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お念仏を申す生活法話

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宗祖親鸞聖人の祥月御命日です

2021-01-16
 今日1月16日は親鸞聖人の祥月の御命日です。
ご本山京都西本願寺では9日から今日16日まで
御正忌報恩講法要が例年通りお勤まりです。

 ただ今年はコロナ禍で法要のあり方が随分違っています。
ご門主さま前門さまがご出座してのお勤めはいつも通りですが
昨日法要のようすをリモートで観ますと
内陣に出勤する僧侶や外陣で雅楽声明される讃嘆衆の僧侶も
間隔を広くとっていつもよりずっと少ない人数です。
 そして全国各地から押し寄せるようにお参りされる
お同行ご門徒衆の姿がありません。
 ご法話もリモートで全国の皆さんに届けるということです。

 コロナ禍のなかで各地のお寺さんも様々な工夫をして
法要行事をお勤めされていると聞きます。
 御正忌報恩講だけはお勤めさせていただこうと
浄土真宗門徒の心意気です。
 中止ではありません。

 宗祖以来綿々と受け伝えられてきたお念仏のみ教えです。
お念仏の伝灯を受け継ぎ後世に伝えていくお役目が
今を生きる私たちにあるのです。

 阿弥陀如来の本願成就の南無阿弥陀仏のお心を聞かせて
他力の信心をいただきお念仏申す身にさせていただいて
お浄土参りさせていただきます。

 お念仏相続するなかに
お念仏申す生活をさせていただき
お浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.16)


糸の切れた凧

2021-01-15
 テレビのニュースで幼稚園の園児が
凧あげをしている様子を観ました。
 正月の子どもの遊びは
凧あげやコマ回し羽根つきが定番ですが
今は凧あげできるような広い場所がないこともあって
凧あげを見かけることが少なくなりました。

 糸の切れた凧といいます。
凧あげといって凧が独りすっと空高くあがるわけではなく
凧に糸をつけうまく糸を操ることで凧があがるのです。
 糸の切れた凧はそのまま風に吹き飛ばされて
どこかに落ちていってしまいます。

 仏さまのみ教えに重ねて思います。
凧とはこの私のこと阿弥陀さまが操る南無阿弥陀仏の糸と
味わわせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきにつながった
阿弥陀さまと私です。
どこまでも自己中心に生きて苦悩し迷う私を
そのまま必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 阿弥陀さまの願いを聞こうともせず
私は大空を自由に飛びたいと必死に頑張りますが
どんなに頑張っても大空に飛び立つことすらできません。

 「我にまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の
お喚び声がかかります。
「はいおまかせします」と気づいたら
凧の私はそのまま南無阿弥陀仏の糸につながって
大空を舞っていたのです。

 私が私がと何か自分一人の力で
頑張って生きてきた私でしたが
実はどんなときもいつも私につながって南無阿弥陀仏と
喚び通しに喚んでくださっていたのです。

 糸の切れた凧は制御不能の状態の私のすがたです。
どこに飛んでいくのかわからない不安な私です。

 旅に喩えるとさすらいの旅をしているようなものです。
風の吹くまま気の向くままと
さすらいの旅は自由気ままで格好よく憧れますが
風の吹くまま気の向くままといって
一体どこに行くのでしょうか。
 旅の行く先も知らず大事なことは帰る処がないのです。
帰る家があるからこそ旅を楽しむことができるのです。

 この人生の旅の行く先はどこでしょうか。
どんな人にも人生の旅を終える時が来ます。
 阿弥陀さまはこの人の命終わって往く処を
お浄土と決めてくださって
南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれて
いろんなことがあるこの人生の旅ですが
そのままお浄土へと生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.15)


このお寺のことを思い護ってくださったお念仏の先人を偲びます

2021-01-14
 沖のご門徒さんが99歳10か月でご往生されて
昨日がお通夜今日がお葬儀のご縁です。

 以前に帰敬式を受けて法名を頂いているということで
過去の資料を確認しました。
 昭和43年4月に別府別院で前の前の勝如ご門主から
お剃刀(かみそり)をうけて法名をいただいていました。

 大分教区内の大勢の方が受式されたと思いますが
円光寺から12名の方がご勝縁に遇われた記録がありました。
 12名全員が女性です。
今でこそ仏教壮年会の組織もあって
男性がお寺参りされることも多くなりましたが
当時は仏教婦人会の活動が活発で
お寺参りは女性の務めと思われていたような時代です。

 12名の名前をたどっていくとお寺参りの常連さんで
お寺のお世話を率先してしてくださった
懐かしい方々ばかりです。
 あらためてお寺思いのご門徒衆に支えられ護られてきた
お寺のあり様を有難く思います。

 12名の皆さんすでにお浄土に往かれて
百歳を前に最後のお浄土参りになりました。
 12名のうち9名が遠見地区の方でした。
三佐でも比較的新しい集落で
漁業を生業とするご門徒のお家が多く
先人から受け継がれてきたお念仏の土德が残っています。

 昭和43年です。
昭和30年代新産都計画で三佐の海も埋め立てられ
生活が大きく変わっていった時代です。
 昭和36年の親鸞聖人700回大遠忌法要に
円光寺から何とバス2台でご本山にお参りしました。
 遠見地区の方が女性だけでなく男性も多くお参りされて
円光寺もこれからいよいよお念仏繁盛のお寺に
変わって行く兆しが感じられるときでした。

 帰敬式の話に戻りますと
皆さん40代50代の方ばかりです。
 お年寄りがお参りするお寺のイメージがありますが
比較的若い世代の方が出入りするお寺は
すごく活気があります。

 今は皆さん60代70代の方も元気で
平素からお寺を支えてくださり本当に有り難いことですが
これもお念仏の先人が伝えてくださったことだと思います。

 私も同じ時代に生きてたくさんの思い出がありますが
お寺の現代史といいますか
これまでの記録を整理して
後世に送っていくことを大事に思います。

 お寺は建物だけではありません。
仏法を聞かせていただき
お念仏を申させていただくお寺です。
多くのお念仏の人が出入りして賑わうお寺です。

 ただ思い出話に終わるのではなく
お寺にご縁のあった方々の思いやご苦労を
しっかり伝えていきたいとあらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.14)


コロナ禍の今を生きる

2021-01-13
 コロナ対応の緊急事態宣言対象地域が広がっています。
感染防止対策の最後の切り札とされるものですが
政府の対応について世論調査で大半の国民が懐疑的で
遅いという声がもっぱらです。

 国会は閉会中審査で野党は政府の遅い対応を責めますが
今一番大事なことはコロナの具体的な感染対策です。
 国民の声が反映されるべき国会で
大事な議論が聞こえてこない中
感染者は全国的に増え続けています。

 首相はじめ政府からの発信は
専門家の意見を聞いてということに終始して
具体的な対策を打ち出せないまま
専門家や都道府県の知事の要請で
やっと重い腰を上げ施策を発信するという有様です。

 見えないコロナウイルスを相手に
これといった施策も打ち出せず
いつ収束するかもわからない現状で
何をしてもこれがベストということはない
難しい課題ですが
今まさにコロナ感染防止の待ったなしの最中にある認識を
私たち全国民が共有することこそ大事です。

 私たちの人生の営みについても同じことがいえます。
私たちは人それぞれに今を生きていますが
どうかしますと過去のことを取り出しては
あの時はよかったあの時ああすればよかったこうすればと
口に出すこともあれば心に思うことはたくさんあります。

 でも何を言おうと何を思おうとも
過去の事実はそのまま変わりません。
 変わるのは今からのこと今を含めて未来です。
今何をするのかどう生きるのかが一番のことなのです。

 過去のことはやり直すことはできないけれども
見直すことはできるというのが仏法の教えです。
 どう見直せるのか
仏法に聞かせていただくのです。

 今皆さんがお寺の本堂阿弥陀さまの御尊前に
お参りされている事実です。
 振り返ってみると仏さまのご縁があったということで
これまでの人生の営みがすべて今の私にしてくださった
仏さまのご縁といただけるということです。

 この人生よかったと
誰しもこの人生を終えていきたいものです。
 
 この人生いろんなことがあったけれども
人間に生まれてお念仏のみ教えに遇えて本当によかったと
これまでの人生すべてが仏さまのご縁に遇うためだったと
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲に生かされて
今を生きるということです。

 今を生きることの有難さ尊さを
コロナ禍という前代未聞の大きな課題のなかで
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.13)


阿弥陀さまは光と声の仏さまです

2021-01-12
 阿弥陀さまは光の仏さまです。
光明のおはたらきで私たちを摂取して捨てないといいます。

 光には闇を破るはたらきがあります。
阿弥陀さまの智慧の光明に照らされた私は
無明の闇に迷っているといわれます。

 闇の中にいると言われて自覚できません。
日中は太陽が出て夜は電灯で照らされて
私たちは日々光の中で物事を見て知り
安心して生活しています。

 この目で見ている世界ですが
自分の姿や自他の心のあり様まで見えるでしょうか。

 人から自分の言動を注意されて
自分のことは自分が一番よく分かっていると言い返します。
果たしてそうでしょうか。
 自分の都合の良いように見ている分かっている
私ではないでしょうか。

 厳しい見方ですが
仏さまはありのままの私をそのまま
見せてくださるのです。

 深い迷いの闇の世界にあって迷いを迷いを気づかず
自己中心に生きては苦しみ悩み迷っているこの私を
阿弥陀さまは智慧の光明で見抜かれ
そのままお慈悲の中に摂め取ってくださるのです。

 闇を破るはたらきに光と
そして声があります。
 真っ暗な闇夜に一人居て不安な中で
「〇〇ちゃん」と声がかかります。
 友だちの声であったりお父さんお母さんの声であったり
その呼び声を聞いてその人の姿を見ることはできませんが
声が聞こえてその人の存在を知り安心できるのです。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のお名号の声となって
「我にまかせよ必ず救う」と喚んでくださる仏さまです。

 お正信偈さまのなかに「光明名号顕因縁」とあります。
光明と名号が因となり縁となって
阿弥陀さまは無明の迷いの世界から無量光明土のお浄土に
私たちをお救いくださるのです。

 阿弥陀さまは光と声の仏さまとなって
いつでもどこでもご一緒してくださるのです。
 ナモアミダブツとお念仏申して
今日も阿弥陀さまと共に生きて参りましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.12)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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