例えば銭湯とかでいつもの気の許すお友だちとの何気ない会話のなかでふっと本音が出ることってありませんか。
他の関係者に聞かれるとちょっとまずいことでも、結構大きな声で聞こえてきます。
 
 先日はうちのカミさんの話でした。
年をとっても何着も新しい服を買ってくる、いい歳して誰も見る人がいないのに、金を使ってまでしてと。
わしなんかいつも同じものを着ているのに、という愚痴まで出てきます。
 すると話し相手が相槌をうちます。そして今度はその人の家のことになり、話はどんどんエスカレートしていきます。
顔が見えない人のことであり、聞く方は面白い。そしてつい「ああそやな」とうなずく私です。
 同じようなことを思っている人が周囲に隣にいることに何かほっと安心します。
 
 本音がこぼれるという言い方をします。こぼれるんです。おさえてもこばれるんです。
南無阿弥陀仏のお念仏です。お念仏がこぼれるといいます。こぼれるお念仏です。
 
 こぼれるということについて、皆さんはどんなことを想像しますか。
コップに水を注ぎ続けるとこぼれますね。
コップの容器自体がもう決まっていますから、決まった以上に注ぎ込まれる水は自ずとこぼれます。
蓋をしない限りこぼれ出ます。
 
 お念仏もそうです。阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお名号のおはたらきです。
「まかせよ救う」のおはたらきがずっとずっと以前よりこの私の身にそそぎ込まれてあるのです。
諸仏諸菩薩もお念仏のお徳をほめたたえてお念仏をそそぎ込まれてあります。
 「おまかせします」と疑いの蓋が取られ阿弥陀さまのおはたらきにまかすところに
お念仏は満ち満ちてくださりそしてあふれるのです。お念仏がこぼれます。
 
 お念仏は私が申そうと力を入れて申したお念仏ではなくて本音のお念仏がふっと出てくださるのです。
阿弥陀さまの本音です。阿弥陀さまの真実まことがでてくださるのです。
 
 南無阿弥陀仏のご縁に遇うなかにナンマンダブツとお念仏申させていただきます。
隣の方も隣の方もお念仏を申すなかにお念仏申させていただくのです。
 私一人だけではなく隣の人も隣の人もみんな一緒にお念仏申させていただくなかに、大いなる安心です。
お念仏がこぼれます。阿弥陀さまのおはたらきに疑いの蓋をするのではなくそのまままかせてこぼれるままでいいのです。
 ご縁ご縁にお念仏を申して今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.16)
 
仏さまのご縁をいただいていよいよいのちつながっていきます
2018-05-15
 過疎の地域のお寺さんのお話です。一件お葬式ができると一軒門徒が減ると言われます。
一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなって、
若い方子どもさんがいないことはないけれども遠方で家庭をもっていてお寺とのご縁が切れてしまうということです。
 
 これは過疎の地域のことばかりではありません。
私たちのところでも一人暮らしの高齢世帯が増えて、これから同じような事態が多くなることが予想されます。
 
 昨日一人暮らしのご門徒さんがお亡くなりになりました。
子どもさんご親族もいらっしゃいますが、ご事情があってお家のお仏壇やお墓を誰が守るのか
これからのご相談になりますが、一軒ご門徒が減るということです。
 
 ただ私たちの南無阿弥陀仏のご法義はこの命終わるというご縁でつながるご縁といただけるのです。
縁が切れるのではなくいよいよつながるというのがお念仏のご法義なのです。
 仏さまのつながりです。
親子とか夫婦とか兄弟とか親族とか、そうした私たちの人間関係の縁を支えてくださるご縁とでもいいましょうか。
 仏さまのご縁でいったら今日お参りの皆さんともみんなつながっています。
そのご縁つながりの中心に阿弥陀如来という仏さまをいただくという教えです。
南無阿弥陀仏のご法義を聞かせていただく尊いご縁なのです。
 
 悲しみのご縁ですが、初めて仏さまのご縁に遇うという人もたくさんいるのではないでしょうか。
早い遅いではありません。今こそ仏さまのご縁をいただきましょう。
 どうか阿弥陀さまのお救いの法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよという仏さまのお心をいっぱいいただいて今日はお通夜、明日はお葬式です。精いっぱいお勤めさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.15)
 
納骨する日って決まっていますか?
2018-05-14
 今朝は雨上がりということもあって、朝日がぱーっと光り輝いて気持ちいい朝を迎えました。
 
 昨日は四十九日満中陰のご縁がありました。いつもはお勤めの後に納骨をさせていただいています。
ちょうど雨が降っていました。お家の方から「雨が降っていますが、納骨しますか」と聞かれました。
何かその様子雰囲気がちょっと気になってお話を聞きましたら「今日納骨しないといけませんか」と言われました。
 
 いつ納骨するか、決まりはありません。
49日間の中陰の期間、お仏壇の横に法名(位牌)とご遺影そしてお遺骨をご安置して七日七日のお勤めをします。
そして49日を迎える満中陰のご縁に親戚有縁の皆さんも一緒にお勤めをして、その後納骨することが多くあります。
 
 ただこのたびのご縁は、急に大切な方がお亡くなりになったということです。
今まで当たり前のように一緒に暮らしていた家族が生活の場から急にいなくなったということです。
心の整理がつかないというか、大切な人の死を受け入れられないというか
人の命を終えてその懐かしいお姿に会うことはかないませんが、遺骨というかたちが残っているということで
もう少しお家にご安置して一緒に生活したいということなのでしょう。
 
 納骨すると仏間の様子が平生に戻ります。大きな節目のご縁として、平生の生活に戻るということですが
それがそのまま死を受け入れることになるかというと、難しい。
 ご遺族の方にとってはいろいろと思い返すこともあると思いますし、これでこうだと思いきることはできません。
 
 それではいつ納骨するかということで、私の方からお盆前にはしましょうと提案しました。
というのは、どこかで納骨しないとそれこそいつまでもということで
これまでにも10年ぐらいずっと床の間にお遺骨をご安置していたお家がありました。
 
 墓地や納骨堂といった納めるところに納めたらいいのです。
そしてお墓にお参りして先に往かれたお方に会いに行けばいいと思います。
 
 凡夫の情です。こうなんですよこうしなさいと言わてもそのまま受け入れるには、時間もかかります。
時間がかかってもどこかで決めなければなりません。
 
 南無阿弥陀仏のご法義は人と人との別れはあっても、仏さまとなってずっとこれからもつながっていくというご法義です。ナンマンダブツとお念仏を申すところに先に往かれた大切なお方が仏さまとなって
私といつも一緒に生きてくださってあると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.14)
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