浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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秋のお彼岸です
 今日から一週間秋のお彼岸です。
彼岸というのは彼の岸、仏さまのさとりの世界です。
一方私たちが生きる此の岸は迷いの世界です。
 
 私たちの彼の岸を阿弥陀さまのお浄土と聞かせていただきます。
迷いの私が南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土に往生させていただき
さとりの仏さまに成らせていただく浄土真宗のご法義です。
 お彼岸にお浄土を思います。
行ったことがないところです。
自分勝手に自分の都合に合わせて思うのではなく仏さまのみ教えに聞かせていただきましょう。
 
 そして先にお浄土に往かれたご先祖有縁の方々を思います。
大切な私の命の大恩人です。
 思うといっていつでも思えるということですが、そうでしょうか。
これが中々難しいことなのです。
 
 ご法事のご縁に重ねて思います。
ご法事は毎年勤めるということではありません。
何年かに一回とんでとんでとんでやってまいります。
 
 仏さまって私たちのことをちゃんとご存知なんですね。
日々の生活に忙しい私たち自分のことで生きることで精いっぱいの私たちです。
 仏さまはいつでもどこでも変わることなく「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
どんなあり様の私たちでもただ南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 
 お彼岸のご縁に遇ってほしいお寺にお参りしてほしいと願いながら
仏さまのご縁に背中を向けている者も見捨てたりはしないのです。
 
 仏さまの大きなお心おはたらきに甘えるのではなく
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 22日23日とお寺の彼岸会をお勤めさせていただきます。
私にできることをさせていただきましょう。
 皆さんの隣の方有縁の方に声かけをしてご一緒にお寺にお参りしてください。
仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 私もあなたも共々に私たちの彼岸阿弥陀さまのお浄土への道行きをご一緒させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.20)
 
50回忌のご縁を有難くいただきます
 昨日は50回忌のご法事のご縁をいただきました。
49年前の昭和45年にご往生された4歳の方のご縁です。
 悲しいご縁ですがお家にお仏壇を申すことになりました。
それから49年お家は転々としてお仏壇も大きさは変わりましたが
真ん中にご安置のご本尊の仏さま阿弥陀さまは変わりません。
 阿弥陀さまの仏さまに見守られて49年が経ったということです。
 
 お仏壇はそのお家の方が亡くなられてからご安置するものと受けとめられ
核家族ということもあって今はお仏壇のないお家が結構多いのです。
 浄土真宗のご法義を聞かせていただきますと
阿弥陀さまという仏さまは亡くなってから用事のある仏さまではなくて
今ここに生きるこの私を必ず救うとおはたらきの仏さまですから
私たちが日暮しするどのお家にあってもいいわけです。
 
 ただ仏さまのこと死んでから後のことと昔からみんなが言っているということで
反対に何もないのにお仏壇を申したりすると不幸事が起こるという迷信さえあるのです。
 
 悲しみのご縁のなかでお仏壇を申されたということです。
4歳の子どもさんです。
お父さんお母さんはどんなお気持ちでお仏壇にお参りされていたのでしょうか。
 悲しいご縁です。少しでも長く一緒にいたかったという思いでしょう。
あの子が生きておれば今は小学校に入学して卒業して成人して就職してと
今はこうなっているのではという思いがずっとずっとこれからもあると思います。
 
 ただ有難いことは悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁をいただけたということです。
阿弥陀さまのお仏壇をお家の中心にご安置して先に往かれた方を仏さまと拝んでいけるということです。
 これまでもそうでしたしこれからもそうです。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにこの目には見えないけれども仏さまとなってこの人生をご一緒してくださるのです。
 
 50回忌のご縁です。お寺からご通知する最後のご法事のご縁と常々申していますが
仏さまのご縁はこれからもずっとずっと続きます。
 今日も明日も明後日も私と共に生きてくださる仏さまです。
そのこと一つお念仏申すなかに有難く聞かせていただきましょう・
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.19)
 
「負けた相撲が一番印象に残っています」
 今大相撲が面白いです。
今まではそんなに相撲を観ることはなかったのですが
若い力士が力をつけ次々と頭角を現して活気のある土俵に魅力を感じます。
 
 そんななかかつて兄弟で大いに人気を博した元逆鉾関が亡くなりました。
昨日テレビの解説で弟の元寺尾関が出演して思い出多い話をしていました。
 逆鉾寺尾のお父さんが鶴ヶ峰でもろ差し名人の人気力士でした。
私が子どもの頃の力士で相撲好きのじいちゃんを思い出します。
 学校から帰るとテレビの前に座って取り組みの一番一番を凝視するように観て
手製の星取表に勝敗と決まり手を書いていたような記憶が残っています。
 
 先日嘉風関が引退して一昨日会見がありました。
その内容が興味深いものでした。
 まず「悔いが残る」と切り出したことです。
大方は「やることはやった。やり残したことはない。悔いはない」と言われる中で「悔いが残る」と言われます。
 正直な気持ちだと思います。
力士として土俵に上がることはできなくなりますが、相撲人生はいよいよこれからということです。
今後は親方として後進を指導し共々に相撲道を極めることだと思います。
 
 会見でもう一つ「一番印象に残っている相撲は」と聞かれて
横綱や大関名だたる力士に勝った相撲を大抵言うのですが嘉風関は負けた相撲を言ったのです。
 その発言の前に「私が勝った相撲をいうとそれが映像に出て負けた人は辛い思いをすることになる」と
対戦相手のことを思いやって自分が負けた相撲を言ったらしいのです。
 当時最強の大関稀勢の里との壮絶な相撲です。
健闘むなしく負けたけれども花道を引き揚げるときに観客からすごい声援をいただいてそれが自信になったと言うのです。
 正直に自分の気持ちを言葉にし周りの人を思いやる気持ちも忘れないところが本当にすごいなと思います。
 
 相撲は勝負の世界です。
勝つ者があれば負ける者があり、負ける者があって勝つ者があります。
 どんなに強い力士でも一人で相撲を取ることはできません。そこに常に相手がいます。
勝負ですからお互いに勝ちをめざし、結果はどちらかが勝ちどちらかが負けます。
ただ勝負を超えてお互いに支え合う仲間であることはこれまでもそしてこれからも変わらないということですね。
 
 私たちの日々の生活のなかでも他の人を思いやることは本当に大事なことですが中々難しいことです。
私たちは常に自分を中心に私が私がというものの見方で生活をしています。
 他人のことなど構ってられない、自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいという私たちお互いです。
 
 そういう私たちを阿弥陀さまはちゃんとご存知で南無阿弥陀仏のおはたらきで常に私に寄り添い見守ってくださるのです。
「我にまかせよ必ず救う」と喚び通しに喚んでくださる声の仏さまになってくださいました。
 阿弥陀さまの言うことを聞かない聞こうとしない私を決して見捨てることなく
大悲のお心で常に思いやってどんな人も無条件に抱き取ってくださる
大きなお心おはたらきを南無阿弥陀仏と聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.18)
 
お念仏は人生の伴走者阿弥陀さまの力強い声援です
 先日日曜日はマラソンのMGC東京オリンピック選手選考会があって大変な話題になりました。
昨日も代表に内定した四人の選手がテレビ出演して特集番組がありました。
 
 男子はビック4女子は有力3選手を中心にした展開が大方の予想でしたが
優勝したのは男子も女子もそれ以外の選手でした。
 一発選考レースの難しさですが見応え十分のレースになりました。
 
 男子は大本命の一人設楽選手が最初から独り飛出し逃げ切る作戦にでました。
35キロ過ぎで後続集団に吸収されましたがそれまでは独走です。
 どんどん引き離されて設楽選手の姿が見えなくなった後続の選手たちは不安になります。
その時路上で応援する人たちから「何秒差」と教えられその声が心強かったといいます。
 走るのは選手一人ですが日頃から選手を支えるチームの方々がいてそして観客の皆さんです。
そういう声に励まされてということです。
 
 この前の土曜日には陸上競技場でサッカーの大分トリニータの試合がありました。
ラグビーのワールドカップの関係でいつものドームが使えず久しぶりに陸上競技場での試合ということです。
 偶々3時間程前に近くを通りかかったらサポーターの方々が応援のために陸上競技場に歩いて向かっていました。
青いユニホームに背番号12をつけている人が目立ちました。
 サッカーはチーム11人でする競技で12の背番号は12番目の選手サポーターを表します。
サポーターもチームの一員で一緒に試合をするということです。
サポーターという支えてくれる人がいるということです。
 
 私たちは何か自分一人で頑張って生きているようですが
目には見えないところで私のことを思い支え応援してくれる方がいらっしゃるということです。
 
 南無阿弥陀仏のご法義です。
ナンマンダブツとお念仏を申すところに「私がいるよ大丈夫だよ」と
お念仏の声となっていつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださってあるのです。
 
 それもどんな人にでもです。
どんな人もですからそこには勝者も敗者もありません。
 どんな生き方をしている人も生活ぶりは違ってもどんな人にも寄り添ってくださってあるのです。
力強い私の味方です。
 
 南無阿弥陀仏そのこと一つ聞かせていただくなかに今日の一日を生き抜く力をいただきます。
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまの本願念仏の力おはたらきです。
 
 スポーツの力です。
選手はサポーターに支えられますが、選手によってサポーターも生きる力をいただくのです。
 
 大きないのちのつながりのなかにお互いに支え合う社会でありたいと
お念仏を申し阿弥陀さまのお心に聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.17)
 
ご法事は仏さまのお仕事です
 昨日はこの本堂でご法事のお勤めをさせていただきました。
埼玉在住の方で七回忌のご縁で大分に帰ってみえられました。
大分にご親族の方がいらっしゃいますし、お墓も円光寺墓地にあるというご縁です。
 
 二人の小さな子どもさんがお参りでした。
お孫さんです。七回忌を迎えられたおじいちゃんが亡くなられた後に生まれたお子さんで
ご法事のご縁をいただくなかで新しい家族が増えるということです。
 
 ご法事のご縁で御仏前に皆さんがご一緒できる有難さを思います。
御仏前の仏さまはご本尊の阿弥陀さまですが
昨日のご縁でいいますと七回忌を迎えられたお父さんおじいちゃんの仏さまです。
 
 仏さまのご縁で皆さん私たちが一つになります。
仏さまが私たちを一つにしてくださるのです。
 
 阿弥陀さまのお浄土は倶会一処(くえいっしょ)の世界といいます。
共に再び一つ処でみんなが会える世界をお浄土と阿弥陀さまがつくってくださったのです。
 
 私たちの日常日々の生活をちょっと振り返ってみても
今は核家族でそれぞれの世代が家を持ち生活しています。
同じ家に日暮しする家族も一人一人それぞれ生活ぶりが違います。
 
 そうしたお互い私たちが仏さまのご縁をいただいて仏さまの前に座ることができた。
手が合わさった。お勤めができた。ナンマンダブツとお念仏を申して仏さまにお礼ができたということです。
 
 どのこと一つとっても仏さまのご縁で仏さまがそういう私にしてくださったということです。
ご法事は仏さまのお仕事なのです。
 先に往かれた大切なお方はお浄土の仏さまとなって
今もこれからもずっと南無阿弥陀仏のお念仏のなかに私と共に生きてくださるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.16)
 
お念仏の光あふれてありがとうの生活をさせていただきましょう
 いつも毎朝6時半に喚鐘をつきますが昨日から東の空から昇る太陽の光をいっぱい浴びて眩しいぐらいです。
昨日は満月で一昨日が十五夜ということでした。
 
 きれいな満月の月夜でした。
暗闇のなかにあって月の光は明るく清かに輝きます。
太陽は光あふれて私たちを包み込んでくださいます。
 
 先日の台風15号の被害で千葉ではまだ停電が続いているところが多くあるようです。
電気のない生活です。皆さん想像できますか。
 今は夜だけではなく昼間も一日中電気のある生活が当たり前で
それこそ電気がストップしたら生活が一変に暗転してしまいます。
便利な生活が一転不自由不便な生活になってしまうのです。
 
 千葉は首都圏といわれ東京のすぐ隣に位置します。
東京に近い日本で最も便利な所に住む人が不便な生活を余儀なくされているのです。
 私たちの生活のなかでも今日明日にでも同じような事態が起こり得るということです。
 
 テレビのニュースで電気の復旧工事を終えた電力会社の人に
子どもたちが「ありがとうございます」とお礼を言う映像が流れていました。
「観たかったテレビが観れるようになって嬉しいです」と子どもらしいですね。
 
 私たちは毎日電気があって当たり前の生活をしています。
電気のある生活に慣れてしまって電気が通らなくなるとすぐ不平不満があふれます。
 
 電気のある生活は私たち人類の歴史の中でもつい最近のことです。
それでは電気が発明される前は一日中暗闇の中で私たちの先祖は生活していたかというと光がいっぱいあふれていたのです。
 今と同じ太陽の光であり熱のはたらきがあったのです。
太陽のおかげで大自然のいのちの営みが育まれその恵みをいただいて人類は生き抜いてこられたのです。
 私たちはいつしか大自然の大いなる営みまでも人間の思い通りになるもののように思い込んでしまい
日々の生活のなかでその有難さがわからなくなってしまったのではないでしょうか。
 
 太陽が隠れた闇夜も月の光は私たちを清かに照らしてくれています。
光あふれる大自然の恵みをいっぱいいただいて私たちの先人は生きてきたのです。
 光あふれるなかに「ありがとうございます」とすべてのいのちに感謝して生きていきたいですね。
 
 阿弥陀さまは限りない無量の光といのちの仏さまです。
南無阿弥陀仏の大いなる光といのちのおはたらきをいただいて
お念仏の光あふれるなかに「ありがとう」がいっぱいあふれる生活を
今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.15)
 
人の命終えてこれからも南無阿弥陀仏の大きないのちに生かされて共に生きます
 昨日はお葬儀があり一昨日はお通夜のご縁でした。
最近は家族葬といわれる参詣者の少ない小規模葬が多くありますが
このたびのご縁はちょっと以前のようなお葬式でした。
 
 お通夜でお正信偈さまのお勤めをさせていただきます。
ご門徒有縁の方がお参りですと方々からお勤めの声が聞こえてきますが静まり返った中のお勤めになりました。
 お勤めの後のご法話でお参りの皆さんの方を振り向くと殆ど知らない人ばかりでした。
喪主はじめご遺族の関係者のお参りが多かったということです。
昨日のお葬儀はそうした方々は少なかったようです。
 
 お通夜のご法話でその人の日頃の人となりをお話します。
近所の方々とご一緒にお寺にもよくお参りされていましたというお話ですが
近所の方々のすがたが見えません。
 お通夜のお勤めを終えて退場する時にみると一番後ろの席に近所の皆さんが座っていました。
昨日のお葬儀にはお焼香に出る姿がたくさん見えました。
 
 お葬式もそれぞれです。
人間は生きてきたように死んでいくと言われます。
長い人生の歩みのなかで常日頃からの人と人との関係のなかでお葬式というご縁をいただくということです。
 
 私たちのご縁はご本尊の阿弥陀さまを中心とするお念仏のご縁つながりです。
今日もお勤めを終えてナンマンダブツと皆さんの口からお念仏が出てきてくださる有難さです。
 お念仏申しなさいと言われて申すお念仏ではありません。
お育てです。仏さまのご縁に遇って平生からのお育てです。
有縁の方々仏さまのお育てをいただいてナンマンダブツとお念仏を申す身にさせていただいたのです。
 
 お念仏申す生活そのままに最期の最後です。命終えていきます。
人と人とのお別れですがナンマンダブツとお念仏を申してお別れができるのです。
そしてナンマンダブツとお念仏を申すなかに先に往かれた方がナンマンダブツとなって私のところに還って来て
阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきのお手伝いをしてくださるのです。
 
 これまでもそしてこれからもずっと南無阿弥陀仏の大きないのちのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちもお互いにつながっていけるということです。
 これほどの安心はありません。阿弥陀さまのお救いといただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.14)
 
大相撲嘉風関の引退
 大相撲の嘉風関が引退を表明しました。
大分県出身ということもありますが全国的にも大変人気のあった力士です。
 小さい体でどんな相手にも押し相撲で真正面からぶつかっていく相撲っぷりが勝っても負けてもファンを魅了しました。
 
 引退と聞いて37歳です。大相撲の世界では関取で最年長といいます。
引退して次は親方として後進の指導にあたるということです。
 ただ相撲の世界の厳しさは誰でも親方になれるのではなく殆どの力士は廃業して次の仕事を探さなければなりません。
30歳代でこれまでの仕事が無くなって次の仕事をどうするのか、苦しみ悩みが始まるということです。
 野球やサッカーのプロの選手もまた同じで本当に厳しいことだと思います。
 
 引退ということを聞いて、命終この人の命終えるということに重ねて思います。
命終の後です。後生の一大事といいますが
次のことを阿弥陀さまの方で用意をしてくださっているという私たちの浄土真宗のみ教えです。
 それも条件があったり資格を取らないといけないということではありません。
私がお願いしてつくってくださったということではなく
私が何も頼まないのに阿弥陀さまの方でこの私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏とつくってくださったのです。
 
 どんな人もです。阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまになって次の仕事が待っているというのです。
仕事と聞いてこの世で散々働いてきてお浄土にいってゆっくりできるのではなく大変だなというのではありません。
 
 仏さまのお仕事は自由自在といいます。
自由自在にこの世に還って来て人々を救うという阿弥陀さまのお手伝いをさせていただくのです。
 私が何も心配することではなく
この目には見えないけれども私の有縁の大切なお方が仏さまとなって
必ずこの私をお浄土にすくい取るというおはたらきのなかに
今日の私たちがあるということをまたお念仏を申すなかに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.13)
 
ご縁・つながり・念仏家族
 昨年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さんの特集番組がありました。
生前親しく交友のあった方々が思い出をお話され最後に娘の内田也哉子さんのインタビューがありました。
 
 樹木さんの言葉に「死ぬことが分かっているといろんな準備ができていいわ」とあります。
私たちもみんな死ぬことはわかっています。
しかしこの死を自分のことと覚悟して受けとめることは中々できないものです。
 
 樹木さんの場合はがんを発病したということです。
医者からがんの告知があり余命何日ということで準備ができるというのです。
 
 私たちはどうでしょう。
死ぬことは分かっていても今の私の問題ではないと考えようとしませんし
死の告知にあってはうろたえ迷い何もできないままに時間が過ぎ行くのではないでしょうか。
 若くて健康であっても明日があるということは誰しも分からないことなのです。
 
 樹木さんは結婚していましたがすぐに別居してずっと生涯別々の生活でした。
家族はバラバラの状態だったということです。
 最後に撮った家族写真が公開されています。
真ん真ん中に夫の内田裕也さんが座って家族みんなが取り囲んでいます。
 一家の大黒柱を囲んでの写真です。
家族が一つになるという象徴なのでしょうか。
 
 娘さんに最期に「私が死んでいく姿をみんなに見せたい」と言っていたそうです。
今は死に顔を見せたくないではありませんが家族葬で親しい友だちとも最後のお別れができなかったり
病気の姿を見せたくないと友だちも親族にも見舞いを断る人が増えているといいます。
 
 お葬式に子どもの姿を見ないことが多くあります。
お葬式にお参りしないのですから法事にもお参りすることはないのでしょう。
 
 人と人それも血縁というもの同士です。いのちの大恩人です。
そういうなかにあって家族が一つになることは本当に難しいことになりました。
 私たちの日々の生活です。
家族といってそれぞれものの見方考え方が違いますし生活ぶりも違います。
 今は核家族ということですから、日頃の生活のなかで互いに会うこともままなりません。
それこそ何年ぶりに親子が会うということもあるかもしれません。
 
 ただご縁というのは私たちが思いをもってつながっていくというのではなくて
私たちの思いを超えてつながってあるということです。
 それも私たちのご法義でいったらお念仏のつながりです。
家族です。血縁だけのことではありません。念仏家族です。
 
 お念仏のおはたらき一つにもっと広くつながっていく大きなご縁です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに私たちは生かされて生きてあるということです。
 
 これは死を覚悟したからできるご縁ではなくずっとずっと以前からできているということです。
どうぞお念仏を申しましょう。お念仏の声阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただきましょう。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに老いも若きもどんな人も最後はみんな命終えていきますが
大丈夫、この命の往く先を阿弥陀さまがお浄土と決めてくださってあることを聞いておきましょう。
お念仏申して一人でも多くの方に南無阿弥陀仏のみ教えを伝えてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.12)
 
目黒のさんま
 今年もサンマが不漁ということです。
昨日スーパーで小ぶりのサンマをみました。
びっくりしたのは生さんまとあって腹ばたを取っているんです。そして値段も高いということです。
 一方冷凍さんまがいっぱいあって大ぶりとはいえませんがある程度の大きさでそれも安価でした。
 
 この前の日曜日に東京目黒で毎年恒例のさんま祭りがあったそうです。
ずっと以前からの催しと思っていたらまだ24回目ということです。
 古典落語の「目黒のさんま」に由来する地域おこしの一大行事で目黒の皆さんが立ち上げて24年ということです。
 
 目黒でさんまが獲れるということではありません。
それで近くの築地からさんまを仕入れて皆さんに無料でふるまっていたら
そのことを聞いたさんまの漁獲地で有名な岩手県の宮古の皆さんが協力を申し出て
さんまを無料で提供しますと毎年7000尾送ってくれているということです。
 無料で本格的な炭火焼きで振る舞うということもあって大変な大賑わいということです。
 
 ところが今年はさんまが不漁ということでお祭りの開催も危ぶまれましたが
宮古の方が冷凍さんまを集めて集めて7000尾送ってくれたそうです。
初めての冷凍さんまによる今年の目黒のさんま祭りになりましたが大盛況だったそうです。
 
 このイベントにかける皆さんのあつい心意気を思います。
今までも東日本大震災があって中断しかねないこともあり
近年はさんまの漁獲時期がずれてこの時期に宮古で7000尾用意できるか難しくなって
北海道から買い取って送ったこともあるそうです。
 
 ただ冷凍さんまですからワタという通の人にはたまらない腹ばたがないのです。
それこそ古典落語じゃないけれど
殿様が今年のサンマを食べたら少し様子が違うので「これはどこのサンマじゃ」と尋ねて
「これこれしかじかで東北の宮古という所から取り寄せました」といったら、最後の落ちですね。
「やはり目黒のさんまが一番じゃ」とね。
 
 目黒のさんま祭りの背景を聞いて思うのは、さんまですよ。
さんまとはいえそこに人の思いがいっぱいつまっているということです。
それもつながってあるということです。すばらしいことだと思います。
 一人の思いだけでは到底できません。何人おればできるということでもありません。
7000尾そろえることって本当に大変だと思います。
お金のことでいっても大変です。
 そうした困難を乗り越えてサンマがつないてくれる人と人のご縁です。
目黒のさんま祭りを楽しみにしている人を含めてみんながつながるということです。
 
 私たちのお念仏です。
お念仏のみ教えで私たちはつながります。今日も皆さんつながっています。
 円光寺というここだけではなくいろんな所でいろんな方々とつながっているのです。
お念仏のおはたらきはこれまでご縁のない方にも行き届きこれからもつながっていくということを
お念仏のみ教えを聞かせていただき深く味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.11)
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