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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏のお念仏の鏡です

 昨日大分の桜の開花宣言がありました。
お寺の境内のしだれ桜も数日前から開花ということですが
何かいつもと違います。
 何でもコロナウイルスの影響といってしまってはいけないのですが
何か春を迎えるお花見に行こうという気分になれません。
 
 ただもう春は来ています。
そろそろ身支度をして外に出ろうということになるといいなあと思います。
 
 自粛といいます。
ある意味自分を見つめることかなと思ったりします。
 自分を見つめるといってどんな見方で私たちは自分を見るのでしょうか。
自分で自分を見るということでしょうが
どうしても自分に甘くなる見方になってしまいがちです。
 
 仏法を聞くことを仏法の鏡を見ることと言われます。
南無阿弥陀仏のお念仏の鏡をいただきます。
 こうして皆さん仏さまの方に身を向けてますよね。
仏さまの鏡にあっているのです。
 
 朝起きて鏡を見ます。
外出する時も鏡を見ますね。
 鏡を見て髪をとぎ顔を整えます。
直すのです。
 鏡を見ないとこの顔自体は見えないわかりません。
鏡を見て顔にご飯粒がついていることに気づいて直すのです。
 
 南無阿弥陀仏の鏡本願念仏のみ教えです。
お念仏の鏡にありのままの私が映し出されます。
 私が私がと自分中心に生きて苦悩する私を知らせて
そのままお念仏申す私に直してくださるのです。
 
 お念仏の携帯の鏡がついて離れず私にご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申して今日も一日阿弥陀さまと共に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.26)

東京オリンピックパラリンピックの延期が決まりました

 昨日東京オリンピックパラリンピックが1年延期になったというニュースです。
最近ずっとテレビは終日コロナウイルス感染のことでオリンピックは聖火リレーはどうなるのかと
ああだこうだと意見百出でしたが
責任ある立場の人同士の電話会談で一つの方向性が決まって
関係者特に選手の皆さんはほっと一息ということでしょう。
 中止になるとの懸念がありましたが中止ではなく延期ということです。
 
 今いろんな行事がお寺の行事も中止になっています。
延期ではなくて中止です。
先が見えないということでの中止です。
 
 私たちのいつもの行事とオリンピックでは大分意味合いが違います。
お寺の行事でいえば今年の彼岸会を中止しても来年また彼岸会はやってきます。
 お彼岸の時期は決まっていて延期ということは考えられません。
3月のお彼岸の頃に勤める彼岸会を4月や5月に延期しますといってピンときません。
 
 昨日は小学校の卒業式が多かったようです。
卒業式は中止ということはありません。
 卒業式はその人にとっては一生一度のことなのですから。
 
 卒業式をどのようにするかの工夫です。
テレビで昨日の卒業式の様子を観ましたが
私たちがイメージする卒業式からいえば変則です。
 コロナウイルスの感染防止のためです。
親御さんは式の会場に入られないとか
クラスごとに時間を分けて卒業証書の授与があったところもありました。
 それぞれです。
 
 9年前東日本大震災の時もちょうど卒業式の時期で
とても卒業式ができなかったという状況でしたが
落ち着いてから随分時間をおいて卒業式をしたところもありました。
 
 工夫です。
私たちが生きるということもそうだと思います。
 こうしなさいああしなさいこうしないといけないこうするべきだと言われたら窮屈でたまりません。
そしてみんながみんな言われたようにできるはずがありません。
 
 それぞれなのです。
それぞれの生き方それぞれの生活ぶりがあって
それぞれの私をそっくりそのまま引き受けてご一緒してくださるのが阿弥陀如来さまのお救いなのです。
 
 「南無阿弥陀仏をとなうれば」で始まる現世利益和讃を今日明日といただきます。
「この世の利益きわもなし」と続きます。
 お念仏にこれ以上のご利益はないというんです。
それは病気治癒とか商売繁盛家内安全といった自分の都合に合わせたご利益のことではなく
私がこの世に生まれてきた意味が明らかになるということなのです。
 
 人の世に生まれて阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法に遇わせていただくということです。
お念仏申す身にさせていただいて南無阿弥陀仏の大きないのちに支えられ護られ生かされて
今日の一日も往生浄土の人生を生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.25)

私の都合あなたの都合みんなの都合

 東京オリンピックパラリンピックの開催について
延期を含めた話に入るということです。
 
 この社会の事柄は何についても一人でできることはありません。
そこに二人三人と人が入ればそれぞれの都合があります。
 その事柄が大きくなればなるほど今回のオリンピックでいえば
世界中の都合を思いはかってのことで
こっちを立てればあっちが立たずで中々物事が決まりません。
 
 ただ決めなければなりません。
10人が10人ではありませんが大方皆さんが「ああそうやな」と納得できる形で
政治の世界では根回りというのでしょうか
関係者の方々に連絡を取りながら決定するということです。
 
 コロナウイルス感染が急に身近なものになりました。
予定していたことを変更しまた変更するという事態です。
 先行きが見えない不安が判断を難しくします。
そして私の都合が大きくなります。
 
 私たちのこの社会生活はお互いが生きているということです。
今5人の方が円光寺の本堂にいらっしゃいます。
 この時間この場所に皆さんの思い一つに阿弥陀さまのご尊前に座ってらっしゃることです。
皆さんの都合が合ったのです。
 
 みんながいつでも一つになればということですが
そのこと自体も私の思い私の都合です。
 思いが一つになるそれぞれの都合を合わせることの難しさです。
 
 家庭生活の中もそうだし地域社会の中でも会社組織の中でも
自分の都合を言い張っていくばかりではうまくいかないし
時には他の人の都合に合わせることでお互いに思い合って共々に生きていくということでしょう。
 
 仏さまのご縁に遇って皆さんと共々にお朝事のお勤めができて
今日の一日をまた始めさせていただくことを本当に有り難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.24)

私のお寺です

 今日で春のお彼岸の期間が終わります。
先程梵鐘をついて本堂の方を見ると本堂の入口の電気がついていました。
朝6時の時間も周囲が明るくなって本堂に戻って電気を消しました。
 今からいよいよ明るくなってきます。
 
 昨日まで三連休という方もいて東京のお花見の風景をテレビで観ました。
コロナ対策での外出の自粛は少し弱くなった感がありますが
宴会は禁止ということでいつもとは違ってそれぞれにお花見を楽しんでいるようです。
 
 大分は今大変です。
次から次に感染者が出てそれもこのすぐ近くの病院でのクラスターということで
コロナ禍が急に身近になりました。
 今は我慢の時辛抱する時だといわれます。
ただこれがいつ収束するのかわかりません見通しが全くと言っていいほどつきません。
 この緊急事態にあって私にできることをさせていただく
日々の営みを思います。
 
 先日はお彼岸のお中日のお勤めをさせていただき
久しぶりにご門徒有縁の皆さんにお会いできましたが
やむなく中止せざるをえない今の状況です。
 このお朝事も中止かどうかという話になるのかもしれませんが
本来お寺はいつも開いているところです。
 何の行事でということではなく
どうぞ皆さんご縁ご縁にふらっとお参りに来てください。
 
 自粛自粛で何かどこかここかすべてが閉ざされていたら
それこそ行き場のない私になってしまいます。
 その私にここにあなたの居場所があるよと用意してくださってあるのが
このお寺、皆さんのお寺、私のお寺なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.23)

「今はそんなこと言わないでくれ」

 毎月3回届く本願寺新報に「みんなの法話」のコーナーがあります。
3月20日号を読んで考えさせられました。
 
 お寺の役員さんが余命数か月という告知を受けて若院さんがお見舞いに行くことになったといいます。
何と声をかけていいものか心の準備をしていったそうですが
中々言葉も出ないなかで「よく来てくれたね」と声をかけてくれたそうです。
 そして何もできないなかで気がついたら
「一緒にお念仏申しましょう。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏と、あらゆるいのちに入り満ちてお念仏となってくださいます。
いのち終えたらお浄土がありますよ…」と口走っていたそうです。
 
 いつもご法座にお参りされている方だから喜んでくれるのかと思ったら
「ぼんちゃん、言いたいことはわかるで。でもな、今はそんなこと言わないでくれ。
こんな病気に負けない。またみんなの前に元気になって立つから。
今は仏さまとか、お浄土があるとか言わないでくれ」と言われて、ショックだったというお話です。
 
 私にも心当たりがあります。
お坊さんだからと何か力が入って仏さまのお話をしなければとなるんですね。
 聞かれる人の今ある状況を考えることもなく
一方的なお話になってしまうのです。
 仏さまのお話です。
本当のことであってもその人が今聞きたいことではないのです。
 
 それから毎週お見舞いに行ったそうです。
会うたびにお姿が変わっていくなかで
ある日帰り際に「ぼんちゃん、一緒にお念仏しよう」とおっしゃって一緒に念仏申されたそうです。
 それが最後になったといいます。
 
 思い通りにならない体を抱えて毎日不安に押しつぶされそうになりながら生きていく中で
どんなことが起こったのか想像するしかありませんが
仏さまのご縁に聞いていた仏さまのお話が聞こえてきたのではないでしょうか。
 
 仏さまのご縁は日頃からのご縁です。
常日頃からお聞かせいただく聞いておくことが大事です。
 その時になって聞こうと思っても難しいです。
聞いておくことです。聞いておけば思い起こすこともあるでしょう。
 
 仏さまのご縁は阿弥陀さまと一対一のご縁です。
そこに他の人がお坊さんであっても立ち入ることはできません。
 
 阿弥陀さまのお救いはそのままのお救いです。
どんな状況にあっても苦しい中にも阿弥陀さまのお慈悲は南無阿弥陀仏となって届けられているのです。
 いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださる大安心の中に
この身を生きそして安心していのち終えていくことができると日頃から聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.22)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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