浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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お寺の護持を考えます
2018-10-12
 昨日は円光寺で大海組の法中会というお寺の住職の会合がありました。
毎月一回の会で、大海組内17のお寺が持ち回りで開く会ですが
いつもの行事の報告これからの行事についての確認が主なことになります。
 
 17のお寺があるとお寺のあり方が17通りあって違います。
お寺の住職がいつも第一に考えるのは、このお寺をどう護持していくのか護っていくのかということです。
それは建物を護るということも含めてお念仏のお法を護っていくということです。
 住職だけではなくご門徒皆さん、私たちはお念仏のご法義をいただいています。
このいただいたお念仏のご法義を次の世代の方に、子や孫にどう伝えていくのか
そのためにはこのお寺はどうあるべきかということが最大のテーマです。
 
 17のお寺それぞれ護持の仕方は異なっているもののご法義を伝えるというテーマはみんな同じです。
そこには様々な課題もあって他のお寺のことも参考にしたいと思うのですが
皆さんが集まる会でうちはこうしてますようちはいこうしてますとお互いの現状を披歴し
こうしていきましょうと前向きに考えていく話には中々なりません。
逆にお参りが少なくなった昔はよかったこれから大変ということばかり聞くと
そこで頷くところもありますが、何か現状肯定に終わってさあやろうというプラス志向にはなりません。
 
 これはお寺だけのことではなくいろんな社会組織のことにも言えることだと思います。
社会組織のなかにあって中々自分の思い通りにはいかないということでもあります。
 
 それぞれものの考え方も生き方も違うお互いですが
私たちは阿弥陀さまという中心をいただきお念仏のご法義につながっているのです。
 阿弥陀さまのみ教え南無阿弥陀仏のご法義をお互いにいただくなかに
今何ができるのか今何をしなければならないのか精いっぱい私にできることをさせていただくことが
いよいよ大事になってくるということをまた昨日のご縁で思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.12)
 
本願一実浄土一門の大道です
2018-10-11
 今日のご和讃ですが、七高僧さまの中国に出られた第三祖の曇鸞大師から第四祖の道綽禅師のところに移りました。
曇鸞大師を讃えるご和讃のなかに
「万行諸善の小路より 本願一実の大道に帰入しぬれば 涅槃のさとりは すなわちひらくなり」とありました。
万行諸善をきわめる自力の道が一般的な仏道です。自分の力をたのんで学問修行を積み自ら悟りを開くという仏道です。
 曇鸞さまは阿弥陀如来の本願のおはたらきによって救われる他力の仏道を大道ということで明らかにしてくださいました。
万行諸善の修行を積んでいく道は小路といって小さな路といわれます。まさに自ら切り開いていく道です。
一方阿弥陀さまのお浄土から開かれた仏道は大きな道ですべてのものが救われていく道なのです。
 
 その大道に帰入しぬればとあります。帰依するまかせるということです。
本願の大道にまかせるなかに私たちは阿弥陀さまのお浄土に救われて涅槃のさとりを開かせていただけるとお教えです。
 
 そして次の道綽禅師のご和讃です。
「聖道万行さしおきて唯有浄土一門を通入すべきみちととく」とありました。
浄土門です。私たちの仏道は浄土門の道であるというのです。
 
 聖道の道をすてて浄土の道に帰していく。
これは親鸞聖人が法然聖人にお遇いし阿弥陀さまの本願他力のご法義に遇うなかに
「雑行を棄てて本願に帰す」とお書物に明らかに記されたご心境であります。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申すそのままがお念仏のお心を聞いていくことです。
阿弥陀さまがこの私のところに必ず救うとおはたらきのお心にそのまままかせるすがたが
ナンマンダブツとこの私の口からお念仏が出てくださると味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.11)
 
お寺にご相談にみえられました
2018-10-10
 
 昨日二人の女性の方が「ご相談したいことがあります」とお寺を訪ねてきました。
お一人はすぐ近くに住んでいた旧知の方で、会ってすぐお名前を呼びましたらほっと安心したようで
本堂で一時間ほどお話をしました。
 
 主なご相談はお母さんが高齢で病気ということで、もしもお葬式の時はどのようにしたらいいかということでした。
お葬式その後のお勤め納骨のことなどお尋ねにお答えすることでお話をして少し安心した様子でした。
 
 そしてご自分の話になりました。子どもさんがいないということで自分が亡くなった後の心配です。
お葬式はこう考えていますがどうでしょうか、遺骨はどうなりますかと具体的な相談になりました。
 
 お寺の役割、お寺の住職のお役目を思います。
お寺を護るということです。お寺の建物もそうですが、仏さまのご法義を護るということです。
私たちの御本尊の阿弥陀さま、南無阿弥陀仏の仏法お念仏のご法義です。
 
 お寺を護るのは住職一人ではありません。坊守新院の寺族そして何といってもご門徒衆です。
お寺を中心にお念仏のご法義を中心につながったお念仏の人たちです。
ただお寺を護る上にそれぞれのお役目があります。
 
 その住職のお役目の中心がご門徒有縁の皆さんにお念仏のご法義を伝えることであり
皆さんのお念仏の生活のご相談にこたえていくということです。
 ただ住職といっても人間ですから人と人との信頼関係が大変大事になってきます。
誰でも僧衣を着ていたらどんなことでも相談できるということではありません。
仲の良い友だちにも中々言えないことを信頼して相談していただける住職に
気楽に山門をくぐって相談できるお寺になっていきたいと思います。
 
 お家を中心に家族が代々お寺との関係をもちお仏壇やお墓を引き継ぎ伝えていくことが本当に難しくなりました。
核家族化が進み親子の家が別々に生活するようになり、これからお仏壇はお墓はどうなるのか
心配なことが多くなってきます。
 
 御本尊の阿弥陀さま南無阿弥陀仏のご法義を中心としたお念仏申す生活を思います。
昨日もお念仏のつながりのなかにこのお寺を有縁の方が訪ねてくださったということです。
昨日だけのご縁ではなくてこれまでもこれからもずっとつながり続いていく仏さまのご縁です。
 お念仏のご縁を共々にいただきご一緒に相談して
こうしましょうこうしていきましょうと具体的に提案できるお話もさせていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.10)
 
仏さまのお勤め仏事にはそれぞれ大事な意味があるのです
2018-10-09
 昨日お葬式がありまして、火葬されてそのままお寺の方にお参りしていただくというのが
円光寺の昔からの習わしになっています。
 還骨のお勤めです。お遺骨となって還るということです。
お寺のご本尊の阿弥陀さまにお葬式の奉告と御礼をさせていただくというお勤めでもあります。
 
 今はお葬式の日に初七日のお勤めをするところが多くなったということですが
円光寺では、初七日というのは亡くなってその日を入れて七日目のお勤めのことで
それもお家のお仏壇で初めてお勤めをすることに意味があるんですと日頃からご縁ご縁に申し上げています。
 
 ただ遠方からお葬式にお参りされるご親族が初七日にあらためてお参りすることが難しいということで
お葬式のその日に初七日のお勤めをしてほしいということですが
お寺の本堂でお遺骨とご遺影、法名をご安置して還骨のお勤めをさせていただきお焼香をしてもらいますから
還骨のお勤めを初七日のお勤めと受け止められてお参りしてくださいと申します。
 
 昨日は25人の大勢の方がお参りでした。駐車場に中型バスが入って来てちょっとびっくりしました。
多分お寺でのお勤めの後場所を変えて精進揚げの御膳をいただくことだと思います。
 
 お家お家のご事情もあろうと思います。ただ仏さまのお勤めはすべて仏さまが決めてくださった仏さまのご縁なのです。
先人が守り伝えてくださった仏さまのご縁です。それぞれのお勤めには大事な意味があります。
 そのこと一つ思っていただいてこれからの七日七日のお勤めを精いっぱい丁寧にさせていただきましょうと
申し上げることです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.9)
 
お孫さんと一緒にお朝事参り
2018-10-08
 今日は賑やかなお朝事のご縁になりました。
田仲さんのお孫さん二人が大分に帰ってみえてご一緒にお寺参りです。
 お孫さんが帰ってくるということでどこに連れていこうか何を食べさせようかと楽しみに考えると思いますが
お寺参りに連れて行くというのは中々ないというかあまり考えられないことですね。
それもお寺に行くといって仏像を見たり観光に行くということではありません。
 
 こうして決まった時間にお寺にお参りされて6時の鐘もついてくださいました。ありがとうございます。
そして今は一緒にお正信偈さまのお勤めができました。
声を出して両手あわせてナンマンダブツとお念仏を申して仏さまにお礼ができましたね。
おじいちゃんと一緒です。皆さんと一緒です。
 尊いご縁です。仏さまのご縁です。滅多にいただけないご縁です。まさに難中の難、有ること難い有難いご縁です。
そのご縁に今日こうして皆さんご一緒に遇わせていただきました。
 
 これから大きくなってまた仏さまのご縁に遇わせていただくことにつながることでもあります。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにお念仏のみ教えが親から子へ子から孫へと伝えられつながって
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たちは共々に生かされて生きているんだなと
今日のお朝事のご縁でまた思わせていただきます。
 ようこそのお参りでした。ありがとうございました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.8)
 
ご遺影で先人を偲ばせていただきます
2018-10-07
 お葬式にご遺影をご安置します。
随分若い時のご遺影があって式場に入り会場を間違ったのかと思うほど別人のようなものもあります。
 
 中陰の期間ご遺影はお遺骨とともに中陰壇にご安置しますが、その後ご遺影はどうされますか。
ちょっと前でしたら、お仏壇のある仏間の鴨居に懸けるお家が多くありましたが
最近はお家の造りも変わって仏間にかけないところが多くなりました。
 
 いつも亡くなったご先祖から見られている睨まれているようで仏間に入るのが嫌だと聞いたこともあります。
ただご法事のご縁で仏間のご先祖のご遺影の有難さを思ったことがあります。
 
 お勤めの後仏間でお斎をいただきながらふと親戚の方がご先祖のお写真を見て
お家の方に「段々じいちゃんに似てきたね」という話になりました。
やれ口元が似ているとか目が鼻がということです。
 顔が似てきてえっと思うようなことではありません。
ご先祖との血縁つながりです。歳が近づくほどに似たところがでてくるんですね。
それは私が似たいと思って似たことではなくってそのまんまなんですね。
 そうしたご縁つながりのなかにご法事のお勤めをさせていただくのです。
 
 この前しっかりした顔立ちのお母さんのお写真を拝見して
「しっかりしていますね」と言ったら、そうですという話になって
実はこういう仕事をしていてという話にまで及んでその人となりを偲ばせていただいたことです。
 
 ご法事で先に往かれた方をご遺影を通して偲ばせていただくことです。
ご法事のご縁の有難さです。
 ご法事をお勤めさせていただくことで私だけの思い出ではなくご親族有縁の方々の思い出に広がっていくのです。
そしてその思い出はこの私自身が歩んできたいのちの歴史につながることでもあるのです。
 
 ご先祖のご遺影をいつも仏間にかけておくことも意味のあることですし
ご法事のご縁に持ち出してご先祖を共々にたずねていくことも本当に大事なご縁だなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.7)
 
南無阿弥陀仏のお取り次ぎをいただきます
2018-10-06
 昨日は坂ノ市の妙蓮寺様での大海組仏婦大会で一昨日は別府別院の鏡如忌で続けてお聴聞のご縁に遇いました。
それぞれ違う布教使の先生で、その話ぶりは異なりますが
浄土真宗のみ教えの要、南無阿弥陀仏のお心一つお取り次ぎしてくださることです。
 
 浄土真宗のご本尊の阿弥陀さまの「すべてのものを分け隔てなく必ず救う」という本願念仏のお救いの法です。
信心いただけよお念仏申す身になってくれよとのご開山親鸞さまの思いを重ねて讃えられる尊いご縁です。
 
 ただお聴聞する側の私たちに問題があります。
何かお寺でお説教を聞くことも町の講演会で著名な先生のお話を聞くことも同じように思ってらっしゃる方がいます。
 お法話聴聞されて「今日はよかった」と言われる人がいらっしゃいます。
よかったということはよくなかったということもあるのでしょうか。
 今日の先生の話は面白かったという人もいます。
ご法義の話は面白い話でしょうか。
 
 今日のお朝事のご縁もそうですが、仏さまのご縁はお念仏に始まりお念仏で終わります。
南無阿弥陀仏のお取り次ぎをいただきます。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにご縁をいただくのです。
南無阿弥陀仏のお心いっぱい聞かせていただいてナンマンダブツとお礼ができるのです。
「ありがとうございます」とお礼のお念仏を申させていただきます。
 
 仏さまのご縁をいただいて、いよいよ阿弥陀さまがいつでもどこでもこの私のことを思い取って
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏の声となって私のところに来てくださり寄り添って
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」とはたらき続けてくださってあると聞かせていただきます。
 そのこと一つ喜ばせていただくお念仏とまた有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.6)
 
降る日も照る日も
2018-10-05
 朝から凄い雨になりました。
台風でも来て大きな雨が降るといろんな被害が心配ですが、雨が降らないと私たちの日暮し生活に支障をきたします。
 
 親鸞聖人が比叡の山を下りられ京都の六角堂に百日間参籠された95日目の明方に
六角堂の御本尊観音菩薩さまの夢告を受け法然聖人のもとに百日間通われたと
恵信尼文書という奥様の恵信尼さまが娘の覚信尼さまに宛てたお手紙に書かれてあります。
そのなかに降る日も照る日もとあります。雨の日も晴れの日もどんな日も毎日百日間通われたということです。
 
 雨の日は余程の用事がない限り外に出ることはありません。
生死いづべき道を求めて雨の中もということです。
 生死の迷いを離れる道をひたすら求めて法然聖人を訪ね
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法を聞かれたということなのです。
 
 私たちは日々の生活にあって自分の当面の用事を先にします。
そういうなかにあって生死いづべき道とはこの私の命をかけるほどの一大事であるとのお示しだといただきます。
 
 私たちもまた降る日も照る日も生死いづべき道を求めて、仏さまのご縁ご縁に遇わせていただきたいと思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.5)
 
断捨離宣言?
2018-10-04
 昨日10月3日は私の誕生日で66歳になりました。
こういう人生の節目には一つ決心して何かしましょうと思い立つのですが
断捨離といいます、一つものごとを片付けていく始末していくということで
昨日今までためていた書類を引っ張り出して少し整理をやりかけたんですが
久しぶりに目にする物モノもの全てに思い出があって断捨離どころではなくなって整理もままならず
半分以上はまた元の袋に戻すようなことになりました。
 
 断捨離というのはそのもの自体を思い切って捨てるということなんですね。
でも一回見だしたらそれこそ駄目ですね。
これは捨てられない取っておこう、これもこれもといった具合で本当に難しいですね。
何が難しくしているのか。私のはからいです。
 
 究極の断捨離はこの私のはからいを一切捨てるということだと思います。
まさに仏道修行ということになりますが、自分の力で捨てよう捨てようとしてもどこまでも自分のはからいが残ります。
捨てきれないのです。
 私のはからいに執着し苦悩する私を目当てにお念仏のご法義阿弥陀さまの本願他力がおはたらきです。
そのまままかせよ必ず救うの南無阿弥陀仏のお心おはたらきにただまかせるだけでいいんです。
そこに何の条件もありません。そのままのお救いなのです。
 
 ただそのことを私がそのまま聞き入れません受け入れません。
私が私がとはからいが次から次と出てきます。
 お聴聞しなさい信心いただけよと、信心一つお念仏一つでいいんだよと、何度も何度も聞かせていただきますが
まだまだ娑婆の縁が恋しいのが私たちのようであります。
 とはいえこの命いつまでも長く続くということではありません。
断捨離といった思い切ったことは中々できないかもしれませんが、一つ一つこの人生の始末をつけながら
一歩一歩お浄土への道すがらを歩ませていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.4)
 
お仏飯をお供えして仏さまとご一緒にお食事しましょう
2018-11-03
 何か朝方一気に秋が来たようにちょっと身震いするような寒ささえ感じます。
こうして朝起きて皆さんもそれぞれ朝の日課があると思います。
 このお朝事のお勤めは私たちの日課の最たるものだといただきます。
朝起きて6時の鐘をつく前にお仏飯を仏さまにお供えさせていただきます。
仏さまにご飯を差し上げるのです。仏さまとご一緒に食事をさせていただくのです。
 
 食事をするということは仏法聴聞、仏さまのみ教えを聞かせていただくことだと教えていただいたことです。
ご飯を毎日食べないとこの身体はやせ細ってずっと食べないと死んでしまいます。
仏法も同じように日々聞かせていただくことが肝要だよというのです。
聞くことをやめたらそれこそ死にますよ、それぐらい仏法聴聞は大切なことなのですよと教えてくださっているのが
日々お仏飯を仏さまにお供えすることではないかなといただきます。
 
 食べるということは一方では欲です。
次から次とこの身にあふれる欲の心は仏さまからいうと煩悩の最たるもので私たちの苦しみ悩みの原因です。
 お経さまに少欲知足という言葉があります。欲は少なく足ることを知るということです。
欲をはるのではなくほどほどにということですが、中々そうはいきません。
好きなものはそれこそ貪欲に目いっぱい欲しがる、いただく食べるということですが
嫌いなものは食べ残しぷっと捨ててしまうのも私たちのあり様です。
 
 そういう私たちにいただけよいただけよ信心いただけよと仏法聴聞を勧めてくださる仏さまです。
阿弥陀さまの必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のお心をいっぱいいただいて
ナンマンダブツとお念仏を申す今日の一日でありたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.10.3)
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