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お念仏を申す生活法話

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ナンマンダブツとお念仏申してお礼をさせていただきます

 5月に入りました。
今日のご和讃は最初に返って「弥陀成仏のこのかたは」で始まりました。
 新たなスタートです。
月も変わって今のコロナ禍の状況が少しでも良くなればと思います。
 
 昨日はHMさんのお通夜のご縁でお参りさせていただきました。
葬儀社の方からも言われていましたが皆さんマスクを着けてということです。
 私もマスクを着けて入場しお勤めの間はマスクを外して声を出させていただきましたが
読経の後マスクを着け直して皆さんの方を振り返ってみるとちょっと異様な光景でしたね。
 皆さんが一様にマスクをしているのです。
事情が分からなかったらちょっと後ろに引きますね。
 
 このような事態で家族だけでお通夜お葬式をというご遺族の思いでしたが
たくさんの人がお参りでした。
 その人人が歩んできた人生の道すがら
多くの方との出会いがありお互いに支え合い生かされ生きてきた証しです。
 
 お寺のことでいったら仏教壮年会の皆さんとご一緒にお通夜のお勤めができたらと思って
ご遺族にもご了解をいただいて壮年会の方もたくさんお参りでした。
 お正信偈さまのお勤めが大きな声でできました。
お通夜のご縁で私たちお念仏の同行の行儀が一堂にできるという有難さです。
 
 人と人とのお別れです。
お念仏ひとつでお別れをさせていただけるということです。
 万感の思いをもってナンマンダブツとお念仏申して
大変お世話になりました有難うございましたとお礼をさせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大いなるおはたらきです。
ナンマンダブツとお念仏申すままに人と人とのお別れが済んで
そのまんま仏さまに成ってくださった先に往かれたお方との出遇いが始まるのです。
 
 南無阿弥陀仏につながるご縁です。
大きな大きな南無阿弥陀仏のいのちのつながりおはたらきのなかに
私たちはこれからも共々に生かされて生きていけるのです。
 
 大切な人との別れは悲しいご縁ですが
そのまんま仏さまのご縁といただいて
仏さまとご一緒にお浄土への道を歩ませていただけると聞かせていただいた
昨日のお通夜そして今日のお葬式のご縁です。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.1)

往く人も送る人もみんな同じお浄土参りのお同行です

 板屋町のHMさんが昨日ご往生されました。
ずっと入院されていたということで心配していましたが
今日がお通夜で明日がお葬式です。
 
 今はコロナ感染防止のためにお葬式の様子もいつもとは大分違うようです。
緊急事態宣言があって円光寺では一件お葬式がありましたが
お家のお仏壇ご仏前での自宅葬で極々身内の方だけでお勤めしました。
 
 家族葬ということです。
皆さんもよくご存知のHMさんです。
交友関係が広くたくさんの方がお参りしたいということでしょうが
葬儀社の方から聞きますと一般の会葬者はお焼香をしたらそのまま帰られるということで
お通夜お葬式のお勤めはお寺さんと遺族親族だけでということだそうです。
 
 臨終勤行にお参りしてお通夜のご縁に仏教壮年会のメンバーだけでも
一緒にお勤めができたらというお話をさせていただきました。
 
 この命終えてお浄土参りです。
私たちはお浄土参りをご一緒するお念仏の同行ですが
お浄土に同時に往生することはかないません。
 先に往く人がいて後に遺る人は送る人です。
ただ阿弥陀さまが私たちが等しく生まれる一処をお浄土と決めてくださっているので
往くことも送ることも南無阿弥陀仏のお念仏でいいのです。
 
 先に往く人もお浄土ならば後で送る人も同じお浄土に生まれさせていただける
浄土真宗南無阿弥陀仏のお救いのご法義です。
 そしてお浄土に往きっぱなしではなくてこの世に還って来るのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりおはたらきのなかに
私たちは共々に今日もこうして生かされて生きて往くのです。
 
 人と人との別れです。
悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて
ナンマンダブツとお念仏申してお通夜お葬式のご縁をいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.30)

南無阿弥陀仏のお心を聞きましょう。今私にできることをさせていただきましょう

 今日は昭和の日の祝日でゴールデンウィーク真っただ中ですが
今年はコロナ禍でステイホームウィークということです。
 毎年4月28、29日は三佐のお祭りで山車が町内を巡行し人出も多くワイワイ賑わうところですが
何か遠い昔話のように今年は静かな静かな休日です。
 
 春は色んなお花が次々と咲いてきれいですが今は藤の花が満開で見頃です。
福岡県の八女市に大藤まつりという催しが毎年あるそうですが
昨日のニュースで棚いっぱいの藤の花を全部刈り取っていました。
 この前の土曜日曜にたくさんの方が押し寄せたということで
コロナの感染拡大防止のための苦渋の決断だったそうです。
 千葉県の佐倉市では80万本のチューリップがスーッと刈り取られて
例年10万人の人出でにぎわうフェスタが中止になったそうです。
 皆さん藤の花をチューリップを見に来るわけで
花がなかったら来ないだろうということです。
 
 自粛です。
緊急事態宣言下で人が多く集まるところに休業自粛が要請されます。
 東京大阪兵庫ではパチンコ店に休業自粛の要請があり
応じないものは店の名前を公表するといった事態です。
 そんな中にもパチンコに行く人がいて
「パチンコ店が営業しているから行くのであって開いてなかったら行かない閉めてほしい」と
インタビューに応えていました。
 パチンコ店が開いてなかったらパチンコに行く人はいませんよね。
 
 休業要請をされても補償が伴わないということで
営業を続けることで店の生き残りをはかるという店主の声です。
 一方でそれに対するSNSでの批判やコロナ感染のデマ情報も飛び交って
差別や偏見に苦しむ人がたくさんいます。
 
 政府が言うことお国が言ったことに国民は従わなければならない
従わないのは悪いことでそんな人がいるからいつまでもコロナ感染が収まらないのだと
あいつがこいつがと攻撃非難する見方はちょっと怖いですね。
 
 皆さんはどうですか。
ステイホーム家に居なさいと言われて家にずっと閉じこもっているわけにはいきません。
仕事もあります、買い物に行ったり気分転換に外に出かけることもあると思います。
 自粛生活のあり方が問われています。
私たちの生きる依りどころです。
 南無阿弥陀仏といただきます。
阿弥陀さまの仰せに順うこの一点です。
 
 ナンマンダブツとお念仏申して阿弥陀さまの仰せに順って
パチンコに行かない人もいれば行く人もいます。
 パチンコに行く行かないの行為で私たちの救いが決まるのではありません。
阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中にあって行く行かないはその人それぞれです。
 
 昨日28日の<日めくり歎異抄>の言葉は「私の都合で『いい』『悪い』」でした。
まさに私たちが生きるということはどこまでも自分の都合です。
 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくことが肝要です。
「どんなあなたもそのまま救う必ず救う」と仰せです。
 
 ご和讃に「十方の如来は 衆生を 一子のごとく 憐念す」とあります。
すべての世界の仏がたはあらゆるものをひとり子のようにお憐れみになるといただきます。
 パチンコに行くのがいいとか悪いとかあいつがこいつがという料簡でしか物事を見ることができない私たちを
憐れみ悲しむ仏さまがいらっしゃるというのです。
 私のことをいつも気にかけ思うてくださり必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまです。
私一人に向けられた南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 
 お念仏申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただいて
阿弥陀さまがご一緒くださる今日の一日
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.29)

テレワークです

 昨日初めて新院が参加するテレワークの会議を横から拝見しました。
京都のご本山から全国に発信するテレワークで
遠く北海道から九州まで25人の方が画面に映し出されていました。
 
 テストケースということで本格的な会議ではありません。
テレワークに慣れている方も機材はあっても初めての方もいたりして
パソコンの操作もそうですが会議の進め方からルールの確認です。
 みんなが一斉に話し出したら会議になりません。
進行役がいてまとめていくことですが
第一印象は何のことかよくわからない状態でした。
 
 何人もの方が一処に集まって顔と顔を合わせて話をする中で
お互いが一つの方向性を確認しながら話し合うのが会議の王道だと思います。
 ただ一方で思うのは私もご本山に会議で行くことが多かったのですが
全国各地から皆さん来られるのです。
 交通費などの経費も半端ないし時間もかかります。
数時間の会議に一日二日拘束されるのです。
 その内容は分厚い資料の説明がほとんどでいつも例年通りのことです。
資料を事前に送って確認してもらい特に議論すべきことだけテレワークですれば済むことだと思います。
 
 若い世代から言わせると今の会議は無駄が多いということです。
紙資料の多さと時間のロスです。
 一方私たちの世代でいうと紙資料に安心して
じっくり時間をかけてということです。
 
 世代が変わり人が変わり社会環境も変わってコロナ禍といった想定できないことも起こります。
まさに無常の世に生きる私たちです。
 今回の事態でこれからの私たちのあり方が随分変わるのではないでしょうか。
これを大きな契機に変わっていかねばならないと思います。
 
 テレワークの導入はこれまでも言われてきたし運用できないことはなかったのですが
今の社会の中枢にいる私たちの世代が中々踏み込めなかったんですね。
 今していることで十分できているという認識です。
自分たちが把握できてる今までのシステムを変えたくないのです。
わからないことについての不安があるのです。
 
 同じことをするのに経済的にも時間的にももっと効率的にということです。
ただすぐさま私ができるとは到底考えられないし慣れるまでの時間を考えたら
今できることでやっていく方が効率的な感じもします。
 
 新しいものを取り込んでいくことは
今までのものを捨てていくことでもあります。
 ステイホームで家に居る時間が多い中で断捨離ということが言われます。
私たちの生活を見直し捨てるものは捨てて新たな生活を始めるご縁なのかもしれません。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。 (2020.4.28)

マスクが身につきません

 お朝事のお勤め前にマスクをしていないことに気がついて
喚鐘をつく前にマスクを着けに庫裡に戻りました。
 コロナ禍のなかでつとめてマスクを着けるように心がけていますが
これが中々身につきません。
 
 お念珠も身につかないことがあり
皆さんのお家にお参りに行きお仏壇の前に座ってお念珠がないことに気づくことがあります。
車の中に置き忘れることもありますし家に忘れてきたということもありました。
 
 身につくことって本当に難しいなと思います。
マスクもお念珠もいつもこの身に付いて備わっているものではありません。
身につけるように心がけねばなりません。
 
 日頃から身につけることの大切さです。
大事なものこそ身につくものですが
人生の最後の最期命終わるときに私の身について離れないものって何でしょうね。
 
 健康が大事といって病気になって死んでいきます。
お金が大事といっても棺桶にお金を入れて火葬されることはありません。
せいぜい紙でできた六文銭を持たせてくれるのが関の山です。
家族や大切な人とも別れていなければなりません。
 これが大事と思っていたもの何一つ持っていけるものはありません。
ただこの身このままです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏です。
南無阿弥陀仏が身についてお念仏申す身にさせていただきます。
 忘れたといって取りに帰ることもありません。
南無阿弥陀仏がいつもこの身についてくださるからただ今この時にナンマンダブツとお念仏申せるのです。
 
 阿弥陀さまがついて離れずご一緒してくださるのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにいつでもどこでもあるということです。
 
 阿弥陀さまの言うことを聞かず背を向けてどこまでも自分中心に生きているこの私をそのまま見抜かれて
私が救われていく全ての手立てを南無阿弥陀仏と仕上げて届けてくださっているのです。
 
 嬉しいときもナンマンダブツ悲しいときもナンマンダブツと
いつでもどこでも南無阿弥陀仏と阿弥陀さまがご一緒です。
 
 ナンマンダブツと声に出せば隣の方に聞こえます。
お念仏のご縁が広がっていきます。
 阿弥陀さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに私もあなたもあるのです。
 
 今ここ阿弥陀さまのご仏前に座らせていただいてナンマンダブツと私の口からお念仏が出てくださるのも
南無阿弥陀仏のおはたらきお育てがあったからです。
 皆さんご一緒にナンマンダブツとお念仏を申して今日の一日を始めさせていただける有難さです。
私一人じゃない南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに皆さん共々に
ナンマンダブツとお念仏を申して阿弥陀さまがご一緒の人生を生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.27)
円光寺
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