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お念仏を申す生活法話

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名物にうまいものなし

2020-07-13
 東海道中第20宿目は静岡の鞠子(まりこ)の宿です。
広重の浮世絵に名物茶屋と題した茶屋の絵があります。
 この鞠子は昨日の府中から明日の岡部に抜ける
山中にある53次で一番小さい宿場です。
 
 その名物はとろろ汁だそうです。
松尾芭蕉も鞠子の宿の名物とろろ汁と歌に詠んでおり
東海道中膝栗毛にもとろろ汁のことが書かれています。
 今もその茶屋が残っていて丁子の茶屋というそうです。
江戸時代に入る前からの400年以上前の創業といいます。
 歌川広重の浮世絵の話をしていますが
浮世絵は1832年頃に書かれたものといわれており
丁子の茶屋はその200年以上前からあったということです。
 
 だから名物なのです。
名物って長い長い歴史があって人人の言い伝えによって
あそこに行ったらこんな名物があると言われるものです。
 昨日の安倍川もちがそうです。
土地土地の名物にあうことの旅の楽しみです。
 
 一方で名物にうまいものなしという言葉があります。
やっとの思いで名物を食べてみたらそうでもなかったと
期待していただけに期待外れということにもなります。
うちで作ったものの方がおいしいなどと言い出す始末です。
 
 えてしてそういうものでして
私たちは遠く外を見て何か良いものを探そうとしますが
近くのすぐ足元に探し物があるってことです。
 
 私たちの日常です。
私たちが日々いただくわが家の食事に名物があるのです。
 旅に出てみて初めてわが家の良さを知るということです。
一生に一度食べるものではなくて毎日の食事です。
ただこれも何か当たり前のように食べている私たちです。
 
 それこそ後から思うのです。
おふくろの味が懐かしいと思い出すのです。
 わが子の成長を願い作ってくれた母の食事です。
身体ばかりでなく心も心身ともに育てられてきたのです。
 
 お念仏のお育てをいただくといわれます。
お念仏の味です。
私たちのお念仏の味は南無阿弥陀仏のお心一味です。
 名をもって物に接すると
いつでもどこでも南無阿弥陀仏のおはたらきは
この私に寄り添いご一緒くださっているのです。
 
 お念仏の名物の味です。
お念仏を申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに
今日の一日もお浄土へのお念仏の旅を
ご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.13)

静岡名物安倍川餅

2020-07-12
 毎朝ご和讃を53日間で一通り繰り読みしています。
東海道53次になぞらえて東海道を53日間
お念仏の旅をしているというお話です。
 
 今日は第19宿目の府中の宿です。
府中の府は駿府城の府です.
 今の行政区でいいますと静岡市の葵区で
駿府城の真近静岡市の町中です。
 
 歌川広重の浮世絵にはこの府中の宿の絵に
町中を流れる安倍川が出てきます。
 皆さん静岡安倍川といったら何を連想しますか。
静岡名物の安倍川もちです。
 安倍川もちはつきたてのお餅に
黄な粉をまぶして白砂糖をふりかけます。
 
 駿府城の城主徳川家康が好んで食べたという由来です。
矢次さん喜多さんの東海道中膝栗毛にもこのお餅が
紹介されているということです。
 
 旅の道中甘い物は疲れをいやしてくれるものであり
所々の名物を食べるのも旅の大きな楽しみです。
 
 今は第19宿ですから53次までまだ34宿あります。
34日間のお念仏の旅でご和讃を繰り読みしていきます。
 皆さんもお念仏の旅をご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.12)

大自然のいのちの営みの中に生きる

2020-07-11
 東海道五十三次今日は第18宿の江尻の宿です。
広重の絵には三保の遠望と清水湊の説明があります。
 江尻の宿は今の静岡市清水区にあり
次郎長一家でおなじみの清水湊と三保の松原が有名です。
 日本三大松原といって佐賀県唐津市の虹ノ松原
福井県敦賀市の気比の松原そして三保の松原です。
 
 富士山を背景にした絶景はたくさんありますが
三保の松原から見る富士は代表的な一つで
皆さんも写真などで見たことがあると思います。
 
 白砂清松といって海岸線に白い砂と青い松林が広がり
海の青空の青と相まって白い雪を頂いた富士山をバックに
これ以上ない風光明媚なところで
三保の松原の天女の羽衣伝説も生まれたと思われます。
 
 松林は私たちの三佐にも臨海工場地帯になる前にあって
遠浅の海に沿うように松林が広がり海水浴をしたり
貝ほりや冬には海苔をとったりと絶好の漁場でした。
 
 松林には大事な役目があります。
海からの強い風を防ぐ防風林と防砂林の役目です。
 砂浜の砂が実は厄介なのです。
風が砂を吹き上げ家屋や畑に運んで生活を脅かすのです。
 
 先人の知恵を思います。
海岸線に自然に松林が生えていたというより
先人が風や砂に強い松を海岸線に植えていったことです。
 
 私たちは美しい松林や砂浜にすぐ目がいきますが
大自然のいのちの営みの中に生きてきたご苦労を思います。
 今は自然の営みに抗うように人間様が手を突っ込んで
豪雨災害を引き起こす地球温暖化の要因をつくったりと
このからの地球の行く末が本当に心配です。
 
 南無阿弥陀仏のいのちの営みおはたらきです。
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに人間だけでなく
十方衆生生きとし生けるもの全てが生かされてあるのです。
 松の木も砂も海も山も空もそして人間も
全てがお互いに共存共生していくお念仏の世界を思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.11)

お念仏のいのちのど真ん中に生きる

2020-07-10
 東海道五十三次第17宿は静岡の興津(おきつ)の宿です。
広重の絵には田子の浦という地名が出てきます。
 百人一首に「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人)があります。
 田子の浦からみる雪をかぶった富士山の絶景が
目に浮かぶようです。
 
 コロナ禍で昨日はリモートの会議を
庫裡の事務所で横から見させていただきました。
 京都のご本山と九州各地のお寺さんを結ぶ10人程の会で
それぞれのお寺の現状と課題を踏まえて
これから5年後10年後どんなお寺になっていきたいか
お互いに私案を発表して意見交換するということでした。
 
 新院が円光寺についての発表をするということで
昨日は総代さんも一緒に参加してもらいました。
 最後に主催する方から感想とアドバイスがあり
興味深く聞きました。
 
 お寺の活動はそれぞれのお寺でいろいろと違います。
先人から受け継いだ伝統もあり
現代社会に対応する工夫もされていて
参考になることも多くありますが
我が寺でとなるとできることは限られてきます。
 そこでお寺の活動の基本を一つ大事にして
今できることがさせていただきたいと思いました。
 
 その基本ということについて
今回のコロナ禍で東洋の思想とりわけ仏教
仏さまのものの見方考え方を見直すことができた
と言われたことに共感しました。
 
 いのちをど真ん中においた仏教のものの見方です。
阿弥陀さまのご本願のお救いは人間だけではなく
十方衆生を必ず救うとすべてのいのちにおはたらきです。
 ありとあらゆる世界の生きとし生けるものです。
コロナウイルスもまたいのちです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちにみんなつながった
私たちお互いなのです。
 
 お念仏のいのちを基本にしたお寺の活動です。
親鸞さまが蓮如さまが示してくださった
お念仏一つで救われる私たちのお念仏の活動なのです。
 阿弥陀さまの本願を信じお念仏申す身にさせていただく
お念仏を申す生活です。
 
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきのなかに
私たちの生活ぶりは皆さんそれぞれ違います。
 今日一日もいろんなことがあります。
私の思い通りにいくことも思い通りにならないことも
良くも悪くもすべてのいのちがつながって
今こここの私を生きているのです。
 
 みんな一つにつながって一人じゃないということです。
阿弥陀さまの誰一人取り残さないとの願いおはたらきです。
 
 そのこと一つ聞かせていただくなかに
私たちの円光寺の活動があります。
 お念仏のみ教えに多くの人に出遇ってほしいと思います。
お念仏のいのちのど真ん中に生きる有難さです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.10)

お念仏は生きる力です

2020-07-09
 東海道五十三次第16宿は由比の宿です。
 
 九州各地が大変な豪雨災害に遭って
避難所での生活を余儀なくされている方が
たくさんいらっしゃいます。
 コロナ禍で避難所でどう対処していくのか
前々から議論のあったところです。
 ソーシャルデイスタンスといって
避難所で十分なスペースをとることは困難です。
 
 コロナ後の新しい生活様式ということが言われます。
人に近づかない、向き合わない、話をしないといって
私たちがこれまで当たり前のようにしていた生活を
改めていこうというのです。
 何とも窮屈な生活です。
人間らしい生活ということではありません。
 
 たとえば食事です。
食べることは生きることの根幹です。
 食事は単なる栄養補給のためだけではなく
人と人とのコミュニケーションの原点といわれます。
 人間以外の動物は食欲を満足させればいいのです。
食べて自分が満足すれば他のことは知らなくていいのです。
 でも欲求がかなわないときは
他の者のものを奪ってでも食べようとします。
 本能のままに生きる動物のすがたです。
ただ人間も動物に変わらないところがありますね。
 
 人間は本来自分だけがよかったらいいのではなく
周囲のことみんなのことを思いそこに喜びを見出します。
 仏事のお斎(とき)です。
仏さまにお供えする思いで客人に食事をふるまい
一緒に食べるのです。
 
 人と人とが同じ場所同じ時間に集まって同じものを
食べることでコミュニケーションがはかられます。
 これが人間の人間らしい生活の原点なのです。
 
 仏法を聞くということも食べることと同じように
味わいましょうというお話です。
 お念仏のみ教えを聞くということを
食べることと心得なさいというのです。
 
 今日のこのご縁です。
皆さんこの円光寺の本堂に集まって同じ食事をするのです。
 お朝事のお勤めが私たちの朝の食事です。
皆さんご一緒にナンマンダブツとお念仏申して
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくのです。
 お念仏を味わいます。
自分勝手に味わうのではなく皆さん一緒に味わうのです。
 
 食べることで生きていけます。
仏法を聞くことで本当に生きていけるのです。
 お念仏に生きる私たちの生活の原点です。
お念仏を申し聞かせていただいて
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.9)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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