浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
南無阿弥陀仏、阿弥陀さまの大悲のお心おはたらきをいただきます
 昨日神奈川県の川崎市で悲惨な事件が起こりました。
学校の登校そして通勤時間に児童はじめ大勢の人が行き交うなかで
背後から刃物をもった犯人に襲われ二人の方が亡くなり15人の方が重軽傷を負いました。
加害者の男も自ら命を絶ったということです。
 
 仏さまはこの光景をどうご覧になるのでしょうか。
阿弥陀さまの大悲のお心おはたらきを思います。
 大きな悲しみです。これ以上の悲しみはないほどの大きな悲しみです。
どうすることもできないやるせなさだけが残ります。
 
 被害に遭われた方も犯人も同じ人として生まれ生きてそして昨日の事件です。
私たちの命をかけがえのない命と教えていただきます。
代わりがない、代理がきかない命を今ここに私が生きているということです。
 
 この命恵まれてこの人間界に独り生まれてきました。
多くの人と出会いと別れを繰り返すなかで今日もこうして生きています。
 そして誰しも必ずこの命終えていきますが
阿弥陀さまの大悲のお心は南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
いつでもどこでもこの私に寄り添い引き受けてそのまま救う必ず救うてくださるといいます。
 
 子どもに先立たれる親の気持ちはどこに怒りをぶつけたらいいのか本当にやりきれない悲痛なものだと察します。
もう何年も前に過失運転事故で幼い娘さんを亡くされたお父さんが
「一生娘のことは忘れられない。一生悔いていく」と話されていました。
 事あるごとに何でどうしてとずっと悔いていくんでしょうね。
どんなに悔やんでも娘さんが生き返るわけではありません。
どうしようもないことも分かっていて何でどうしてと悔いて自分を責め続けるのです。
 
 私のことに掛り切りになり思いを致す親がいるということです。
どんな子どもでも親はどこまでも子どもを思うていくのです。
 
 お念仏の先人は阿弥陀さまを親さまとお慕いしてきました。
どんなに出来の悪い子どもこの私をめあてに必ず救うと本願を起こされ南無阿弥陀仏となって
私のところに届いてくださってあるのです。
 
 そのこと一つ聞かせていただきましょう。
阿弥陀さまの大悲のお心を聞いてまいりましょう。
 
 この無常の世の中に不条理なことが起こります。
今日か明日にでも何があるかわかりません。
決して他人事ではなく我が身に降りかかることかもしれません。
 
 ただお念仏申してまいりましょう。
お念仏を申すなかに周りの方も共々に南無阿弥陀仏のお心おはたらきに遇わせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.29)
 
私たちのいのちの行き先を阿弥陀さまが決めてくださってある安心です
 北海道で全国の最高気温になりそれも35度を超える猛暑日になったということです。
こんなに異常気象が続くと異常なことが正常になってしまうような変な感じです。
 今日は雨模様になり、全国的にも気温が落ち着くという予報です。
 
 晴れの日もあれば雨の日もあります。自然の営みです。どうこう人間が頑張っても自然を変えることはできません。
この人生も晴れの日もあれば雨の日もあるということです。
 自分の思い通りにいく時は晴れの日でしょうか。うまくいかない時は雨の日でしょうか。
晴れても雨が降っても今日一日私たちは生きていきます。
思い通りになるならないにかかわらずこの人生を私たちは生きていかねばなりません。
 
 ずっと雨の日が続くことはありません。晴れの日があるようにこの人生もいい時もあれば悪い時もあります。
人生の生き方です。
『ケセラセラ』という歌があります。
この人生なるようになることで、なるようにしかならないということです。
 言われてみればその通り。でもおぼつかないですよね。
言い方を変えればこの人生行き当たりばったりという感じにも聞こえてきます。不安です。
 
 仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
この人生一日一日を生きるお互いですが、生きる方向が決まるという教えです。
私が決めるということではありません。これほどおぼつかないことはありません。
 阿弥陀さまという仏さまが決めてくださってあるという安心です。
あなたのいのちの行く先を私が決めたからね、私の浄土に生まれて来いよ必ず生まれさせると
南無阿弥陀仏のお喚び声となり私のところに来てくださって私の口からお念仏がでてくださるのです。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏申してもこの人生今日の一日なるようにしかなりません。
どんなに頑張っても自分の思い通りになるということは難しいです。
 ただ頑張りましょうね。頑張っていきましょうね。
南無阿弥陀仏とお念仏申して私のいのちの行き先を決めてくださった阿弥陀さまにおまかせして
今日の一日、私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 他力のお念仏といって他人まかせで自分は何も努力しないでなるようにしかならないと
決め込んで聞く人がいますが、違います。
 阿弥陀さまの大きな大きな願い南無阿弥陀仏のお心を聞けば聞くほどに
私にできる精いっぱいのこと自分だけのことではなくすぐ隣の人のことを少しでも思いやって一緒に生きていきましょう。
その行く先はあなたも私も阿弥陀さまのお浄土だよとまたナンマンダブツお念仏を申すなかに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.28)
 
日々の生活が何か繰り返しのようで有難いといただけます
 昨日はアメリカのトランプ大統領が東京にみえて大変な騒ぎでした。
大相撲を観戦されました。
 大統領が国技館に登場すると館内が騒然となり観客は総立ちで一斉にスマホ撮影が始まりました。
「立ち上がらないで座ってください」と何度もアナウンスがありました。
観客から「相撲を観に来たんだから座れ」という罵声もとんだといいます。
 
 おもてなしといいます。遠来の客をもてなすことは人間関係を円滑にすることで間違いありません。
ただ今回のおもてなしです。
 朝から安倍首相と一緒にゴルフに興じ相撲の後は炉端焼きの夕食と、まさにフルコースです。
 
 相撲という日本独特の伝統文化を世界に発信できたことは大きな国益だと思います。
ただこれまで培われてきた伝統のなかに相撲観戦する意味があります。
トランプさんが来るということで桟敷席に座るのではなく特設の椅子を用意したということです。
 警備陣がいっぱいでした。アメリカ大統領に何かあったらそれこそ末代まで禍根を残します。
念には念を入れということです。
 
 何かおかしな光景だったらしいです。
トランプ大統領夫妻と安倍首相夫妻が前を向いて相撲観戦している後ろ側で前を向くことなく後ろを向いた
同じダークスーツを着たボディガードが拍手もしない歓声も上げないで押し黙って周囲ににらみをきかしている光景です。
いつもとは全く違う異様な空気の中で日本の伝統文化を十分楽しまれたかなと思ったりもします。
 
 私たちのお寺のあり方を重ねて思います。
お寺でも大きな法要行事をすることがありますが、毎日のことではありません。
大きな法要行事をするためだけにお寺があるのではなく日々の生活のなかにお寺はあるのです。
 日々の生活のなかに皆さんがお参りされるところを本堂とつくってくださいました。
一人でも多くの方がこの本堂にお参りして仏さまのご縁をいただいてほしいというのがお寺を預かる住職の願いです。
 
 ご縁づくりということでこの前コンサートをしたように
いろいろな催しを通じて大勢の人にお寺に親しんでいただくことも一つの工夫だと思います。
しかし人集めに終わってしまったらお寺が単なるイベント会場になってお寺がお寺でなくなってしまいます。
 
 浄土真宗のお寺の本堂は阿弥陀さまのましますところです。
本堂にお参りして阿弥陀さまにナンマンダブツとお念仏申しお礼をさせていただきます。
こうして皆さんお朝事のご縁に毎日お参りお礼をさせていただいて日々の生活を始めさせていただくのです。
 
 毎日の日々の繰り返しのような人生ですが
日々の日暮しのなかに仏さまのご縁に遇えて本当によかったなと
ナンマンダブツとお念仏を申して有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.27)
 
いろんな生活ぶりの人人が阿弥陀さまの御前に一堂に座ることができる有難さです
 昨日は大海組の連続研修会がありました。
いつものことですが車座になって受講生と門徒スタッフそして私たち僧侶が各テーマについて話をします。
この話し合い法座が連研の連研たる大きな特徴です。
 
 各班10数人の構成です。
名前と所属寺はわかっていますが、その人がどういう人なのか
どんな仕事をしている人かしていた人か、自分から言わない限りわかりません。
 会社勤めの方、自営業の方、農家の方、学校の先生とか、会社の社長さんもいるかもしれません。
いろんな人生を歩んできた方々が同座といって同じところに座ります。
蓮如上人は平座といわれました。私たちが共に一緒に座ります。
 
 日々の生活のなかで私たちはいろんな所に集い座ります。
ただ連続研修会にしろ今日の皆さんもそうですが、阿弥陀さまの御前に座っています。
どんな人も同じく同座等しく平座させていただくところです。
 どんな人も分け隔てなく等しく救うおはたらきの仏さま阿弥陀さまの御前です。
 
 ご一緒にお念仏申し南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」の救いの法を聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏とは阿弥陀さまの言うことを聞くのです。
「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのお喚び声を聞いて
「はい。おまかせします阿弥陀さま」とお念仏申すのです。
 
 昨日は専想寺さんが会場でした。
山門の掲示板に「『はい』と言える親になることで『はい』と言える子が育つ」とありました。
 相手の言うことに「はい」と中々言えません。
すぐ疑い心が起こるのが私たちのようです。
 
 私たちが互いに向き合うあなたはそれぞれ違うあなたです。
自分中心の見方で善いあなたもいれば悪いあなたもいます。
阿弥陀さまの御前に座る私たちが向き合うあなたはみんな同じ阿弥陀さまです。
 阿弥陀さまがいつでもどこでも私のことを見ていてくださりご一緒してくださいます。
南無阿弥陀仏とお互いに阿弥陀さまの言うことを聞く私たちです。
阿弥陀さまの御前に集う座ることができた有難さです。
 
 御仏前を離れてもナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すところに
阿弥陀さまがどこまでも追いかけてご一緒してくださる有難さをまた思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.26)
 
絶好のお朝事参りの時節になりました
 朝6時に花火が上がりました。今日は近くで運動会があるようです。
毎年中学校がこの時期になりましたし、大分の町中の小学校が運動会で準備のようすが昨日のニュースでありました。
 
 まだ5月なのに、この頃連日夏日が続いています。
今日は30度を超える真夏日になるところが多いという予報です。
 
 運動会といえば秋でした。ところが今はこの5月にするところが多くなりました。
残暑厳しい9月そして10月に向けて運動会の練習をすると熱中症が心配だということもあってのことでした。
それで春に運動会をということでしたが、熱中症に十分注意をしてくださいという報道です。
 本当にままならない思い通りにならないことです。
 
 今朝起きて本当にさわやかで気持ち良かったです。
少し冷っとする感じもあるし太陽が高く上がって明るく温かくなってまいります。
 この時期この時間が一年でも一番いいんじゃないかと思います。
お朝事参りの時間です。絶好のお朝事参りの時節になりました。
 
 このお朝事ですが、毎朝同じことの繰り返しのようですが日々これ違います。
諸行無常という仏教の理をいただきます。
この世のものは一つとしてとどまるものはなくすべてが一瞬一瞬移り変わっていくというのです。
 
 この朝の表情も日々違います。
移りゆく季節のなかに日々すがたを変える朝の表情をこうしてお朝事のご縁にいただきます。
 お朝事はお浄土参りの念仏の旅であるといただきます。
お浄土への旅を日々させていただくのです。
旅の一里塚を一日一日ご一緒に歩ませていただける有難さです。
 
 今日は土曜日です。
各地でいろんな行事催しがありますし、皆さんの日々の生活のなかにいろんなことがあると思いますが
またお念仏を申して生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.25)
 
南無阿弥陀仏あなたの声に支えられて生かされて生きている私です
 昨日午前中留守をしていまして、家に帰ったら郵便ポストの上にまとまったものが置いてありました。
すぐわかったのですが、掲示伝道の法語が書かれたものでした。
 
 毎月掲示伝道の法語をHさんに書いてもらっています。
そのものをお寺に届けにいらっしゃってみんな留守だったということです。
 
 あらためて有難いことだなあと思います。
毎月のことです。もう8年になります。
 このお朝事でいいますと毎日のことです。
何か同じことの繰り返しのようで当たり前のようですが
月々日々のことがらをていねいに受け止めてしてくださることで
本当に有難いことだなあと思います。
 
 日々の生活を振り返って、私たちは何か私が一人で頑張って生きていると思っているところがありませんか。
私が一人で生きているのではなく周りの多くの方々に支えられてあることを本当に有難く思います。
 
 その後すぐお電話しました。「届けていただいて有難うございました」
Hさんの声が聞こえてきます。「留守のようで置いておきましたが、よかったです」
 
 声です。声を聞いて何かほっと安心します。つながってあるなと有難く思います。
今日もそうです。こうしてお正信偈さまのお勤めをご一緒にさせていただきます。
皆さんの声が聞こえてまいります。
 南無阿弥陀仏と聞こえてまいります。
 
 阿弥陀さまのお喚び声です。「まかせよ救う」のおはたらきです。
真ん真ん中にお立ちになり南無阿弥陀仏の声となって私のところに来てくださってあるのです。
 南無阿弥陀仏の声に励まされて心安らぎ生きていけるのです。
 
 頑張って頑張って生きている私たちお互いです。
頑張って頑張って思い通りになることばかりだったらいいのでしょうが
頑張って頑張っても思い通りにならないこともたくさんあります。
 
 どんな状況にあっても南無阿弥陀仏の声の仏さまはいつでもどこでもおはたらきなのです。
南無阿弥陀仏の声が聞こえてまいります。
 私一人じゃなかった。
周りの方々多くのいのちに支えられて生かされてあることを
何か毎日が当たり前のように過ごしている生活のなかで有難くいただけるのも
仏さまのご縁に遇わせていただいたおかげさまと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.24)
 
ご門徒衆をお預かりするお寺のお役目を思います
 昨日の夜ご案内のようにお寺での葬儀のこと納骨事業のことについてご門徒皆さんとの協議会をもちました。
夜の時間ということもありましたが、10人ほどの方がご参加されました。
 
 葬儀といい納骨といいこれから先のお話のようですが
少子高齢社会にあって家の相続が難しくなりお家のお仏壇そしてお墓の相続についても課題が生じています。
 お家お家それぞれの事情があって個々の問題として丁寧に対応していくことが大事だと改めて思います。
 
 こうしましょうと皆さんで決めてする大きな枠組みは基本的に大事なこととして
その上で個々のお家お家の事情を十分お聞きし相談して具体的に対応できるようにしていきたいと思います。
 
 納骨のことについてはお墓の後を見る人がいないというお家がこれから増えてまいります。
そういうなかにあってお寺の役割ということを改めて思います。
 
 お寺はご門徒皆さんをお預かりしているところです。
浄土真宗のお寺は親鸞聖人のお寺といわれるように
親鸞さまからご門徒衆をお預かりしているのが住職です。
 
 住職とご門徒ではそのお役目はそれぞれ違うところがありますが
同じ阿弥陀さまの本願念仏の救いの法を依りどころに生きるお同行お念仏のお仲間であります。
 
 昨日お話をしながらまた皆さんから意見を聞きながら
改めてお寺のあり方お寺の大事なお役目を思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.23)
 
阿弥陀さまの御前に集う私たちです
 お念仏の集いを講といいます。
一つ日を決めて同じメンバーが集まります。
 どこに集まるのか、ここが肝心です。阿弥陀さまの御前(おんまえ)に集まるということです。
 
 このお朝事のご縁も一つの講です。
こうしてほぼ同じメンバーです。
顔と顔を合わせていつもの時間いつもの場所で阿弥陀さまの御前でということです。
 
 そのことが皆さんのお家のお仏壇の前でもできます。
月々の月参り、ご法事のご縁で皆さんのお仏壇のやっぱりご本尊の阿弥陀さまの御前なんです。
 今日はあんのん館で健康教室がありますが、あんのん館もやはり阿弥陀さまの御前です。
納骨堂もお内仏も阿弥陀さまの御前に集うともがら、お念仏の仲間です。
 
 お互いに顔を見合わせる関係です。
一人一人の生活ぶりはそれぞれ違って色んなことがあります。
楽しいことばかりではありません。苦しみ悩みを抱えた私たちお互いです。
 阿弥陀さまの御前に集う私たちの口からぽろっと愚痴がでることもあります。
そのことをそのまま聞いてくださる仏さまです。
 
 私たちが集うところはいろいろです。食事をすることもお酒が入るときもあります。
話がはずみます。他愛もない世間話です。
 この阿弥陀さまの御前に集う私たちが交わす話もまた世間話です。
ただ世間話がそのまま仏さまのご法義の話になるんです。
 
 いろいろと悩みを抱えた私たちお互いを御前の阿弥陀さまがいつもスーッとお立ちで見守ってくださってあるんだと
お念仏申して有難く聞かせていただきます。
 
 私たちが等しく帰っていけるところを阿弥陀さまの御前といただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.22)
 
裁判員制度が始まって10年です
 裁判員制度が始まって今日で10年ということで、いろんな報道番組で特集されています。
裁判は罪を犯した者を裁く制度で罪ある者に罰を与えるというものです。
裁判員に選ばれた人にとって大変大事なそして重い役割です。
 
 裁判とは裁判官がいて原告検察側と被告弁護側の意見を聴取するなかに判決を下すというものです。
ただ裁判官検察官弁護士ともに法律の専門家であり過去の判例を重視した判決になって
どこか市民感覚とずれたところがあるのではないかということもあり
一般市民に裁判員として参加してもらうことで司法制度が国民により身近なものになるようにと始まったものです。
 
 事件の内容によっては死刑判決を下す裁判に裁判員が係わることにもなります。
死刑判決をする前もその後も様々な葛藤があり不安な心情にさいなまれる苦悩を語る裁判員経験者がいます。
 裁判員には守秘義務があり家族や友人にもその思いを伝えることができないもどかしさです。
 
 死刑というのは裁判によって一人の人を殺すということです。
死刑制度について今は世界的には廃止または実際に死刑執行しない国が多くなっています。
ただ日本やアメリカには死刑制度があり日本では毎年複数人の死刑が執行されています。
 
 裁判員制度が始まって死刑制度そのものについて議論が起こるのではと思っていた専門家のコメントがありましたが
日本では国民の80パーセント以上が死刑制度を容認し
裁判員制度が施行されるなかで重罰刑を科す傾向が強くなったといわれます。
 被害者家族の感情を考えればということでしょうか。
 
 仏法の話です。
私たちの阿弥陀さまは裁く仏さまではありません。
こうしなさいああしなさいと生き方を告げ、救いに条件をつける仏さまでもありません。
 
 聞き方によってはどんな悪いことをしても救ってくれるのだから悪いことをした方がいいと聞き違いする人がいます。
そうではありません。
 裁かない仏さまといって自分中心の生き方しかできないこの私をもう既に見て取って悲しまれるのです。
阿弥陀さまのお慈悲のお心を聞けば聞くほど南無阿弥陀仏のおはたらきがわが身にしみ込んで
大きないのちのつながりのなかに生かされて生きてあることを知らされ
私にできる精いっぱいのことをさせていただこうという思いがわいてきます。
 
 この現実社会に生きる私たちです。
私たちが共に生きる上で守らなければならない決まりがあります。
決まりを守らないときには罰を科せられることもあるでしょう。
 そういうなかにあって苦悩する裁判員の有り様を阿弥陀さまはどう見てござるのかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.21)
 
仏さまの大きなご縁をいただきます
 昨日は宗祖親鸞聖人の降誕会法要をお勤めさせていただき恒例のバザーも行いました。
皆さんには終日大変お世話になりました。お疲れさまでした。有難うございました。
 
 5月21日の親鸞聖人のお誕生日に近い毎年5月の第3日曜日に前住職の時から約40年来続けているご縁で
昨日もたくさんの方がお寺にお参りされました。
 
 雨になってちょっと残念なこともありましたが、いつもより本堂にお参りされる方が多かったように思います。
庫裡の仏間での物品バザーは多くの人盛りで大盛況でした。
 本堂に机を並べ食堂のようにしてカレーライスなど皆で食事をすることができました。
 
 日頃お寺にご縁のないご近所の方もたくさんお参りでした。
円光寺のバザーは皆さんの大きな楽しみになっているようで
名物の石垣だんごが飛ぶように売れていました。
 あまりの評判で一人三個までと販売制限したものの瞬く間に完売したそうです。
それ以上にたくさん作ったらいいのでしょうが、婦人会の役員さんにとっては大変なご苦労でもあります。
 
 少しでもお寺を身近に感じ親しんでもらって一人でも多くの人に仏さまのご縁に遇うてほしいと先人が始められ
ご門徒皆さんのご理解とご協力をいただいてできるご縁の有難さです。
 
 バザーの時間久しぶりにお会いする方々に声をかけました。近況をお聞きしていろんな話になります。
日頃はそれぞれが忙しい日常生活をおくりゆっくり向き合ってお話をすることが難しいお互いが
仏さまの御前に集うことができるということが私たちのご縁だと思います。
 
 世間日常の話です。世間話ですが、仏さまの話につながるのです。
大きな大きなお念仏のいのちのつながりのなかにお互いが日暮しをしているということです。
それぞれの日常ですがお念仏につながってあるということです。
 
 私たちの日々の生活は思い通りにならない日暮しでもあります。
ただこうして同じ御仏前に座り仏さまの大きないのちにつながる私たちです。
 お話をすることで何かほっとします。やさしく励まされることもあります。
 
 仏さまの尊いご縁です。
歳をとればとるほど大変になってきますが
一年一度の降誕会のご縁をこれからも皆さんと共々に続けてまいりたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.20)
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