浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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10月に入りました
 10月に入りました。
一年も4分の3が過ぎ後残すところ3か月です。
月日の経つのが本当に早いですね。 
 
 今朝の新聞の一面は各紙とも「消費税10%に」です。
消費税が上がって私たちの生活がどう変わるのか
増税で社会のあり様が変わるところもありますが
私たちの基本であるお念仏を申す生活は変りません。
 移り変わるこの世の中にあって私たちは変わらない真実まことのお念仏に安心して生きていけるのです。
 
 消費税増税も今回は軽減税率という政策で主な食料品日常品は8%の据え置きです。
5年半前の5%から8%に上がるときのような騒動はなかったようですがお酒は上がります。
 晩酌する人にとっては大きな影響を被ることで買い溜めした人も多いと思いますが
一生分までということはできません。
 これも段々と8%が10%に慣れていくということです。
 
 今日は敬老会です。
もうすでに婦人会の方がみえて準備にかかっています。
 70歳以上のご門徒が対象の敬老会ですが、皆さん年々若返っているような感じで頼もしく思います。
 
 お寺に皆さんお参りされて結構なことです。
老いも若きもいろんな生活ぶりの方がいらっしゃいます。
そんな皆さんがお寺にご一緒にお参りされます。
阿弥陀さまの御仏前がにぎやかになります。
 
 今日もお念仏を申すなかに敬老会という仏さまのご縁をいただけることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.10.1)
 
他力の信心いただいてお念仏申し往生浄土の道行きを歩ませていただきます
 ラグビーのワールドカップで日本が世界ランキング2位で優勝候補のアイルランドに勝ったということで
昨日も終日テレビ報道があり日本中が勝利の余韻に浸っているなかで
リーチ主将は記者会見で「あと残っている2試合で負けてしまったら意味がない」と勝って兜の緒を締める発言です。
当事者が一番わかっていることで、いつまでも大騒ぎをするのは周りだけです。
 
 会見で勝因はと聞かれて「勝ちたい」と思う気持ちと「勝てる」という自信といっていました。
ラグビーの専門家でも冷静に見て日本が勝てると予想した人が少ない中で
選手たちは勝つ勝てると思ってこれまで厳しい練習にも耐えてきたといいます。
 
 勝ちたいと思う気持ちと勝てるという自信です。
私たちが阿弥陀さまのお救いに遇うということを重ねて思います。
 
 浄土真宗は往生浄土の仏教です。
迷いの私が阿弥陀さまのお浄土に往生してさとりの仏に成る仏道を明かします。
 浄土に「生まれたい」と思う心と浄土に「必ず生まれる」自信です。
 
 勝負の世界は互いに相手があることで勝ちたいと思う気持ちがないと試合をする前から結果は見えています。
ではお念仏の世界も浄土に生まれたいという気持ちがないと阿弥陀さまのお救いの外になってしまうのでしょうか。
 
 阿弥陀さまは救われたいとも浄土に往生したいとも思わないこの私をこそ目当てに
お念仏一つで必ず救うそのまま救うとご本願を建てられ成就して南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。
 
 どうかお念仏の救いの法に遇ってお念仏申す身になってくれよと阿弥陀さまがおはたらきです。
私が浄土に生まれたいと思う心も私が浄土に生まれることも
もうすでに阿弥陀さまの方で完成し用意をしてくださってあるというのです。
 
 私が信じて起こす信心ではなく阿弥陀さまの他力の信心をいただくことが肝要です。
南無阿弥陀仏の救いのみ教えに遇って阿弥陀さまの本願念仏のお心を聞かせていただき他力の信心をいただいて
お念仏申し往生浄土の道行きを今日も一日歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.30)
 
花火が決めてくれる
 昨日は三佐小学校の運動会でした。
夜中に雨が降って運動会があるのかないのか不安な中に花火が上がって「今日は運動会」が決まりました。
 私が子どもの頃は花火が上がっていたかどうかは定かではありませんが
もし私が今小学生だったら昨日の花火をどう聞いただろうかと思います。
 
 私は運動会が苦手でした。運動会なんかなければいいのにとさえ思ったことがあります。
それで夜中に雨です。心の中でもっと降れもっと降れと思います。
そして朝が明け花火が上がります。
「えっ何で、雨が止んだの。運動会があるの」という複雑な気持ちで学校に行ったのではないでしょうか。
 
 考えてみれば運動会は延期にこそなれ中止にはなりません。
延期になって嫌な気持ちが先延ばしになるだけのことです。
 
 花火の音で揺らぐ心が決まるんですね。
今日は運動会で待ったなしと心に決め覚悟を決めて運動会に臨むしかないのです。
 花火が揺らぐ私の心を決心させてくれるんですね。
ここは覚悟を決めてやるしかない
自分ができる精いっぱいのことをやるしかないという気持ちにさせてくれるのがこの花火なのかもしれません。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏のお心おはたらきです。
阿弥陀さまのお喚び声をいただきます。
阿弥陀さまが「必ず救うまかせよ」と私を喚んでくださるお喚び声です。
 
 南無阿弥陀仏のお救いの法を聞かせていただきます。
まかせよ救うとおはたらきなのですから私はただまかせればいいのですが
仏智不思議を疑う心が次から次におこってきます。
 もうまかせる以外に私の手立ては一つも要らないと聞かせていただきますが
どこまでも私のところに重心をおいて阿弥陀さまにまかせられないのです。
 
 阿弥陀さまは迷いのなかにあって決心がつかない私のあり様もすでにご存知で
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と何度も何度も遠い遠いはるか昔から繰り返し繰り返し
私を喚び覚ますように喚んでくださるお喚び声になってくださったのです。
 
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきにおまかせして
私たちはそれぞれに生活ぶりは違いますが
私にできる精いっぱいのお念仏申す生活をさせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏の声が私に決心をさせそのまま阿弥陀さまの大きなお救いのなかに生かされて往くのです。
花火の音が何かお念仏の声のように頼もしく聞こえます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.29)
 
「62円のうた」最後の便りです
 雨に濡れて彼岸花が今満開です。
今朝6時に花火が何か所から上がりました。小学校の運動会のようです。
 夜中に雨が降って皆さん心配したと思いますが
花火の音で「さあやるぞー」と思いが一つ決まったのではないでしょうか。
 
 10月から消費税が上がります。
毎月法話会の案内をハガキでしていますが昨日早々に来月の案内をしました。
 ハガキも62円から1円上がって63円になります。
1円ぐらいとお思いでしょうが、私のささやかな抵抗です。
 
 ハガキにいつも文章を添えて投函します。
若い頃年賀状を出すのに通り一遍のものではもったいない面白くないと文章を添えるようになったのが始まりです。
文字だらけのハガキで読んでもらえるのかなと思ったりしますがその時どきの思いを書いて届けます。
 
 今はハガキをあまり使わくなったように思います。
日常何かの連絡はメールで即座にできるからです。
 
 ハガキで思い出すのは永六輔さんと遠藤康子さんの「だれかとどこかで」というラジオ番組です。
毎週金曜日に「7円のうた」というコーナーがあって
放送開始当時7円のハガキに全国の視聴者が思いをつづり届けられたものを放送するのです。
 ハガキの限られた紙面にそれぞれの思いを簡潔に文章にまとめて書くのです。
大変難しいことですが思いが端的に詰まって届けられ思い当たることがあったり教えられることがあったりしたものです。
 
 その7円のハガキが何度も値上がりして10月からは63円です。
改めてこれは凄い値上がりです。
 
 ハガキでまた思い出すのが映画「男はつらいよ」のラストシーンです。
とら屋のちゃぶ台かそこらに置かれたハガキが最後にクローズアップされます。
寅さんからの便りのものもありマドンナからのものもあります。
 それがどこかに無造作に置いてあるのがいいんです。
その人に宛てたハガキですが他の人もそれを見る読むことができるのです。
 ハガキにしたためて思いを届ける、届いてほしいと思います。
 
 阿弥陀さまのご本願のお心です。
南無阿弥陀仏の声になって私たちに届けられています。
 阿弥陀さまは私たちが後ろを向いていても耳をふさいでいても
厭きることなく何度も何度も何度も何度も遠い遠い昔から
この私に南無阿弥陀仏のお念仏の声を届けてくださってあるのです。
 
 今日も今もです。昨日も一昨日もそうでしたし、明日も明後日もこれからもずっとです。
「私がいるよ大丈夫だよ。我にまかせよ必ず救う」のお喚び声に生きる力をいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。 (2019.9.28)
 
目に見えないいのちの営みに思いをはせましょう
 秋の彼岸週間が昨日まででした。
6時の梵鐘をつく時に山門の門灯が点いていることに気づきました。
夜明けの時刻が遅くなりこれから来年の春の彼岸明けまで続きます。
 
 鐘楼前に今年もこの時期彼岸花が咲いています。
9月に入ってほどなく一本すっーと茎を出し花をつけました。
今年は早いのかなと見ているといつもと同じ今日この頃の彼岸花のお花見です。
 
 彼岸花は急にひゅーっと出てきて花を咲かせます。
そして枯れて間もなく葉を出します。
 それもずっとではなく一年の大半は土の中です。
私たちの目にする彼岸花はちょっとの間です。
 
 でも彼岸花のいのちはずっとつながっているんですね。
土の中で力を蓄えスーッと茎を出し花を咲かせ枯れて次のいのちを育むのです。
 
 私たちのいのちです。
今人生100年といっていますが、この宇宙地球のいのちの営みからいったらわずかな時間です。
 何か人間が地球を宇宙までも自分たちの思い通りにするようにわがもの顔で勝手に振る舞っていますが
地球の歴史からいっても人類は新参者です。
 私の命でいうとちょっと地球上に出てきてすぐいなくなります。
 
 ただ私たちの仏法を聞かせていただくと
この人間界に生まれてくるまでに数え切れないほどの時間何度も何度もいのちの歴史を繰り返し
いのちのつながりのなかにこの私が生まれてきたといいます。
 そしてこの命終わって次があるというのです。
次に私がここに生まれたいと思って生まれるのではなく自然の道理自業自得の道理によるといいます。
 
 今度こそは迷いの世界を超えてさとりの仏の世界に生まれて来いよという阿弥陀さまの願い
必ず生まれさせるという本願念仏の力おはたらきで私たちはお念仏申す身にさせていただき
そのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏にさせていただいて
この世に還って来て衆生を救う仏さまのおはたらきをさせていただくと聞かせていただきます。
 
 この前16歳の環境活動家グレタさんのお話をしましたが
あの女の子が言っているのは「科学を信じましょう」ということです。
 科学とはこれまでの人類の歴史生活のなかで体験し実証されたきた道理です。
科学的にこのままでは地球環境は悪化の一途をたどり取り返しのつかないことになるという予測です。
わかっていることだから信じてそのことにきちんと対処していきましょうということです。
 
 ただこの科学の世界も宇宙の真理真実からいうとまだまだ分からないことがたくさんあります。
そうした目に見えないいのちの営みのなかに私たちは生かされ支えられて生きているのです。
 
 人間が自分の勝手な思いで欲の心を起こし思い通りにしようともがけばもがくほど
何か変てこなことになってくるのかなと思ったりします。
 あらゆるいのちに謙虚に向き合うことが求められます。
いのちの声をそのまま聞きましょう。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申し南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくなかに
このいのち今日も一日生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.27)
 
釜石のまち復興スタジアムでラグビーワールドカップの試合がありました
 東北の釜石でラグビーワールドカップのウルグアイとフィジーの試合がありました。
釜石はラグビーで黄金時代を築いた新日鉄釜石があるラグビーの町で東日本大震災では壊滅的な被害に遭いました。
 
 崩壊した小学校中学校の跡地に建てられた鵜住居復興スタジアムという地元の人にとっては懐かしい所です。
地元の皆さんをはじめチームを応援する外国の方も県外からもたくさん人が集まりました。
復興の力になりますとワールドカップ誘致に尽力した関係者の方々が言われていました。
 
 スタジアムの近くに慰霊碑が建っています。
小学校に勤められていた奥さんとお母さんを震災で亡くされた方が中心となって建てられたそうで
碑文に「あなたも逃げて」と記されています。万感の思いが込められたものです。
 
 あなたも逃げてとにかく逃げて生きてというメッセージです。
生きていくなかで色んなことがあるけれどもまた頑張れるっていう思いいっぱいです。
 
 釜石の奇跡と言われます。
今度の震災では子どもたちも多く犠牲になりましたが、釜石の子どもたちはみんな無事でした。
これまで震災に遭った先人の教訓を守って高台に逃げろ山に逃げろと逃げて助かったということです。
 
 その子どもたちが通っていた小学校中学校の跡地です。
地元の皆さんが小さい頃から慣れ親しんでいた懐かしいところです。
 建物は残っていませんが山とか海とか自然の目印はそのまま残って
以前に学校があったことを教えてくれています。
 
 お寺という存在も重ねて思います。
海辺のお寺さんが被災されました。
町は壊滅状態で住民の方は他所に避難し移り住んだ方もいらっしゃいます。
 お寺のご院家さんはお寺は動かない同じところに復興させると決めました。
ご門徒さんも思いを同じくして人が次第に帰って来たということです。
 
 そうしたなかで行政は津波対策として新たな防波堤を海から離れた奥の方につくろうと計画しました。
計画ではそのお寺は防波堤の外に位置することになり元の場所から他所に移らなければならないことになったのです。
 ところが人人が帰って来るなかで声をあげそして防波堤は外にできお寺は動かなくてよくなったということです。
 
 その土地土地の人にとって小さい時分からこのお寺はここにあるということで
いつも心の依りどころになって伝えられてきたのではないでしょうか。
 
 小学校中学校の跡地のスタジアムが大きな復興のシンボルになります。
学校やお寺お宮が復興へ動いていく人人の心の依りどころになります。
 たとえ方々に移り住むことになっても帰って来る古里があるのです。
大きないのちのつながりのなかに私たちは生きる力をいただけるということをまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.26)
 
この地球に共に生きる
 今国連で開かれている気候行動サミットで
スウェーデンの16歳の環境活動家グレタ・トゥンべりさんが各国政府代表者を前に
「若者たちはあなたちの裏切りに気づき始めている。私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない」と
地球温暖化対策の遅れを非難する演説を行いました。
 
 地球環境問題は極めて深刻で以前からずっと言われ続けていることですが
地球全体の問題であるにもかかわらず各国の取り組みに大きな差異があり
期限を切って目標を立ててもそれすら達成できないまま地球温暖化は一段と進み
世界各地で異常気象により豪雨や干ばつ大きな自然災害が頻繁に起こっています。
 こうした非常事態のなかにも対策が目に見える形で進まない各国の鈍い動きに
怒りを込めたグレタさんの演説です。
 
 何をこしゃくなことを言う少女だと言わんばかりの政府代表者もいたのではないでしょうか。
言われることはわかるし自分たちも善処しているが今の現状ではできないことが多いとでも言うのでしょうか。
 
 16歳の少女から言わせたら「こんな地球にしたのはあなたたちでしょ」と言うんでしょうね。
サミットでは温室効果排出ガスの30年後の削減目標を定めたパリ協定を確認しましたが
各国の足並みはそろわず特に主要排出国の動きは鈍くアメリカはパリ協定を離脱する方針だといいます。
 30年後のことなんて私たちが生きてることではないから知らないわよというようにも聞こえます。
産業革命以降便利で豊かな生活を享受しようと炭酸ガスを排出してきた先進国といわれる国です。
まさに自国中心主義、自分さえよければという発想は地球全体の問題としていずれ自らに降りかかってくる問題です。
 
 30年後自分たちが亡くなっても子や孫次の世代の人が生活する地球なのです。
30年後にせめてこれだけはという達成目標さえ難しいという日本をはじめ先進国の責任は大きなものがあります。
今まで散々炭酸ガスを放出してきた国が最初から腰が引けたようなことではお先真っ暗です。
 
 「あなたたちがしなくて誰がするの」と言われるあなたたちとは
30年後はいないかもしれませんが今を生きる私たちなのです。
 16歳の少女は30年後46歳になります。
その人の人生で一番脂の乗り切った年代、社会的にも責任ある立場にある年代です。
その時に地球は本当にどうなっているのかという厳しい問いかけです。
 
 日本から小泉環境大臣が出席されこの演説を聞いてすごかったとコメントしたといいますが
お父さんが貴乃花の優勝に土俵上で「感動した」と言った言葉に重ねて聞こえました。
 大臣です。実際に政策をたて実行していく立場に身を置く人です。
感動したと他人事で終わらせてはいけません。これからに期待します。
 
 一つの地球に生きる世界にあって自国の利益ばかりを求める大人たちのすがたを若者たちはしっかり凝視しています。
国家間の駆け引きに終始し大きな方向性が見失われて地球環境は刻々と悪化の一途をたどります。 
 地球全体の問題です。一国だけの問題ではありません。
国と国とが戦争しているということではありません。全部です。
 私たちの生活を振り返ってみても環境に良くない生活をしているのではないかという問い返しでもあります。
 
 仏さまの縁起の教えです。
すべてのあらゆるいのちはみんなつながって生かされて生きているという道理です。
仏さまの教えに地球環境問題も私に関係ないということは一つもありません。
 阿弥陀さまの本願念仏の救いの法は生きとし生けるすべてのものを必ず救うというみ教えです。
私たちすべてのいのちが生きているこの地球のことを考えていくことです。
 30年後50年後100年後子や孫に次の世代の人にどんな地球をのこしていくのか
どんな大事なことを伝えていくのか大きな課題としてお念仏のみ教えに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.25)
 
南無阿弥陀仏のいのちの物語を生きる
 NHKのファミリーミストリーという番組があります。
著名人のルーツを訪ねていく内容です。
 
 番組で家系をたどって今まで本人も知らなかったことまで明らかにしてくれます。
古文書に出てくる人ですから歴史上有名な人の関係者とか地域社会に貢献のあった人とかです。
 
 それはそれですごいなと思う反面
逆に他人にあまり知られたくないストーリーをもった方もいるのではないかと思ったりします。
 知り得た情報を全て放送するわけではなく放送する場合は事前に関係者に確認していることだと思いますが
そうした過去の負の歴史といったものをもった方はこの番組には出てこないのではないかなと思います。
 
 タレントさんという職業で自分のことだけでなく周りのことも知ってもらってということもあるでしょうが
個人情報保護といった観点からは過去の方にもふれることで慎重な対応が求めらます。
 
 私という存在です。
今の私につながる先祖のいのちの歴史があってファミリーヒストリーのなかの私のいのちの物語です。
 皆さんそれぞれに私のいのちの物語を生きているということです。
そのなかでみんなに知ってほしいということがどこかにありませんか。
知られたくないということがどこかにありませんか。
 
 そのまんまの私を見てほしいといいますが
やっぱり善く見てほしいし悪く見てほしくないと思います。
 その見方の基準です。
どこを基準に善悪を見ているのかというと、私のものさしです。
私の思いで善いものが善くて悪いものが悪いという見方になっているのではないでしょうか。
 
 私のものさしで自分自身を見て私のものさしで他のものをも見ることになります。
その見方は結局は私の見方で善い悪いという見方になってしまいます。
そしてこの私のものさしものの見方は私たちそれぞれその人人によって違うのです。
 
 私の思いはからいが自分自身を縛ります。
そこに私たちの苦しみ悩みがあると明らかにしてくださるのが仏さまです。
 阿弥陀さまは私の思いはからいに縛られて生きる私を煩悩具足の凡夫と見てとって
そのまま救うと南無阿弥陀仏となっておはたらきくださってあるのです。
 
 お念仏申してくれよと喚び通しに喚んでくださる南無阿弥陀仏の声になられた仏さまです。
お念仏申すそのままに「私がいるよ大丈夫だよ」とおはたらきくださり私たちは安心して生きていけるのです。
 
 何とみんなに思われているのか、何とみんなに見られているのか
周りのことが気になり苦悩し迷う私をそのまま抱き取ってくださり
こうして御仏前に座らせてくださりお念仏申す身にさせていただいて
今日のいのちの物語を始めさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.24)
 
「前畑ガンバレ前畑ガンバレ!」
 昨日はNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリンピック噺〜」を観ました。
これまでの大河ドラマにない視聴率の低さが話題になっていますが、内容は大変面白いです。
 明治の終わりから大正昭和の現代史をオリンピック日本誘致という視点でみます。
昨日はベルリンオリンピックの水泳女子200m平泳ぎで前畑秀子選手が優勝した
あの有名な「前畑ガンバレ前畑ガンバレ」のアナウンスにまつわる話でした。
 
 まずその背景が凄いです。
ベルリンオリンピックはナチスドイツがその存在を全世界にアピールした世紀の祭典でした。
そして次のオリンピックは1940年東京開催ということになります。
 まもなく日独同盟が締結され日中戦争から日米開戦へと日本の軍国主義の歴史が大きく動くときです。
 
 こうした状況下で日本の国威を一身に荷った前畑選手のプレッシャーは計り知れないものがあったと思います。
ドラマでは主人公の田畑政治さんが前畑さんの負担を軽くしようと
周囲の者に頑張れ頑張れと言わないようにしようと努めるのですが
レースの最後の最後会場の観客も一緒に「前畑ガンバレ前畑ガンバレ」と絶叫するのです。
 ドラマで多少の脚色もありますが日本中がラジオから聞こえる
「前畑ガンバレ前畑ガンバレ」のアナウンスに声を上げたのではないでしょうか。
 
 頑張れという言葉についてはちょっと使い方に躊躇があります。
病院に見舞いに行って頑張れと言われて頑張れない人には本当に酷な言葉で
お見舞いされた人が「頑張れるんだったら今頃私はここにはいない」とつい言ったそうです。
 
 ところがあの状況下ではどうでしょうか。
皆さんの子どもや孫が運動会の徒競走で前を通った時にじっと静かに見ている親がいますかね。
身振り手振りで声が出ますね。どんな声かって、やっぱり頑張れでしょう。
 頑張れ頑張れって応援します。
結果はともかく応援する者と競技する者が一つになる声の力です。
 
 私たちの阿弥陀さまは「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏の声になられた仏さまです。
南無阿弥陀仏の声が今日もいっぱい聞こえます。
 私の口から出てくださるお念仏の声、阿弥陀さまのお喚び声です。
私たちに喚びかけずにはおれなかったという声です。
 じっと向こうから眺めていて「何をしてるのか。そんなことで大丈夫か」と
他人事のように見る阿弥陀さまではなくて
それこそ座っておれなくて立ち上がって南無阿弥陀仏となって
私のところに飛び込んできてくださり「私がいるよ大丈夫だよ」と
私にいつも寄り添い私と共に生きてくださる阿弥陀さまなのです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきに励まされて私たちはこの人生を生き抜かせていただけるのです。
阿弥陀さまのお救いです。
 
 今日はお彼岸のお中日です。
昨日は台風でご縁ができませんでしたが、今日は1時半からお勤めさせていただきます。
どうぞお誘い合わせお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.23)
 
お寺は気持ちがある人がお参りできる所?
 台風が来るということで今日の彼岸会の行事は取り止めることにしました。
朝明けてみたら普通に雨降りのちょっと風のある天気で
今日はいつもの皆さんがいつものようにお朝事にお参りです。
 
 「お寺にはお参りする気持ちがある人がお参りする」と言われます。
逆にお参りする気持ちがないとお参りしないのかというとどうでしょうか。
 確かに私のところではお参りするかしないかの二者選択です。
ただお寺のご縁は仏さまのご縁、仏さまが私たちのために開いてくださったご縁です。
 気持ちがある人にもない人にも開かれたご縁ですから
気持ちがある人もない人もみんなお参りしていいのです。
 
 お寺参りの定番の断り方です。
「お寺に一緒にお参りしましょう」と誘われます。断わってください。
 大方「用事があって忙しいからお参りできません」と「気持ちはあるけど」と前置きして答えるのではないでしょうか。
今回は「台風が来るから」という断わり方もできます。
 私たちは否この私は何でも理屈をつけて自分の思いを通すことがうまくできています。
 
 自分を中心に自分の都合に合わせていたら仏さまのご縁に遇うのは難しいです。
「お寺にお参りしましょう」を誘われたら、あれこれ思いを巡らすのではなく
そのまま「はい」ってお参りされる方はお参りすればいいのです。
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお喚び声に「はい」でいいのです。
周囲のことを気にする必要はありません。
 仏さまの方を向いてお念仏申しましょう。
 
 お念仏申すなかに私ができる精いっぱいのことをさせていただくのがおつとめです。
おつとめというと何かしないといけないものと聞く人もいますが
仏さまのお喚び声に「はい」っと私にできることをさせていただくのです。
 
 お寺にお参りしないからといって阿弥陀さまはお前なんか知らないと私を見捨てる仏さまではありません。
明日はお彼岸のお中日で予定通りおつとめをさせていただきます。
 皆さんお誘い合わせお寺にお参りましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.9.22)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949