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お念仏を申す生活法話

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コロナ感染禍にあって私たちはどう生きるのか

 今私たちはこれまで経験したことがないコロナウイルス感染禍の中に生きています。
収束の見通しが立たないままに時が過ぎ
昨日の安倍首相の記者会見からも先が見えないもどかしさ不安を覚えます。
 
 ロックダウンされたロンドン、パリそしてニューヨークの異常な光景をテレビで観て
日を追うごとに人類存続の危機といわれることが決して大げさではないと思い知らされます。
 これから何十年何百年ずっと世界史で語り継がれるだろう大きな重い事態に遭って
今私たちは生きているのです。
 
 生きるということはどういうことか
何をすればいいのか何ができるのかといって
自粛しなさいステイホーム家に居なさいということです。
 
 仕事が休業になってこれから先どう生きていくのか
その術もなく困ってらっしゃる方がたくさんいます。
 震災とか台風で被災されたことですとボランティアに行って
できることをさせていただくということですがそれができないのです。
 
 こうした逼迫した状況の中でも仕事をされている方々がいます。
私たちの社会生活が滞らないように日々支えてくださっている方々です。
 社会公共事業に携わる多くの方がいらっしゃいます。
そしてコロナ感染治癒の最前線で危険と隣り合わせで医療に従事されてる方々を忘れてはいけません。
 
 しばらくこうした状況が続くでしょう。
これまで経験しなかったことがこの身に起こってくるかもしれません。
 これから先の予断も推測も全くできない
見えないコロナウイルスとの闘いです。
 
 私たちは南無阿弥陀仏のお救いのご法義をいただいています。
ナマンダブナマンダブとお念仏を申したらコロナウイルスの感染が収まるのかということではありません。
 今一番大事なことは何が私にできるのか何をすべきか
お念仏のみ教えに聞かせていただくなかに
しっかり考え工夫してこの難局を共に乗り越えていく心構えをもって
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
 
 お念仏申して日々生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.18)

非常事態宣言です!マスクをつけてご門徒皆さんのお家にお参りさせていただきます

 非常事態宣言が全国に出され
ここ大分も非常事態宣言の対象になりました。
 
 今朝のお朝事からマスクを着けています。
非常事態宣言でお寺はこうしなさいこうしないといけないということではありませんが
皆さんのお家にお参りお勤めすることについて心がけてマスク着用させていただきたいと思います。
 お勤めの際は声を出すのに少し大変ですので阿弥陀さまには申し訳ありませんがマスクを外させていただきます。
ただこうして皆さんと向き合う時はマスクをさせていただきます。
 
 月参りやご法事で皆さんのお家にお参りしてお勤めの後お茶をいただきながらお話になります。
仏事の話も世間話も色々です。今はコロナウイルスのこと一色です。
 ステイホームで家に居なさいと言われ家にこもるような生活で
ストレスがたまることも多くなります。
 仏さまのご縁で皆さんとお話させていただくのもいいことではないでしょうか。
その時もつとめてマスクをしてということです。
 
 コロナウイルス感染の収束を見据えた心構えとして
あらためてマスクをつけて法務をさせていただきます。
 
 普段の月参りお朝事のご縁はこれからもお勤めさせていただきます。
これまでに月参りは3件法事は2件「お休みしてください」と連絡がありました。
 それぞれです。
お寺からこうしなさいこうしましょうというのではなく皆さんの判断です。
 
 このような事態にあって責任ある人がはっきり決めてくれたらいいとも言われますが
日々の生活はこの私のことで人から言われてすることではありません。
 私がどうするのかどう生きるのかです。
ナンマンダブツとお念仏に相談して日々の生活できることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.17)

「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

 今日16日は親鸞聖人のお命日で
「信心獲得の章」の御文章さまをいただきます。
 浄土真宗のご法義の要である他力の信心をうるとは
南無阿弥陀仏のいわれを心得ることだといわれます。
 
 このなかで浄土真宗の仏道を親鸞さまはお正信偈さまに「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得ると述べられて
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も煩悩を断ずることなく救われて仏に成るとお示しです。
 
 一般に仏道は苦悩の原因である煩悩を断じてさとりを得ると
煩悩を断じたところが涅槃であり仏に成るというのです。
 
 浄土真宗の仏道はこの世でさとりを開き仏に成るのではありません。 
南無阿弥陀仏の他力の信心一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成らせていただくのです。
 これは浄土真宗独自の教えであり他流の人に誤解をまねくので注意しなさいと御文章は結ばれます。
 
 阿弥陀さまは悪業煩悩を造り重ねてこの世に生まれ生きる私を見て取られ
必ず救うとご本願を起こし南無阿弥陀仏と成就されて今こここの私におはたらきです。
 
 親鸞さまは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで誰もがみんなそのまま救われるというご法義を開いてくださり
阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出されたご自身を煩悩具足の凡夫といただかれました。
 私たちはこの身を生きる限り煩悩をもって生きていくしかありません。
阿弥陀さまは煩悩にまみれた煩悩いっぱいの私と知らせてそのまま救うてくださるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中にある私ですが
私が今この世でさとりを開いているということではありません。
 縁があればどんな悪いこともできるこの私に変わりありませんが
他力の信心をいただいて阿弥陀さまのお浄土に生まれて
必ず仏に成ると正しく定まったなかま正定聚の位に今あるというのです。
 
 そのことを聞かせていただくとき
すえ通った善いことはできない私ですが
少しでも善いことをしようと私にできる精いっぱいのことをさせていただきます。
 
 どこまでも煩悩具足の凡夫ですが
お念仏に生きる凡夫と心に入れて今日一日もお念仏に生かされて生きてまいりましょう。                  
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.16)

南無阿弥陀仏のご縁に遇ってご信心いただきお念仏申す身にさせていただきましょう

 今日の御文章さまは「毎月両度の章」です。
毎月二度の寄り合い(法座)を開くのは「往生浄極楽の信心を獲得する」ことが目的で
「ただ酒飯茶ばかりにて退散するのではない」と
飲み食いだけで終わってしまっては寄り合いの本意ではないとのお心です。
 お念仏のご縁に遇って南無阿弥陀仏のご信心をいただきお念仏申す身になってほしいとの願いです。
 
 蓮如上人の当時毎月両度二度のご法座が開かれていたことです。
毎月25日と28日だったそうです。
 今日の御和讃は源空聖人法然さまを讃えるご和讃で
最後に「本師源空命終時~初春下旬第五日」とありました。
 法然さまのご往生は「初春下旬第五日」初春は1月下旬第五日は25日のことで1月25日だったということで
法然さまの御命日25日に寄り合い
もう一日は親鸞さまの御命日11月28日の28日にご法座が開かれていたのです。
 
 この御文章を書かれたのは蓮如さまです。
蓮如さまの祥月命日は3月25日で法然さまと同じ25日が御命日で
それ以降も25日と28日の毎月二度お勤めをされてきたということです。
 
 円光寺は親鸞さまの新暦の御命日1月16日の毎月16日に常例法座のお勤めをしています。
御正忌、降誕会、盆両彼岸はそれぞれの法要に合わせてということで毎月一度の寄合いです。
 「月に一度はお寺参りしましょう」とご門徒皆さんに呼びかけています。
ご信心いただいてお念仏申す身にさせていただきましょうとの願い一つです。
 
 お朝事参りの皆さんは日々毎日のご縁です。
お念仏申す身にならせていただいて御恩報謝のご縁です。
 阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さまありがとうございますと
この手が合わさりお念仏申しお礼をさせていただいて
共々に今日の一日を始めることができるということ
本当に有難いことです。
 
 一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.15)

『お育てにあずかって』

 昨日光国寺のご院家さんの著書が恵送されてきました。
5月にお勤めする予定だった住職継職法要の記念に書かれたもので
コロナ感染禍で法要は延期になりましたが
予定通りに出版され届けられたということです。
 
 大学卒業後5年間ハワイのお寺に開教使として赴任されご自坊に帰られて
私たち同世代の僧侶の第一線で教学の研鑽と布教にご精進されてこられました。
 私の3歳年上で同じ頃自坊に帰り同じ大海組のお寺ということで
ずっと親しくご教導いただいたことです。
 
 開教使時代のご法話を読ませていただきました。
23、4歳の頃だと思いますが法味あふれる内容で有難く
今に至るまでのご法話が大変身近にわかりやすく書かれてあり一気に読んでしまいました。
 
 あとがきで
「『さて、本のタイトルは何に?』と考えた時、如来さまはもちろんのこと
私を今日まで支えてくださった皆々さまのご恩に思いを致し
『お育てにあずかって』の言葉よりほかには思い至りませんでした」とありました。
 
「祖母や父母をはじめ、恩師、法友、有縁の方々、光国寺ご門徒の皆さま
更にはハワイの仏教会メンバーの皆さま等々
数え切れぬほど多くの方々のお育てをいただいた歳月であったなあと感謝し
よろこばずにはいられません」と別記されています。
 
 私が生きてきた人生を振り返る時
そこにはいつも私と共に歩んでくれる人がいました。
 自分一人で生きてきたのではありません。
そうしたいろんな方々のお育てをいただいて今の私があるということです。
 
 これまで歩んできた人生は人それぞれ違います。
出会った人も違います。生活ぶりもそれぞれです。
 
 そうした私たちが『お育てにあずかって』と思い返すことができるのは
私たちは同じ中心をいただいているということではないでしょうか。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
 お念仏のお育てにあずかって生きてきました。お念仏のお育てにあずかって生きています。
そしてお念仏のお育てにあずかってこれからもこの道を歩ませていただけるのです。
 
 お念仏の道です。阿弥陀さまのお浄土への往生浄土の道です。
お念仏のお育ては死んだらしまいのお育てではありません。
 人としての人生はいつか終わりを迎えますが
お念仏のおはたらきでそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのです。
 
 『生きる』(中川静村作詞)という詩をいただきます。
「生かされて生きてきた/生かされて生きている/生かされて生きていこうと/手を合わす南無阿弥陀仏」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.14)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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