浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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母の日参りいたしましょう
2018-05-13
 今日は5月の第2日曜日、母の日です。
1908年5月10日にアメリカのアンナ・ジャービスという女性が亡くなられたお母さんの追悼会をされた
ことから始まったと言われます。110年前のことです。
 
 いつの頃からか日本に入って来て母の日にはお母さんにカーネーションを贈るような習慣ができました。
赤いカーネーションですが、早くお母さんとお別れした子どもには白いカーネーションをとも言われました。
 
 この母の日に因んで、あるお寺さんと関係業者がコラボして「母の日参り」ということを提唱しています。
母の日にお墓にお参りしましょうというのです。
 
 皆さんのなかには元気なお母さんもいらっしゃいますが、
この年代になりますと、先に逝かれたお母さんが多いのではないでしょうか。
 母の日はどうしていますか。お仏壇に白いカーネーションをお供えしていますか。
 
 お母さんは今どこに行ってらっしゃるのでしょうか。先に逝かれたお母さんにどこに会いに行けばいいのでしょうか。
お墓参りが提唱されるということでは、一つはお墓ですね。お墓にはお母さんのお遺骨がご安置されています。
 
 そしてお寺です。浄土真宗のお寺のお内陣、お仏壇は阿弥陀さまのお浄土を表します。
かといって、お寺がお浄土ではありません。お寺はお浄土の入り口、お寺参りがお浄土参りといただきます。
 
 円光寺ではお葬式の後火葬されてお遺骨をお供してお寺にお参りしていただきます。長年の習わしです。
還骨のお勤めをします。お遺骨となってお寺に還ります。
 
 住職がお遺骨を抱きかかえてお浄土を表すお内陣の中心阿弥陀さまの真横にご安置します。
いつもお遺骨をお内陣にご安置しているわけではありません。
浄土真宗のお寺にお参りするとお遺骨やお位牌がいっぱいあるということではありません。
還骨の時だけの特別なことです。
 
 阿弥陀さまの横にご安置するというのは
先に往かれた方は阿弥陀さまのお浄土にお参りされてこれからはいつも阿弥陀さまのおそばにいらっしゃるということです。
 
 この目には見えませんが、阿弥陀さまのお浄土にお参りされているといただいて
お浄土のお母さんの仏さまに会いにお寺に参りさせていただくのです。
 
 お墓参りもいいです。お家のお仏壇にお参りをするのもいいです。
お参りするところがある、手を合わせお念仏申してお礼ができるところがあるという有難さです。
仏さまがそういう処をつくってくださったということです。
そしてお母さんのことをいっぱいいっぱい思うてください。
 
 母の日はお母さんに感謝をする日といいます。
感謝するんだったら母の日だけでなくて毎日感謝していいんですが
平生いつもは自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私ですから
この日は特別と日を決めて、お寺にお墓にお家のお仏壇にお参りしましょう。
 お仏壇に手を合わせてお花をお供えしてお母さんの仏さまを偲び感謝のお念仏を申しお礼をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.13)
 
仏さまのご縁に遇わせていただく
2018-05-12
 昨日一昨日と平日ですが、ご法事がありました。
祥月命日のご縁で、お参りの方も極々身近な方でした。
 
 お勤めの後お茶をいただきます。お茶をいただきながらお話になります。
お坊さんが一方的に話すのではなくお互いに話し合うということです。
 
 お話を聞きながら二軒のお家ともいつもと様子が違うように感じました。
いつも元気におしゃべりされる方が少し落ち込んでいるというか、ちょっと自嘲気味にお話されるので
「どうかしましたか」とお聞きしましたら
一軒の方は最近お姉さんが短期間の療養で亡くなられたと言われ
もう一軒の方は昨日年下の元同僚のお葬式だったというお話です。
 
 それぞれ60代70代の方ですが、身近な親族や友だちが亡くなるということで、自分自身のことを重ねて思うんですね。
この命です。いつまでも若く健康でいられたらいいんですが、そうはいかない。
そのことは知っています。いずれはこの命を終えていかねばならないということです。
ただ有縁の人の死をどう受け止めていいのか、わからない、受け入れたくない私がいます。
 
 悲しみのご縁ですが仏法聴聞のご縁といただきましょうとお話しました。
私たちの仏さま、阿弥陀如来さまは「いつでもどこでも私が一緒ですよ。
必ずあなたを救いますから私の名を称えて聞いてください」とおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 
 平生いつでも称えられるお念仏のご縁ですが、
私たちは日々の生活にずっと追われるように人生を過ごしてまいりました。
 この人生、いつまであるのかわかりません。今日かも明日かもわかりません。
わからないからこそ今このご縁に聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ご法事のご縁をいただきました。仏さまからいただく仏さまのご縁です。
阿弥陀さまのご縁ですが、私の身近な仏さま、ご先祖有縁の仏さまからいただけるということです。
この命の行く先、この命のあり様を聞かせていただく仏さまの尊いご縁に遇わせていただきます。
 
 もちろん今日のお朝事のご縁も仏さまのご縁であります。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.12)
 
いい歳になりました。シュウカツしましょう!
2018-05-11
 朝はちょっと冷えますね。
このところ夏日で暑くなったり、低温で寒くなったりと天候不順が続きます。
どうぞ体調に気をつけてください。
 
 今朝の新聞のチラシに盆提灯の広告がありました。
八月のことで、3カ月先ですが、どうも社会は先へ先へと急速に動いています。
こんな調子でこの一年もあっという間に過ぎ去っていくのでしょうか。
 
 昨日大海組の法中会があり、先般2月の音の泉ホールでの「大海組仏教婦人会60周年記念大会」
参加者アンケート結果を見せてもらいました。
 
 参加者の年代別人数がありました。
一番多かったのが70代、次いで60代と、この二世代で全体の7、8割の人数でした。
 60代70代というと、皆さん私たちの世代です。
仕事を終えて子育てを終えて少し自由な時間ができた世代です。
第2第3の人生を謳歌するように、趣味やスポーツ、旅行にと積極的に取り組まれる人たちが目立ちます。
 
 そのなかで終活ということがいわれます。
元々は就職活動の就活から派生した言葉ですが、宗教活動の宗活といただきます。
 いよいよいい歳になってこれからのこと、この命終えていきますけれども、
死んだらどうなるのかということを含め、この人生を振り返り生きることの意味を広く宗教に聞いていくということです。
 
 私たちの宗教は仏教、浄土真宗の仏教です。
仏法は聴聞にきわまるといいます。聞けよといいます。何を聞くのか。
阿弥陀さまのご本願のお救いの法、南無阿弥陀仏のお心を聞くといいます。
この私のあり様を聞くということでもあります。
 
 救われようのない凡夫の身を生きる私が救われていくという法です。
そのことを聞かず終いにこの人生を終わったら、これほど空しいことはない、もったいないことはないというお勧めです。
 
 そのことにご縁をいただけるいい年頃が60代70代ということなのでしょう。
ただ60代70代のみんながみんなそういう気持ちになるということではありません。
大方は他のことに気が向くということですが、
今までできなかったなかにお寺参りも入れていただきたいと思います。
 
 仏さまのご縁は私たちの日常生活のなかにもたくさんあります。
皆さんはこうしてお寺参りができていますが、どうぞ皆さんの隣の方、周りの方に声かけをして勧めてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.11)
 
ご縁つながりいただいてご一緒に
2018-05-10
 昨日子ども会の水曜学校がありました。新年度になり一年生が三人入校しました。
お勤めの様子を後ろから見ていましたが、
一年生が聖典のどこを開いていいか分からないことに気づいた上級生がすっと一年生の横に座って教えていました。
いいなと思いました。
 
 言われなくても子ども同士でできることがすばらしいと思います。上級生はお兄さんです。
ちょっと前までその上のお兄さんから教えてもらったことを今度は教える立場になったということです。
お役が回ってきたのです。
 
 こうした光景を見ながら、私たちのこのご縁はつながってあるんだなと改めて思います。
三人の一年生の一人はお兄ちゃんが一緒に水曜学校に来ているというつながりです。
あとの二人はお父さんが以前水曜学校に来ていたというご縁なのです。
 
 去年は一時水曜学校のお友だちが二人という時期があり、来年になったらどうなるのかと心配していましたが、
今は八人のお友だちが一緒で、ご縁というのは本当に生き生きとはたらいてつながってあるんだなと思います。
 
 ただ何もしなくて人が集まるということではありません。
そこはいつもの時間いつもの場所でということです。
 毎週水曜日の4時から5時まで、円光寺の本堂でと、時間と場所を設定して水曜学校ができるということです。
 
 このお朝事もそうです。毎朝6時半、阿弥陀さまの御尊前で皆さんとお会いして今日もご一緒にお勤めができました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.10)
 
いつものルーティンに安心して
2018-05-09
 坊守さんが留守をしていまして、昨日のお朝事のことです。
いつものように納骨堂にお参りした後本堂のお仏飯をさげて庫裡の方に向おうとしたら、納骨堂の電気がついていました。
えっと思いましたが、いつもは坊守さんが電気を消してくれているんですね。
 
 ルーティンです。ラグビーの五郎丸選手で有名になりましたが、決まった日課、仕事、手順、手続きという意味です。
決まった日課ということでは、このお朝事は皆さんにとって決まった日課になっていますね。
 毎朝6時半から円光寺のお朝事にお参りするということで
何時に起きてこれこれこういうことをしてお寺に出かける。
お寺から帰ってからのことも一つの日課ということで決まっていると思います。
 
 こうしたお寺のことですが、住職の私が一人ですべてできているということではありません。
ご門徒有縁の皆さんの手が入ってできているということです。役割がそれぞれあるんですね。
その役割というのはこうしなさいと言われた決められたことではありません。
皆さんが私にできることをさせていただくというなかに自ら決めて
私の日課、ルーテインができているということではないでしょうか。
 
 もっといいますと、阿弥陀さまのお手回しという言い方をします。
阿弥陀さまが決めてくださったことだと聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「まかせよ救う」のおよび声に「はい」っと応えて、この一日を始めさせていただくのです。
ナンマンダブツとお念仏申すなかに、皆さんそれぞれの生活が始まります。
そしてまた明日の朝このお寺のお朝事にお参りをして一日を始めさせていただきます。
 
 何かいつもの繰り返しで当たり前のようですが、
南無阿弥陀仏の大きな大きなおはたらきのなかに生かされてある大きな安心をいただきます。
 今日も一日いろんなことがあると思いますが、
お念仏申していのち輝かせて生かされて生きていける有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.9)
 
セクハラ罪という罪はありませんが・・・
2018-05-08
 国の中枢にある官僚トップのセクハラ発言問題について
上司の大臣が「セクハラ罪という罪はない」と発言したことが波紋を広げています。
 これまでにもセクハラ発言を受けたとされる方は名乗りでてほしい
このままだと発言した者の人権はどうなるのかなどといった発言が物議を醸していました。
 
 確かに法治国家である日本の国の法律にわいせつ罪はあってもセクハラ罪はありません。
ただ問題はセクハラ罪はなくてもセクハラで苦しんでいる人がいるという事実です。
 
 今回一人の女性記者が名乗りでました。氏名等は公表されていませんが、関係者には特定される人です。
これからの彼女の人生を大きく左右しかねない、大変勇気のいった行動だと思います。
 官僚と女性記者という関係で、官僚に取材して情報を得るために二人で会った時の発言が問題になっています。 
 
 私たちの社会は人と人とが織りなす社会です。
人と人が出会い関係していくなかで、いつも仲の良い友だちばかりではなく仕事上嫌な人とも会っていかねばなりません。
 
 今回のことで以前は嫌なことを言われたりされたりしたことが
日常茶飯事のようにあったという話が次から次と出てきています。
うまくその場から逃れることを覚えたりとか、周りから我慢しなさいと泣き寝入りしたという話です。
 
 私たちの一番小さな社会は家族です。
家族のなかでも言われたくない、言われたら嫌だと思うことってありませんか。
 特に一番身近な人だからこそ言われたくない、
ましてや大きな組織のなかで力のある人から言われたら言い返すこともできません。
 
 セクハラを受けた人はずっとそのことを忘れられずに苦しみ悩み続けます。
一方セクハラをした人はその事実さえも受けとめることなくまた自覚することなくセクハラを繰り返すのです。
 
 今の時代、やっとというかセクハラを受けた人たちの声が公に上がり始めました。
 人と人との関係です。誰しも嫌な思いをして生きたくありません。
嫌な人を遠ざけようとする行為は逆に嫌な人だと避けられることにもなりかねません。
 自分はセクハラをしたことはありませんと言って、
これまでの人生のなかで自分の言動で嫌な思いをさせたことがないかと問われるとどうでしょうか。
 
 誰しも嫌な思いをしたことはあると言われるでしょう。そのことをいつまでも忘れずにいます。
しかし嫌な思いをさせたという事実はどこかで忘れ去っているのではないでしょうか。
 
 人と人とが織りなす社会です。今日もいろんな人と会っていきます。同じ人でも初めての出会いです。
その時どきの自分の都合で相手に嫌な思いをさせることもあると思います。
そのことに気づいたら「ごめんなさい」と謝りましょう。
嫌な思いをさせられたら相手にそのことを言ってあげましょう。
そこからまた人と人との関係が深くつながってくるのではないでしょうか。
 
 法律で裁くことではありません。道徳で教えてそれで十分ということでもありません。
法律や道徳を知っているからといって私たちは自分の立場立場で勝手に都合よく法律や道徳を解釈し
自らを護ることを最優先して反省することに至りません。
 
 仏さまのみ教えに聞かせていただきましょう。仏法という鏡にわが身を置きましょう。
仏さまは我が身を我が心の有様をそのまま見せてくださいます。
そしてその上で救ってくださるのです。どのような私であっても決して見捨てることはありません。
 
 そのことに甘えることではありません。「ああそうだったね」と気づかせていただき、自ら我が身を処するのです。
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに、人と人とが向き合いつながって
いよいよ大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて生きていけると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.8)
 
ゴールデンウィークが終わりいつもの生活です
2018-05-07
 ゴールデンウィークの大型連休が終わりました。
テレビのニュースで新幹線で遠く古里から帰宅する人、海外から帰国した人へのインタービューの様子を観ました。
 にこやかに楽しかった出来事を話していましたが、
「明日から仕事ですね、学校ですね」と言われ、きりっとした顔になって「頑張ります」と皆さんこたえていました。
そうですね。楽しい思い出に浸ってばかりではいられません。ここはスイッチを切り替えて頑張っていつもの生活です。
 
 私たちの生活はやはり頑張って生きるということなのでしょうか。
頑張るというと何か力が入って空回りになることもあり、頑張りすぎるとしんどいことにもなりますが、
ここは「よいしょ」「どっこいしょ」という気持ちで次のステージにあがるということでしょうか。
 
 いつも毎日が楽しいことばかりだと、それに慣れてしまって感動も感謝もなくなってしまうのかもしれません。
何か楽しみを目標にして頑張れるということもあると思います。
 
 いつもの生活にも楽しみはたくさんあります。苦しみ悩みもたくさんあります。
いつもの生活は帰る家があるという生活です。
帰る家があって今日も職場に学校にと行くところがあるということです。
 
 「いってきます」「いってらっしゃい」と家を出て、「ただいま」「おかえり」と家に帰ります。
家には家族がいます。職場に学校に行くと、友だち仲間がいます。
 みんなそれぞれ生活ぶりは違いますが、頑張って生きています。
自分一人が頑張って生きているのではありません。みんな頑張って生きているのです。
みんなが生きている、互いに生かされて生きている私です。
 
 浄土真宗のみ教えに私たちのいのちの帰依処を聞かせていただきます。
生きる依り処であり死して帰る処です。
 南無阿弥陀仏のお念仏のご法義に生かされて阿弥陀さまのお浄土に帰らせていただきます。
 
 私たちは南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに生かされてあります。
私一人ではありません。学校の先生も友だちも、会社の上司も同僚もみんなそれぞれ頑張って
みんな互いに支え合って生かされて生きているのです。
 
 いつもの生活はいのちがいっぱい輝いています。
みんないのち輝かせ合って生かされて生きている、いつもの生活です。
自分一人で頑張るのではなく、頑張る思いを少し楽に軽くして
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.7)
 
心が形となりすがたとなって表れる
2018-05-06
 心が形となって表れる、形から心を知らせていただきます。
心といってこの目には見えません、わかりません。
人の心、いや自分の心さえもわかりません。
ただその心が形となって表れるとき、その心もちを知らされます。
 
 お念仏の心、私たちが申す称名念仏の心を聞かせていただきます。
浄土真宗、阿弥陀さまの本願念仏のお救いのご法義は、ナンマンダブツとお念仏申したから救われる、
お念仏を申すことが救いの条件というご法義ではありません。
 
 このお念仏は私が申す、私の口から出るお念仏ですが、元々は南無阿弥陀仏、阿弥陀さまのお心です。
阿弥陀さまのお心から発せられるおはたらきなのです。
そのお心を聞かせていただきます。「まかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 
 迷いのなかにありながら迷いを迷いと気づかず朝から晩まで私が私がと自分を中心に
欲の心怒りの心愚痴の心という煩悩を燃やし罪悪深重の救われ難い凡夫の身を生きる
この私をこそ救わずにはおかないとすっとお立ちになった阿弥陀さまが
その大きなお心から南無阿弥陀仏の名号となって私のところに至り届きはたらいてくださるおすがたが
私の口から南無阿弥陀仏と出てくださるお念仏の声と聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申しましょうと言います。
何かそういうと、お念仏申すところに力が入りお念仏が救いの条件になるように思われますが、
ナンマンダブツとお念仏申すとそのまんま南無阿弥陀仏のお心が聞こえてまいります。
 
 今朝はここに7人のお同行がご一緒にお参りです。
ナンマンダブツとお念仏申す私の声ですが、7人7様の声となって聞こえてきます。
わが身に聞こえるその声は阿弥陀さまの声であり諸仏諸菩薩、親鸞聖人、蓮如上人の声であり、
そして皆さん私たちのご先祖有縁の仏さま方の声であるといただきます。
 
 称名念仏と申します。どうぞナンマンダブツ、声に出してお念仏を申させていただきましょう。
お念仏のなかに今日の一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.6)
 
アメリカ大リーグマリナーズのイチロー選手
2018-05-05
 大リーグマリナーズのイチロー選手が今シーズンの試合に出場しないという会見がありました。
現役引退かということですが、来シーズン以降も選手を続けるという契約でもあるといいます。
前代未聞のことですが、球団側の思いとイチロー選手の希望が合致して
「これほどハッピーなことはない」と球団のこれ以上ないリスペクト、尊敬のはからいに
イチロー選手は感極まるほどに喜んでいました。
 
 イチロー選手はこの3月マリナーズへの移籍が決まった時の会見で
「50歳になっても野球選手を続けたい」と語っていました。
 昨日の会見では「私は野球の研究者だ」とも言っていました。
研究とは試み究めるということで、仏教でいう求道、修行者のような感じさえしました。
 
 よくイチロー選手は孤高の野武士にたとえられます。
会見に同席した球団の会長が「イチローはダライ・ラマのような存在だ」と言っていました。
 ダライ・ラマはチベット仏教の最高位の高僧です。
ロッカールームでイチローの周りにチームメイトが自然と集まり話を聞くといった光景がうかびます。
 
 今年は球団会長補佐として試合には出場しませんが、チームに帯同してアドバイスするほか
野球の練習も今まで通りに積んで来シーズン以降に備えるといいます。
 ただ44歳ということで、今後選手として出場できるかどうかですが、
そこのところを聞かれ「わかりません」と答えていました。
実際どうなるかは想像できませんが、「そういう自分を見てみたい」と言うのもイチローです。
 
 本当にすごいですね。まさに道を究めるということです。
これまでもイチローだからこそ究めてきたことですから楽しみです。
 
 誰もができることではありませんが、ある意味私たちの今日一日も道を究めるということではないでしょうか。
ただ新たな道を私が切り開くということではありません。
阿弥陀さまがこの私のために開いてくださった南無阿弥陀仏のお念仏の道です。
 お念仏申して今日一日もこの道を歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.5)
 
念仏者の生き方
2018-05-04
 最近「念仏者の生き方」というテーマでの研修会が多くなりました。
ご門主さまが伝灯奉告法要にあたって「念仏者の生き方」というお手紙をだされたことによります。
 
 先日届いた『仏教こども新聞』に三人のレンガ職人のお話がありました。
同じようにレンガを積む仕事をする三人ですが、仕事ぶりがそれぞれ違います。
一人は、レンガを積むことは誰にでもできるくだらない仕事だと仕方なく嫌そうに仕事をします。
一人は、言われたように自分なりに一生懸命仕事をします。
もう一人は、楽しそうに仕事をします。
 
 皆さんだったらどの職人でしょうか。
嫌そうにしますか?一生懸命しますか?楽しんでしますか?
 どの職人が念仏者かといっているわけではありません。
私のことでいえば、嫌そうにすることもあるし、一生懸命することもあるし、楽しんですることもあります。
 
 できたら楽しんでしたいと思います。
同じ仕事をするについても、その仕事に意味をもたせることで仕事ぶりが違ってくるということです。
 
 ただ言われた仕事を言われたままに淡々とする、頑張ってするということですが、
その仕事に誇りをもち夢をもって、周りの人から認められ喜んでもらえたらいいなと思います。 
 
 同じ仕事をするについても三者三様です。私たちの生き方にもつながります。
それぞれ生き方は違いますが、お念仏のなかに生きる人を念仏者といただきます。
 
 お念仏申して生きるということは、阿弥陀さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
「まかせよ救う」のおはたらきにまかせて生きるということです。
 
 浄土真宗の教章に「自他ともに心豊かに生きる」という文言があります。
念仏者の生き方のヒントがあるように思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.4)
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