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お念仏を申す生活法話

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5月になりました

2021-05-01
バラ一輪(2021.5.1.11:40)
 5月になりました。
新緑の候です。緑が本当にきれいです。

 今日は朝方雷が鳴って急な雨になりました。
わずかな時間でした。
 6時の梵鐘を撞きに外に出ましたら
清々しい風が吹いてとても気持ちがよかったです。

 五月のいい時候です。
新しい月になって心新たにこの一か月を始めましょう。

 今朝の御和讃は
「無礙光仏のみことには 未来の有情利せんとて
 大勢至菩薩に 智慧の念仏さづけしむ」
(無礙光仏は未来のあらゆるものを救うために
 勢至菩薩に智慧の念仏を教え授けてくださった)
から始まりました。

 『正像末和讃』の「三時讃」といわれるところで
末法の世においては聖道の教えは衰え
弥陀の本願のみ教えはいよいよ盛んであるから
浄土の教えに帰すべきことを勧められます。
 弥陀の本願の教えこそ
お釈迦さまが説かれた教法の結論であると示されるのです。

 「智慧の念仏」「信心の智慧」と
何度も拝読させていただきます。

 阿弥陀仏よりいただいた念仏は勢至菩薩の念仏となり
「智慧第一」と勢至菩薩の化身と讃えられた法然聖人の
お勧めくださる念仏となって親鸞聖人に届けられ
私たちに勧められるのです。

 南無阿弥陀仏の智慧の念仏です。
生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救うと
法蔵菩薩が本願を建てられ成就されて阿弥陀仏に成られた
おいわれを聞かせていただくのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
どんな人もそのまま救われて
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
さとりの仏さまにさせていただくのです。

 「本願を信じ念仏申さば仏に成る」
浄土真宗のみ教えです。
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞き信じまかせて
お念仏申す身にさせていただきます。

 肝要は毎月一日に拝読の御文章「聖人一流章」です。
最後に今月5月は『浄土真宗の教章(私の歩む道)』を
皆さんでご唱和させていただきます。

 今月もお朝事のご縁に共々に遇わせていただき
お念仏申す生活を続けてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.1)


私たちの人生会議です

2021-04-30
わが家のバラ園です(2021.4.30.16:50)
 昨日の大分合同新聞『東西南北』から思うことです。

 筆者の親御さんが9年前に亡くなって悔むことがあると
がんで入院し本人に言い出すことなく
延命処置をしながら最期は寝たきりになったといいます。

 残された時間は少ないことを伝え
どう過ごしたいのか
ちゃんと希望や思いを聞いておけばよかった
 治療にこだわらず好きなように過ごす
時間を作ることもできたのではないかと。

 難しいですね。
その時になってどうするかということですが
死にまつわる問題は中々言い出せない
元気なうちは他人事で
差し迫ってからではためらってしまうと言われます。

 国がもしものときに自分が望む医療やケアについて
家族らと話し合う「人生会議」を
提唱しているということです。

 もしもの時とは死に向き合うということです。
日常タブーなことですが
どんな人にも待ったなしの人生の大きな問題です。

 それは私が老いたとき病んだときのことではなく
この私の今の問題なのです。

 死を見つめることです。
「死を思うことは家族や大切な人を思うことでもある。
結局どう生きるのかを問われているような気がする」
とコラムは結ばれています。

 人生会議に医療福祉関係者だけでなく
私たち僧侶宗教者にも入ってほしいとの提言も聞きますが
お坊さんは命生きてある間はお呼びではありません。
 お坊さんが入院見舞いに行くことさえ嫌われます。
そして亡くなったら早速お坊さんの出番になるのです。

 仏教は生死の解決を一大事とする教えです。
医療福祉の現場にふさわしくない教えではなく
老いていく人病んでいく人死んでいく人に寄り添う
すべての人に開かれた教えなのです。

 御仏前で生死の問題を考えましょう。
人間が自分なりに考えることではなくて
仏さまの教えに聞かせていただくことです。

 仏さまのご縁はある意味私たちの人生会議だと思います。
お念仏申して阿弥陀さまの大悲のお心
南無阿弥陀仏のおはたらきに生かされて
今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.30)


雨の日には雨の日の生き方がある

2021-04-29
雨の朝になりました(2021.4.29.6:00)
 朝から大きな雨が降り続いています。

 今日4月29日は「昭和の日」で祝日です。
元は昭和天皇の「天皇誕生日」で
その後「みどりの日」になりました。
 私が生まれてこの方ずっと祝日に変わりありませんが
私たちにはこの日は「三佐のお祭りの日」です。

 三佐の先人の知恵と工夫を思います。
神社の祭典はお祀りする神々の由来で決まった日でしたが
戦後私たちの生活のあり方が大きく変わるなかで
血縁地縁のつながりが薄くなり
会社勤めの個々の生活が中心となって
仕事を休んでまでお祭りに出る感覚が少なくなり
今は全国的に有名な祭りも土曜日曜といった
一般企業の休日をとってするところが多くなりました。

 三佐の祭りもそうした事情もあって
早い段階で4月29日の祝日にしたのではないでしょうか。

 神さまのことを人間の都合で変えることへの
反対批判もあったと思いますが
この日と決めてくださってお祭りの準備から
一年の計画が立てられるということです。

 前日28日の宵宮から今日29日にかけて
町内の山車山車が三佐中を練り歩き
人も多く賑やかに皆さんの心が浮き浮きしたものですが
去年今年とコロナ禍の状況下で
中止か延期か内容変更かなどと
関係者は大変なご苦労ご心労があったと思います。

 コロナだから中止も仕方がないと言われます。
コロナなのに何でするのといった見方もあります。
 ただ外から見る人の見方と
その中で今までやってきた方実際に携わる方の思いは
若干どころではなく大分違うように思います。

 そういうなかにあって今日の雨です。
「雨の日には雨の日の生き方がある」の言葉を思います。
 いつも晴れの日ばかりではありません。
雨の日もあって私たちは雨の恩恵もいただいています。
 
 ただ行事をするときなど雨は嫌われます。
何で今日は雨なの晴れてくれなかったのと
雨を恨めしく思うこともあります。

 雨の日も生きているんですね。
生きていくんですね。
 だったら雨の日の生き方生きる工夫をして
雨の日もよかったといえる一日にしたいと思いませんか。

 お念仏申す生活とお話をさせていただいています。
南無阿弥陀仏とお念仏を申し
生きる依りどころに立ち返って
今日の一日を始めさせていただく有難さです。

 お念仏の先人は
お念仏を申して阿弥陀さまに相談されたと言われます。

 雨の日ですがお念仏申して生き生きと
阿弥陀さまの大悲のお心南無阿弥陀仏のおはたらきに
生かされて今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.29)


仏さまのご縁をいただきましょう

2021-04-28
 直葬という葬儀のあり方が
この近くでも増えてきているという話です。

 直葬とはお亡くなりになって通夜葬儀はしなくて
ご遺体を葬儀社などにご安置した後直接火葬場に送って
お遺骨も持って帰らないこともあるということです。

 近所のお付き合いがあった方の話です。
亡くなったことも知らされず
お参りしたくてもお遺骨もないと断られて
後々そのお家の方とお話する機会があったそうです。

 何で?と聞いたら
「うちは無宗教だから」という答えだったそうです。
 世間的なお付き合いのある70代80代のいいお歳の方が
無宗教だからといって直葬で葬儀を済ませ
遺骨を持って帰らないことが
ちょっと分からないという話です。

 無宗教ということを理由にしているとしか思えませんが
ここは私たち僧侶の責任を感じます。
 日頃から言うべきことを言っていない
仏さまの教えを伝えていないことを深く反省させられます。

 よく「お寺さんだからお坊さんだから
そんなことを言うんでしょう」と言われます。
 逆に「お坊さんだから敢えて言うんです」と言います。
お坊さんが言わなかったら誰が言うのということです。

 日常生活のなかで仏教の教えに遇うご縁が
少なくなってきていることを痛感します。
 お葬儀は家族葬で
ご法事も極々身内で済ませるようになりました。

 難しいことをいう近所の人も
親戚の者もいません。
 昔から言ってる皆がしていることに耳を貸すことなく
自分たちで思うように勝手に決めていけるのです。

 仏事のことはお寺に相談して聞いて下さいと言いますが
今はネットで自分の都合のいい情報だけ聞く始末です。

 仏さまのお話を聞いてほしいのですが
お坊さんの話はいつも同じ話だからと
一回聞いておけばいいというようなことを言われます。

 仏さまのお話はいつも同じ南無阿弥陀仏のお話です。
同じ話でも聞いておく
ご縁ご縁に聞かせていただくことが大事なのです。

 知識としてではなく
私のいのちのあり方を聞かせていただきます。

 人に生まれた私たちの命はいつかは終わりますが
死んだらおしまいゴミになるのではなくて
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまのいのちと成り
迷いのこの世に還って来て有縁の人々を護り救うという
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくのです。

 念仏一つでどんな人も救われるご法義を
共々に聞いてくれよと仏さまのご縁をいただきます。

 今日もこうして御仏前に座らせていただき
お念仏申して仏さまのご縁を有難くいただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.28)


筍の炊き込みご飯

2021-04-27
 春はお花もきれいですが
春野菜など収穫するものも
たくさんあって楽しみです。

 ちょっと旬を過ぎましたが春は筍です。
いろんな料理がありますが
この前筍の炊き込みご飯をいただきました。

 炊き込みご飯のお話です。
炊き込みご飯が大好きなご門徒さんが
出来立ての炊き込みご飯をまず仏さまにと
お供えされていたそうです。

 お寺のご縁のご法話で
「お仏飯は白い蓮の花を表現したものです」と聞いて
炊き込みご飯はお仏飯にふさわしくないと思われたのです。

 正信偈には「分陀利華」という言葉で
お念仏の人を清らかな白蓮華のような人と讃えて
私たちの目の前のお内陣にも白い蓮に花が描かれています。

 お仏飯がそういうお心を表しているのなら
白いご飯がふさわしいのでしょうが
お仏飯は仏さまが召し上がるものではありません。

 お仏飯は私たちが毎食頂く食べ物の代表で
尊い命を恵まれておかげさまで今日もこうして
生きていけますありがとうございますと
感謝の心をお仏飯という形で
自分が口にするより先に炊き立てを仏さまにお供えして
お下がりをいただくのです。

 大切なのは
白いご飯は白蓮華だという知識より
何よりもまず一番に
炊き立てのご飯を仏さまにお供えしようとする
お気持ちでありお念仏申す生活習慣です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.27)

 ★『御堂さん』2013年2月号「仏事の小箱」を
   参照させていただきました。


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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