サマースクールというご縁
2018-07-23
夏休みに入って一昨日昨日と土曜日曜でした。
子ども会のサマースクールを今年も7月31日から8月1日にしますが
参加申込みにお母さんと子どもさんが一緒にたくさん来られて何度も玄関のチャイムが鳴りました。
「初めてですか」とお聞きします。半数ぐらい初めての方がいらっしゃいます。
兄弟で参加する子どもさんが結構多くて
お兄ちゃんお姉ちゃんが三年生になって次の子どもが一年生で初参加というようなことです。
もう一つ気づくことが、三佐小学校の生徒だけでなく他の小学校の子どもさんの参加が多いことです。
一つは親戚関係で、一つは習い事の関係で小学校を超えて友だち同士一緒に行こうということです。
子どもがいいなと思うのは、子ども同士で誘い合えるんですね。
私たち大人ですとそこに何か分別心がはたらいて円光寺の門徒でないとお参りできないという思いが先立ちます。
私たちの阿弥陀さまという仏さまはすべてのものを分け隔てなく救い取るというおはたらきの仏さまですから
どなたがお寺にお参りされてもいいのです。
大人になると難しい思いがはたらくということですが
子どもの頃にお寺のご縁をいただいて
夏休みにお寺でみんな一緒に泊まって遊んでおいしいものを食べてという楽しい思い出が
大人になっていよいよお寺のご縁をいただけることになれば思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.23)
カプセル人間
2018-07-22
酷暑です。本当にどこにいたらいいのか、家の中でクーラーの中で閉じこもる引きこもる生活になってしまいます。
カプセル人間といいます。家に閉じこもるということではありません。
私たちの有り様を仏さまから見るとカプセルの中に閉じこもっているようなものだというのです。
ちょうど自分の部屋にいるようにカプセルの中は自分中心の思いでいえば居心地のいいところです。
ただカプセルの中にいると外界から遮断され外から身を守れるということですが
外のことが見えなくなり、他の人との関係もなくなってしまいます。
この酷暑ということでいえば、私たちはどうしてもクーラーのあるところに引きこもってしまいます。
自然の力はたらきを避けるという対応、もっというと自然との対決で
自然との共生、共に生きるということではありません。
カプセルの中に入ってしまうと他のものが見えなくなる、それ以上に真実のあり様が見えなくなってしまうといいます。
これが迷いということで、私たちの迷いの元の煩悩の一つが愚痴です。真実を知らない愚かさというのです。
真実を知らずじまいに真実の教えに遇わずじまいに聞かずじまいに終える人生は
まさにカプセル人間の人生といえます。
こうして仏さまのみ教えに遇わせていただくことは、自分にとって居心地のいい生活ができるということではありません。
自分の思い通りに生きよう生きようとするなかにいよいよ迷い込むカプセルがあることを
この酷暑という大自然の営みの中に聞かせていただきます。
カプセルの中から大きな広い世界に出ておいで生まれて来いよとはたらきかけるのが南無阿弥陀仏のおよび声です。
ナンマンダブツナンマンダブツとよび通しによんでくださいます。
広大無辺の阿弥陀の世界、お浄土に生まれて来いよとよんでくださいます。
お浄土は俱会一処の世界、みんなが一緒になれるところです。
お念仏を申すなかにお浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.22)
夏休みが始まりました
2018-07-21
今日から学校が夏休みに入ります。
夏休みといって今の私の生活には関係ないようでもありますが、何か子どもの頃に返って心躍る気持ちになります。
私の歳でいいますと65歳で65回目の夏休みということです。
去年から<夏休み円光寺朝の鐘つき体験>ということで
夏休みの期間中毎朝6時の鐘を皆さんについていただいてご一緒にラジオ体操をしましょうという会をもっています。
今日からまた今年の夏休み鐘つき体験が始まりました。
昨日ですが、毎月一回大分市のコンパルホールで法話会のご縁をいただいています。
そのなかで最近参加された男性の方から「何年生まれですか」と歳を聞かれました。
「昭和27年生まれの65歳です」とこたえましたら、その方がびっくりしたように「私より年下ですか」というんです。
その方は70歳ということで私からいうと見るからに随分年上のように思っていましたが
私が77歳78歳かと思っていたと言われて、それはないでしょうと言いました。
ちょっとショックでしたが、そういうふうに思われていたということですね。
先ほど久しぶりにラジオ体操をしていて体がふらつくんですね。これまたこの身ということについてびっくりしました。
体が後ろに曲がらないんです。無理して曲げようとしたらそのままひっくりかえるような感じさえありました。
汗びっしょりかきました。汗をかくと僧衣に着替えるのに汗がまとわりついてうまくいかないんです。
そんなこんなでお朝事のお勤めの時間が少し遅れてしましました。
普段と違う事をするというのは本当に大変なことです。
体がおっつかないところがでてきました。
この身です。この身というのはいつまでも若くありたい
まだまだ若いと思っていても周囲の人から見たら随分歳をとっているなということです。
我が身ということですが、自分の思うようにはいきません。
ただ思い通りにいかないこの身を生きるなかにあって
こうして皆さんと一緒にナンマンダブツとお念仏を申すご縁をいただける有難さ尊さを嬉しく思います。
一人では何もできません。
皆さんに支えられ生かされて生きているんだなと殊更思った、今日7月21日夏休み始まりの日であります。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.21)
お浄土からのおはたらきご縁をいただく
2018-07-20
今日の御和讃は正像末和讃の最後聖徳太子さまを讃嘆する和讃です。
今日の御和讃のなかに「和国の教主聖徳皇」とありました。和国は日本の教主はお釈迦さまのことです。
お釈迦さまがこの世に出られて阿弥陀さまの救いの法を説かれたといただくのが私たちの浄土真宗のご法義です。
お釈迦さまが人間界に生まれてということですが、お釈迦さまは阿弥陀さまの化身といただきます。
聖徳太子さまもまたお浄土からの仏さまといただきます。
お浄土から仏さま方が来生して私たちにお念仏のみ教えを勧められてあるといいます。
ナンマンダブナンマンダブとお念仏を申せよと南無阿弥陀仏のおはたらきでこの私に届けられたお念仏といただきます。
お浄土からお釈迦さまをはじめ数多くの諸仏方が私たちにお念仏を届けられています。
ただこの私に届いているお念仏がこの人生のなかでこの私の口からお念仏となって出てくださる
ご縁に遇うことは本当に難しい、難中の難だといただかれたのも親鸞聖人です。
ご縁をいただけご縁をよろこべご縁のなかに私たちのこの日暮しがあるのだとおはたらきです。
そしてこの命終わるけれども阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただき
今度はお浄土からこの世に還って来て人々を救うというおはたらきをさせていただけると
そのこと一つ聞いてくれよと今日の御和讃をまたいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.20)
酷暑のなかで
2018-07-19
昨日は岐阜県で40度を超えたということで、日本で5年ぶりのことだそうです。
酷暑という言葉を聞きます。35度以上を猛暑日、30度以上が真夏日、25度以上を夏日というそうです。
どんどんハードルが高くなって40度以上は酷暑です。極めて暑いということですが、本当に暑くてまいってしまいます。
暑さ対策といって今はエアコンのあるお家が一般的になりました。
ただこれは電源があってということです。電源がないとエアコンはただの物です。
東日本大震災のとき、避難された方がエアコンのない段ボールで仕切られた体育館で過ごし
猛暑対策ということでいろんなことが考えられたといいます。
昨日のニュースで猛暑対策展が東京であっていると聞きました。
電源のないところでの猛暑対策、いろんな工夫をこらしていろんな対策をいろんな方が考えられてるということです。
私たちの先人の生活を思います。
それこそ150年前200年前は電気というものがありませんでした。扇風機もエアコンもありませんでした。
そうしたなかでも私たちの先人は暑い夏を乗り越えて生き抜いてきたわけです。
うちわや氷で涼をとったり蚊帳というのもありました。
そして今私たちは電気というものを得て、窓のないオール電化の家をつくるほどに快適な生活を考えてきました。
しかしこれからもまたその上を行く猛暑極暑というなかに生きていくわけです。
日々の生活です。あれやこれや考えながら、そして涼しい秋を待つんでしょうね、寒い冬を迎えるんでしょうね。
そうしたことを繰り返しながら私たちの日々の生活があるということです。
そういうなかに私たちはお念仏を申すという生活を先人から伝えられてきました。
お念仏を申すなかにも暑さを乗り越えていかねばなりません。寒さの中にも日々の生活があります。
どうぞお念仏を申すなかに先人が培ってきた、私たちにこれこそはと伝えてこられたことをまた思って
今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.19)