浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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酷暑のなかで
2018-07-19
 昨日は岐阜県で40度を超えたということで、日本で5年ぶりのことだそうです。
酷暑という言葉を聞きます。35度以上を猛暑日、30度以上が真夏日、25度以上を夏日というそうです。
どんどんハードルが高くなって40度以上は酷暑です。極めて暑いということですが、本当に暑くてまいってしまいます。
 
 暑さ対策といって今はエアコンのあるお家が一般的になりました。
ただこれは電源があってということです。電源がないとエアコンはただの物です。
 
 東日本大震災のとき、避難された方がエアコンのない段ボールで仕切られた体育館で過ごし
猛暑対策ということでいろんなことが考えられたといいます。
 
 昨日のニュースで猛暑対策展が東京であっていると聞きました。
電源のないところでの猛暑対策、いろんな工夫をこらしていろんな対策をいろんな方が考えられてるということです。
 
 私たちの先人の生活を思います。
それこそ150年前200年前は電気というものがありませんでした。扇風機もエアコンもありませんでした。
 そうしたなかでも私たちの先人は暑い夏を乗り越えて生き抜いてきたわけです。
うちわや氷で涼をとったり蚊帳というのもありました。
 そして今私たちは電気というものを得て、窓のないオール電化の家をつくるほどに快適な生活を考えてきました。
しかしこれからもまたその上を行く猛暑極暑というなかに生きていくわけです。
 
 日々の生活です。あれやこれや考えながら、そして涼しい秋を待つんでしょうね、寒い冬を迎えるんでしょうね。
そうしたことを繰り返しながら私たちの日々の生活があるということです。
 
 そういうなかに私たちはお念仏を申すという生活を先人から伝えられてきました。
お念仏を申すなかにも暑さを乗り越えていかねばなりません。寒さの中にも日々の生活があります。
 どうぞお念仏を申すなかに先人が培ってきた、私たちにこれこそはと伝えてこられたことをまた思って
今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.19)
 
地球家族になろう
2018-07-17
 サッカーのワールドカップが終わりました。
日本の活躍もあって注目して観ていました。フランスが2度目の優勝を果たしました。
 フランスの優勝シーンを見たときに肌の色が違う選手がたくさんいらっしゃることに改めて気づきました。
 
 フランスだけではなくてヨーロッパの国々は今は多民族国家と言われます。
近年アフリカやアジアから多くの人が移住移民してきたという歴史です。
 民族が違う宗教が違う言語が違うというなかでの生活でいろんな問題も起こっているようです。
民族差別といって、小さい頃からいじめにあっていたという選手の紹介もありました。
 
 私たちの日本の国も来年はラグビーのワールドカップがありますが
日本チームのメンバーを見ますとニュージーランドやオーストラリアから帰化した方が多くいます。
 陸上にしてもバスケットにしても野球にしても今活躍している日本選手のなかで
日本人のお父さんお母さんと外国の方との間に生まれた日系の方も多くいます。
今からもますます多くなってくると思います。
 
 今は国家という単位でものごとを見るというより一つの地球というものの見方です。
地球家族と聞いてはっと思いますが、地球全体が家族という見方です。
 ところが現実はわが国家の利益至上主義に立って政治経済諸分野でいろんな駆け引きをしています。
昨日はこの地球上の超大国のアメリカとロシアの大統領が会談しました。
その中身はどうなのかとヨーロッパの国々が戦々恐々としているという報道です。日本もそうです。
 
 この地球に生きる私たちみんなが同じ時間同じ時代を共に生きているということだけで一緒になれないのです。
本当に難しいことです。
 
 私たちの宗教です。浄土真宗の仏教です。
どんな人も同じお浄土に生まれさせていただけるという教えです。
 この現世でそれこそ背中あわせに敵対し憎しみ合うお互いがお浄土でご一緒できるという教えです。
私がではなく仏さまがそういう私たちにしてくださるというんです。
 
 お念仏を申す日々の生活です。
面と向かうといろんな問題がありますが、共にお念仏のみ教えに遇わせていただきましょう。
まずこの私です。そして私のすぐそばの人隣の人とお念仏申して共に生きていくということです。
 
 この後「浄土真宗の教章」を拝読します。
「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現をめざして」という文言で結ばれます。
言うのは易く難しい問題です。
 私たちは自他共にではなくどこまでも自分を中心に生きるお互いです。
どうぞお念仏のみ教えに聞かせていただくなかに大きな願いをもって今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.17)
 
海の日に親鸞さまを思う
2018-07-16
 今日は海の日で祝日です。
今は7月の第3月曜日になっていますが、元々は7月20日でした。
何でその日になったのかわかりませんが、多分夏休みが始まる21日の前ということでくっつけたのではないでしょうか。
 
 海というと、親鸞聖人がよく海という譬えで阿弥陀さまのお救いの法を味わわれています。
親鸞聖人にとって海は三つあると思います。
 一つは琵琶湖です。9歳から29歳まで20年間仏道修行に明け暮れた比叡山から見る大きな海、琵琶湖です。
 そして35歳の時に念仏停止の令で遠流、遠く越後新潟の地に流されます。
そこで見た越後の海日本海の海です。日本海の海は特に冬の海は波しぶきをあげて荒れ狂う海です。
 そして刑を許されて関東に行かれます。日立の国今の茨城県です。
海に面したところで広くて大きな大海原の太平洋の海です。
 
 この海の譬えに二つあります。本願海と群生海です。
本願海は阿弥陀さまのご本願のお救いのお心おはたらきを表します。
 海はすべての川の水が注ぎ込むところです。
川は私たちのことです。きれいな川大きな川濁った川と色んな川があります。ゴミや屍骸も川に流されて海に入ります。
どの川も等しくそのまま海に入ります。そして海に入ると一味になります。一つの味です。
 ここ三佐の沖の海の味もアメリカアフリカヨーロッパの海の味もみんないっしょの塩味です。
一味、一つの味にしてくれるはたらきが海にあります。
どんな人も一つの処お浄土に生まれさせてくださるご本願のおはたらきです。
 
 そしてこの海は五濁悪時群生海といって、五濁悪時の凡夫が沈み込んでいる海です。
私たちは深くて重い煩悩を抱え広く果てしない苦悩の海に迷うている、沈み溺れているというのです。
 
 その溺れる私を阿弥陀さまは見て取ってご本願の船を浮かべ南無阿弥陀仏「まかせよ救う」とよんでくださり
本願の船に私をそのまま乗せて彼の岸である浄土に救うてくださるといいます。
 
 溺れることは体験したことがありませんが、溺れる時は助かろうと必死ですね。
でも必死にバタバタすればするほど救いようがないといいます。
救う人も一緒に沈んでしまうというのです。
 力を抜いてまかせればいいんですね。そのまままかせて船に乗せていただければいいのです。
 
 このように親鸞さまがご本願のお救いを海を譬えにお正信偈さまのなかにお示しくださってあります。
毎朝お正信偈さまを拝読するなかにまたお味わいしていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.16)
 
お念仏の心意気
2018-07-15
 今朝テレビをつけたら博多山笠の追い山のようすが実況中継されていました。
もう7月15日かと思いました。
山笠の模様は何度もテレビでそして生でも見たことがありますが、多くの人のあつい思いが伝わってすごいなと思います。
 
 西日本豪雨災害で昨日からボランテイアの方がたくさん被災地に入って活動しているということですが
東日本大震災の時に全国的に色んな行事を自粛しようという動きがあったことを思い出します。
 去年は北部九州豪雨で大分県では日田耶馬渓が大変な被害に遭い、日田の祇園を行うかどうかという話になったそうです。規模を縮小して行われたと聞いていますが、皆さんはどのように考えられますか。
 
 被災地での行事はお祭りをしようと思ってもできないという状況があります。
東日本大震災の被災地では何年もかけてお祭りが復活したことが一つの大きな復興の証と受け止められていると聞きます。
 
 行事といってただ単なる行事ではないんですね。
そこには人々の思いが入っているのです。
それも綿々と続く歴史、先人の思いがそこに伝えられているということなのです。
 
 今日は京都では祇園の宵々山、明日は宵山、明後日は山鉾巡行という日本を代表する伝統的な大きなお祭りです。
平安時代に始まったといいます。当時流行した恐ろしい伝染病、疫病を退治しようと願ったお祭りです。
当時は今のような医学はありません。神仏の大きな力を借りるより他人々にはその脅威に対処する術がなかったのです、
神仏に願いをかけて盛大にお祭りを挙行することが当時の人々が精いっぱいできることだったのでしょう。
 
 毎年のように震災、豪雨と大きな自然災害が続きます。
人間はこの大自然の脅威の前に何もなす術をもちあわせていません。
 しかしそこに復興していこう、被災地の方々と心を共にしていこうという心意気が
一つの行事となって伝えられてきてあるということを思います。
 
 ボランテイアも心意気です。でも昨日もお話しましたが、心意気があってもできないこともたくさんあります。
できることもあります。私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 このお寺を護るというのも心意気です。円光寺のご縁のあるご門徒衆の心意気です。
どうぞこの心意気を集めて形にしていただきたいとまた住職として思うことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.15)
 
布施の心で させていただく ありがとう
2018-07-14
 この暑さをどう表現するのか。尋常でない暑さ、これまで経験したことのないような暑さとでもいうのでしょうか。
暑い暑いといって夏は暑いのは当たり前ですが、私たちの平熱体温を超えるような尋常でない暑さです。
 外でお仕事をする人は本当に大変だなと思います。家の中の人も大変です。
クーラーの中にいてもちょっと外に出ると体が浮いてめまいがするようなことで健康を害することにもなりかねません。
 こういう猛暑のなかでも私たちは生きていかなければなりません。
 
 このたびの西日本大豪雨災害で被災された方々はこの猛暑炎天下の中を後片付けなどで本当に大変だと思います。
じっとしているわけにもいきません。
 今日明日明後日と三連休ということで全国各地からボランテイアの方が被災地に大勢いらっしゃるといわれています。
ただこのボランテイアの皆さんもこの炎天下のなかでの作業で大変です。
 
 被災地に行って何かできることを手伝おうという思いは尊いものでありますが
思いだけでは体が動きません。体が動かないばかりかかえって迷惑をかけることにもなりかねません。
 こうしなければならない、こうすべきだということでもありません。
私にできる精いっぱいのことをさせていただくということです。
それがボランテイア活動であっても物資や義援金を送るということでもそうです。
 被災された方を思うこと被災地に思いを寄せる忘れないということです。
そうした思いのなかに何か一つでも私にできることをさせていただくことが大事だと思います。
 
 仏教では布施の精神といただきます。布施ということにこれこれ決まりはありません。
ただ私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。
それが周りの方に喜んでいただければそれはそれでいいし
布施をさせていただくことによってありがとうとお礼ができるのも布施の精神なのです。
 
 「布施の心で させていただく ありがとう」と聞かせていただきます。
仏さまの大きな大きなお慈悲のお心を聞かせていただくなかに
お念仏申してこの猛暑のなかを日々の生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.14)
 
連続研修会のお話
2018-07-13
 昨日は月に一度の大海組の法中会といってお寺の住職新院の会合がありました。
ご本山教区組の連絡事項が主なことですが、昨日は連研という連続研修会のことで話になりました。
 連研は組内のお寺のご門徒さんが一年ちょっとかけてほぼ毎月一回お寺を順番に会場にご縁をいただくご法座の会です。
連続というのは一人の人が連続して13回のご縁をいただくということで
お勤めをされてる方には時間的に難しいところですが、この連研が始まってかれこれ50年になります。
 
 それもこの大分の地から始まったと言われます。
最初から連続研修会をしましょうと皆さんに呼びかけたものではありません。
 日々の生活のなかで住職さんとご門徒さんのいつもの話のなかで
ふっとご門徒の方から仏事について質問が出たということです。想像します。
 
 「お念仏は有難いお念仏は有難いというが、何がそんなに有難いのか。一体お念仏とは何なのか」と聞かれます。
「それはお念仏のお救いに遇うた有難さ喜びなんだよ」と答えます。
すると「お念仏のお救いってどういうことかえ。救われるってどうなることかえ」と重ねて聞きます。
 問いがあって答えていくというか、僧侶門徒が共々にお念仏のみ教えに遇うていくご縁が
連研の始まりだったと伺っています。
 
 今もそうですが、お寺のご法座は仏法お聴聞のご縁です。
何かあなた聞く人私話す人と、僧侶がお念仏のご法義をお話お取次ぎし門徒は聞くというすみ分けがあるようですが
その役割はそれぞれ違っても僧侶も門徒も同じお念仏お聴聞の人なのです。
 
 私たちのご法義の中心は阿弥陀さまのご本願南無阿弥陀仏のお救いの法です。
南無阿弥陀仏のお心を聞くのはご門徒さんだけではなくてお坊さんもまた聞く人なのです。
 皆さんもそうだし私もまたそうなのです。
私たちは日々の生活のなかでのいろんな苦悩を抱えて生きています。お互い生身を生きているのです。
その生身の人間同士が仏さまのご縁に連なって南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のご法義に遇うていくというのが
私たちのご法座なのです。
 
 この連研は話し合い法座といって私たち僧侶もご門徒皆さんと一緒に話し合いの場に座ります。
いろんな質問がでます。皆さんが一番知りたいこと日頃思っていることです。本当に有難いご縁です。
 その問いを皆さん一緒に受けとめて南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょうということです。
 
 50年前に始まった連研で僧侶も門徒も人が変わっていきます。
50年経って周囲の状況や若いお坊さんたちの感覚も違ってきます。ご門徒さんもまたそうです。
 そういうなかにあって連続研修会のあり方もその都度見直し修正しながら
僧侶門徒共々に阿弥陀さまのご法義に遇っていきましょう、お浄土への道をご一緒させていただきましょうと
あらためて思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.13)
 
微笑み返し
2018-07-12
 タイで洞窟に閉じ込められていた13人の子どもたちが全員無事救出されたというニュースが世界中に発信されています。
本当によかったということですが、救出活動は大変困難を極めたといいます。
 あまり想像したくないですけれども、洞窟のなかに閉じ込められるというのは真っ暗ななかです。
それも水が押し寄せてくるという恐怖が迫ります。
 奥へ奥へと逃げ込んだということですが、洞窟の入り口から5Kmといいます。
世界中からプロのダイバーが大勢集まって救出活動を行ったということですが
子どもたちがいるところまで時間にして2時間かかるといいます。
2時間暗い狭い中をひたすら歩いて泳いで潜ってを繰り返す体力気力の要る業です。
救出活動にあたる方はヘルメットにライトをつけてということですが
濁った水の中を何か所も潜って行くということで酸素ボンベなどの機材も必要です。
それも一番狭いところで30㎝40㎝といいます。とてもとても想像できることではありません。
 
 このニュースのなかで皆さんもアッと思った方がいると思いますが
最初に子どもたちを発見した時の映像で、子どもたちがカメラに向かって合掌していました。
 タイは仏教国で、多くの方が出家してお坊さんになります。
微笑の国といいます。微笑とは仏さまのお慈悲のお心です。
合掌したあの姿に皆さん心打たれるところがあったのではないかと思います。
 
 とはいえ閉じ込められた状況を自力で脱出することはできません。
今日の御和讃「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」に重ねて
味わわせていただきます。
 私の力では到底かなわない。そういう私を見たときに阿弥陀さまは大悲心を起こされご本願を作られたというのです。
大きな悲しみ慈しみのお心です。このお心おはたらきを南無阿弥陀仏と私のところに回向届けてくださってあるといいます。   
 まさにこの世は仏さまからいうと真っ暗な暗闇の世界、迷いの世界です。
その暗闇迷いの世界から私たちを一人残らず救わずにはおかないという如来の作願なのです。そのことを思います。
 
 もう一つ、関係者の方がこうコメントをしています。
この13人の子どもたちは大変な経験をした、この経験をこれからの人生に生かしてほしいと。
世界中からダイバーの方がみんなを助けに来てくれた多くの支援をいただいたという思いをもって
これからの人生で今度は世界中の方に恩返しをしてほしいと。
 
 仏さまの微笑の国です。微笑返しです。
大きな形での社会貢献でなくても、仏さまの大悲心をいただくなかに日々の生活のなかで微笑返しの営みができるのも
私たちのお念仏の生活だとまた味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.12)
 
トイレを借りに来れるお寺
2018-07-10
 地域の子どもたちが安心してトイレを借りることができる、それが地域の書店の役割である
という新聞のコラムを読みました。書店とは本屋さん、毎日同じ場所に同じ人がいることが大事だといいます。
 
 ちょっと前ですが、玄関のチャイムが鳴って小学生の女の子が「トイレを貸してください」と来ました。
その前もその時は坊守さんが対応しましたが、トイレを貸してくださいと来ました。
 
 書店とお寺です。お寺はいつもそこに誰が居るということではありません。
お寺にはお寺の人というより、阿弥陀さま仏さまがいらっしゃいます。
 いつでもどこでも私のことを思うてくださる、護ってくださる、そして救うてくださる仏さま
その仏さまに会いに来れるところがお寺というところなのです。
 
 先週オウム真理教の事件で死刑判決を受けた教祖の麻原彰晃はじめ7名の有力幹部の死刑が執行されました。
オウム真理教の事件は当時社会に大きな衝撃を与えました。
 今でもまだその真相が解明されていないままですが
なぜあの若い人たちがそれも超エリートといわれる高学歴の人が入信し
マインドコントロールされ教祖の意のままに残忍な犯行を繰り返したのかということです。
 
 公判のなかで信者の一人が
「なぜオウム真理教という宗教に入信したのか。あなたの近くにもお寺があり
家には仏壇もあって手を合わせることもあったのではないか」という裁判官の質問に対して
「お寺はあったが、お寺は単なる風景にすぎなかった」とこたえたといいます。
 
 風景です。風景というのはすがたかたちのことで、そこには人が生きていないのです。
お寺は単なるすがたかたちに過ぎない、人もいない、教えもないということです。
 
 今朝もこうして朝の6時半同じ時間にお寺の本堂同じ場所で皆さんとご一緒に朝のお勤めができました。
毎朝6時半に円光寺にお参りすると、阿弥陀さまが迎えてくれる、そしてお同行皆さん一緒に
お勤めができる、手が合わさるお念仏申せるお礼ができるということです。
 
 阿弥陀さまがつくってくださった尊いご縁です。
どうぞ皆さんの隣の方にもお朝事にお参りしましょうお寺にお参りしましょうと声かけをして
お念仏のご縁を広げていただきたいと思います。
 
 円光寺が単なる風景ではなくお念仏のお仲間が生き生きと行きかうお寺になっていきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.10)
 
顔はその人の人生を物語る
2018-07-09
 今日は本当にさわやかな朝になりました。
ここちよい風がスーッとわたり青空がさわやかです。
 このたびの豪雨で被害に遭われた方も同じ青空の下で同じようにさわやかな風が吹いているところもあると思いますが
生活が一変し、大切な方を亡くされ家屋が土砂に埋まり水に浸かって途方に暮れている方々に心からお見舞い申し上げます。
 
 昨日は大海組内のお寺の前住さまが往生されてお参りさせていただきました。
悲報を聞いてすぐさま駆けつけ「ご愁傷さまです」「残念です」とお悔やみ申し上げます。
 悲しみに寄り添う、悲しみを同じくするということです。
「生前中は大変お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を申し上げます。
 
 お参りしてご尊顔を拝見させていただきます。
92歳の老院さんですが、色つやが良く肌の張りもあってそれこそ眠ってらっしゃるようなお顔でした。
 
 顔はその人の人生を物語るといわれます。それぞれ顔は違います。人それぞれの人生です。
「いいお顔ですね」とつい声に出ました。お顔に善いとか悪いとかあるのではありません。
 その人のお顔その人の人生その人の生活営みそのお人柄はそれぞれ違います。
先に往かれたお方はこの命終えてその姿お顔を見ることはできなくなりますが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただき
この世に還って来て私たちを護り救うというおはたらきをしてくださるのだなと
また頼もしくそのご尊顔を拝することができるのも私たちのお念仏のご法義なのです。
 
 私たちの生活日々の営みはこれからも変わっていきます。
災害に遇って、本当に驚きをもって変わることもありますが
真実変わらぬ南無阿弥陀仏のおはたらきをいただいてお念仏を申すなかに
今日一日も確かに確かにお浄土への道すがらを共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.9)
 
大自然に生きる
2018-07-08
 大きな雨になって各地で大きな被害が出ています。
大雨特別警報という50年数十年に一度とか一生に一度あるかどうかの大雨という特別に緊急事態を知らせる警報です。 
 今回は大変な広範囲にわたりテレビの映像や新聞の写真を見ても本当に想像を絶するような大災害です。
 
 今朝の新聞には住宅街の多くのお家が水にすっぽり沈んでいるという写真がありました。
大自然の脅威をあらためて思い知らされます。
 
 私たち人間はこの地球に生きるなかで豊かで便利な生活を求めて幾多の文明をつくってきました。科学の力です。
科学技術の進歩は自然をも変えるような飛躍的な凄い力を発揮してきました。
 科学の力のおかげで豊かで便利な生活をき享受している私たちですが
この大自然の前にはなす術がないというのが今の状況です。
 
 自然に贖うといいます。科学は自然に抵抗し自然を克服していくところに発達してきました。
しかしこのたびの自然災害ということでも、どこまでいっても自然を克服することは難しいといういことですが
人間は決してあきらめません。どこまでも自然に挑み続けます。
 
 親鸞聖人はこの自然という言葉を使って阿弥陀さまの他力本願のおはたらきを自然法爾と私たちにお示しです。
自はおのずから然はしからしむといいます。
おのずからしからしむというのは抵抗するのではなくそのまままかせるといいます。
 
 今よく聞く言葉に共生という言葉があります。共に生きるといいます。
自然と喧嘩をするのではありません。喧嘩しても結局は負けてしまいます。
 だったら共生していきましょうと、共に生きていきましょうというのです。
 
 しかしここが中々難しい。というのが私がという私が邪魔するのです。
何がこれくらいこうしたらいいんだとどこまでも私がという力が次から次に湧いてきます。
 
 私たちのお念仏のみ教えです。
自然法爾と阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきにまかせていくんだよと教えてくださいます。
 まかせるいって何もしないということではありません。
まかせていくなかに自然と共生していく、私にできる精いっぱいのことをさせていただくというのが
私たちお念仏の道を生きる者のあり方だといただきます。
 
 どうぞこれからもどんな自然災害に遭うかもわかりませんが
お念仏を申すなかに私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.8)
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