浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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私のお寺のご院家さん
2018-02-09
 昨日電話で「そちらのお寺は四十九日満中陰のお勤めは、門徒でないとしていただけないのですか」
という問い合わせがありました。
 
 今はお坊さんの派遣業というものがあって、お葬式の仲介をしてくれる業者があるということです。
例えば大分県内の各宗派のお坊さんを登録していて、
お葬式ができてその仲介業者に頼むと、葬儀社とお坊さんを紹介してくれるという仕組みです。
 
 ただお葬式初七日までの契約ということです。
頼む方もお葬式だけでいいお寺とのお付き合いは遠慮したいということで、ニーズにピタリ合うといいます。
 
 ところが親族関係者からお葬式の後のお勤め、四十九日や初盆、年忌の法事をどうするのかという声があがります。
といってもお葬式で頼んだお坊さんは業者が手配したお坊さんで、そのお葬式だけのご縁のお坊さんなのです。
 
 お坊さんはお坊さんでお葬式のお勤めだけで充分なのです。
お葬式のお布施とそれからの仏事のお布施では大分金額が違います。
なるべく多くのお葬式にお参りできた方がいいわけで、いろんなお勤めが入ってくるとお葬式の依頼に応えられずに、
業者から見放されることにもなります。契約解除です。
 
 そういうなかで満中陰のお勤めをどうするか。お坊さん探しが始まるのです。
 
 お坊さんは、ただお経を読む人なんでしょうかね。
お経は、亡き人を供養するための道具手段なんでしょうかね。
 皆さんはよくお聴聞されていますから、そこのところはちゃんと受けとめられていると思いますが、
一般的にはお経とはそういうものだと思っている人が殆どらしいです。
 
 お葬式はお坊さんだったら誰でもいいのではありません。お寺のご院家さん(住職)の大きなお役目なのです。
 
 ご門徒さんとお寺のつながりは、共に仏さまのご縁をいただくお寺のご院家(いんげ)さんとのつながりなのです。
「ご院家さんあなたに、私のお葬式を執り行ってください。お願いします」と、日頃から思っていただけるご院家さんです。
 お寺にお葬式をお願いすることが、そのまま七日七日満中陰、初盆、一周忌のご縁とつながっていくのです。
 
 ご縁がつながるとは、私たちのお念仏のご法義は死んだらお終いということではないというご法義なのです。
いや死を縁にしていよいよこのご法義が生きてくるんです。
 
 先に往かれたお念仏の先人は、仏さまです。
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて、今は仏さまになってくださっています。
 仏さまになったらゆっくりゆったりあの世とかで眠っておられないで、
私のところに南無阿弥陀仏と還って来て、いよいよ「まかせよ救う」のおはたらきをはじめられるのです。
 
 今日お葬式があります。
小さい頃から私のことをよく知ってる、よく見てくれていたご門徒さんです。
 そのご門徒さんとのつながりはお葬式のご縁だけのつながりではありません。
生きている時からのつながりです。そして命を終えてからのつながりでもあります。
 
 そのご縁はその人だけではなくそのご家族、周囲の方にもつながっていきます。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。大いなる仏さまのご縁といただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.9)
 
お寺の見えない過疎
2018-02-08
 昨日は京都のご本山で会議があって行ってきました。
寺院振興といって、これからのお寺のあり方について、お寺を元気に盛り立てていきましょうという会議です。
 
 そのなかでも過疎対策についてということです。
大分県も過疎の県といわれ、お寺が在る農山漁村部の人口が減少しています。
 高度経済成長期以来続く若い世代の都市への人口移動があり、今は少子高齢社会ということです。
これは日本社会が抱える現実問題で、私たちがどうしようもできないことです。
 市町村の合併が進み、学校や病院など公共施設の統廃合が加速しています。
 
 お寺についていえば、門徒が減るということで、お寺の護持が大変難しくなりました。
 
 私たちの円光寺は過疎の地にあるお寺とはいえません。
周辺には工場や会社がいくつもあり、商業施設もあって、幹線道路に接して車の往来は結構多いです。
 
 見えない過疎という言い方をします。
小学校の児童数はこの十数年殆ど変わりませんが、アパート所帯が多くなりました。
一世代以上前からの住民は極端に少なくなりました。
 夜、大きな屋敷にぽつんと一室だけ灯りがともるお家を見かけます。
都会に出ていった子どもが古里に帰ってこない現状がすぐ近くにもあります。
 
 お寺の見えない過疎はより深刻です。
名簿の上では門徒の数はありますが、顔の見えるご門徒さんが少なくなったということです。
 
 お寺とご門徒さんとのつながりが薄くなって寺離れということが言われていますが、
見えないところでこの寺離れが一気に進んでいるようにも感じます。
 
 お寺を護持していくことが町のお寺でも本当に難しくなりました。
 
 これはお寺をあずかる住職だけの問題ではありません。
ご門徒皆さんも一緒に考えお寺を護持していただきたいと思います。
 
 昨日の会議で20人ほどの僧侶のなかでただ一人出席されたご門徒さんの発言に力をいただきました。
「過疎の問題というが、人口減少、門徒減少はどうしようもない。
 門徒が何軒あるから寺が護持できる、できないということではなく、
 門徒の私たちがお念仏のご法義をどういただき、伝えていくのかということが大事なのではないか」と。
 
 浄土真宗門徒の心意気を思います。
確かに現代社会にあってお寺も従来通りのことをやっていくばかりではお寺の存続そのものが危ういものがあります。
 だからこそお念仏に生きる心意気をもったご門徒衆と共に、私たちのお寺になっていこうと強く思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.8)
 
お葬式のご縁
2018-02-06
 今日はお葬式があります。家族葬専門の葬儀社さんで、初めてのご縁です。
 
 一昨日臨終勤行にお参りしましたら、コンテナハウスといいますか、
倉庫を改造したような斎場で、ご遺体をご安置したお棺の上方にご本尊の南無阿弥陀仏のお名号が奉懸されていました。
 
 三人の方がお参りでした。ご妹弟とご縁の方です。
 
 色んなことがあったと聞いてはいましたが、家族も友人もいない昨日のお通夜、そして今日のお葬式です。
人それぞれの人生いろいろといいますか。この人生、色んなことがあります、あったでしょうね。
 
 振り返ってあの時こうしておけばと思うこともありますが、やり直しできない一度っきりの人生です。
傍から見れば善い悪いなどといわれることもありますが、
その人ひとがかけがえのない命を一生懸命生きてきたということです。
 
 そしてこの命は死んだらお終いではなくて、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいて、
南無阿弥陀仏の仏さまのいのちに成らせていただくんですよと、聞かせていただきます。
 
 そのこと一つ聞いてくれよというのが仏さまの思し召しですが、
中々仏さまのご縁に遇うことは難しい。
 
 難中の難ともいわれる仏さまのご縁を命がけでつくってくださったのが、このたび先に往かれた大切なお方、
今はお浄土の仏さまとなって私たちのことをこれからずっといつも見守り続けてくださいます。
 
 このたびのご縁でいうと、三人のお方です。
 愛する者と別離する悲しみのご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただいて、
阿弥陀さまのお慈悲をいっぱいいっぱいいただきましょう、
とお通夜のご縁でお話お取り次ぎさせていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.6)
 
お念仏の60周年大会
2018-02-05
 昨日は大海組仏教婦人会の結成60周年の大会が大分グランシアタ音の泉ホールで約600人が参加してありました。
 
 第1回の大会が昭和31年8月9日に大在の長光寺さんであったといいます。
遠く思いをはせます。
 
 今から62年前のことです。日本社会は戦後復興半ばで、人々の生活は貧しく厳しいものだったと思います。
昭和30年代に入り39年の東京オリンピックに向けて、経済が次第に活気を帯びてまいります。
 私たちの本願寺も36年に親鸞聖人700回大遠忌の大法要を迎えるにあたり、
いよいよお念仏のみ教えに立ち返ろうという機運がみなぎっていたのではないでしょうか。
 
 その頃です。大海組のお寺の仏教婦人会の皆さんが心を一つにして一堂に集まろうと思い立ったのです。
 
 貧しい生活にあって、通信交通も不便な時代です。
大在までどんな交通手段で行ったのでしょうか。大変だったと思います。
大会を開催するまでの準備は、連絡はどのようにしたのでしょうか。
 
 今だったら連絡しようと思えばすぐ連絡できます。集まろうと思えばすぐ集まれます。
 
 最初の会議が昭和29年と聞いて、あらためて凄いなと思います。
何が凄いか。お念仏の先人の心意気です。
 あれから60年です。そしてこれから60年です。
 
 昨日の挨拶にもありましたが、お寺にとって今は大変厳しい時代になりました。
通信も交通も本当に便利になりました。生活も豊かになりました。
 でもお念仏の心はというと、どうかなということです。
 
 ただ悲観的なことばかり言っていてもどうしようもありません。
どうぞ皆さん、まずあなたの隣の人にお念仏のみ教えを伝えてまいりましょう。
伝えるといって、そんなに力を入れなくてもいいです。
「いっしょにいこうえ~」と声かけをしましょう。
 この私がお念仏を申す身にさせていただくことが肝心要です。
 
 昨日集まった600人の方々、どういう思いでお家に帰られたでしょうか。
お家にはそれぞれ阿弥陀さまをご安置するお仏壇があります。
 お仏壇に手を合わせて、これから60年、お念仏申す日々を一日一日送らせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.5)
 
今年の恵方は?
2018-11-13
 今日は立春です。暦の上では春になります。
さっき鐘つきをしていましたら、小雪が舞っていました。寒いです。
今の時期が一年で一番寒いんじゃないでしょうか。
 寒いですが、暦の上では春です。春が待ち遠しいですね。
 
 昨日は節分でしたが、今は豆まきより恵方巻きということのようです。
昨日気をつけて新聞の広告チラシを見ましたら、6店ほどのお店屋さんの恵方巻きの広告チラシが入っていました。
 どのチラシにも今年の恵方は南南東と書いていました。
 
 恵方巻きの由来まで書いた親切なチラシによりますと、
恵方とはその年の福徳を司る神さまがいらっしゃるところで、今年は南南東だそうです。
 節分に恵方を向いて太巻きを一本切らずに一気に食べると、縁起がいい、願い事がかなうといわれます。
 
 今年はということは、去年の方位とは違います。来年はまた違います。その年によって変わるということです。
さて皆さん、南南東といわれて、方角をすぐ指させますか。難しいですね。
 
 阿弥陀さまのお浄土をおもいます。
お浄土は西方にありとお経さんに説かれています。
 西方といわれてもすぐ方角がわからないかもしれませんが、太陽の沈むところです。
陽の沈むところを西方浄土と決めてくださったのです。
 
 太陽は毎日東から昇り西に沈みます。
太陽をいのちそのものをみて、東の方からいのちが生まれ起き西の方にかくれていくと、
その陽の沈む西の彼方に、私たちが人の命を終えて生まれ往くお浄土があると教えていただきます。
 
 お浄土には先に往かれたご先祖有縁の仏さまがいらっしゃる。そしてその浄土に私もまた生まれさせていただくと、
先人は、陽が沈む西方に向かって手を合わせお念仏を申したといわれます。
 
 ナンマンダブツ、お念仏を申すなかにお浄土をおもい、今日も一日日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.4)
 
「福は内、鬼も内」
2018-02-03
 今日は節分です。節分には豆まきをします。鬼に豆をまいて邪悪なものを追い払うという風習です。
鬼は悪役、嫌われ者です。桃太郎の鬼退治しかり、鬼は地獄の番人ともいわれ怖いです。
 
 悪の代表のような鬼ですが、実はこの鬼、鬼神といって仏法を護る神さまだというんです。
 
 仏の里といわれる国東(大分県北部)の六郷満山は、今年で開山1300年ということですが、
毎年1月に修正鬼会が勤まります。松明をもった鬼が山中を駆け巡り邪気を払って一年の五穀豊穣を祈る行事です。
 
 この六郷満山は宇佐神宮と縁が深く日本古来の修験道と外来の仏教がいっしょになった宗教のかたちをとります。
神と仏がいっしょに信仰される、神仏習合のかたちです。
 
 仏教が今から2500年ほど前にインドで生まれ、中国を経由して日本に入ってきたのが1500年ほど前です。
実は仏教が生まれ伝来する以前から、インド、中国、日本には固有の神々がいて、人々が信仰していたといいます。
そこに外来の仏教が入りその地域の宗教や信仰を取り込み神仏習合を繰り返して、仏教が発展してきたといわれます。
 
 以上は、先日大分合同新聞に載った講演記事の受け売りです。
 その先生いわく「鬼はもともと、法を護るもの、我々を守るもので、邪を避けるものだった」と強調し
「鬼は本来いいものだから節分には『福は内、鬼は内』というのが本来の筋だった」とお話しされたということです。
 
 さて、私たちの阿弥陀さまが豆まきをしたら、どう言われるでしょうか。
 「福は内、鬼も内」と聞かせていただきます。
「福も鬼も、善人も悪人も、女も男も、子どももお年寄りも、どんな人も、みんなおいでお浄土に、
みんなの家だよ、ようこそようこそ」
 
 生きとし生けるすべてのものを分け隔てなく必ず救う南無阿弥陀仏のお心おはたらきを頼もしく思います。
 
 「福も内、鬼も内・・・福も内、鬼も内・・・福も内、鬼も内・・・・・・・・」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.3)
 
貧困と格差の社会
2018-02-02
 昨日札幌の共同住宅で11人の方が火事で亡くなったというニュースです。
16人が同居して、高齢者の方が殆どですが、40代の方もいました。
 
 自立支援住宅で、生活困窮者とも、低所得者とも、年金生活者ともいわれ、身寄りのない方々が
それこそ身を寄せ合うように一緒に暮らしていたということです。
 以前は旅館だった建物を改造したということですが、築50年以上の古い木造住宅で防火設備も不十分だったといいます。
 
 これだけみると、運営会社の責任問題になりますが、今の日本社会の実像をみるようで、考えさせられます。
 
 東京ではネットカフェ難民が四千人もいるという調査報告があります。
定住する家がなくネットカフェで寝泊りする人です。
 
 私たちは家があるということを当たり前のように思っていますが、家があることの有難さです。
家は帰るところ、私のいのちの依りどころ、本当に安心できるところです。
 
 私たちの目には直接見えないけれども、すぐ近くに日々の生活に困っている人がいるということです。
 
 終の棲家と決めて暮らしていた住宅に突然の立退き通知をうけた88歳の一人暮らしの女性が
「こんなに長生きするんじゃなかった」と言われます。
次の住宅を探すにも、家賃が高いとか連帯保証人が要るとかで、中々みつからないといいます。
 70歳まで働いて一生懸命頑張って頑張って生きてこられた方です。
貯金も底をつき、今は生活保護を受けて生活をされているとのことです。
 
 人それぞれ生活ぶりは違います。これまで生きてきた人生もそれぞれいろいろです。
色んなことがあったでしょう。
 決して思い通りの人生ではなかったと思います。あの時ああすればこうすればと悔いが残ることもあると思います。
 
 ただ色んなことがあったなかで歳を重ね、今生きています。この社会を生きています。それは私も同じです。
同じ時代を同じ社会を生きている私たちです。
 
 今は貧困と格差の社会だという指摘があります。
貧困と格差に苦しみ、生活に困ってらっしゃる方がいらっしゃいます。
 
 お念仏のみ教えを聞かせていただくことは、そうした社会の問題と関係ないということではありません。
「まかせよ救う」という阿弥陀さまのお心おはたらきは、まかせよとは安心しなさいということです。
 安心しなさい、いつも私が一緒ですよ、どんなことがあっても決してあなたを見捨てることがありませんからね、
大丈夫安心して私と一緒に生きてまいりましょうと、南無阿弥陀仏のおよび声を聞かせていただきます。
 
 お念仏の声が満ち満ちた社会は、本当に安心できる社会です。
あなたも私も共々に安心できる社会をめざして、みんなの家のように安心できるお寺になっていくように、
私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.2)
 
お月さまに手を合わす
2018-02-01
昨夜は皆既月食ということで、夜空を見上げた方が多かったのではないでしょうか。
新聞の見出しに<3年ぶりの天体ショー>とありました。
 
 太陽と地球と月が一直線に並び、太陽の光を反射する満月の月が次第に隠れ、赤銅色に変わっていきます。
 
 今でこそ天体ショーといって皆さんが楽しんでいますが、
昔の人はたまに起きるこの不思議な現象をどのように見ていたのでしょうか。
 おそらく不吉な予感がしたと思います。
煌々と光を放っていた満月が隠れていくのです。
日食は、日中に燦々と輝いていた太陽が欠けていき、辺りを瞬く間に闇の世界にするのです。
 何か不吉なことが起こるのではないかと、不安な思いでひたすら祈ったのではないでしょうか。
 
 今は科学の力でその仕組みが解明され、説明されて誰もが理解するところです。
ただ科学の力をもってしてもまだまだ解明できない、わからないことが私たちの周りにはたくさんあります。
 
 宇宙の摂理もそうですが、第一私が生きてるこの命、この体の仕組み自体が謎です。
このいのち、どこから来てどこに行くのか等など、謎は深まるばかりです。
 果たして科学で、人間の力で解明できることなのか。
解明しようとすること自体が人間のおごりとさえいわれます。
 
 私たちのいのちは大自然の大きな大きないのちのなかに生かされてあるといいます。
私が私がという自分中心の小さな小さなものの見方ではなくて、仏さまの教えという大きな大きなものの見方に立って
私たちは謙虚に大自然のいのちに向き合っていきましょうと教えてくださいます。
 
 お念仏のみ教えをそのまま聞かせていただきましょう。お念仏のお心おはたらきです。
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」のお喚び声に、ナモアミダブツ「おまかせします」と手を合わせお念仏申しましょう。
 
 南無阿弥陀仏の大いなるいのちです。大自然のいのちです。
 
 皆既月食という大自然の営みにあって、月に向かって手を合わせ、大いなるいのちにありがとうとお礼を申します。
 
 日々の生活のなかでお念仏のみ教えを聞かせていただき、大いなるいのちに生かされてあることを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.1)
 
小さな終わりに「ありがとう」
2018-11-13
 終活について、最近テレビでよく放送されています。
人生の終わりに臨んで、私が死んだ後のことを考えます。
 
 私たちは日頃からこうしたいああしたいと思いをいっぱい膨らませて生きています。
ただいつまでも元気で長生きできるということではありません。
 そのことも知ってはいますが、自分のこととして考えるとなると、まだまだ先の話と先送りしてきました。
 
 ただこの齢になって、死んだらどうなるのかと死んでから後のことを考えることが多くなります。
仏教では後生の一大事といいます。
 
 私たちは生と死を別々に分けて見ます。
いかに生きるかということは考えても、死について考えることは中々ありません。否考えようとしません。
死んでから先の話で、生きてる今は考えられないというのでしょうか。
死について考えると、暗くなる、怖いということでしょうか。
 
 仏教では生死一如(しょうじいちにょ)といって、生きることは死ぬことだと教えます。
そして生死の問題は、私に突き付けられた大きな人生の宿題だといわれます。
 大変しんどい宿題で、できたら後回しにして、今を楽しく生きようと思います。
ところが身近に家族が友人が死を迎えるということが起こってきます。
 
 愛する人との別離です。会ったものは必ず別れなければなりません。
どんな人の人生も始めがあれば必ず終わりがあります。
 そしてこの生死の問題は私たちの力ではどうしようもない、私の思い通りにはならないことを身をもって知らされます。
 
 私たちは、生で始まり死で終わると、生と死、始まりと終わりを分けて考えますが、 
生死一如の教えでは、生と死、始まりと終わりは、一つのものでつながっていると説きます。
 死でもって生は終わるのではなく、死は生の始まりであるといいます。
 
 今日は1月31日で、1月の終わりです。今は朝の時間で、今日の始まりです。
明日から2月の始まりです。今日の夜、一日が終わります。
 
 こうして小さな終わりと小さな始まりを繰り返して、私たちの人生があります。
日々小さな終わりと小さな始まりを繰り返し生活するなかで、命終える時を迎えます。
 
 どうこの命を終えていくのかは、どう今日一日を終えていくのかということに重なります。
日々の生活のなかで小さな終わりにしっかり向き合っていくことが大事です。
 
 今日の日の終わりに、あなたは自分自身に、家族に大切な人にどう向き合いますか。
 
 ある人は「ありがとう」と周囲に感謝して命終えていきたいと言われます。
いいですね。でも臨終のことはわかりません。意識がなくなってしまっているかもしれません。
痛みにもがき苦しんで亡くなっていくかもしれません。わかりません。
 
 だからこそ平生です。今です。一日の終わりに「ありがとう」の一言、南無阿弥陀仏の一声です。
 
 「ありがとう」とお念仏申して一日を終える。そして「ありがとう」とお念仏申して一日を始める。
小さな終わりと小さな始まりを繰り返しながら、「ありがとう」とお念仏申して人生を終える。
 そしてお念仏申してお浄土参りさせていただき、仏の無量のいのちに生まれて
南無阿弥陀仏のおはたらきを始めさせていただくのです。
 
 人それぞれに人生いろいろ、色んなことがありますが、
今日の一日もナンマンダブツとお念仏申すなかに「ありがとう」と生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.31)
 
年度末の会議
2018-01-30
 1月から3月にかけて年度末の会議が行われます。
4月からの新しい年度を迎えるにあたり、この一年を振り返り反省して、これから何をどうするかと協議します。
 
 私たちのお寺関係の会もこの時期そうした会議があります。
 
 前年度踏襲というように同じことを繰り返すことが一番安定しているようですが、
特に会社経営というところでは同じようなことをしていてはそれこそ明日がないといいますか、
そこで新たな方策、取組みを考え実践していきます。
 
 かといって何でもかんでもできるわけではありません。
今までの実績の上に何か一つでも新しいことに取り組むということです。
 それも一人ではできませんから二人三人皆さんと心を合わせてやっていくことが肝心です。
そのためにもその会の目標をみんなで確認することが大事になってきます。
 果たしてみんなが同じ方向に向かって進んでいるのかという確認です。
 
 私たちの人生の営みも同じことが言えます。
 毎日同じことの繰り返しのような生活ですが、歳とともに思い通りにならない我が身の事実に愕然とし
周りの状況も大きく変わって、思いもよらないことも起こってまいります。
 
 自分の思いの範囲内でのことは受け止めることができても、
想定外といわれるような状況の中で、私たちは戸惑い、立ち止まり、苦悩するようなことにもなります
 
 人生は人それぞれいろいろです。
同じ屋根の下で同じものを食べて生活している家族でも、その生活ぶりは違います。
生活ぶりが違うお互いが共に生きる社会ですから、それぞれの思いで不都合なこともたくさんでてきます。
 
 仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
 
 お念仏のご法義は、阿弥陀さまの方で私たちの人生の方向を決めてくださっているという教えです。
 阿弥陀さまは、どこまでも自分を中心に自分の思い通りに頑張って生きようとするあまり、
思い通りにならない現実にぶち当たっては、迷い苦悩する私たちのすがたを見てとって、
私たちのいのちの行き先を阿弥陀さまのお浄土と決めてくださいました。
 お浄土に往生させていただく、お念仏の道を歩ませていただきます。
 
 一つの方向に向かって五人いれば、五人が同じ方向に向かって歩いていく。
その人ひとの生活ぶりは違いますが、一緒に往ける、一処に生まれるという往生浄土の人生です。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して来いよと、阿弥陀さまはよんでくださっています。
お浄土に向かって共々に、お念仏申して私にできることを精いっぱいさせていただく営みが、
私たちの日々の生活だと聞かせていただきます。
 
 どうぞお念仏を申す生活、お念仏を申すなかに今日の一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.30)
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