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お念仏を申す生活法話

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納骨のご縁です

2020-06-12
  昨日二件納骨堂に納骨のご縁がありました。
一件は満中陰のご縁での納骨です。
もう一件は初めてのご縁の方で宮崎県にあったお墓を閉まって新たに円光寺の納骨堂に納骨されたことです。
 
 それぞれご事情は違いますが
同じ納骨堂阿弥陀さまのもとに納骨できたということで「安心ですね」と声をかけました。
「安心しました」と声が返ってきました。
 
 浄土真宗のご法義は死んだらおしまいではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでこの迷いの人生をお念仏申して生き抜き
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただくみ教えです。
 先に往かれたお方は阿弥陀さまと同じ南無阿弥陀仏の仏さまとなって
これからもずっと後に遺った私たちを護り救うというおはたらきをしてくださると聞かせていただきます。
 
 人の命終えて火葬されお遺骨が遺ります。
私たちのこの目で見えるおすがたです。
 墓地や納骨堂に埋葬いたします。
お墓や納骨壇にご安置したお遺骨を縁に後に遺った者はお参りします。
 
 人の命は終えましたが今は仏さまとなって私たちにお念仏のご縁をつくってくださるのです。
お墓や納骨壇は日々の日暮らしの中で私たちが手を合わせお念仏申してお礼ができるところです。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏申すところにいつでもどこでも「私がいるよ大丈夫だよ」とご一緒してくださり
「必ず救うまかせよ」とおはたらきの阿弥陀さまのお手伝いをしてくださるのです。
 
 納骨のお勤めをして「どうぞご縁ご縁に納骨堂にお参りしてください」と声かけしました。
お寺の納骨堂にお参りされてご本尊の阿弥陀さまにお礼ができます。
 お念仏のご縁をつくってくださった南無阿弥陀仏のお父さんお母さんです。
「また会いに来てください」とお話させていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.12)

南無阿弥陀仏のおはたらきに抱き取られてお念仏の日暮らしです

2020-06-11
朝から雨になりました。
今日から梅雨入りということが言われています。
 
 梅雨の花というと紫陽花ですね。
雨に咲く花です。
 今お内陣のご本尊の前にお供えしているお花はグラジオラスです。
すっと伸びて品がいいですね。
 お花にはそれぞれ花言葉があって
グラジオラスは「たゆまぬ努力」とか「ひたむきな愛」だそうです。
 
 皆さんのお家のお仏壇にもお花をお供えしていると思います。
お花はお仏壇の中にお供えします。
 お花のいのちをこの私のいのちと重ねてみます。
無常のいのちです。常にとどまることなく刻々と変化していきます。
 
 花のいのちです。
蕾の時がありました。
 段々と花を開かせていき満開になって
それから萎んで枯れて離れ落ちていきます。
 
 私のいのちです。
命生きるということは老いること病むことそして命終えていくことです。
 
 阿弥陀さまは生滅変化する私たちのいのちを
そのまま抱き取ってくださってあるのです。
 若くて健康な時ばかりでなく
老いていく中にも病む時もいつでもご一緒してくださり
命終えて必ずわが浄土に生まれさせると南無阿弥陀仏となっておはたらきくださってあるのです。
 
 雨に濡れて庭の紫陽花が生き生きと花を咲かせています。
雨の中にも阿弥陀さまがご一緒です。
 ナンマンダブツとお念仏申してお念仏の花を咲かせましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.11)

ネットでご法話聴聞させていただけます

2020-06-10
コロナ禍で今はまだお寺で通常のご法座ができない状況で
ネットでご法話を発信されているお坊さんがいらっしゃいます。
 ユーチューブでご法話聴聞させていただけます。
コロナ自粛のこの時期に発信を始めた方や随分前から発信されている方もいます。
 
 お二方のお説教を昨日スマホでお聴聞させていただきました。
今のご法座でいうと無観客の野球の試合やコンサートのように
お寺にお参りする方が誰もいないなかで本堂の演台や高座からお説教されていました。
 カメラを聴衆に見立ててご法話されます。
一方的なお話にならないように聞いている方の反応を伺うように工夫されています。
笑いを引き出すものであったり間を取って話す話術です。
 ただそこは無機質な空間が広がり聴衆の反応は見えません。
 
 もう一つは20年前のお寺でのご法座です。
お参りの方がたくさんいらっしゃる様子でお聴聞の方の声が入ってきます。
笑い声であったりせき込んだ声もしてお念仏の声が聞こえてきました。
 生身の人人の反応息遣いが聞こえる中でのご法座です。
 
 お朝事のご縁に毎日お話をさせていただきます。
お同行の皆さんがいつもご一緒です。
聞いてくださる皆さんがいらっしゃってお話ができます。
 私が話すお話ですが私の話ではありません。
仏さまのお話です。
 仏さまのお話を私もまた聞かせていただくのです。
 
 阿弥陀さまのご法座です。
阿弥陀さまを中心に皆さんがこうして阿弥陀さまの御仏前に座ってらっしゃることが一番の肝要なのです。
 仏さまの御前に座らせていただき
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるご法義を聞かせていただく有難さです。
 
 今は本当に便利な世の中になりました。
家に居ながらにしてお寺に行かずに有難いご法話が聞けます。
面白い漫才もコンサートも聞けます。
 
 リモート法話のご縁もこれから益々工夫されて広がってくると思います。
お寺にお参りされることを待ってということでは間に合いません。
 ここは積極的にお寺から出かけていくお聴聞の場づくりも大切ですし
ネットを最大限に活用した新しいご法座のあり方も考え実践していかねばなりません。
 
 随分前からネットでご法話のご縁もあったのですが
現状でできていることに満足して新しい試みに踏み出すことが中々できませんでした。 
 今回のコロナ禍で一つ背中を押されるように新しい経験をさせていただき
新しいチャレンジにつないでいきたいものです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.10)

甲子園の土入りキーホルダーです

2020-06-09
高校野球夏の甲子園大会が中止になって
阪神タイガースの監督選手が発案し全国の高校球児に甲子園の土の入ったキーホルダーを贈ることになったそうです。
 甲子園を目ざした最後の試合をすることなく高校生活を終えていく高校3年生軟式部員を入れて5万人に
阪神の監督コーチ選手スタッフが直接グラウンドから土を集めてということです。
 
 高校時代同じように甲子園出場を目標に野球に打ち込み頑張ってきた者だからこそ
球児の心情を思いはかってのことです。
 「ただ単に物を贈るのではなくて、ぼくたちが土を集めることで
みんなが応援しているよという思いが球児に届いてほしい」と監督のコメントです。
 
 誕生日や人生の節目のプレゼントや年末年始の儀礼的なことは
お互いに負担になるので止めましょうという昨今の風潮のなかで
贈り物はその人の思いが届けられるということです。
 その時だけのことではなくてあなたのことを思っているよ忘れないよというしるしです。
 
 南無阿弥陀仏のお名号は阿弥陀さまのお心いっぱいの私への贈りものです。
「必ず救うまかせよ」という力強いおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきが今日もこうして私に届けられ
私の口から「おまかせしますありがとう」とお念仏が出てくださいます。
 
 親鸞さまからお正信偈御和讃が蓮如さまからは御文章さまのお手紙が毎朝届けられます。
「一人じゃないよ私がいるよ大丈夫だよ」のお喚び声に支えられて
いろんなことがあるけれども今日も一日お浄土への人生を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.9)

大自然のいのちの営みのなかに生かされています

2020-06-08
コロナ感染の死亡者が欧米諸国に比べて日本が少ないことについて
麻生大臣が「それは国の民度が違うから」と発言されました。
 民度とは生活文化の程度でレベルが違うというのです。
日本は欧米諸国より民度が勝っていると誇らしく言いたかったのでしょう。
 
 欧米はロックダウンといってパリやロンドンニューヨークが都市封鎖され異常な光景でした。
一方で日本東京は外出自粛の要請というなかで緊急事態宣言が解除になりました。
 これは国民の頑張りということでいいわけですが
それぞれの国の生活習慣とか民族性とかいろんなことが言われています。
 
 単純に比較することはできませんが
西洋の生活文化と東洋の生活文化は根本的に違うということです。
 長い歴史の中で培ってきた生活文化の背景にある
キリスト教と仏教の思想文化の違いといってもいいでしょう。
 
 西洋の歴史はキリスト教とともにあった歴史であり
神中心人間中心の思想文化です。
 神が人間をつくり人間は他の動物とは違って
牛や豚は人間の食料として生まれてきたという言い方もされます。
 神が自然を支配し人間が自然を支配するといったものの見方にもなります。
 
 ところが東洋の思想仏教のものの見方は衆生や有情といって
生きとし生けるものを人間だけではなく牛や豚も野菜も草木に至るまで
すべてのいのちが等しく自然の中に生かされてあるというものの見方なのです。
 いのちの見方が大きく異なるのです。
 
 地球ができて46億年人類が誕生して700万年といわれます。
人間の有史でいったら4千年5千年の歴史です。
 そして私たちの一生は長くて100年です。
地球ができて多くのいのちが誕生してつい最近出てきた人間が
地球上の何もかも取り仕切っているような今の世界のあり様です。
 
 人間中心に何でも人間の思い通りにわが物顔に好き勝手にしてきた私たちの
最高に豊かで便利な生活にレッドカードを突き付けたのが今回のコロナ禍ではないでしょうか。
 幸福の追求という人間の欲望のままに開発という名の自然破壊を続けてきた
私たち人間への大きなしっぺ返しともいえます。
 
 大自然の大きないのちの営みの中に生かされてあるというものの見方こそ大事にして
私たちの生活のあり方を見直す時だと思います。
 それは私の日々の生活の小さなところからの取り組みです。
 
 お念仏のご法義をいただきます。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきつながりのなかに私たちは共々に生かされてあると聞かせていただきます。
 それは私一人だけのことではなく隣の人もみんなそうだし
人間だけではなく生きとし生けるものすべてが南無阿弥陀仏のいのちの営みのなかにあって
今は人間として生まれて生きていますが
死んだらおしまいではなくて南無阿弥陀仏の自然の大きな営みに還っていくというすごい教えです。
 
 阿弥陀さまに成られて十劫です。
劫という時間の単位は46億年をはるかに超えることです。
 私が生まれる前から地球が生まれる前から阿弥陀さまはこの私一人のことを見てとって
必ず救うというご本願を建てられ南無阿弥陀仏と成就されて今ここにおはたらきです。
 
 大きな自然の営み南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに生かされて
今日も一日私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.8)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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