浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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ご門徒皆さんの思いを寄せて
2018-04-09
 昨日は花まつりの会をしました。
お寺の周辺を白象パレードをし、花御堂のお釈迦さまのご尊像に甘茶を灌いで、お釈迦さまのお誕生をお祝いしました。
そして今回初めてコンサートをしました。
 
 コンサートを思い立ったのは一か月ほど前のことですが、スムーズに準備もでき
たくさんの方にも集まっていただいて、本当に素敵なコンサートになりました。
 
 演奏してくださる方がいてのコンサートですが、ご門徒さんに相談してすぐ紹介してくれました。
フルートとクラシックギターの「カプチーノ」のお二人です。
 舞台設置もご門徒さんがさっさとつくってくれました。
どのくらい人が集まるのか心配でしたが、チラシを作って新聞に折込み、ご門徒さんが声かけをしてくれました。
 本堂の空間的にちょうどいい人数で、鉄筋の本堂は音響もよく春風がさわやかに吹き抜けるようで
気持ち良く演奏ができたのではないかなと思います。
 
 日頃からご門徒さんと思いがつながっているように力強く感じます。
住職の私がああしなさいこうしなさいということではありません。
 ご門徒皆さんが思いをもってそれぞれの場所でそれぞれのお役目を次から次へと進んでやってくださいます。
本当に有難いことです。
 
 おかげで昨日は私もクラシックの世界にゆっくり浸ってコンサートを楽しむことができました。
 
 このお寺のご門徒さんの力って本当にすごいなと改めて思います。
お念仏のおはたらきです。人から人へと確かに確かに伝えられ伝わっていきます。
 
 昨日初めてお寺にお参りされた子どもさんが多かったです。
子どもさんがお参りするとお父さんお母さん家族の方も一緒にお参りされます。
 コンサートを聴きにみえたという方もいらっしゃいます。
思いはそれぞれ様々ですが、お寺にお参りすることでお寺に親しんでほしいと思います。
 お寺に親しむなかで仏法聴聞です。仏さまのみ教えを聞いていただきたいと思います。
 
 これからもいろんな行事がありますが、お寺の行事は花まつりにしてもコンサートにしてもすべて仏事です。
仏さまの行事です。仏さまのお心をいただいて、どうぞ私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.9)
 
若葉のいのち輝く朝です
2018-04-08
 今朝はちょっと冷えました。
梵鐘をついて境内の桜を見たら、ほんの少し花がついてますが、若葉がいっぱいです。
朝の光のなかに若葉が青々と輝いていいですね。
 
 「花びらは散っても花は散らない」です。
桜というと私たちは花びらばかりを見ていますが、花のいのちは次から次へとつながっていくんですね。
若い葉にもいのちがあるということです。
 
 今日は花まつりの会をします。
境内にプランターのお花を皆さんのお気持ちをいっぱい寄せていただきました。本当に有難いことです。
 
 今日はいろんな催しをしますが、小学新一年生を祝う会をします。
小学校に入学する新一年生です。私たちもそんな時がありました。
 
 親に手をひかれて初めて小学校に登校します。
これから六年間の学校生活が始まります。人生の大きな第一歩です。
 門出を見送る親は喜びいっぱい不安いっぱいということでしょう。
子どもにとっては初めてのことばかりで、見るもの聞くものすべてが新鮮なことばかりでしょう。
 まさにこの若葉かなと思います。
 
 若葉も日に日に色濃くなって大きく成長していきます。
私のいのちの有様を重ねて思います。
 大きないのちのつながりのなかに生かされて生きている私のいのちです。
すべてのいのちがつながって私たちの日々の日暮しがあるということを教えてくださるのが仏教です。
 
 死んだら終いのいのちではない、いよいよいのち輝かせて生きていける世界があるよと聞かせていただきます。
私たちのいのちの古里、阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くいのちを今ここに生きているよと教えてくださいます。
 
 この仏教を開いてくださったお釈迦さまのお誕生日のお祝いです。
どうぞ皆さんの周りの方にも声かけをして今日のご縁にご一緒にお参りしてください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.8)
 
それぞれの思いを一つに寄せる
2018-04-07
 昨日は坂ノ市里の光国寺さんで布教大会のご縁があってお参りしました。
本堂が満堂の百人を超す多くのご門徒有縁の皆さんがお参りでした。
 
 布教使という浄土真宗阿弥陀さまのお救いのご法義をお話してくださるお坊さんが、
若い方から中堅どころ、超ベテランの方がご法話お取り次ぎしてくださいました。
 ご法話お聴聞されるお同行からナマンダブナマンダブとお念仏がこぼれる有難いご縁になりました。
 
 こういう光景を目の当たりにしますと、昨今ご門徒のお寺離れが言われる中で、
まだまだお寺は浄土真宗は捨てたものではないなと思いました。
 ただ超ベテランのこれまで何十年も全国各地のいろんなお寺で布教されてきた方からみると、
これからが心配だと言われます。
 
 30年前はといいます。私たちの親の世代ですが、30年前だったら今日のような布教大会のお寺のご縁にお参りして
家に帰ると「今日はどんなお話だった」と聞く人がいたと、聞かれるから話すことができたといわれます。
今は核家族になって、帰っても誰もいない、聞く人もいない、話すこともないと。
 
 お寺の大きなご縁はあるけれども、そのご縁が生活という場につながってこない、
つながっていないというのが今これからの時代ではないかなと思いました。
 
 ただ全く切れてしまったわけではありません。つながっていると思います。
昨日多くの人が集まったということの意味です。人数の問題ではありません。
お参りされた一人一人の思いが一つ阿弥陀さまのご尊前に寄せられたことの有難さ尊さです。
 
 この布教大会は「布教大会をしましょう」という思いの方がいて始まったことです。
その思いを隣の方に皆さんに伝えたんですね。
 その方がお坊さんだからということかもしれません。しかしお坊さんだけではこうした会はできません。
ご門徒有縁の皆さんという言い方をしますが、その一人一人の方が思いをもって
自分だけがお参りするのではなく、周りの方々に「いっしょにいこうえ~」と声かけをし誘い合って
昨日の布教大会ができたと思います。
 
 昨日お参りされた方が家に帰っても誰もいないかもしれません。
しかし皆さんの隣にはまだまだ仏法に遇っていない方がたくさんいらっしゃるということです。
そういう方々一人一人に何度も何度も声かけをすることが大事です。
 
 声かけをするということは寄り添っていくということです。
阿弥陀さまのご法義です。阿弥陀さまのお慈悲のお救いのご法義はいつでもどこでも
阿弥陀さまが南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださり寄り添ってくださってあるという安心です。
 
 声かけはお坊さん一人のお役目ではありません。皆さんなのです。
皆さんが思いをもって隣の方に「いっしょにいこうえ~」と声かけをしていきましょう。
 
 仏さまのご縁に声かけをしてご一緒することは今この私にできることです。
今私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 明日は花まつりの会をします。布教大会ではありませんが、同じ仏事、阿弥陀さまのご縁です。
お寺は自分には関係ないところ、お話を聞くばかりで退屈な所と勝手に思い込んでいる方もいるかもしれませんが、
明日は花まつりということで皆さんに白像を引っ張ってもらいお寺の周辺をパレードします。
お釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけてお釈迦さまのご誕生をお祝いします。
そして初めての試みですが、フルートとクラシックギターのコンサートをします。
 
 今まで全くお寺にご縁のない方、ご門徒でない方にも、どうぞ皆さんの隣の方に「いっしょにいこうえ~」と
声をかけられてご一緒にお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.7)
 
見るに見かねて、居ても立ってもおられません!
2018-04-06
 昨日は一日中大相撲の京都舞鶴巡業での話題でもちきりでした。
土俵の上で挨拶をしていた主催の市長さんが突然倒れ、女性が土俵に上がって緊急処置をしていたところ
「女性の方は土俵から下りてください」と何度もアナウンスがあったことが波紋を広げています。
 
 このニュースの映像を観た時皆さんはどう思いましたか。
私は何かとても嫌な感じがしました。
 
 女人禁制という大相撲の伝統があるということですが、土俵の上に人が一人ばたっと仰向けに倒れているんです。
男性が5,6人土俵に上がりました。でも何もできなくて、どうしていいかうろたえるような状況が見て取れました。
 その時、すーっと女性が土俵に上がってきて、何もできない男性を押しのけ心臓マッサージを始めました。
そしてもう1人女性も加わって見事な緊急対応でした。すごいなと思いました。
 
 女人禁制とか、誰が上がって良いとか悪いとかいうのではなく、人の命に係わる緊急事態なのです。
その女性は看護師さんだったということですから、事の重大性、一刻を争うということが誰よりも分かっていたんですね。
アナウンスがあった後も緊急処置を続けていました。
 
 その身についた思いがそのまんま行動になって表れたということです。
何も技量をもっていない者が土俵に上がっても意味がありません。みんなポカーンとしているだけです。
 
 阿弥陀さまのご本願のお救いを聞かせていただきます。
 迷いのなかにあって迷いを迷いと気づかず朝から晩まで私が私がと
自分中心の煩悩の火を燃やして生きる私たちを苦悩の重病人と見るに見かねて見抜かれて、
一切の衆生を分け隔てなく必ず救うとご本願を建てられ成就されて阿弥陀さまに成ってくださいました。 
 
 阿弥陀さまは私たちを救うすべての手立てをすでに成就完成されているから、すっ飛んで来られるのです。
手立てがなかったら向こうから眺めているだけでどうしようもありません。
 
 この私を必ず救うという手立てを十劫というはるか遠い昔につくって
今まさに私のところに南無阿弥陀仏と来てくださっているという阿弥陀さまのお救いなのです。
 
 すぐそこに倒れている人がいる、困ってらっしゃる方がいる。
そのことを見た時、座っちゃおれんで立ち上がってそのまま私のところに来てくださるのです。
 
 私たちが生きる社会にはその社会の構成員である私たちが共に生きるためのルールがあります。
条文化された法律であり、道徳や昔からの言い伝えまで
社会の常識というルールがあってこの人間社会は成り立っているともいえますが、
今回のように伝統というルールを守ることだけに固執してしまうと、おかしなことにもなってしまいます。
 
 何を守るかです。一番守るべきものは何かということでもあります。
 
 人一人の命にかかわる緊急事態です。
私が不意に倒れて何もできない状態になった時、
すぐそばに人がいるのにただ見つめるだけということが現実に起こったら、絶望的ですね。
 
 阿弥陀さまのお救いはこの私一人のお救いです。 
すぐさま私のところに駆けつけてくれて「大丈夫。私がいるから大丈夫」とそのまま抱き取り救うてくださる。
南無阿弥陀仏のおはたらきに安心して今こここの私を生きていけます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.6)
 
プランターのお花に思いを寄せて
2018-04-05
 4月8日はお釈迦さまのお誕生日で、今年はちょうど日曜日になります。
花まつりの会ということで、お寺で行事をしますが、
年度初めの日曜日で良い時候ということもあって、他にもいろんな行事があるということです。
 
 鶴崎の剣八幡神社のお祭り、遠見金毘羅宮のお祭りや三佐の体協の総会も重なって、
「すみません。花まつりにはお参りできません」と言われる方が多くいます。
 
 境内にプランターのお花がいくつも寄せられています。有難いことです。
その当日参加できなくても、プランターのお花というかたちで参加できるということです。
 
 何の行事でも一人でできるものはありません。
皆さんが思いを一つにしてはじめてできる、私たちの花まつりの会です。
 皆さんのお心をプランターという形にしてお寺にはこんでください。
もちろんその日に時間がありましたら、どうぞお誘いあわせ皆さんご一緒にお参りしてください。
 
 お釈迦さまのお誕生日です。
「お釈迦さまおめでとう、そしてありがとう」とお礼をさせていただきましょう。
 
 お釈迦さまが開いてくださった仏教です。
その仏さまのみ教えをいただいて、浄土真宗という仏教を親鸞聖人が開いてくださいました。
 お釈迦さまから2500年、親鸞さまから800年という時空を超えて、
今こここの私に阿弥陀さまのお念仏のみ教えが届けられました。
 
 お念仏を申すなかに4月8日を皆さんそれぞれお迎えしてほしいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.5)
 
お念仏のご縁つながり
2018-04-04
 昨日は竹田のお寺の坊守さんが2月にご往生されて、お参りさせていただきました。
 
 十年ほど前のこの時期に、坊守と一緒に花まつりの行事にお参りさせていただいたことがあります。
うちのお寺より一回り二回り小さな本堂が満堂になるほどいっぱいの皆さんがお参りでした。
 ご門徒の方ももちろん、近くの福祉施設の入所者の方がマイクロバスでたくさんお参りされていました。
毎年施設の方にご案内して一緒に花まつりの会をして、
灌仏といってお釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけたり、梵鐘をついてもらったりしているそうです。
 
 昨日お参りした時、たまたまその福祉施設の方がお参りされてお話を聞かせていただいたことです。
何かのご縁を感じました。
 
 実はそのお寺から円光寺に第13代の住職が入寺されているのです。
160年ほど前に円光寺が大地震に遭って本堂庫裡鐘楼が転覆したという記録がありますが、その時の住職です。
 
 昨日お参りしてそのことについてもご院家さんにお話を聞きたいということもあったのですが、
そういう方がいたということは聞いていましたということです。
 その方についての資料がすぐあるということではありませんが、
こうしたご縁つながりということを本当に感じます。
 
 私たちの日々の生活のなかでこの目に見える直接的なつながりということもありますが、
目に見えないつながりが遠い過去からあって、そしてこれから未来へもつながっていくということです。
 
 未来へというと何か不確かな感じですが、
私たちは南無阿弥陀仏という中心をいただいているご縁つながりという確かさを思います。
 確かに確かにずっとつながってきたし、今もつながっているし、これからもつながっていくという、
大きな大きな安心のなかに今日の一日もあるんだなといただいた昨日のご縁でありました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.4)
 
二つの過去帳
2018-04-03
 昨日はあげ法事ということで、お寺の本堂でご法事のご縁をいただきました。
神奈川県からお参りされた方で、ご兄妹が大分にいらっしゃるということです。
 
 ご法事のお勤めの後「過去帳をもう一つつくってもらえませんか」というご相談がありました。
神奈川にお仏壇があるんですが、大分にも過去帳をということです。
 
 今は位牌を過去帳にしましょうとご門徒さんに勧めていますが、
位牌にご先祖の霊が宿っているといわれることを聞きます。
 
 私たちの浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来さまで、お仏壇の中心にご安置しますが、
一般的にお仏壇はご先祖をおまつりするところで、位牌を安置してお経をあげてもらうことによって
ご先祖を供養するとか慰霊するとか言われているようです。
 
 浄土真宗だけではありません。仏教の各宗派にはご本尊の仏さまがあって
お寺の中心、お仏壇の中心にご安置してお参りさせていただくことが肝心なのです。
 
 お経をあげないとご先祖の霊が迷って出てきて禍をかすということではありません。
だからお命日より早くご法事のお勤めをしないといけない、遅れたら大変なことになるということではありません。
 
 過去帳を二つつくって、その人の代はいいんでしょうが、
その経緯がわからないまま子や孫の代に伝わると、
過去帳が二つあることが不安になり、粗末にできないと迷ってしまいます。
 
 ご先祖は子や孫を迷わせたり困らせたりしません。
今は仏さまとなって私たちを見まもってくださっていると聞かせていただきます。
 いつでもどこでものおはたらきですが、その大きなご縁がご法事のご縁なのです。
 
 過去帳はご先祖の方々のいのちの記録です。
過去帳が大事なのは、ご先祖のいのちがあって私のいのちがあることを思うことなのです。
 
 お家のお仏壇、ご本尊の阿弥陀さまにお礼をしましょう。
そのことがそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて往かれたご先祖有縁の仏さまにお礼をさせていただくことなのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.3)
 
新生活が始まります
2018-04-02
 新年度4月に入って今日が月曜日ということで、今日から学校に行ったり会社に行ったりという新生活が始まります。
新しい一年が始まるということで、希望と不安が交錯する独特な感じの時期です。
 
 特に学校に進学したり就職したりとかで親元を離れて生活を始める人はまさに初めて経験することばかりです。
今までは当たり前のように親にしてもらっていたことが、自分一人で生活をしていかなければなりません。
不安はもちろん戸惑いもありますが、逆に今までできなかったことしたかったことが自分でできるという夢があります。
 
 ただこれも自分の思い通りになるということではありません。皆さんもこれまで経験したことでしょう。
思い通りにならないなかに一層不安にさいなまれ、こんなはずじゃなかったと苦しみ悩むことにもなります。
 あらためて親の有難さを思います。
 
 御和讃に「釈迦弥陀は慈悲の父母」とあります。
お釈迦さま阿弥陀さまはお慈悲のお父さんでありお母さんであると
親鸞聖人はお釈迦さま阿弥陀さまを慕っておられたということです。
 
 お父さんお母さんはいつでもどこでも「影のごとくに添いたもう」と、私のことを思い寄り添ってくださっています。
お父さんお母さんはお亡くなりになっても、どこまでもお父さんお母さんです。
 今は仏さまとなっていつでもどこでも私を見守ってくださり私と共に生きてくださっています。
「一人じゃないよ、わたしがいるよ、大丈夫だよ」南無阿弥陀仏とおはたらきくださる仏さまです。
 
 お念仏を申すなかに安心して新生活を始めましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.2)
 
桜の歌人、西行法師
2018-04-01
 4月1日です。新年度の始まりで新たな気持ちで今日の朝を迎えた方が多いと思います。
 
 昨日は満中陰のお勤めで墓地に納骨に参りました。
昔からの地域の墓地で桜の木がたくさんあり青空のもと満開の桜花でした。
 
 墓地に桜の木はつきもののようにあります。
私が若い頃、大分の花見といったら松栄山の護国神社か上野の墓地公園でした。
 
 墓地であったり神社仏閣に桜がよく似合います。
桜を詠んだ和歌も多くありますが、平安時代の末期にでられた西行法師は桜の歌人とよばれるほど有名です。
 平安末期は源氏平氏の武家勢力が台頭して貴族政治から武家政治へと転換する大きな歴史の過渡期で
親鸞聖人もこの平安末期に生まれ鎌倉時代を生きられました。
 
 西行は元々は武士で妻や子どももいましたが、ある日突然出家してお坊さんになります。
桜を詠んだ一首に「願わくは 花の下にて 春死なん あの如月の 望月の頃」とあります。
 願うならば桜の花の下で死にたいと。如月は旧暦の二月、望月の頃とは15日の頃をいうそうです。
2月15日はお釈迦さまが入滅された、お亡くなりになった日といわれています。
 そしてその願いがかなったのか、2月16日に亡くなられます。
1190年といいますから、親鸞聖人が17歳、ちょうど比叡山で学問修行に励まれていた頃です。
 
 桜の花のいのちに重ねてもののあわれ無常感ということを仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
仏さまの国日本の人ひとが桜を愛でる大きな意味ではないかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.1)
 
「天国や地獄は本当にあるんですか?」
2018-03-31
 今は春休みで、先日七日日のお参りで子どもたちが後ろで一緒にお勤めをされました。
いつものようにお話をさせていただいた後、女の子に「天国や地獄は本当にあるんですか?」と質問されました。
えっと思いました。どうすぐ答えたらいいものか少し戸惑いました。
 
 逆にこう聞きました。「そういうことってお友だちの間でも話題になっているの?」と。
今はユーチューブなどネットですぐ検索ができるということです。
 そのなかで有るという回答もあれば無いということも、また有るとも無いとも答えない回答もあるのでしょう。
そこでお坊さんに聞いてみろうということになったのかもしれません。
 
 小学5年生の素直な質問です。ここはていねいに答えることが肝心と思いましたが
小学校5年生にわかるようにどう答えていいのか考えてしまいました。
 
 お経にはこう書いてあるよというのも一つの答え方ですが、
すぐ有るとか無いとか答えるのではなく、私自身の問いとして一緒に向き合うことが大事だなと思いました。
無理に答えを出そうとすると、聞く方は納得がいかない、ごまかされたような感じになるかもしれません。
 
 その子のおばあちゃんが最近亡くなって、七日七日のお参りが始まり先日このお家にお仏壇を申すことになりました。
そこでこんな話をしました。
 
 地獄には鬼がいるというね。鬼は悪いことをしたらその人を責めて懲らしめるというね。
だから昔の人は地獄が有るということを言って、私たちに悪いことをしちゃあいかんよ、
善いことをしなさいと教えてくれたんではないかな。
 
 ただおばあちゃんは今は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成ってくださってあると聞かせていただくから
お浄土の仏さまに成ったら、悪いことをしている私を責めたり懲らしめたりはしないで
そんな私を見て悲しまれるんだって、悲しくて悲しくて涙を流して
居ても立ってもおられず、南無阿弥陀仏のおはたらきで私のところに来てくださり
「いつも私が一緒だから、大丈夫だよ」と私に寄り添い抱き取ってくださるんだよ。
 
 私たちのすべてをすでに見抜かれてそのまま救うとおはたらきの仏さまが阿弥陀さまなのです。
その南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のお心おはたらきを聞かせていただくことが大事なんだよ、とお話しました。
 
 もう一つ「死んだら仏さまに成るんですか」と聞かれました。
 仏さまは今迷いの身を生きている私のことが心配なのです。
だから今仏さまのお心を聞いてくれよと願っておられるのです。
 死んでから後のことではなく今聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ただ先に往かれたおばあちゃんのことは心配しなくて大丈夫だよ。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきで今はお浄土に生まれて仏さまに成ってくださっているからね。
 
 お浄土を表すこのお仏壇にお参りして仏さまにお礼をしようね。
お参りしてもしなくてもいつでもどこでもおばあちゃんの仏さまはあなたのことを見守っているからね。
だから大丈夫だから、これからも仏さまのお話を聞いてください、と言いました。
 
 最初は何とか質問に答えようと力が入りましたが
お話をしながら共々に聞かせていただき、仏さまのお心を味わわせていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.3.31)
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