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お念仏を申す生活法話

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今年も桜の花がきれいに咲きました

 昨日平和公園にウォーキングに行きました。
いつものこの時期でしたら大勢の花見客でにぎわっているのですが
さすがにこの状況ですから大人数で焼き肉をしたりお酒を酌み交わすといった光景はありませんでした。
 
 ただ人は多かったです。
自粛自粛と言われて家の中に閉じこもるような生活が続いたら精神的にもよくありません。
 昨日は特に温かく青空のもとで外に出てということなのでしょう。
桜の花もほぼ満開でとてもきれいでした。
 
 お寺の境内のしだれ桜です。
今年は中々桜の花が咲いてくれません。
 花が咲くかなと思って見てたら葉っぱがどんどん出てきています。
多分このまま満開の時期もなく終わるのでしょうかね。
 
「桜は来年も咲きます。
桜は来年帰ってきますがコロナ禍で亡くなる人は帰ってきません。
今年はちょっと我慢して家で自粛しましょう」と著名な方からのメッセージです。
 
 昨日お参りで高齢のご門徒さんとその話になりました。
確かに来年も桜は咲くだろうが果たして来年の桜を見れるかどうかわからないと
これはこの私の事なのです。
 私たちは今日できないことがあっても明日があると何か当たり前のように思っていませんか。
しかしどんなに若い健康な人も誰しも明日があるという保証はありません。
 
 諸行無常の仏法の道理のなかに私たちはみんな日暮らしをしているのです。
花の命は短くてと桜の命に我が命を重ねて桜を愛おしく思います。
 鮮やかに咲いたこの満開の花もいつかは必ず散ってゆきます。
今年の花と来年の花は同じように見えてみんなそれぞれ違うのです。
 
 私たちの命はそれぞれにかけがえのない命です。
だからこそ命を大切にしましょうといわれるのです。
 この命です。縁あって人の命を恵まれて生まれてきました。
そして今こここの私を生きています。
 
 お釈迦さまは
この私が人の命を恵まれて生まれてきたのは
仏さまのみ教えに遇って今度こそは仏さまのいのちに生まれるためなんだよと
だからどうか仏法に遇ってほしい仏法を聞いてほしいといわれるのです。
 親鸞さまは阿弥陀さまのご本願のお心を聞いてお念仏申す身にさせていただきましょうと
今日もこうしてお手紙をくださりお念仏を勧められているのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.5)

先に往かれた方もお浄土ならば後に遺った私もまた同じ浄土に生まれさせて戴きます

 今日はお葬式があります。自宅葬です。
コロナウイルスのことでお家で極々身近な方たちでのご縁で昨日はお通夜でした。
 
 14、5人ほどの人数で亡くなられた方のきょうだいの子どもさんたち喪主のいとこの方々がお参りでした。
お正信偈のお勤めが大きな声でご一緒にできました。
 今は葬儀社でのお通夜が一般的で
お正信偈のお勤めもお坊さん一人だけが声に出してということで
お勤めを知っていても多くの皆さんがお参りの中で声を出すことは本当に難しいものです。
 
 お家のお仏壇ご本尊の阿弥陀さまを中心に私たちの日常のお勤めです。
お勤めの後で「皆さんよく声が出ますね」聞くと、「浄土真宗の門徒ばかり」というご返事でした。
 そこで「お寺さんは」と尋ねますと、光国寺、長光寺、専想寺、仏言寺と
皆さんそれぞれのお寺さんのご門徒さんでした。
 
 有り難いですね。
皆さんそれぞれにお手次ぎのお寺は違っても同じお正信偈さまのお勤めが自信をもって大きな声でできるんですね。
 阿弥陀さまのご法義ってすごいなと思います。
南無阿弥陀仏のおはたらきが代々受け継がれてきたお念仏のご縁です。
 
 その人人はそれぞれの人生を生きていのち終えていきますが
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに共々に生かされて
先に往かれた大切なお方を阿弥陀さまのお浄土に見送ることができるというのです。
 
 先に往かれた方もお浄土ならば後に遺った私たちもまた同じお浄土に
生まれさせていただけると聞かせていただきます。
 人の命は終えてもお念仏申すなかに
南無阿弥陀仏のいのちのつながって共々に生かされてあることを
昨日のお通夜のご縁に身をもって思いました。
 有り難く尊いご縁をいただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.4)

仏徳讃嘆仏さまのお徳をほめたたえる喜びの仏事です

 昨日百か日のご縁がありました。
そこのお家はいつも10人ほどのご親族の方がお参りになって
ご一緒にお正信偈さまのお勤めをさせていただきます。
 
 皆さん大きな声でお勤めされます。今日のお朝事の皆さんもそうです。
こうして声を出すことで声が聞こえてきます。
 私たちのお勤めは仏徳讃嘆仏恩報謝のお勤めです。
仏徳仏さまのお徳おはたらきをほめたたえお礼を申します。
 
 私たちの仏さま阿弥陀如来さまは南無阿弥陀仏のおはたらきになってくださった仏さまです。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声になって
私たちを護り救うおはたらきをしてくださってあるのです。
 
 この私はもうすでに阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに摂め取られて救われてあると聞かせていただき
南無阿弥陀仏と仏恩報謝のお礼のお念仏を申します。
 お念仏に生かされる喜びいっぱいに
今日の一日も共々に日暮らしさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.3)

コロナ感染禍のなかでのお葬式

 コロナ感染のことで愛媛県でお葬式に参列していた方々がクラスター集団感染にあったという報道です。
不要不急の自粛をいわれますが、葬儀ばかりは特にご遺族にとっては大切な方との最後のお別れです。
 
 先日志村けんさんがお亡くなりになりコロナ感染していたということで
会うこともできない葬儀もできないお遺骨を拾うこともできなくて
お遺骨となって初めてご遺族のもと懐かしいお家に帰ってきたということです。
 本当にままならない思い通りにならないことでつらく悲しいことです。
 
 葬儀も今は感染しているしていないにかかわらず
大勢の人が集まることを差し控えるということで小さな小さな葬儀になっていると聞きます。
 極端に言えば直葬という言い方をしますが
とにかくご遺体をお棺に納めてそのまま火葬し
その後時間をおいてお別れの会をするところもあるそうです。
 
 葬儀のご縁で身内の方だけではなくお友だち有縁の方々が
最期に一目会って言葉をかけたいお別れをしたいということですが
今の状況ではできることをさせていただくということです。
 
 かといって葬儀のご縁は後回しということではありません。
浄土真宗の葬儀の意味です。
 ご本尊の阿弥陀如来さまに先に往かれた方も後に遺った方々も共々にお念仏申し
阿弥陀さまのお浄土にお見送りさせていただくのです。
お見送りできる有難さをお念仏のみ教えに聞かせていただきます。
 
 どんな状況にあってもいつでもどこでも私たちと共に生きてくださり
命終わってそのまんまお浄土に往生成仏させていただけると
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただいて
今この時を安心して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.2)

4月1日新年度の始まりです

 4月1日です。年度初めです。
新しい年度になって新たな気持ちで新生活をスタートするということで
新入社員新入生のフレッシュマンが社会に飛び立つ時です。
 フレッシュマンに限らず私たちも一つ心を入れ替えてこの一年を始めましょう。
 
 始めるということについてはお正月があります。1月1日の元旦です。
元旦に一年が始まるということを朝日が昇る初日の出にイメージします。
 この4月の年度初めはやっぱり桜かなと思います。
入学式で満開の桜の花が新入生を迎えてくれるイメージです。
 気持ちを晴れ晴れと一新してこの一年の新生活を始めるということです。
 
 一年の始まりは正月元旦であったり新年度4月1日であったりですが
一月の始まりはこの1日、一週間の始まりは月曜日でしょうか
そして一日の始まりはこのお朝事です。
 
 毎月1日の御文章さまは「聖人一流章」をいただきます。
原点に返るということをいいますが
蓮如上人はこの「聖人一流章」に浄土真宗の肝要をお示しくださっています。
 
 今はコロナウイルスのことで毎日何かを引きずっているような状況で
いつもの新年度に入った感覚ではありませんが
新年度がスタートしました。
 お念仏を申すなかにこの一年この一月この一日を大切に生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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