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お念仏を申す生活法話

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「念仏の いのちの花を 開かせて 同じ浄土の 花となる」

2024-04-06
 今日も朝から曇り
そして昼から雨模様です。

 まだかまだかと待ちこがれた
桜の開花宣言が3月30日にあって
昨日4月5日には満開宣言でしたが
ここずっと天気がすぐれません。

 どんより曇った空から
花散らしの雨が早々に降ってくる事態でしょうか。

 見れるときにしっかり見ておかないと
いつの間にか桜の花が散って
また来年ということになるかもしれません。

 歳を重ねていくなかで
今年の桜が見納めになるかもと
ちょっと心の片隅で思いながらも
時は淡々と過ぎ行きます。

 「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠まれた
良寛和尚の心境に思いをはせます。

 青空のなかをひらひらと風に吹かれて散る桜
突風に煽られて舞い上がって散る桜
雨とともに散る桜
桜の散り様はそれぞれですが
同じ大地に散って行きます。

 散る桜を見送る桜も
時間の差こそあれ
同じ大地に散って行きます。

 お念仏のご法義です。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
生き様死に様それぞれ違う私たちですが
どんな人も阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くいのちを
今ここに生かされて生きている有難さ尊さです。

「念仏の いのちの花を 開かせて 同じ浄土の 花となる」

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.6)

人に会って元気をいただく

2024-04-05
 久しぶりに同級生の家を訪ねました。
すぐ近くに在り、行こうと思えばすぐ行けるのですが
何か用事がないと行けません。

 玄関のチャイムを数回鳴らし
ドアを開けて待っていると
お母さんが出てきました。

 すぐ私が誰かわかったようで
不在の同級生宛に用件を伝えて
少し話になりました。

 母の葬儀に関する用事だったこともあり
生前同じ病院に通院していて何度かそこで会って
一緒にバスとタクシーを乗り継いで帰ったという話です。

 94歳ということですが
その時のことを詳細に覚えていてスラスラと話す様子に
元気だった母のことを重ねて思いました。

 ゆっくりですが杖をつくこともなく
自力で歩けるお姿に
「ボチボチしてくださいね」と声をかけました。

 一つ一つできることをさせていただきましょう。
若い頃のようなことはできなくなりますが
今私にできることです。
 杖のお世話になるときはなりましょう。
周りの方々の支えがあって
若いときも老いたときも
いつでもどこにいても
生かされて生きていることを
わが身のことと聞かせていただきます。

 ご縁があって
懐かしい人に会ってお話ができて
何か元気をいただきました。
 ありがとうございました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.5)

不適切な発言

2024-04-04
 またしても某県知事の不適切な発言です。
入庁式で新入職員を前に激励のエールをおくる訓示が
いろんな職業に携わる人を差別する発言になったとの
指摘です。

 知事は改めて発言の真意を述べる会見で
「マスメディアに言葉を切り取られて
私の真意が伝わっていない」としたうえで
唐突に知事を辞職する意向を述べて退席しました。

 これまでにも何度もあったことです。
話の内容はそれぞれ違いますが
その話しぶりはその場にいる人を持ち上げるのに
他者を貶め軽んじて比較するという同じ手法です。

 わかりやすくて受けがいいとでも
思っているのでしょうか
その場の雰囲気を和ませるかのように思い込んで
政治家がよく口にする発言です。

 実際こうした発言は身内の会でよく行われることで
会場の笑いを取るようなこともあって
こうした発言がずっとまかり通ってきたのでしょうか。

 私たちも日常生活を営むなかで
人人と向き合い言葉を交わして生きています。
 言葉はお互いの思いをはかり
人間関係を円滑にする大事な手段ですが
逆に人を傷つけるようなこともあります。

 特に公の人の発言は
その発言が及ぼす影響はよくも悪くも大きなもので
発言には十分配慮が必要ですが
口達者な方ほどその場の雰囲気に流されて
リップサービスのように
言わなくてもいいことまで言って
逆効果なこともあります。

 私たち僧侶も大衆にご法話という
仏さまのお話をする機会があります。
 仏さまの教えのお取り次ぎですから
そのまま話せばよいことですが
わかりやすく聞いていただけるように
世間のたとえ話などを織り込んで話すことがあります。

 お話をどう受け止めるかは聞く人の心情ですが
話の内容によっては
嫌な思いをする方もいるということです。

 お寺の本堂や大きな会場に招かれて
お話をするときに
人数が多いことを自分の手柄のように勘違いして
大衆受けするお話をするようなときに
落とし穴が待っています。

 ご法話のお取り次ぎは
僧侶からあなたへの
一方通行のその場限りのご縁ではなくて
話し手も聞き手も
同じ仏さまのご縁をいただいて
仏さまのお心を共に聞かせていただくことが肝要です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4。4)

過去帳の空白 ※転載

2024-04-03
 「どんな人だったのかなと、あれこれ想像しながら
手を合わせています」

 古くからの門徒さんですが
毎朝、お内仏にお参りされるときに
過去帳を開いては
その日がご命日に当たる人を思われているのです。

 この家に嫁いで半世紀
それでも江戸時代の終わりごろから、平成の時代まで
過去帳に記入してある十四人の名前の中で
実際に知っているのは、わずか三人で
他の十一人は、話だけは聞いているか
古すぎて話にも出てこない人です。

 でも、それだけに
「あれこれと空想する楽しさがある」と
言われました。

 ああ、この人は明治維新を体験されたのだとか
こちらは戦争ばかりの時代で大変だったろうなとか
そんなことを思うのだそうです。

 なるほど、そうすれば
単に見も知らぬ人ではなく
過去の人が今に生きる人に変わりますし
お仏壇という形で
代々伝えられてきたものの大切さも
より深く感じることができるのではないでしょうか。
 
 そして、もっと言えば
十四人の名前がある過去帳でも
空白のページの方が多いのです。

 二日の欄に一人
六日に二人の名があり
三日から五日には何も書かれていません。

 しかし遡れば
ご先祖の数は何千人にも何万人にもなるのですから
名前は分からなくても
毎日毎日が、どなたかのご命日なのです。

 実際に顔を見て言葉を交わした人だけが
縁のある人でもなければ
名前が載っている人のみがご先祖ではない。
過去帳の空白は、それを告げているのです。

  ※菅純和著「仏事の小箱」
         『御堂さん』2024年4月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.3)

日本人全員が「佐藤さん」になる

2024-04-02
 約500年後に日本人全員の名字が
「佐藤さん」になるかもしれないという報道に注目です。
 
 東北大学の研究機関が発表した
選択的夫婦別姓にしない場合の試算ですが
未婚率が増加し出生率が減少するなかで
今名字で一番多い「佐藤さん」が
年々確実に増え続けるということです。
 
 全員が「佐藤さん」になると
私たちの社会生活に大きな支障が出てきます。
佐藤さんだらけではその人人の判別が難儀になります。
 
 お寺の門徒さんのことでいうと
同じ名字の方が様々にたくさんいます。
 電話で「どこどこの○○ですが」と名字を名乗られても
同じ集落に同じ名字の方が多く居て
「○○のどなたですか」と聞き返すことがしばしばです。

 これが「佐藤さん」一色になると
今の名前とは違う
個々の判別法を考えなくてはなりませんね。
 
 選択的夫婦別姓に慎重な代表的意見は
夫婦別姓になると家制度の根幹が揺らいで
家族のあり方そのものが
根本的に変わってしまうというものです。
 
 今の家族のあり方です。
人口は都市部に集中し続けて
今や核家族が普通の家族のあり方になりました。
 もはや以前の3世代4世代が同じ屋根の下で暮らす
大家族の有り様はなくなり
旧来の家制度は実質なくなっているというのが
現代社会の現実なのです。

 このことはこれからのお寺のあり方にも
直接関わる問題になってきています。
 
 同じ地域でお寺を取り巻くように
日暮らししていた門徒衆が
都市部に移り住むようになり
寺離れが進んでいます。

 墓じまい仏壇じまいの話題が
テレビ新聞に普通に取り上げられるようになりました。

 ご門徒の減少はお寺の存続の危機です。
お寺をいかに護持運営していくのか
喫緊の重い課題ですが 
ここはお念仏のご法義中心に
本来のお寺のあり方を見直す
チャンスでもあると思うのですが
皆さんはどう考えますか。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.4.2)

円光寺
〒870-0108
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