浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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今日あることの意味
2018-01-06
 どなたもようこそお参りです。今日は円成会の1月例会のご縁です。円成会も始めて20年近くになります。
私が住職を継職してからということで、前住職の命日の毎月1日にご縁をいただいています。
 
 ちょっと寂しくなりました。20年も経ちますと、皆さん20年歳を重ねるわけで、
ご往生された方もあり、体が思うようにいかなくなってお寺参りが難しくなるということで、
それだけをみると、歳を重ねることの悲しさ寂しさはありますが、
私たちは歳を重ねるほどに、仏さまのご縁をいただいていることの有難さを思います。
 仏さまの大きな大きなおはたらきのなかに生かされている幸せです。
 
 お正月に一つ歳をとるといいます。いつかは必ずこの命を終えていく身ですけれども、今こうして生きています。
明日はわかりませんが、今日は生きてあります。
 今日あることの意味を思います。
仏さまのご縁をいただくなかで、今日あることは私たちにはお役目があるということです。
 
 お念仏のみ教えを隣の人、子や孫の世代に伝えていくというお役目です。
そのために今日の一日を許されて生きているといただきます。
 
 「もういい歳になった。早くお迎えに来てほしい」と言う人がいます。本当にそうでしょうか。
お迎えに来てほしい、まだまだと、言っても言わなくても、来る時には来ます。心配しなくても必ず命終わる時が来ます。
ただ「何でこんな歳になったんや。長生きしてもしたいことができんようになったら、もう終わりや」と愚痴もでます。
 
 掲示板に「ため息もでる 愚痴もでる 同じ口から 念仏もでる もったいない」と書きました。
愚痴もでます。人の悪口もでます。この口です。その同じ口からナンマンダブツとお念仏がでてくださいます。
 本当に有難いことです。
 
 歳をとってもご縁がなかったら、ナンマンダブツ、お念仏でませんよ。でないばかりか、
「お念仏申しましょう」と言ったら、「縁起でもない。まだ私は死にとうない」と腹が立つ人もいるんじゃありませんか。
 「早くお迎えに来てほしい」という人が、やっぱり死にとうないんです。私も死にとうないです。
死にとうないけれども、その時は来ます。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すということ、先ほど子や孫、隣の人に伝えていきましょうといいましたが、
そんなに肩ひじ張って力を入れなくてもいいんです。
 
 今日の皆さんです。お家の人は皆さんのお寺参りのすがたをちゃんと見ています。
ナンマンダブツの皆さんのお念仏の声を確かに聞いています。
 共々に仏さまの大きなおはたらきのなかにつながってあるということです。
 
 今年も一年、命の限り、私のお役目、仏さまのお手伝いを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.6/円成会)
 
七日七日のご縁
2018-01-06
 大切なお方とお別れをしてお通夜お葬式、そして七日七日の中陰のご縁をいただきます。
悲しみのなかのご縁です。
 ただ私たちは仏さまのご縁といただける、いただきましょうというお話お取り次ぎをさせていただきます。
 
 ご遺族皆さんはどういう思いでこの七日七日のご縁をいただくことでしょうか。
 今日もご法話といって仏さまのお取り次ぎをさせていただいていますが、皆さんの顔がよく見えます。
普段のお取り次ぎと違って、お通夜七日七日のお取り次ぎの皆さんの顔つきが真剣で、はっとさせられることがあります。
 逆に言いますと、日頃は仏法を聞くといっても気持ちが入らないというか、
お聴聞の場にいても心はどこかに飛んで行ってるようで聞く気があまり伝わってこないことも感じます。
 
 ところがこの七日七日のご縁は待ったなしのご縁なんですね。
先に往かれた大切なお方がまさに命がけで私たちに
「仏法を聞いてくれよ。お念仏申す身になってくれよ」とつくってくださったご縁なのです。
 
 何度も何度もあるご縁ではありません。
この私のために仏法聴聞してくれよ、お念仏を申す身になってくれよというお勧めなのです。
 
 七日七日のご縁は四十九日で大きな節目を迎えますが、その後も仏さまのご縁は続きます。
この七日七日のご縁をご勝縁として、お寺参りが始まるという方もたくさんいらっしゃいます。
 
 人間に生まれたからには仏さまのご縁に遇うてほしい。
 ナンマンダブツとお念仏申す身になってこの人生を生き抜き、
人の命終わって阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき仏に成らせていただくというみ教えを
聞いてくれよ、聞いてくれよとの先に往かれた仏さまのご縁を有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.6)
 
仕事始め
2018-01-05
 昨日4日が仕事始めという方が多かったようです。
 
 仕事というと、勤め先があって働いてお給料をいただくことをイメージします。
仕事時間が決められ休みがあります。一年でいうと、年末の仕事納めがあり年頭の仕事始めがあるということです。
 
 でも皆がみんなそうした仕事に就いているわけではありません。
就職前の人がいます。退職された人がいます。仕事をしていない人もいます。
 見方をかえれば、子どもの仕事は学校で勉強すること、親の仕事は子どもを育てること、
赤ん坊は遊ぶことが仕事ということもできます。
 
 仏さまは、私たちがこの人間界に生まれてきたことに大きな仕事があると教えてくださいます。
何のために人と生まれ今生きているのか、仏法に聞かせていただきます。
 私が今生きているということが本当に大事なことなんだよと教えてくださるのが仏教です。
仕事をすることも大事だし、休むことも大事、勉強することも大事だし、
家事をすることも、遊ぶことも大事だということです。
 
 阿弥陀さまのご法義です。
 すべてのものを分け隔てなく救おうと願いを起こし、南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださり、
いつでもどこでもどんな人もみんな大いなるお慈悲のなかに摂め取って捨てないというおはたらきをいただいて、
私たちは一人の例外もなく平等に生かされてあるというご法義です。
 
 病気や色んな理由で世間でいう仕事ができない方もたくさんいらっしゃいます。
私たちも歳を重ね思うように体が動かなくなり寝たきりということにもなるかもしれません。
 そういうなかにあっても人間に生まれてきたというおつとめ、
大きな意味での人生の仕事があると教えてくださるのが南無阿弥陀仏のお救いの法と聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツとお念仏申してくれよと喚びづめに喚んでくださいます。
どんな時でもどんなことがあってもナンマンダブツとお念仏申すことが許されてあります。
 
 どうぞ今日一日もナンマンダブツとお念仏を申すなかにそれぞれのお役、
それぞれの仕事に精いっぱい励んでまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.5)
 
お餅のお供え
2018-01-04
 正月三が日を終えて、納骨堂の方々がお供えを下げにお参りされます。
 
 お正月の一般的なお供えは鏡餅です。
本堂のお内陣にもお餅をお供えしていましたが、昨日下げました。
 
 年末29日にお餅をつき30日にお供えしましたが、近所のご門徒の方が橙と裏白を持って来てくださいました。
納骨堂にいきますと、大方のお家の納骨壇に鏡餅がお供えしてあり、裏白の上にお餅をおきその上に橙がのっています。
橙も裏白もないお寺のお供えをみて、心配して持って来てくださったのです。有難いことです。
 
 ただ仏さまのお供えはお餅だけでいいんです。
仏さまのお供えの基本はお仏飯です。毎朝炊き立てのお仏飯を仏さまにお供えします。
 
 お餅はいつもはお供えしませんが、お仏飯に一つ手を加えたものです。またお団子もそうです。
それをもっと加工したのがお菓子です。そして果物をお供えします。
 
 そのお供えの中心がお仏飯なのです。
お仏飯という以上、仏さまからのいただきものです。
 
 鏡餅は一年の幸福を祈って神仏にお供えをする、日本古来より伝わる正月の麗しい風習で、
そのことに殊更もの申すことではありませんが、
仏さまのお供えはそのまま仏さまのお心を表します。
 
 私たちの仏さま、阿弥陀さまのお心はすべてのものを分け隔てなく救うというお心です。
そのお心を南無阿弥陀仏のおはたらきとそのままいただいて、
お念仏申してこの一年、今日の一日を始めさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.4)
 
「いつもの時間いつもの場所で」
2018-01-03
 今年も今日から朝6時半のお朝事のご縁をいただきます。
 
 「いつもの時間いつもの場所で」と毎週日曜日の朝7時『西本願寺の時間』の冒頭
ラジオから徂徠まゆみさんの声が聞こえてきます。
 「いつもの時間いつもの場所で」有難いですね。
 
 このお朝事は、この本堂が建って今年で42年になりますが、前住職が本堂新築をご縁に
「いつもの時間」毎朝6時半、「いつもの場所で」円光寺の本堂阿弥陀さまのご尊前で、
ご門徒有縁の皆さんご一緒しましょうと始めたものです。
 
 「いつかどこかで」という永六輔さんのラジオ番組がありました。
いつかどこかで、また会いましょうという、夢のある言葉です。
でも「いつかどこかで」では、いつなのかどこなのかわかりません。不確かで不安です。
 
 それを「いつもの時間いつもの場所で」と、いつどこを決めてくださっていることの有難さを思います。
ただこの私です。この私が思いをもって、いつもの時間いつもの場所に、今日も皆さんお参りされました。
 一人ではありません。そこにはお仲間がいらっしゃる。
それも初めて会う人もいますが、いつものお仲間です。安心できますね。
 
 私たちの人生でいうならば、私の人生、この道行きは必ずしも自分の思い通りになることではありません。
いやこの身を抱えて生きるということは、年を重ね、病気になることもあるし、
そしてこの命を終えていかなければなりません。
 
 ただね、命終えていく時、いつもの時間とはいえませんが、いつもの場所に、お浄土にお参りさせていただける。
 
 私が一人で行くのではありません。
阿弥陀さま仏さまがご一緒してくださいます。
 
 いつでもどこでも南無阿弥陀仏「我にまかせよ必ず救う」の大いなるおはたらきのなかに、
安心して今日一日もお念仏申して生きて参りましょう。
 
 この一年もどうぞいつもの時間いつもの場所でまた皆さんご一緒にお会いしましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.3)
 
今日は何曜日かな
2017-12-31
 年末年始でお仕事もお休みという方も多いなかで、今日は何曜日だったかなとふと思うことってありませんか。
 
 今日は日曜日です。いつもの日曜日のように田仲さんがラジオをセットしてくれています。有難いことです。
この後ラジオ放送『西本願寺の時間』を聞きます。
 
 私たちは何曜日には何をすると、曜日でスケジュールを立てて生活しているところがあります。
今日は12月31日です。曜日に関係なく12月31日、一年の終わり大晦日です。
 
 この一年、皆さんようこそお朝事にお参りされました。
一年365日、毎日ということは大変ですが、一日一日、日々の生活の始まりを
こうして円光寺の阿弥陀さまにナンマンダブツとお念仏お礼を申して始めさせていただく、
いただけることの有難さを思います。
 
 新年明けて通常いつもの6時半からのお朝事は1月3日からになります。
今晩は除夜会引き続き元旦会ということで1月1日のお朝事に、
1月2日のお朝事は10時からの初法座にかえさせていただきます。
 
 今年もようこそお参りなさいました。来年もまたよろしくお願いいたします。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2017.12.31)
 
「よいお年を・・・」
2017-12-30
 年末のご挨拶の定番といいますか、「今年も一年大変お世話になりました。よいお年をお迎えください」と、
昨日もご挨拶したお家で、「よいお年をと言ってもいいんですか」という言葉が返ってきました。
 実は今年そのお家のおばあちゃんが亡くなられたのです。
 
 いつの頃からか、「喪中につき新年のご挨拶はご遠慮させていただきます」という
年賀状にかわる便りが届くようになりました。
 
 年賀状の定番は「新年明けましてあめでとうございます」です。
大切な方とお別れして悲しみの中にあるのに何がめでたいのかということでしょうが、
悲しみの中にも新年を迎えます。
 近況とともに御礼の言葉を添えることで新年のご挨拶にかえたらとも思います。
 
 さて、「いいんですか」と言われて、以前聞いたお話を思い出しました。
 
 「よい」は英語でグッドです。このグッドは神という言葉ゴッドからきているといいます。
別れるときにグッドバイといいますが、
これはゴッドがバイ、いつも神さまがそばにましますようにという祝福の言葉だそうです。
 
 このことを仏教的にいうと、私たちにとっては仏さま、ブッダということで、
私たち仏教徒はグッドバイではなくてブッドバイだというお話です。
 
 私たちのブッダは阿弥陀さま、阿弥陀さまがいつもご一緒ですと聞かせていただきます。
 
 私たちの人生、日々の生活は出会いと別れの繰り返しです。
そして死別の時が来ます。会ったものはいつか必ず別れなければなりません。
 悲しいご縁です。
 
 そのときにブッドバイ。いつも、これからもずっと阿弥陀さまがご一緒ですよと、
お互いに「また会おうね」と声をかけ合える。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきをいただきます。
 
 お念仏申すなかに、私たちは日々生活させていただけるのです。
自分の都合でいえば、善いことも悪いこともあるでしょう。
でもね、善くても悪くてもどんな時でも南無阿弥陀仏、阿弥陀さまがご一緒ですと聞かせていただき、
今日もブッドバイの日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2017.12.30)
 
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