浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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お寺の研修会~貧困の克服に向けて
2018-06-08
 昨日は別府の別院で大分教区のお寺の研修会がありました。
お寺といえば法話会ですが、このたびは研修会です。
 
 今私たちの宗門では御同朋の社会をめざす運動(実践運動)を推進しています。
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えに共に生きる私たちが
現実社会の課題に向き合うなかでお念仏のみ教えを伝えていきましょうという取り組みです。
 
 7年目に入って、今年から重点プロジェクトの目標を「貧困の克服に向けて」とすることについて
宗門内の全教区のお寺、門信徒僧侶に周知するための研修会です。
 
 今は格差社会といい貧困問題は重大な社会問題の一つです。
特に子どもの貧困は深刻です。
 子ども7人のうち一人の割合で、家庭の事情で十分に毎日の食事ができていないとか
孤食といって子どもが一人で食事をするといった実態がたくさん報告されています。
 
 そうしたなかで今子ども食堂が全国的に展開され大分県内でもこの鶴崎でもしていると聞きますが
お寺という場所を開いて子ども食堂をしませんかという一つの提案がありました。
 
 参加者の殆どがお寺の住職さんでしたが、いろんな意見がでました。
象徴的な意見として、貧困といってお寺もまた貧困問題を抱えているということです。
 特に過疎地にあるお寺は門徒も減り住職は一般の仕事に就いて
法事などの法務を土曜日曜とか仕事が休みの日に合わせているということで
現状のお寺の護持で精いっぱいで余裕がないとの声です。
 お寺で子ども食堂などの取り組みができるのはよほど恵まれたお寺であり
お寺の格差があるなかでお寺の現実に向き合い寄り添ってほしいという意見です。
 
 みんなで一緒にということは中々難しいけれども、その思いを共有することは大事なことです。
一つの思いをもって私に何ができるのかということです。
 例えば円光寺でできることです。住職坊守というお寺のものだけでできることは一つもありません。
ご門徒皆さんのご加勢お手伝いがあって初めてできることです。
それも皆さんが一つ思いをもってということです。この一つ思いが大事なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお救いの法、お念仏につながった私たちです。
一人でも多くの方にこのお念仏のご縁を届けていくということを心に入れて
そして思いのある方時間の許せる方が集まって何かをしましょうということでないと
ただ子ども食堂をしましょうしましたでは、私は善いことをしてます、あれもしてますこれもしてますと
私はということになると、これはちょっと違うなということです。
 
 みんなで一緒に取り組んでいきましょうということは今は本当に難しいです。
やはり思いのある方が一つ一つ実践していくなかに
それを見た方知った方が「ああいいことやなあ。私も一緒に参加しよう」と
みんなで一緒にやっていこうという取り組みができたらと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.8)
 
誰もいなくなったお家のお仏壇のお給仕
2018-06-07
 昨日電話で、ご門徒の一人暮らしのおばあちゃんが入院されたということで
これからのお寺との連絡をどのようにしたらいいですかという問い合わせがありました。
 今後はお電話された息子さんに直接ご連絡させていただきますとこたえました。
 
 昨年から3軒ほどお家のお仏壇を守ってきた一人暮らしのおばあちゃんが体調を悪くして
子どもさんのところにいったりとか病院や施設に入ったりとかいうことが増えてきました。
これからもこんなケースが増えてくると思います。
 
 お仏壇のお守りといいます。お家のお仏壇はそこに住まいするお家の方が日々のお給仕といって
お仏飯をあげたりお花をかえたりお灯明をあげたり線香をたいたりということをされていると思います。
 
 ではそのお家に住む人がいなくなったらお仏壇はどうなるのでしょうか。
そのまま放っておいたら埃をかぶってしまいます。もったいないことです。
 ご親族なりご縁の方が先に往かれた方の命日なり日を決めてお掃除をしてお給仕をしていただければと思います。
お電話で「お盆にお参りしてくれますか」と尋ねられ「申し込んでいただけれがいつでもお参りします」とこたえました。
お参りに来ていただくということは、お家もお仏壇もきれいになるということにつながります。
 
 段々とご門徒さんとのつながりが薄くなってまいります。
ご法事のご縁も何年に一度ということで、その間にも親族の方が亡くなられてお参りの方々も変わってきます。
お盆参りは一年一度のご縁です。
 月に一度の月参りのご縁の有難さを思います。
 
 人と人とのつながりといいますが
私たちはお仏壇、ご本尊の阿弥陀さまによってつながってあるということです。
 ただそのつながりもお仏壇のお給仕をする人守る人がいなくなったら薄くなります、なくなってしまうことにもなります。
 
 私たちはいつまでもずっと元気でいたいと思いますが、ままなりません。変わっていきます。
あまり考えたくないことですが、私が今できていることができなくなったときのことを考え
これからどうしていくのか家族や親族で相談しておくことが大事になってきます。
 
 お寺のこと仏さまのことは住職に相談してください。
私たちは変わっても阿弥陀さまのご法義は変わりません。
 お互いにご法義を聞かせていただくなかに、私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.7)
 
ちょっと早起きしました
2018-06-06
 ちょっと頼まれたことを思い出して今日は少し早く起きました。
早起きをすると自分の時間が広がるといいます。早起きは三文の徳があるといわれます。
 
 ただ早起きをしましょうといっても中々難しいですね。
もうちょっともうちょっと布団のなかでゆっくりしたいというのが私の偽らざる思いです。
 
 その場に身をおくことが大事だと思います。
まずその場に身をおくことです。
その場に身をおいてすぐ何かできるということではありませんが、そこから始まるということです。
 
 このお朝事もそうです。この時間この場所に身をおくということです。
身をおくなかにお勤めができます。
 
 今思うのは早起きしてよかったということです。
早起きした時間、本当に有意義に使えたと思います。
 
 早起きしたら、その分色んなことができます。
今日はこんなことができた。明日はこんなことをしようと楽しみに考え時間を使うことができます。
 
 そしてこの時間この場所に一緒に身をおいて、このお朝事のご縁に皆さんすることが決まっているということです。
それぞれ生活ぶりは違いますが、お念仏を申すなかに共々にお念仏の人生を歩ませていただけるという
有難さを今日もこうして身をもって思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.6)
 
どのように死んでいくのか
2018-06-05
 特別養護老人ホームにお勤めのベテランのお医者さんのお話です。
400人収容のホームで年間60人ほどの方を看取るということですが
特別な延命治療をしないで、治療を受けたい人は病院に移ってもらうといいます。
 
 人間最期は食欲がなくなり口から食べ物が入らなくなって大体10日ぐらいで亡くなるといわれます。老衰です。
病院での治療は食べないから死ぬということで栄養剤などを体に入れて治療を尽くします。
 栄養剤で命を永らえる治療はできますが、ずっと生き続けることができるかというと
いつか必ずこの命を終えていかねばなりません。
 
 患者さんの側からいうと、栄養剤を入れられてかえって苦しむといいます。
家族や周りの者は「もうちょっともうちょっと、頑張って頑張って」ということですが
食べられなくなるというのは、身体がもう食べなくてもいいと欲することだというんです。
食べたいのではなくて食べなくてもいいと身体はいっているといいます。
 
 こんなお話を思い出します。
この身体は借りものだというお話です。
ところが私たちはこの身体は自分のものだとして、特に若い頃はこの身体を我が物顔に酷使してきたというんです。
少々体調が思わしくないときも仕事に勉強にと頑張れ頑張れと身体にムチ打って生きてきたということです。
無理をしてきました。無理をしてこれからもずっと頑張れるかというと頑張れないんですね。
最後は力なくして終わるのです。
 
 人間死にます。私のことです。考えたくないことですが
命終わるということは借りもののこの身体を返すことだと考えると少し楽になりましたといわれます。
 
 先ほどのお話と通じるところがあります。
私たちは自然にあるがままに生きたいと言いながら、ああやこうやと欲が出て自分の思い通りに生きたいと頑張ります。
 食べたいという欲です。
ところが食べたいという欲もなくなり、もういいよと身体が言ってスーッと静かに老衰です。
 
 食べないと身体は衰弱して最後は息絶えます。
それこそ30年40年ほど前までは家で亡くなる方が多かったですね。
自然に老衰といわれる死でした。
 ところが今は病院で死ぬ人が殆どで、家族であっても身近な人の死に会うことが難しいといわれます。
人が死ぬということに慣れていないから、人の死が怖いといいます。
実は私のことなのですが、私たちの日常生活は死を遠ざけたものになってしまっています。
 
 今は医療が発達して色んな病気の治療ができるようになりました。
でもどんなに医療をつくしても最後の最期はみんな命終わっていくのです。
 
 どのように死んでいくのか。
生き方も人それぞれなら、死に方も人それぞれです。その人が生きたように死んでいくといわれます。
 阿弥陀さまのご本願のお救いの法に聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.5)
 
すべては仏さまのご縁です
2018-06-04
 昨日は円光寺長期振興計画の各地区門徒説明会ということで三区と一区で会をもちました。
総代さんと一緒に出席しました。
 日頃住職として法事や月参りの法務でご門徒皆さんとは面識がありますが
総代さんにとっては初めて会うご門徒さんもいらっしゃいます。
 
 日曜日の時間皆さんにお集まりいただいて本当に有難いことです。
お寺のことを思うお心一つでご出席いただいたことです。
 
 三区は公民館での開催でしたが、ご本尊の阿弥陀さまをご安置した小さなお仏壇をお供して参りました。
会の始まりそして最後に皆さんご一緒に阿弥陀さまにお礼をさせていただきます。
 このお朝事のご縁もすべてそうです。仏さまのご縁です。
 
 仏さまのご縁につながった私たちですが、皆さんそれぞれ生活ぶりが違います。
ものの考え方も違うなかで、お寺のことを一緒にこうしていきましょうというお話です。
 互いにこうやないああやないと自分勝手に言い合うことではありません。
ご本尊を中心にした会です。
皆さんのご意見を聞かせていただいてより良い方向にこれからのお寺のあり方を考えてまいりましょうということです。
 
 お寺の護持といいます。お寺を護るといっていろんな意味があります。
この目に見えることでいえば、この本堂や建物のことです。
ずっとこのままでより良くなればいいんですが、年月が経つと傷んできます、悪い箇所が多くなります
修繕をしないといけません、建て直すことを考える時もきます、というお話です。
 
 経費が掛かります。ご門徒皆さんで護持するお寺ですから、ご門徒皆さんにご懇志をお願いすることになります。
目に見える形で大変な問題ですが、ご門徒皆さんが心を一つにして同じ方向に向かっていきましょうということです。
 
 出席された方からこれからのお寺のあり方についていろんなご提案もいただきました。
これまでにも何かの会で話題になったことですが、話がいいところまで行っては次の一歩がでないことが多くあります。
ご門徒皆さんと日頃からこうしたお話をする機会がありませんが、何か背中を押してもらったようで大変有難かったです。
 
 ご門徒皆さんからいろんなご意見を聞かせていただいて思うのは、これは仏さまのご縁だなということです。
有難いご縁をいただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.4)
 
早寝早起きお朝事参り
2018-06-03
 朝が早く明るくさわやかになりました。
早起きの効用といいます。
昔の人は早起きは三文の徳といって、金を払ってでも早起きをしなさいと勧められました。
 
 早起きすると自分の世界が広がるといいます。
自分の世界といっていつも自分の世界を生きているようですが
みんなが目覚める日中は人に会うこともありしなければならない用事もたくさんあります。
 家にいてもテレビやラジオの音がいっぱいで
私たちの日常は騒音のなかで日暮ししているといっていいほど音であふれています。
 ちょっと早起きすると、静かな静寂のなかに身をおけ私の時間をいただけます。
 
 では早起きするにはどうしたらいいのかというと、早寝をしなさいといわれます。
早寝をすると遅くまでお酒を飲んだり食事をしたりすることがなくなり規則正しい生活ができるといいます。
 
 ただ早く目が覚めても、もう少しもう少しと布団の中にくるまっていたいものです。
ぱっと起き上がって次の行動をとるのが中々難しい。
 そこで何か早起きしてする自分の目標を決めるといいといわれるのです。
人からこうしなさいと言われることではなく、自ら目標を決めると早起きができるといいます。
 
 このお朝事のご縁を皆さんはどのようにいただいていますか。
私はお朝事のご縁があって決まった時間に早起きができます。
本来なまくらな性格ですが、皆さんがお参りされるということで、早起きしてお朝事の準備を整えます。
 
 早起きして心身を整える、整えさせていただけるというのが、このお朝事の効用だと思います。
心身を整えて今日の一日をスタートさせていただきます。
 今日の一日もいろんなことがあります。人それぞれの生活ぶりです。
そしてまた明日何か繰り返しのようですが、新しい朝を迎え皆さんご一緒にお朝事のご縁に遇うことができるのです。
 
 そういう私たちの日々の日暮しがあって、私たちの人生がいただけているんだなと有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.3)
 
王さんの結婚
2018-06-02
 王貞治さんが結婚されたということです。
78歳で、大分前に奥さんが亡くなり、その後胃を摘出する大手術をして
その頃から身の回りのお世話をしてくれていた60歳の一般の女性の方との再婚だそうです。
 
 素敵なことですね。コメントに「これからお互いに歳をとっていきますが、支え合っていきたいと思います」と。
そうですね。世界の王とよばれるスーパーマンも自分一人で生きていくことはできません。
それはお互いのことですが、支えられて生きているということなのです。
 
 王さんだけではありません。私たちがそうなんですね。
夫婦という関係でいつも何か当たり前にできていることも
一方が用事で一人暮らしを余儀なくされたときなど身をもって不自由を感じ、当たり前の有難さに気づかされます。
 それは夫婦だけのことではなく家族であったり友だちであったり、日頃の人と人とのつながりのなかで思うことです。
 
 その思うことが思い通りにできなくなるというのが歳をとるということです。
ただ歳をとるといって悪いことではありません。
歳をとって初めて気づかされるのが、人と人との縁ということです。
 
 私たちのご法義に引き寄せて言うならば仏さまのご縁です。
仏さまのご縁をいただく、仏法を聞かせていただきます。
 若いうちはやっぱり難しいですね。
仕事もあるし何でも自分のしたいことはいっぱいあるということで、まず仏法を聞く気になりません。
 
 しかし歳をとっていくなかで病むことが多くなってきます。
今まで感じなかった不安や迷いが生まれます。
 仏法に遇うご縁なのですが、これが中々難しい。
それこそ仏法を聞かずじまいに命終えていく人がたくさんいます。
 
 今皆さんは御仏前に座っています。仏さまのご縁をいただいています。
ただこのご縁に遇うまで色々ありましたね。時間もかかりましたが
前にお立ちの阿弥陀さまはこの私を喚び通しに喚び続けられずっとずっと待っていてくださったのです。
 
 そのお心を聞かせていただくなかで、どうぞ皆さんの隣の方隣の方に声かけをしてまいりましょう。
ご縁いただこう、ご縁いただこう、一緒にいこうねと。
 ご縁いただくなかに今まで見えなかったことが見えてくる気づかなかったことに気づかされて
人間に生まれてよかったと生きていき命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただくと聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.2)
 
新しい月の初め、気持ち新たに始めましょう
2018-06-01
 6月になりました。今朝6時の梵鐘をついていましたら、朝日がもうすでに空高く上がっていました。
光あふれるなかに今日の一日を始めさせていただきます。
 
 今年は早々に梅雨に入りました。6月は水無月といって、水が無いと書きます。
これは旧暦のよび名で、雨が少ないことをいうのでしょうが、いよいよこれから梅雨本番です。
 
 雨が続くと何か気分もうっとうしくなります。雨は往々にして嫌われ者です。
ただ雨が降らないと水不足が心配になります。水がないと私たちの生活は成り立ってはいきません。
 私たちが住んでいる地球を水の惑星というぐらいです。
水は私たちのいのちそのものであり、この身体の大部分が水でできているのです。
 
 太陽であり水であり、大自然の恵みをいっぱいいただいて、今日の一日を始めます。
6月に入りもう一年の半分近く過ぎたのか、本当に早いなと、同じようなことの繰り返しの生活を思いますが
ここは月が新しくなってまた気持ちも新たに生活を始めようということです。
 
 新しい月の初め、気持ち新たに今日の一日を始めましょう。
皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただく有難さを思います。
 毎日の繰り返しのようですが、日々これ新たにお勤めさせていただき一日を始めます。
いろんなことがある毎日ですが、また毎朝お朝事のご縁にかえってこれます。
そしてまた皆さんとご一緒にお勤めさせていただけます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.1)
 
車社会に生きる
2018-05-31
 90歳の女性が運転する車が事故を起こし4人が死傷、57歳の女性が亡くなりました。
何とも悲しい、とても残念な思いがします。
 
 高齢者の車運転事故は年々増え、重大事故が起こるたびに高齢者の運転免許証の返納が問題になります。
私たちの周りにも高齢者ドライバーが沢山いて、私自身の問題でもあります。
 
 現代は車社会です。近くのスーパーに行くのも車でと、車は身近で便利な交通手段であり
過疎の集落では車がないと生活できないといったような現状です。
 ある程度の年齢になったら免許証を返納しましょうといって
私の事となるとまだまだ運転に自信がある大丈夫と免許証を手放そうとはしません。
 
 車があると本当に便利です。自分の車を思い通りに自分で運転して生活できる楽しみもたくさんあります。
では車がないと生きていけないのかというと、どうでしょうか。
 
 重大事故が起こるたびに車はまさに凶器なんだと思います。
自分の手で人を殺すことはできるものではありませんが、車で人を殺すことができるのです。
誰しも人殺しの手段で車を運転している人はいませんが、結果的に人を殺すことになるのです。
その人の一生を終わらせてしまうのです。
 
 90歳の女性が運転免許証をもっているということはある意味すごいことです。
若い頃から時代の最先端を行く憧れの的のような人生を歩んできたのではと想像します。
 今度の事故で警察に逮捕され、名前が公表され加害者容疑者と呼ばれます。
ニュースで護送される姿を見ました。本当にいいおばあちゃんです。
 周りの人たち家族が思うこと、悔いることもあると思います。
 
 高齢者でも車があるから便利な生活を楽しむことができるという人もいるでしょう。
では車がないばかりに不便な生活を強いられていると思う人ってどれだけいるでしょうか。
 車だけのことでいえば自分が運転できなくても周りの人に車に乗せてもらえばいいことだとも思うのですが
一緒に生活している家族にでも「車に乗せて頂戴」と言えない、言っても快く応えてくれないということなのでしょうか。
 家族であってもみんな自分を中心にそれぞれ生きていますからといわれると、中々難しいですね。
 
 今の社会のあり様を思います。
困っている人がいます。困っている人がいることがわかっていても、見ようとしない、自分には関係ないとさえ思う。
一方困っている人も「助けてくれ」と言わない、言ったところで嫌な顔をされる、取り合ってもらえないとあきらめている。
 
 日常生活のなかで人と人とのつながりが益々希薄になってきているように思います。
自分のことは自分でできたらいいのでしょうが
歳を重ねるほどに思い通りにならない我が身の悲しさ寂しさを感じます。
 
 人のいのちには限りがあります。生きようと思うことも生きる力もままなりません。
お互い若いときもありました、健康なときもありました、そして今の私たちがいます。
 人それぞれ生活ぶりが違う私たちが家庭で地域社会で共々に日暮ししています。
 
 どんな人も決して一人では生きていくことができない社会です。
阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせていただくなかに、あなたも私も自他共に心豊かに生きることのできる社会をめざして
お互いに認め合い敬い合い助け合い支え合っていくことが大切です。
 私一人の楽しみではなく、私たちみんなが人間に生まれてよかった、あなたに会えてよかったと
喜んで感謝していける人生の歩みを共々に、私にできる精いっぱいのことを今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.31)
 
散髪に行きました
2018-05-30
 昨日散髪に行きました。
ちょっと髪の毛が気になって行きましたが、散髪を思い立つのは何か大きな行事があるとか
ここは心機一転とかいう時に思い立つものです。
 何かある時は誰しも身だしなみをきれいに整えることから心がけるものではないでしょうか。
 
 坊守さんから聞いた話です。
歯医者さんに行ったときのことで、昼前の時間で仕事着のままのちょっと身なりの良くない人が
診察室に入る時に靴を脱いでスリッパに履き替えるのですが、その方が脱いだ靴を向き直ってきれいに揃えたといいます。
それを見ていいな素敵だなと思ったそうです。
 
 私たちは何か身なりでその人を判断するところがありますね。
その人が靴をきれいに揃えると見方が変わります。
 
 靴を揃えるということは誰でもできそうでできていないことが多くあります。
人から言われてするものでもなく、人に見せようと思ってするものでもありません。
 その人にとって靴を揃えることは特別なことではなくて、その人の身についたまさに文化なのです。
その人の身だしなみにその人の文化が香るということです。文化がそのすがたに表れるのです。
 
 人に見せようと自分が意識してすることでしたら、自分のその時どきの心の状態で
靴がどこかに飛んでいくように脱ぎ捨てられることもあるでしょう。
 
 身につくというのはそのままなのです。そのまま自然にできる日頃のたしなみです。
日頃からちゃんとできていないとそのことが身につく姿に表れるということではありません。
 姿に表れるというのはその人の今までの人生といってもいいものです。
その気品ある身だしなみが伝わって、いいなすてきだなと思います。
 
 私たちのお念仏の文化です。
皆さん式章をつけていますね。これも付けるまでは大変だったと思います。
 でも今は式章が身についたものになって、式章をつけていないと何かおかしいということです。
人から見たら式章をつけた皆さんの姿が皆さんそのままの姿になって見られるのです。
 
 お念仏の文化、おはたらきです。文化はカルチャー、耕すという意味です。
お念仏南無阿弥陀仏のおはたらきが私の頑なな荒れた心を日々柔らかく耕してくださって
いよいよお念仏を申す身にさせていただきます。
 ようこそようこそお育てをいただいているんだなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.30)
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