浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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本当に痛ましいことです、悲しいです
 滋賀県の大津市琵琶湖畔の道路で交通事故があり
信号待ちしていた保育園児の列に乗用車が突っ込んで2人の2歳の子どもさんが死亡する事故がおきました。
 
 本当に痛ましいことです。悲しいです。
誰も事故をおこそうと思って車を運転する人はいません。
 事故をおこした当事者は大いに責められますが
いろんなことが重なって事故に遭い被害に遭われた方、そのご家族の心情はいたたまれないものだと察します。
 なぜ未来のある小さな子どもたちがこんなかたちで命を終えていかねばならなかったのか
不意に残酷なまでの不条理な事実を突きつけられ、悲しみ嘆いてもこの事実は変わりません。
 
 あらためて車の恐さを思います。まさに車は走る凶器です。
車は現代文明の利器であり、車社会はそれまでの生活を一変させ私たちは本当に便利な生活を享受しています。
 しかし車の運転が一般的になるにしたがい交通事故の件数死亡者数は右肩上がりに増え続け
近年は減少の傾向にありますが、今も男女老少を問わず多くの方々が交通事故で亡くなっています。
 
 車の性能がどんなに良くなっても運転するのは人間であり
人間の能力はどんなに科学が進歩しても良くなるわけでも発達するわけでもありません。
 最近では高齢者の運転死亡事故が目立って多くなってきています。
 
 安全運転を心がけても不意に車をコントロールできなくなり、その時車は大きな破壊力をもった凶器と化すのです。
所詮人間がすることでミスはなくなることはなく、この私がいつ加害者になってもおかしくないのです。
 
 今回の事故についてはこれからいろんな角度から検証がなされ
改善されることもたくさんあると思いますが
人間が車を運転する限り交通事故がなくなることはありません。
 
 善い人だから事故をおこさない悪い人だから事故をおこすということでもありません。
ただ自分は大丈夫と高をくくるところに多くの危険が潜んでいるのではないでしょうか。
 自分中心にどこか傲慢に生きているところがないか反省させられます。
自らの至らなさを思い知り謙虚に生きることが大事です。
 
 こうして御仏前に座りお念仏申して仏さまにお礼をさせていただきます。
仏さまの大きなお慈悲のなかに生かされてある私たちですが
縁がととのえば何をしでかすかわからない私だということも聞かせていただきます。
 我が身の事実にしっかりと向き合ってお念仏申すなかに今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.9)
 
お寺で終活のご相談です
 昨日お寺にご夫婦と長男三人の方が相談があるとみえました。
門徒になりたいということです。母屋が浄土真宗のお西で同じ宗派のお寺ということで来ましたといいます。
 
 門徒になるということは尊いご縁ですが、お葬式のご縁で門徒になる方が殆どで
前もって門徒になりたいと言って来られたケースはこれまでに数例あっただけです。
 
 その一例でお父さんが一人で門徒になりますとお寺にみえました。
門徒になってその後2年ほどしてその方が亡くなったのです。
 死を覚悟して後に遺る家族に迷惑をかけないように自分で死後の準備を済ませておこうと思ったのでないでしょうか。
そういうことで門徒になったのですが、家族には相談していなかったようです。
 お葬式の時にはお寺を決めてくれていてよかったと思いますが
それからのお寺との関係については家族にとってこんなはずじゃなかったという疎遠な感じがいまだにします。
 
 お話を聞いて、今門徒になっていただくのもお葬式のご縁で門徒になってもらうのもいいですよと言いました。
「お葬式のときでいいんですか」と声が返ってきました。
 それまで押し黙っていた奥さんと息子さんの表情が何か和らいだ感じになりお話もされるようになりました。
多分お父さんの独断で門徒になる話を進めていって二人には不安があったのではないかと思います。
 
 お葬式のご縁とは大切なご家族の方が亡くなるというご縁です。
お寺に連絡していただければお葬式のお勤めもしますしその時にご門徒になっていただきます。
 
 お父さんお母さん息子さんと一緒にお話ができて本当によかったです。
一人の思いで話を進めても結局お葬式は喪主の方が取り仕切ることになります。
 親であれば子どもです。
親の思いと子どもの思いが一緒かというと、そういう相談をすること自体中々できません。
 家族が亡くなったことを想定するわけですからね。まさに究極の終活です。
私が死んだらどこのお寺にお葬式をお願いしたらいいか家族で相談ができたということです。
「これで安心しました」と三人ともほっとした様子でした。
 
 こうした思いをもってらっしゃる方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。
特に人口が集中する大分市内は県外から仕事等の関係で家を構え家族と共に暮らしている人が多いと思います。
 死んでから先のことは死んだ時に考えたらいいと言われますが、難しいです。
一日二日でお通夜お葬式をしなければいけません。
それで今はもうお寺に頼まない、お葬式をしないところが増えてきました。
かといって後から思い返してもああすればこうすればよかったと後悔する人もあるのではないでしょうか。
 
 お寺は死んでから後に用事があるところではありません。
死んでから後のことは今なんです。
今元気なうちに相談し今聞かせていただくことが大事だと昨日のご縁でまた思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.8)
 
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たちは生かされて生きています
 一昨日からのお寺でのお葬儀を通じて
私たちは南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされて生きていることを思います。
 
 本堂のお内陣は阿弥陀さまのお浄土を表します。皆さんのお家のお仏壇もお浄土です。
お浄土は阿弥陀さまのおさとりの世界、私たちが往き生まれるところです。
 阿弥陀さまがお浄土でお説法されているとお経さまに説かれています。
そのお説法が南無阿弥陀仏のお名号となって私たちのところに至り届き
「まかせよ救う」のおはたらきとなっていると聞かせていただきます。
 
 お浄土には南無阿弥陀仏のおはたらき一つで先に往生された方がいらっしゃるといいます。
先に往かれた方は今はお浄土の仏さまとなって阿弥陀さまのおはたらきのお手伝いをしてくださり
私のところに南無阿弥陀仏と還って来て私と共に生きてくださってあるというのです。
 
 浄土真宗のお寺でのお葬儀のお荘厳です。
お内陣がお浄土で、外陣の方にご遺体をご安置させていただきます。
 内陣と外陣を分けて段があります。
高い段で区切って阿弥陀さまのお浄土と私たちのこの世を分け隔てているのです。
十方衆生を分け隔てなく平等にそのまま救うという阿弥陀さまのみ教えからいうと何か違和感もあるでしょうが
実はこの段が大事なんです。
 
 私たちはこの命を生きている限りは自分中心の思いはからいを離れて生きることができません。
どこまでも煩悩具足の凡夫の身であります。
 この身を煩わし心を悩まして迷い苦しむ私たちを見て取って
阿弥陀さまがこの私をこそ必ず救うと本願をおこし南無阿弥陀仏となっておはたらきなのです。
今日もこの私の口からお念仏が出てくださる有難さを思います。
 
 今こここの私のために開いてくださった南無阿弥陀仏の救いの法です。
この救いの法を命がけで私たちに伝えてくださる仏さまこそ私たちのご先祖有縁の仏さまなのです。
人間の迷いの命を終えて浄土に生まれて仏さまと成ってくださってあるのです。
 
 ご遺体は火葬されてお遺骨となりお寺にお供してお勤めをさせていただきます。
お遺骨となって還るということで還骨といいます。
 お遺骨を私(住職)の胸に抱いてお内陣の阿弥陀さまのおそば近くにご安置させていただきます。
 
 お通夜からお葬式の一連の流れは私たちの目に見える形でこの世からお浄土への道すがらを説いてくださっています。
南無阿弥陀仏一つで救われるお念仏の仏道です。
 先に往かれた方もそうですがこの私一人のためにこの道を開いてくださってあるといただきます。
 
 お浄土から開かれたお念仏の道です。
お寺参りはお浄土参りに通じます。お寺のご縁をいただいてお念仏の道を歩ませていただきます。
 
 浄土真宗のお葬儀は南無阿弥陀仏のみ教えに遇わせていただける大きな大きなご縁です。
悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて
初七日に始まる中陰のお勤めを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 このたびのお寺のお葬儀のご縁を遇って
南無阿弥陀仏の大きないのちに生かされつながってお互い生きていることに
私たちの救いがあると有難く安心しました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.7)
 
お寺のお葬式
 今日はHさんのお葬式ということでこの後本堂のお荘厳をさせていただきます。
浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来さまを中心にお勤めさせていただく浄土真宗のお葬儀です。
 
 昨日はあんのん館の御絵像の阿弥陀さまのご尊前でお通夜のお勤めをさせていただき
今日は本堂の御木像の阿弥陀さまのご尊前でお葬式のお勤めをさせていただきます。
 
 前のお内陣を見ていただいて平生のお荘厳です。
御正忌報恩講のような賑々しいお荘厳ではありません。
お彼岸やお盆、降誕会のお飾りとはまた違います。
 ただ悲しみのご縁ということで打敷を白にしています。
至ってシンプルです。
 
 阿弥陀さまのお救いは平生のお救いです。
南無阿弥陀仏の名号の仏さまとなっていつでもどこでも誰でものお救い
今こここの私を必ず救うといつもおはたらきなのです。
 
 その阿弥陀さまのお徳おはたらきがお内陣のお荘厳となって表れてくださってあるのです。
シンプルななかにも余分なものは一つもありません。
お飾りのすべてがこの私をお浄土に救い取ってくださる阿弥陀さまのおはたらきだと聞かせていただきます。
 
 有縁の方でお勤めされるお葬式ですが、お寺の本堂でお勤めする8年ぶりのお葬式です。
お寺のお葬式をこれからご門徒皆さんにすすめていこうと思います。
 どんなお葬式か、目に見える形でお飾りさせていただきます。
その一つ一つが先に往かれた大切な方と私たちをつないでくださる仏さまのご縁です。
 どうぞお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.6)
 
8年ぶりにお寺でお葬儀のお勤めをさせていただきます
 昨日の夜週に一度このお朝事にお参りされるHさんのお父さんが亡くなったという電話を受けました。
お家で亡くなってすぐお寺に連絡したということです。
 急なことでまだ葬儀社も決めていないといいます。
お母さんのときにお願いした葬儀社は今は営業していないというのです。
 
 この前円光寺通信にお寺でお葬儀をしましょうということを書かせていただきました。
それを読んでくれていたんだと思います。
またお朝事のご縁にお話を聞くなかでお寺でお葬儀をという思いがあったのではないでしょうか。
 それで早速葬儀社に私から連絡し、臨終勤行にお参りしてお話をさせていただき
お寺でお葬儀をさせていただくことになりました。
 
 お寺でのお葬儀です。
お寺の本堂のお荘厳は御本尊の阿弥陀さまのお浄土を表します。
この阿弥陀さまのお浄土に往生させていただくご縁が私たちの浄土真宗のお葬儀なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきます。
私たちはどんな人も必ずこの命を終えていかねばなりません。
 人の命終わって死んだらお終いではなくて
この私をお浄土にそのまま必ず救い仏にさせると阿弥陀さまがおはたらきなのです。
 
 今日のご和讃です。「南無阿弥陀仏をとなふれば」と何度もでてきました。
お念仏を申すとは私が生まれ往くところをお浄土と決めてくださった南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくことなのです。
 
 お葬儀は大切な方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきます。
先に往く人もお浄土ならば後に遺るこの私も同じお浄土に生まれさせていただくことができると
日頃からご縁のあるお寺で共々にお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 
 8年ぶりのお寺でのお葬式です。
前のことはすっかり忘れてしまって昨日から前回はどうだったかなと思い出しながらのことですが
皆さんにもご加勢いただいて精いっぱいお葬儀のお勤めをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.5)
 
「南無阿弥陀仏をとなふれば〜夜昼つねにまもるなり」
 今日明日のご和讃は『現世利益和讃』といって両日とも「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まります。
今日の六首の中の五首に「夜昼つねにまもるなり」という文言が出てきました。
 
 御利益ということをいわない宗教はありません。
ただ御利益というと、例えば病気が治るとか金回りがよくなるとか
自分の都合に合わせて自分の思いがかなうことを御利益といっているようですが
南無阿弥陀仏の御利益は夜昼つねに護られるという御利益なのです。
 
 どなたに護られるのか護られているのかというと
この真ん真ん中のご本尊の仏さま阿弥陀さまですが
阿弥陀さまのお徳をほめ讃える十方世界の諸仏方でもありそして仏法を護る諸神方でもあります。
 
 今日の最後の和讃に炎魔法王と出てきました。
地獄の炎魔さまからも護られるのです。
 その前の和讃には龍神とありました。
昨日今日と海原のお祭りですが、御旅所新町の龍神さまです。
水の神さまです。
 
 地の神から水の神から天神天の神からも護られるという
大きな大きな御利益をお念仏を申す私たちはいただいているというのです。
 
 この目に見えないことより今日の生活目に見える御利益をいただきたいというのが私たちですが
生老病死の迷いのなかに苦悩する身を見捨てることなくいつでもどこでも寄り添って
そのまま救う必ず救うと阿弥陀さまがおはたらきくださり
諸仏諸菩薩諸神方がいつも護ってくださってあると
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに聞かせていただきます。
 
 この目には見えないけれども大きな大きなおはたらきのなかに生かされてあることを
今日のご和讃をいただきながらまたお味わいさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.4)
 
南無阿弥陀仏の仏法は私たちみんなの憲法です
 10連休でお休みが続くとふと今日は何日か何曜日かということを思い返すことがしばしばあります。
今日は5月3日の金曜日で憲法記念日で祝日です。
 
 天皇陛下が新しく即位され朝見の儀で私たち国民にお言葉を述べられました。
憲法にのっとり象徴としての天皇の務めを果たしていかれるという決意のお言葉でした。
 30年前の前天皇の時と同じような内容ですが、前回は憲法を守りという言葉でした。
憲法を守るということと憲法にのっとるということはどう違うのかという論調が早くも聞かれます。
 国民主権を柱とする日本国憲法にあって象徴天皇は憲法に規定されたことで
天皇は憲法を守り国及び国民統合の象徴としての務めを果たしていくということです。
 
 私たちの仏法を重ねて思います。
仏法に帰依するものが仏教徒です。仏法僧の三宝に帰依することをもって仏教徒になるのです。
 私たち浄土真宗の門徒がいただく仏法は南無阿弥陀仏の本願他力の救いの法です。
南無阿弥陀仏の仏法を依りどころに生きるということです。
 
 憲法は人間がつくったものです。
このような国になっていこうと国民の総意でつくったその国の最高法規が憲法です。
 憲法は不変のものではなく時代と共に国を取り巻く世界社会の状況が変わるなかで
憲法は国民の総意で改変することもできるのです。
 
 一方仏法はというと、人間のはからいを超えて仏さまが私たちすべての人間の幸せを願って
つくってくださった普遍の法なのです。
 だから人間の都合によって変えられるものではなく仏法はどこまでも仏法であり続け
仏法を依りどころに生きるかどうかは私たち一人一人のはからいなのです。
 
 仏法は元々自然の法です。親鸞聖人は自然法爾(じねんほうに)とお示しです。
あるがままそのままの真実の法なのです。
 その真実の法をお経という言葉にして私たち人間に明らかにされたのが仏法なのです。
仏法は言葉によって人から人へと受け伝えられてきたのです。
 
 ただ人間が使う言葉ですからその言葉に固執したり受け取り方を間違うと
仏さまのお心とはかけ離れたようなことにもなってきます。
 南無阿弥陀仏の仏法は念仏一つで救われると聞かせていただきます。
「我にまかせよ必ず救う」の阿弥陀さまの仰せに信順することです。
人間の私の思いをさしはさむことなくそのまま聞けよとの仰せです。
 
 南無阿弥陀仏の仏法は私たちみんなの憲法です。
この私を必ず救うと今ここにおはたらきの阿弥陀さまの真実まことの救いの法です。
そのこと一つまた聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.3)
 
ご法事は大切なお方が仏さまとなってくださったご縁です
 年回法要のご法事のご縁をいただきます。
仏さまになってくださったご先祖有縁の仏さまのご縁です。
 
 私たちの浄土真宗のご本尊の仏さまは阿弥陀如来さまですが
この阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきを伝えてくださるご縁です。
 
 今生で親子であり兄弟であり連れ合いであり親戚であり友人であった
大切な方とお別れする悲しいご縁をそのまんま仏さまのご縁といただけるのがご法事のご縁です。
 
 ご法事を丁寧にお勤めさせていただきましょうと常々申し上げています。
年回法要のご法事は毎年勤めるということではありません。何年かに一度というご縁です。
 だからこその仏さまからいただいたご縁です。
お仏壇をきれいにお荘厳させていただきましょう。
御仏前に有縁の皆さんが心を一つにしてこの身を寄せるはこぶということです。
 
 お家の中心にお仏壇をご安置させていただくことの有難さです。
お仏壇は阿弥陀さまのお浄土を表します。
 ご先祖有縁の仏さまが往ってらっしゃるお浄土です。
お浄土があってよかったですね。
 
 私は今人間の身を生きていますがいずれこの命を終えていきます。
ただ死んだら終いではなくて南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき
仏となって懐かしいご先祖有縁の仏さま方と再会させていただけると聞かせていただきます。
 
 御仏前で仏さまのご縁を皆さんご一緒にいただけるのです。
南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに
私たちはこれからもずっとずっと共々に生かされてあるということを聞かせていただき
御仏前にナンマンダブツナンマンダブツとお礼のお念仏を申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.2)
 
令和元年の元日です
 元号が変わって今日は令和元年の元日です。
平成から令和へということでテレビや新聞等で皇室のことが報道されています。
 
 皇室という特別な世界に民間から初めて入られた美智子皇后さまのご苦労を慮ります。
独特な伝統しきたりのなかにあって天皇陛下と共に新しい皇室のあり方を模索し
自ら家事をし子育てをして家庭生活を営まれてこられました。
 憲法に定める象徴天皇の務めを果たされる天皇のすぐそばにいつも寄り添い
お二人で歩まれるおすがたに多くの国民が親しみを感じていました。
 
 戦前までの天皇は現人神でした。
戦争に負けGHQの占領下で昭和天皇は人間宣言をされました。
 人間宣言しなくても人間なのです。
私たちと同じように生身の人間を生き苦しみ悩みもたくさんあったことだと思います。
 
 天皇陛下だからといって一人で生きてきたわけではありません。
私たちも誰一人みんなそうです。
 多くの方々に支えられ大きないのちの営みのなかに生かされてあることをまた思います。
 
 新天皇が即位され令和の時代が始まります。
自分中心にそれぞれが生きてお互いに顔が見えないという人間関係が益々希薄になっていくなかで
どういうかたちで国民に寄り添っていくのか、お互いに支え合う社会になっていけるのか
大きな重い課題を抱えるなかで象徴天皇のあり方が注目されます。
 
 私たちは南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えをいただいて生きています。
平成が令和に変わろうとも日々移り変わるこの世の営みのなかにあっても
変わらない真実まことのお念仏のみ教えをいただいている有難さを思います。
 今日一日もお念仏を申すなかにこのいのち輝かせて生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.1)
 
平成最後の一日です
 昨日は終日雨でした。外に出ることもなくボヤーンとテレビを観ていました。
今日で天皇退位ということで特集番組があっていました。
 夜は平成30回の紅白歌合戦を振り返る番組を懐かしく観ながら
平成元年の歌も30年前の昔の歌ということではなく今なお新鮮に聴くことができました。
いい歌はずっと人々の心に残り歌われ伝えられていくんだなと思います。
 
 この30年があっという間のことのように思えます。
自分の人生の歩みに重ねて一体何をして生きてきたのだろうとも思います。
 30年前は30代でした。気力も体力も充実した年代でした。
あれから30年いろんなことがありましたが何かスーっと通り過ぎていったような気がします。
 
 今日は平成最後の日です。
平成の大晦日というようなことで、昨日は紅白があってということでいいますと
何か今日の夜は除夜の鐘をつかないといけないのかなと思うような気さえします。
 
 平成から令和になって私たちの日暮しが劇的に変わるということではありません。
いつものように明日の朝はいつもの時間に起きてこのお朝事のお勤めをさせていただくことです。
 
 昭和から平成になるときのことを思い出します。
昭和天皇以前もそうでしたが、終身天皇ということで今生天皇が亡くなって次の天皇が即位するということで
あの当時は日本全体が自粛ムードでいっぱいでした。
 テレビは追悼番組を放送しお笑いや歌番組は一切駄目ということで
公共行事をはじめ民間のお祝いごとも自粛する空気が日本国中に蔓延していました。
 まさに深い悲しみに沈むなかで平成の新時代を迎えたことでした。
 
 今回は違います。まさに祝賀です。
それこそ明日の朝目覚めて皆さん「明けましておめでとうございます」と言うんじゃないですか。
年越しそばもお雑煮も出てくるかもしれません。
特別なおせち料理もあるのかな、そこまでしなくても大きな時代の節目に私たちは生きているのです。
 
 30年間平成を生きてきました。これから令和になって生きるということで
あとどのくらい生きるのかな、次の時代もあるのかなと思ったりして
今日の平成最後の一日を過ごさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.30)
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