浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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お盆の行事を終えて
 昨日でお寺のお盆の行事が終わりました。
今年のお盆は最後に台風が来て昨日の「戦没者追悼法要・平和を願い鐘つき・還暦を祝う会」は取りやめにしました。
前の日から交通機関や各種催し、商業施設の休止が決定するなどしてそんなに混乱はなかったようですが
お盆休みで色々と楽しみに計画していたことができなかった方もたくさんいらっしゃったと思います。
 
 私たちの日々の生活は大自然の営みのなかにあることを思います。
いつもは当たり前のように享受している自然の恩恵ですが
自然の脅威には人間はなす術もないことを改めて思い知らされます。
 
 さて盆参りは5日から始まりましたが、風邪を引きこんで翌日6日には全く声がでなくなり
新院に私の分も代わってお参りしてもらったことです。
 ただ15日までしっかり盆参りの分担をしていますので休んでばかりいられず
病院で薬をもらいガラガラ声で15日まで持つのか不安を抱えながら過ごした辛いお盆になりました。
 
 昨日は終戦記念日で東京では全国の戦没者追悼式が行われ令和になって初めて天皇がお言葉を述べられました。
平成の天皇のお心を受け継いで不戦を誓い平和を祈るというお言葉でした。
 戦後生まれが今国民の8割を超すといいます。今日お参りの皆さんも戦後生まれの方です。
戦後生まれで戦争を知らないといっても、私たちの先祖父母祖父母が戦争という苦しい時代を生き抜いてきて
今この私の命があるということに思いを致します。
 
 戦没者追悼法要は私たちが毎年お勤めする戦没者お一人お一人のご法事です。
追悼です。追って悼むといいます。
 追うということが大事なのです。
近年戦争の風化が言われ最近は戦争の風化そのものが言われなくなったように思います。
もう74年前の私が生まれていなかった頃のことで知らないから関係ない忘れてもいいということではありません。
 
 追って行くんです。
あの戦争のなかを生きてそして死んでいった先人のことに思いをはせ考えるのです。
 追って来られるんです。
ご先祖の方々が追って来られる、追って来ているということです。
「戦争という愚かなことはもう二度としてはいけないよ」と言い続けているのではないでしょうか。
 
 戦争は人間が行う最も愚かな行為です。
国と国同士が敵味方に別れ互いに正義という大義名分を振りかざして武器を駆使して戦う戦争ですが
所詮戦争は人と人との殺し合いです。
 これまで一度も会ったことがない者同士恨みつらみのない者同士が敵味方に別たれ
殺さなければ殺されるといった異常事態のなかで殺し合うのです。
人を殺すことが何人殺すことが英雄の証となることで、これほど理不尽なことはありません。
 
 人は人を殺すために人から殺されるために生まれて来たのでしょうか。
こう言うと、何か大義名分の声が聞こえてきそうですが
 この命誰からも殺されたくないし誰をも一人として殺したくありません。
みんなお互いに精いっぱい生きよう生きようと生きている命なのです。
 戦争に勝者も敗者もありません。みんなが傷つきいつまでも癒されないのが戦争です。
私たち人間はそのような愚かな戦争を有史以来続けてきています。
 
 仏教徒が修める戒律の最初に不殺生戒が説かれます。
「殺すなかれ殺さしむるなかれ」と仏法の世界には争いごとはないと言われます。
 先の大戦では僧侶をはじめ仏教徒が争いごとの中心にありました。
戦争当時このお寺でどのようなことが行われご門徒を戦地に送り出し戦死者の遺骨を迎えたのでしょうか。
 
 戦争の記憶を訪ねていき真摯に振り返って戦争のない世界になるように心がけ
私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
 
 今日は台風一過ということですが小雨模様になりました。
さきほどのラジオ体操の時には霧雨のような感じで何か心地よかったです。
 自然の恵みといい脅威といい、大自然の営みのなかに生かされてあることを深く味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.16)
 
にぎやかな初盆の仏さまのご縁です
 初盆のお家にお参りします。
「静かなお盆になりました」「寂しいお盆になりました」とご挨拶します。
大切な家族が一人いなくなって寂しい、悲しいお盆のご縁です。
 
 ただお参りするとにぎやかです。
盆提灯や盆飾りが仏間いっぱいにあってご家族ご親族有縁の方がたくさん集まっています。
 聖典をお配りしてお正信偈さまをご一緒にお勤めさせていただきます。
大切なお方のお葬儀で始まる悲しいご縁ですが
初七日から七日七日満中陰百か日のご縁とずっとご一緒にお正信偈さまのお勤めをして
皆さん大きな声でお勤めができるようになって本当に有難い仏さまのご縁だなと思います。
 
 最近は葬儀をしないお家が増えてきたといいます。
葬儀をしないとその後のご法事もないということですが
大切な方とお別れして初めて迎えるお盆をご遺族はどのように過ごしているのでしょうか。
 
 お家にお仏壇をご安置させていただく有難さを思います。
初盆のご縁にご親族ご縁の皆さんがお仏壇のある仏間にご一緒できるということです。
お仏壇の御仏前に一堂に座ることができるのです。
そして仏さまに手を合わせお礼ができるのです。
 
 お仏壇のないお家はどこに皆さんが集まって故人を偲ぶのでしょうか。
思い出の写真でも出していろんなお話をするのでしょうか。
どこに向かって手を合わすのでしょうか。
 
 皆さんご一緒にお勤めができて南無阿弥陀仏とお念仏を申すことができることの有難さです。
私たちのために阿弥陀さまが成就してくださった南無阿弥陀仏のお救いの法です。
初盆のご縁をいただいてお念仏申す私にしてくださった、先に往かれた方はまさに仏さまです。
 
 こっちを向いて手を合わせお念仏申してくれよとのご催促です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土から還って来て
お念仏の声となっていつでもどこでも私にご一緒してくださいます。
 「どんなことがあってもあなたを決して見捨てないよ。必ず浄土に生まれさせ仏にさせる」とはたらいて
私が生かされて生きる力になってくださることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.14)
 
今年も盆おどり大会が皆さんのおかげでできました
 昨日はご門徒皆さんのおかげで恒例の門徒初盆会そして盆おどり大会ができました。
昨日早朝からの準備そして今朝の片づけと仏教壮年会の皆さんには大変お世話になりました。
かき氷の無料提供も大人気で仏教婦人会の役員さんにはお茶出しのご加勢をいただきました。
どれもこれもご門徒皆さんのご協力の賜物です。ありがとうございました。
 
 昨日盆おどり大会に初めて参加された方が盆おどり大会のようすを見て
にぎやかに舞台をくんで提灯をめぐらしお囃子の生演奏まであって本格的ですねと
びっくりして話されていました。
 
 本場の鶴崎踊にはかないませんが
円光寺の盆おどり大会にふさわしいこじんまりしたなかにも二重三重と踊りの輪ができて
皆さん一緒に鶴崎踊を踊って今年もいよいよお盆を迎えさせていただけると有難く思いました。
 
 今日から三日間のお盆に入ります。
盆参りは5日から始めていますが、今日明日と初盆のお家にお参りさせていただきます。
 最近は三佐地区内より地区外のご門徒さんが増えて初盆のところも地区外のご門徒のお家が多くなりました。
今日は朝一番に別府の方にお参りします。それから西大分、南大分そして明野とお参りいたします。
明日は鶴崎から城東地区へ、両日とも夕方には三佐地区内のお家にお参りします。
 
 核家族化による人口移動でお寺とご門徒のお家が遠くなりご縁が薄くなったと言われます。
ただ薄くなったということは無くなったということではありません。
まだまだご縁はあります。
 
 私たちのご縁はお念仏のご縁です。
人から人にお念仏が伝わり伝わって今こうしてこの私がお念仏のご縁に遇わせていただき
お念仏申す身にさせていただいたということです。
 
 本当に有難いご縁です。
このご縁を今度は私からあなたへと伝えていく番です。
 私にできるお念仏の声かけを精いっぱいさせていただき
ご一緒にお念仏申して阿弥陀さまのお浄土への人生を共々にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.13)
 
今の私をそのまま救う南無阿弥陀仏のおはたらきです
 高校野球をテレビ観戦するなかで、地元チームの試合とそうでない試合とでは見方が違うことに気づきます。
地元チームにはひいき目に勝ってほしいという思いについつい力が入って
何でここで打てないのか守れないのかバントをしないのかなどと
思い通りにならない展開に選手個々の力量や監督の采配にもストレスがたまります。
 炎天下頑張って試合をしている当事者はそっちのけで自分勝手な思いばかりをつのらせ
勝ち負けにこだわって純粋に野球を楽しめない私がいます。
 
 昨日たまたまテレビをつけて観た試合でしたが
高校野球の面白さを純粋に思いました。
 野球の解説でゲームの流れということがよく言われます。
今どちらのチームに流れがあるのかということです。
 
 昨日の試合では1点負けていたチームのリリーフピッチャーが7回8回と連続で三振を取り
それで一気にチームの士気が高まるというか
次の攻撃で同点にし延長戦で決勝点を奪い勝つという展開でした。
 
 試合の流れというのが見事にわかるようなゲーム展開でした。
スポーツは選手が体で行う競技ですが人間がするということで精神面心理面の影響が大きく左右します。
チームプレーではそれが選手全体に反映することにもなります。
 まだまだ経験の浅い高校生がすることです。
初めて経験することで日頃の力が出せないこともあれば普段の力以上のものが出せるのも高校野球の大きな魅力です。
 
 勝負の世界ですから勝者と敗者があります。
勝っていくことにこしたことはありませんが、高校野球の勝者は一校だけです。
その他のチームは最後はみんな敗者になります。
 色んな悔いも残ると思います。ただそれもこれからの人生の大きな糧になるものだと思います。
敗者があって勝者があるということです。
同じ舞台で互いに力の限りを尽くした経験を大きな宝ものにしてほしいと思います。
 
 私たちの人生にも後悔があります。
あの時ああすればよかったのに何であんな事をしたんやろ言ったんやろと思い返すことがたくさんあります。
過去のことを悔いるのです。
 
 ただ過去のことは反省することはできてもやり直すことはできません。
生きているのは今なのです。
過去のいろんな経験失敗といったことを積み重ねて今の私があるということです。
 
 その私のことを全て知り尽くしそのまんま引き受けてくださるのが私たちの阿弥陀さまのお救いのご法義なのです。
そのまま私を救うてくださるのです。
 今の私をそのまんましっかり受け止め引き受けていくから
「我にまかせよ必ず救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきになって私のところにいつでもどこでも来てくださってあるのです。
 
 私が私がと頑張って生きようと思って生きるのではなく
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにおまかせして生かされて支えられて励まされて
お浄土への人生を生きて往きお念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.11)
 
お念仏申す身にお育ていただいた御礼のお念仏です
 お盆参りで一年一度のご縁をいただくご門徒さんのお家があります。
昨日大分の町中にお参りしお勤めの後で「三点ほどお聞きしたいことがありますがよろしいですか」と言われました。
三佐地区外のご門徒には隔月にお寺からの通信を郵送していますが、よく読んでくださっていることを有難く思います。
 
 一つはお葬式のことそしてお墓のことそれから過去帳のことでした。
お盆のお参りは次から次と時間設定しているので長いお話はできませんでしたが
ご相談の趣旨を承り具体的には電話なりお寺にみえて直接お話しましょうということで失礼しました。
 
 お家お家のご事情もありこれからのことが不安なのです。
今は何でも気軽にインターネットで相談事をすることもよく聞きますが
仏事のことはやはりお手次ぎ寺のご院家さんに聞くのが一番ということでしょう。
 
 お寺への信頼と安心ということを思います。
自分の都合に合わせてネットで検索してどこでもいいから納骨したらいいということではありません。
お葬式もお坊さんだったら誰でもいいということでもありません。
 
 ここは日頃からご縁のあるお寺さんに相談することが大事です。
ただお寺との関係つながりが以前に比べて薄くなっているのも今の現状です。
相談しようにもお寺の住職を知らない顔も見たことがないということでは
身近なプライベートなことまで率直に話せることは難しいです。
 お寺からいえば日頃門徒さんから信頼されるような住職でありたいと思います。
 
 私たちのお寺とご門徒さんのつながりはお念仏のご縁つながりです。
お念仏の先人ご先祖有縁の方々が私たちに大切なお念仏の法を伝えてくださったということです。
 ナンマンダブツとこの私の口から出てくださるお念仏ですが
この私の口からお念仏が出てくださるまでに何人ものご先祖有縁の方々のご苦労とお育てがあったということです。
 
 そして間に合いましたね。
人間に生まれてこの人生を生き多くの人とのつながりのなかで
こうしてお念仏を申す身に仏法を聞かせていただく身にさせていただいたということです。 
 このお盆のご縁にまたご先祖有縁の仏さまに御礼のお念仏を申させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.9)
 
素の私を阿弥陀さまはそのまま引き受けてくださいます
 お盆参りもまだ今日で4日目ですが風邪で声が出なくてこんな調子です。
この先8日間が大変思いやられます。
 
 昨日は小泉進次郎さんと滝川クリステルさんの結婚発表があって日本中が大騒ぎになりました。
二人の会見のなかで「結婚の決め手は?」との質問に
政治家小泉進次郎から素の人間小泉進次郎にクリステルさんがしてくれるというような返答が印象的でした。
 
 政治家さんって本当に大変だなと改めて思います。
何時夜討ちに遭ってもいいように鎧を着けて寝ていると言われます。
 鎧ということで煩悩具足といわれる具足とは鎧を着けるということだと聞いたことを思い出しました。
 
 煩悩具足の凡夫とは阿弥陀さまが見抜かれたこの私の素のすがたです。
煩悩がいつもこの身に具わっているということで、私が時どきに着けたり外したりということではなく
人間この身を生きていること自体が煩悩具足常に鎧を着けているということなのです。
 
 私のはからいです。私がというとらわれです。他人に良い格好を見せたいという心もちです。
素の私といいますが、元々私たちはみんな素なんです。
 素でしかないけれども何か私はこういう立場だからこういうことだから
このようにしなければならないと力が入るんですね。
 その力こそが私たちの苦しみ悩み迷いの元なのです。
 
 今の素のこの私です。
 声が出ないままに精いっぱいお勤めさせていただきます。
どんなに頑張ってもきれいな声には程遠い聞きにくいガラガラ声です。
 ただご門徒さんのお家に参って有難いと思うのは
お家お家の阿弥陀さまの御前に座らせてもらえるということです。
 
 阿弥陀さまはもうすっかり私のことをご存知の上でそのまま救ってくださるのです。
私にこうしなさいああしなさいと一つの注文も告げることなく
「我にまかせよ必ず救う」と南無阿弥陀仏のみ名となっていつでもどこでもおはたらきになってくださっているのです。
だったらそのまま阿弥陀さまにまかせるしかありません。
 
 まだ体力はあり声も全く出ないということではありませんから
素の私ということでこれからの盆参りの日々私にできることを精いっぱいさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.8)
 
色んなご縁つながりのなかにお念仏申させていただきます
 昨日親子連れの方が二人お遺骨をもってお参りされました。
数日前に電話があって、お父さんを亡くしたがお葬式をしていないのでお経をあげてほしいということでした。
 電話ではよくわからないこともありましたが、お寺でお勤めしますのでお遺骨をもたれてお参りしてくださいとお話し
昨日本堂でお勤めをしご法話して今後のことについてご相談というか色々とお話をさせていただきました。
 
 今現にお葬式をしないで直接火葬する直葬ということが大分でも増えているということです。
そしてお遺骨の行く先です。
どなたかに相談したら家に置いていてもいいと聞いて当分家に置いておきますということです。
 
 ただ納骨といいます。お遺骨を納めるということです。
然るべきところに納める。それは墓地であったり納骨堂であったりということですが
お墓がなくお墓を建てることも経済的に難しいということもあって
とりあえず家に置いておくということが多くなっているとのことです。
 
 お遺骨をもたれてお寺にお参りされたお気持ちが大事ですねというお話をしました。
とても大切なご縁のある方です。
 お話を聞きますと家庭的にもこれまでに色んなことがあったようです。
ただ今生に別れても死別してもご縁つながりはこれからもずっと続きます。
親子の縁です。夫婦の縁です。深い深いご縁つながりです。
 
 この人間界に生まれて生きて、この人の命は終わりますが死んだらお終いのいのちではありません。
この命は「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往生して仏さまのいのちにさせていただくとお聞かせいただきます。
 先に往かれた方もお浄土の仏さまならば後に遺った私たちも必ず仏さまのいのちにさせていただくのです。
 
 先に往かれた方を後に遺った人が仏さまと敬い
先に往かれた方はお浄土の仏さまとなって後に遺った有縁の人たちをずっとずっと護ってくださるのです。
 
 お経をあげて供養しないと先祖が浮かばれないと言われる方がいらっしゃいます。
大切なご先祖は仏さまに成ることなく今もずっと迷いの世界にうごめいているのでしょうか。
 お経は先祖供養のための手段道具ではありません。
私たち浄土真宗の所依の経典を浄土三部経といい親鸞さまは『大無量寿経』を真実の教と明かされます。
阿弥陀さまの本願念仏の救いの法南無阿弥陀仏が説かれたお経さまです。
 お念仏の法は先に往かれた方も後に遺った人も同じお浄土の仏さまに成らせていただくという教えです。
 
 先ほど拝読したご和讃の最後に
「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし」とありました。
お浄土に往かれた者はお釈迦さまのようにこの世に還って来て人々を救うおはたらきをするというのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき、大きないのちのつながりのなかに私たちは共々に生かされて生きてあるということを
お家お家のご事情人人の人生それぞれ色々ありますが
同じお念仏の法南無阿弥陀仏のみ教えを聞かせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.5)
 
ご門徒皆さんのおかげでお盆前の大掃除ができました
 昨日はご門徒皆さんで盆前の大掃除をしていただきました。
暑い中に掃除を終えて皆さん車座になりキャンデーをほおばりながら隣の人とお話になりました。
 「円光寺はすごいな。こんなにたくさん人が集まってくれて」と言われます。
お寺をあずかる住職としてこれほど有難い心強いことはありません。
 このお寺は一人二人でできることは本当に限られています。
まさにご門徒さんが支えてくださるお寺なのです。
 
 昨日は50人ばかりの方がご加勢してくださいました。境内の駐車場に車がたくさんでした。
皆さんをお見送りする時にちょっと気をつけて見ていましたら、沖地区の方が車三台に分乗して来られていました。
10人以上の人だったと思います。
 
 今沖地区は本当に寂しい状況です。
環境整備で道は広くきれいになりましたが、家は少なくなり円光寺のご門徒はどんどん減ってきています。
そして住んでいる方も高齢者が殆どで一人暮らしの方も多くいらっしゃいます。
 
 三佐には4か寺のお寺がありその中でも檀家門徒の数でいうと円光寺が一番多いといわれます。
それは漁業を生業とする特に沖地区の方が近年三佐以外の方々から移り住み門徒になって分家して
門徒が増えてきたことに由来します。
 
 そうした多くのご門徒さんに円光寺は支えられてきたという歴史があるのです。
ただ現実は会社勤めの方が多くなり海を離れて三佐地区外に移り住みこれからも地区内のご門徒は増々減少していきます。
 
 こうした現実にしっかり向き合い今後のお寺の護持運営を考えるとき
その基本は私たちのご法義お念仏の声かけだと思うのです。
 日頃から「いっしょにいこうえ~」とお念仏の声かけをしましょうと言っています。
もちろん私の方からお寺からも声かけをさせていただきますが、やはりご門徒皆さんの声かけです。
 皆さんのすぐ隣の人に「いっしょにいこうえ~」と声かけをしましょう。
ただ沖地区の場合、お年寄りです、歩いて来るってこんな暑い中ではとんでもないことでバスもありません。
それで車です。車に乗り合わせてお寺に行こうと声かけをしてご一緒してほしいと思います。
 
 他地区の方もそうだと思います。私一人の寺参りと言うけれどもやはり二人三人一緒に参る方が心強いし楽しいです。
南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに私たちのお寺があるのです。
 お念仏の声かけの元々の発信地は阿弥陀さまのお浄土南無阿弥陀仏のおはたらきですが
私たちのお念仏の先人ご先祖有縁の方々のお念仏の声かけがあって
皆さんも私も今こうして阿弥陀さまの御仏前に座らせていただいているということです。
 
 私たちの阿弥陀さまは背中を向けてる私にも常に声をかけてくださっています。
すーっとお立ちの阿弥陀さまのおすがたはいつでもどこでも私のことを思い取り
私が振り向くまで飽くことなく立ち詰めに立って喚び詰めに喚んでくださってあるのです。
 
 私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
南無阿弥陀仏の声となりいつでもどこでも私と共にいてくださる阿弥陀さまの心強いおはたらきです。
 お念仏のご縁をいただき今ここにお参りできている喜びをすぐ隣の人に伝えてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.4)
 
一人一人が尊いいのちを生きている
 先月の京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者35人のうち10人の身元が昨日公表されました。
この公表についてはプライバシーを守るという点から慎重にということですが
報道機関ではこうした事件報道については原則実名を報道するということです。
 
 35人お一人お一人の尊い命があった日々の生活があり人生があったということです。
その尊い命が奪われたという重い現実を社会全体で共有し
今後こういう事件が起こらないようにこの社会のあり方についてもお互いに考えていきましょうという趣旨です。
 
 近年多発する自然災害や事件事故でたくさんのお方がお亡くなりになっています。
そのなかの一人として私は実際にお会いしたこともないし人となりを知るわけでもありませんが
同じこの社会時代に生まれてそれぞれの生活ぶりですが夢をもち希望をもって生きていた
その一度っきりの人生が一瞬にして断ち切られるのです。
この私我が身に置き換えてみたらとんでもないことです。
 そのことに私たちお互いが思いを寄せていきましょうということです。
 
 私たちの阿弥陀さまのお救いです。
阿弥陀さまのお救いはいつでもどこでものお救いです。
過去現在未来を貫き十方衆生を漏れなく救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 私たち一人一人の命にいつでも寄り添いどんな人も分け隔てなく必ず救うとの本願念仏のお心を聞かせていただき
この私一人一人が南無阿弥陀仏の尊いいのちにつながって生かされて生きてあることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.3)
 
バリアフリーの社会をめざして
 昨日は臨時国会が招集されてこの前の参議院選挙で当選された方が初登院されました。
今回れいわ新選組から当選された重度の障がいをもつ二人の議員さんも大きな車椅子で
介護の方が何人か付き添って登院されました。
 
 バリアフリーと日常よく聞くことですが、現実はバリアフリーの社会になっていません。
このお寺がそうです。階段がいくつもありバリアだらけの構造で車いすの方が一人でお参りすることがかないません。
 国会もこのたび二人の方が登院できるように急きょバリアフリー化されたということですが
まだまだできていないところもたくさんあり、これを機会に改善がはかられ
障がいをもつ方がよりよく生活できる社会になるような議論が国会で活発になることが期待されます。
 
 障がい者に対して健常者という言い方があります。普通の人ととも言ったりします。
普通の人ってどんな人のことを言うんでしょうか。
 障がいをもたれた方は普通の人ではないのでしょうか。
 
 私たちのものの見方はどこまでも自分を中心にしたものです。
健常者が普通の人ならば障がい者は普通の人ではないという見方です。
 ただ障がい者から見ると障がいをもって生活することが普通なのです。
 
 今は多様性の社会と言われます。
色々なものの見方考え方の人がいて様々な生活ぶりの方がそれぞれ自分にとって普通に生きています。
障がいをもつ方も皆と一緒に会って話をしたり勉強したり食事をしたり遊んだりと普通に暮らせる社会が望まれます。
 
 仏さまは私たちをみんな凡夫と見られています。
凡夫とは普通の人です。
 親鸞聖人は煩悩具足の凡夫と阿弥陀さまが見抜かれたとご自身をいただかれています。
私が私がとどこまでも自分を中心に生きて苦しみ悩み迷っている私のことです。
 体に障がいをもつ方ももたない方も心にいくつものバリアを張って私たちはみんな生きています。
阿弥陀さまはこの私を凡夫と知らせてそのまま救うとおはたらきです。
 みんな凡夫普通の人と知らせてとは認めてということです。
大きな大きな南無阿弥陀仏のお心おはたらきでこの私をそのまま引き受け救うのです。
 
 私が私がといくつものバリアをつくって生きている私たちお互いです。
阿弥陀さまのお心とは随分かけ離れた私の心生活ぶりです。
 
 お念仏のみ教え南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょう。
仏さまのようにできることはなくても仏さまのようなお心で
周りの方々に接しお互いに認め合う社会をつくることにもつながることです。
 お念仏申して私にできることをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.2)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949