浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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103歳のおばあちゃんのご往生
 103歳のご門徒のおばあちゃんがご往生されました。
円光寺のご門徒関係ではこれまでで最高齢だと思います。
 
 臨終勤行にお参りしました。
100歳を超えてご家族の方に近々のご様子を伺っていましたが
そんなに体調が悪いということではなく相変わらずですということでした。
 
 ご臨終の様子をお聞きました。
きれい好きなおばあちゃんで髪がちょっと伸びていたということで散髪をされたそうです。
散髪して間もなく「吸う息吐くを待たずなり」でスーッと往かれたということです。
 
 大正昭和そして平成の最後まで生きてもう少しで令和ということでしたが
長い人生の中にはうかがい知れない色んなことがあったと思います。
 今日がお通夜です。
最後の夜を家族水入らずでゆっくり色んなお話をしながら過ごしてくださいと言いました。
 
 私たちのお念仏のご法義の有難さを思います。
死んだらお終いではなくこの人の命は終わるけれども南無阿弥陀仏のおはたらきでそのままお浄土の仏さまとなって
これからもずっと私たちと共に生きてくださると聞かせていただきます。
 
 生前は人と人との関係でお互いにいろんなことがあったでしょう。
ただ今は仏さまとなってこれからも仏さまとして私たちを見守り共に生きてくださるのです。
 
 大切な方とのお別れは悲しいご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
先に往かれた方を偲び仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.24)
 
ご法事をお勤めさせていただく意味
 ご門徒さんのお家でご法事のお勤めをするのにカバンをもってお参りしています。
お衣のお着替えをします。
 普段は布袍(ふほう) というお衣をつけていますが、黒衣(こくえ)というお衣に着替えて
お袈裟も輪袈裟(わげさ)から五條袈裟(ごじょうげさ)に替えて
心あらたにご法事のお勤めをさせていただきます。
 
 お着替えの最中に施主(せしゅ)のお家の方にろうそくに点灯してもらい線香を炊いていただくようにお願いします。
これまでは私がしていたのですが、実はこれは施主の方のお役目なんです。
 
 ご法事の時は平生とは違って特別にきれいにお仏壇がお飾りされています。
お仏飯があがっています。おだんごがあがっているところもあります。
お菓子や果物を仏具に盛られてお供えされてあります。
 
 打敷きをしてきれいにお飾りされたのは施主であり
お飾りの総仕上げにおあかりとお香をお供えして
恭しくお荘厳されたお仏壇阿弥陀さまのご尊前でお参りの皆さんご一緒にご法事のお勤めをさせていただくことです。
 
 
 一つ一つのことを丁寧に大切にさせていただくことも仏さまのお徳おはたらきです。
どうかすると仏さまの事を自分勝手に自分の都合のいいようにしていることに気づかされ反省させられます。
 これもご法事をお勤めさせていただく意味だと聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.23)
 
宗教間の対立ってどういうことでしょうか?
 スリランカの教会やホテルで大きな爆発が連続して起こり200人を超える方が死亡したというニュースです。
今はスリランカといっていますが、私が学校で習ったのはセイロンです。
紅茶で有名な国ですが、セイロンは仏教国なのです。
 
 お釈迦さまのインドの国ではじまった仏教が北方に伝わりシルクロードを通って中国に伝わり
朝鮮半島を経て日本に入ってきました。北伝の仏教です。
 一方インドから南のセイロン島に渡り東南アジアに伝わった南伝の仏教があります。
 
 今もスリランカは人口の7割が仏教徒だそうです。
ただセイロンは近世以来長くイギリスの植民地でありました。
そして10年程前に終結しましたが長く仏教徒の人たちとヒンズー教の人たちとの紛争の歴史があります。
人口のそれぞれ1割ほどですがイスラム教徒やキリスト教徒もいます。
 そうした宗教事情のなかで今回キリスト教の教会と外国人観光客が利用する高級ホテルが襲撃されたのです。
 
 本当に悲しいなと思うのは宗教間の対立の構図が背景にあるといわれることです。
世界史をひもとくとイスラム教とキリスト教の対立の歴史があります。
イスラム過激派のテロ攻撃は今も続き世界の脅威になっています。
では仏教はというと、やはり紛争の歴史があります。
 
 仏教は仏の智慧と慈悲を説く寛容な宗教です。
キリスト教もイスラム教も教えそのものは人々の幸せと世の中の平和を願う宗教です。
 では一体なぜ宗教間の対立ということが言われるのでしょうか。
 
 対立するのは私たち人と人との関係のことです。
私たちはお互いに自分を中心にしたものの見方考え方をに固執し
頑なに自分の殻に閉じこもり対立の壁をつくって生きています。
 そこに私たちの苦悩の原因があると教え救いを説くのが宗教です。
 
 苦悩の原因である煩悩を離れるところにさとりがあり救いがあるとお釈迦さまは教えます。
仏教徒といいキリスト教徒といいイスラム教徒といって、みんな迷い苦悩する人なのです。
 だからこそ仏さまのみ教えを聞かせていただくことが大事になってきます。
 
 世界を見渡せば国と国との対立民族間の対立と紛争があります。
私たちの社会のなかでも人と人とがいがみ合い傷つけ合っています。
 お念仏申す日暮しをさせていただき私自身のあり方を見つめてさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.22)
 
また高齢者の事故です
 東京で87歳の男性が運転する車が暴走して二人の親子が亡くなりました。
本人はアクセルが戻らなかったと言っていますが
周囲の方の話を聞くと足が悪く杖をつくほどだったとか、本人はもう運転しないと言っていたといいます。
 高齢者の運転事故でアクセルとブレーキを踏み違えることが原因にあげられます。
運転操作が若い時のように思うようにできなくなってくると言われます。
 
 交通事故を起こそうと思って車を運転する人はいません。
私のこの身を思います。
 自分のことは自分が一番よく知っている大丈夫というところがどこかにあります。
そうした自信がないと生きることもおぼつかないですよね。
 
 実はそこに危うさがあるのではないでしょうか。
何を根拠に大丈夫というのか、大丈夫じゃない私が生きているのです。
 
 歎異抄の御文に「さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべし」と親鸞聖人のお言葉があります。
この身はしかるべき縁があればどのような行いもするものであるというのです。
 善いことをしようと思って善いことができる悪いことを止めようと思ったら止められると
自分の思いで善悪をコントロールできると思ったら間違いだというのです。
 
 条件がそろえばどんな恐ろしいこともしでかすか分からないのが私なのだというのです。
他の人はわからないが私は大丈夫というところに落とし穴があるのです。
そういう私のことを阿弥陀さまという仏さまは悲しまれたというのです。
 
 歎異というお心です。歎異とは異議、異なったものの考え方を歎くということです。
批判したり非難することではないのです。そんな私を駄目だと決めつけ排除することでもありません。
 阿弥陀さまはありのままの私をご覧になり見て取って大いに悲しまれたのです。
大悲といい同悲といいます。私と同じところに立って自分のことのように悲しまれたといいます。
 悲しまれるなかにお前をこそ必ず救うという本願を建てられ成就され
南無阿弥陀仏となって「必ず救うまかせよ」とおはたらきくださってあるという教えなのです。
 
 阿弥陀さまの大悲のお心本願のお心南無阿弥陀仏のお心を私のこととして聞かせていただきましょう。
何をしでかすかわからないと聞いてじっと家の中に閉じこもって何もするなと言っているのではありません。
 私にできることをさせていただきましょう。
この歳になって運転はもう無理だと思ったら免許証を返納することも私にできることではないでしょうか。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.21)
 
2040年問題、高齢者の一人暮らし世帯が増えてきます
 2040年問題といって、21年後の2040年に65歳以上の高齢者世帯のうち
一人暮らしの世帯が30~40パーセントになるという推計が今朝の新聞のトップ記事で報じられていました。
 
 私たちが暮らすこの三佐でもご門徒さんの世帯でいいますと一人暮らしの方が多く増えています。
最近続いて一人暮らしのご門徒さんが亡くなり、お仏壇やお墓の後見の問題が現実のことになってきました。
 三佐地区内のご門徒より地区外のご門徒の数が逆転して多くなり
お寺とご門徒のつながりがこれから増々薄くなってまいります。
 
 日々の生活のなかでお寺とのご縁つながりをご門徒さんにどのようにもっていただくのか
核家族化が進み家族の形態はそれぞれ違ってきますが
私たちのご縁は南無阿弥陀仏のお念仏のご法義につながった仏さまのご縁です。
 
 人人にお念仏のみ教えをお伝えさせていただくご縁が私たちのつながりです。
これからもお寺との関係つながりが変わっていきます。
 2025年問題があります。団塊の世代が75歳以上になる時を迎えます。
多死社会といって亡くなる方が多くなります。
葬儀のあり方も変わってきました。
 
 人人の悩み苦しみに対応していけるようなお寺のあり方を考えていかねばならないと思います。
昔のようにしていたらそれで大丈夫それで安心ということではなくなったということです。
 変わり行くこれからの時代社会にあって変わらない真実まことのお念仏のご法義を伝えていくお寺でありたいと思います。
ご門徒皆さんの声を聞きながらご一緒に考えていきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.20)
 
「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」
 今拝読させていただきました毎月19日の御文章さま「末代無智(まつだいむち)章」です。
「聖人一流(しょうにんいちりゅう)章」とともに日常よくいただく皆さんもご存知の御文章です。
 
 この「末代無智章」を臨終勤行で拝読させていただきます。
最後に「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」とあります。
 
 臨終勤行は人生の終わりに臨み今までお育ていただいたお家のご本尊(阿弥陀如来さま)に
最後のお礼をするお勤めのことですが
実際には命終の後に僧侶が故人に代わってお勤めをします。
 
 命終の後のお勤めに「いのちのあらん限りは」と御文章を拝読させていただくのは
悲しみのなかにご一緒に臨終勤行のお勤めをされた有縁の方々へ
先に阿弥陀さまのお浄土に往き仏さまに生まれてくださったお方のお説法と聞かせていただきます。
 
 この人の世に命をいただいた上はどうか仏法に出遇ってくれよ
どうかお念仏申す身になって往生浄土の道を歩んでくれよと
「いのちのあらん限りは称名念仏すべきものなり」とお念仏をお勧めなのです。
 
 臨終勤行から始まってお通夜お葬儀七日七日の中陰と仏さまのご縁をいただきます。
仏法を聞いてお念仏申してくれよとの仏さまの大きな願いのなかに私たちの日々の生活があることを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.19)
 
「夜明けの念仏」ナマンダブナマンダブ
 天皇が退位をされ平成から令和になるということで
天皇皇后に関するこれまでの歩みを振り返る特集番組が今あっています。
 
 私たちには伺い知らない皇室という生活のなかでいろんなことがあったということです。
特に民間から初めて皇室という特別な社会に入られた美智子皇后のご苦労は天皇から努力賞を贈りたいと言われるものです。 
 ストレスで体調を崩されることもあったといいます。
ある日突然言葉がでなくなる症状に悩まれたということです。
 
 その時に支えになったのが家族であり音楽だったといいます。
皇后ご自身もピアノを弾かれますし皇太子や他の皇族方も音楽に携わるお姿をよく拝見します。
 歌との出あいでいうならば7年前天皇が心臓バイパス手術を受けた際
病室で由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」を聴いていたというエピソードが有名で
先日天皇在位30年結婚60周年のお祝いの音楽会で由紀さんが天皇ご一家の前で歌われたということです。
 
 話は変わりますが、皆さんはお念仏をいつどんな時に称えられますか。
お家のお仏壇の前に座ったら自然と手が合いお念仏が出るという人も多いのではないでしょうか。
皆さん今日もお寺の本堂阿弥陀さまの前に座って手が合わさりナンマンダブツとお念仏申してお礼ができましたね。
 お念仏が身に付いていてくださるということです。
その他日々の生活のなかでお念仏を称えるということはありませんか。
 
 私のことでいいますと、朝目が覚めて床の中でナマンダブナマンダブとお念仏が出ます。
夜明けの念仏です。
 阿弥陀さまのお徳おはたらきがこの身に満ち満ちて夜中にいっぱいいっぱい溜まって
朝起きて口を開けたらナマンダブナマンダブとお念仏が出てくださるのだといただきます。
 
 お念仏申して生きていると思います。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに生かされて今日も一日阿弥陀さまとご一緒に生きていこうと思います。
お念仏のご縁つながりの皆さんとご一緒に生かされて生きていこうと思います。
 
 ナマンダブナマンダブとお念仏がこの身に付いていてくださることの有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.18)
 
ノートルダム寺院の炎上に思います
 フランスパリにあるノートルダム寺院が火災に遭ったニュースが世界を駆け巡りました。
テレビ画面で空高く突き出た塔が焼け崩れ落ちるようすを観て心痛める人も多かったと思います。
 
 パリといえばノートルダム寺院をはじめエッフェル塔や凱旋門そしてルーブル美術館と
世界的な観光名所がたくさんあり一度は行ってみたいところです。
 最近はNHKの『ブラタモリ』の番組でパリの町が詳しく紹介されていました。
ユネスコの世界文化遺産にも登録され世界中の人々から親しまれているところです。
 
 炎に包まれる大聖堂を取りまく人たちから賛美歌が歌われていたのがとても印象的でした。
世界の観光地ですが元々は信仰の地なんですね。
 敬虔な信者さんがたくさんいらっしゃる850年の長い歴史のある寺院なのです。
パリの町の発祥の地といわれる中心にあって
大きな伽藍の大聖堂は人々と共に生きてきたということです。
 人々の苦しみ悩みに寄り添って信仰を深めていかれたところです。
人々の思いと共にあった大聖堂だけに今回のことは何とも言葉になりません。
 
 昨日で熊本地震から3年が経ちました。
熊本地震でも多くの神社仏閣、私たちの浄土真宗関係のお寺ご門徒さんもたくさん被災されました。
 30を超える寺院が全壊半壊してまだまだ復興の道半ばということです。
 
 このお寺です。浄土真宗のお寺はご門徒皆さんのお寺ですというお話をよくさせていただきます。
ご門徒皆さんの思いを寄せてこの大きな本堂が建てられました。
 先人の力です。先人の思いを今私たちが受けとめて今度は子や孫の次代へと受け伝えていくというお役目を思います。
 
 お寺は単なる風景ではありません。
今日お参りの皆さんにとってはまさに我が家といいますか、いのちの古里と言っても過言ではないですね。
 お寺への思いを皆さん一人一人が寄せていただいてお念仏申す日々の生活のなかに
いつ何時地震に遭うかもわかりません。災害火災に遭うかもしれません。
 諸行無常の世にあって変わることのない真実まことの南無阿弥陀仏のみ教えを依りどころに
これからいよいよご門徒皆さんのお寺になっていきたいと思います。   
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.17)
 
お念仏がこぼれる
 昨日は別府の本願寺別院の報恩講にお参りさせていただきました。
お勤めの後のご法話は節談説教というお取り次ぎでした。
 高座という高い台に座って言葉に抑揚をつけてお説法されるのです。
 
 落語浪曲講談といった大衆芸能も高座説教、節談説教から始まったと言われますが
この節談説教の特徴はお聴聞されるお同行が受け念仏といって
お説教がいよいよ山場にさしかかると会場のあちこちから南無阿弥陀仏というお念仏の声が一斉に湧き上がって
場の雰囲気が一層盛り上がります。
流れるようなお説教を聞きそれを受けて会場からナマンダブナマンダブナマンダブナマンダブとお念仏が湧き上がるのです。
 
 お聴聞の場の雰囲気が阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかにつつまれるように
有難いご縁になるということです。
 
 今の布教は演台を使って布教使が立ってご法話することが多くなりました。
お聴聞の皆さんも今は椅子席ということでお互いの目線はそんなに変わりませんが
高座ですと上から下へという話ぶりで有難さもまた独特な雰囲気です。
 
 ご法話お聴聞するなかでお念仏が出ることが少なくなったと言われます。
お念仏しなさいと言われてもどのタイミングでお念仏したらいいのかとまた考え出したらまたまた難しくなります。
お念仏しないといけないというお話ではありません。
 
 この口からこぼれ出るのがお念仏と聞かせていただきます。
こぼれ出るまで待っていたらいつかお念仏が出るのかというとお念仏の本がないとお念仏がこぼれ出ることはありません。
 
 その本(もと)を聞かせていただくのです。
日頃からこの口にお念仏を称えることです。
 
 ナマンダブナマンダブと日頃から声に出してお念仏の練習をすることだと言われます。
ただどこでも練習できるというわけにはいきません。
日常生活のなかでお念仏申すことは本当に難しいことです。
 
 そのお念仏申す練習の一番いい場所がここなのです。
仏さまの御前、御仏前です。
 どこか町を歩いているときにお念仏申したら周りの人はえっと思うかもしれません。
でも仏さまの前でナマンダブナマンダブとお念仏申しても誰も不思議がりません。
 
 お仏壇の前です。お墓でもそうです。
つとめて声に出してお念仏を申しましょう。
 そのお念仏がふっとこぼれ出るように出てくださるということは
お念仏が身に付いてくださってあるということなのです。
 私が身につけようと思って身につけたお念仏ではありません。
お念仏のおはたらき南無阿弥陀仏のおはたらきがこの身に満ち満ちで
一杯になったコップの水がこぼれ出るようにナマンダブとお念仏が出てくださるのです。
 
 ご縁ご縁にお念仏を申すなかに今日の一日も日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.16)
 
お寺のことはすべて仏さまのご縁です
 雨あがりの桜の若葉が春の光に輝いています。
昨日は定例の総代世話人会と円光寺長期振興計画の委員会を併せて行い多くのご門徒衆にお参りいただきました。
 
 お寺の会はすべてが仏さまのご縁です。
会の始めに御仏前で皆さん一緒にお勤めをさせていただきます。
そして会の終わりには恩徳讃を唱和するということで
お念仏で始まりお念仏で終わらせていただく仏さまのご縁なのです。
 
 会議の後で懇親会をしました。
お酒も入り皆さんと話も弾んで和やかな時間をご一緒できました。
 最後の後片付けまでしてくださって本堂から皆さんをお見送りしましたが
「仏さまにまいって帰ろう」と御仏前に座って手を合わせお念仏お礼をするお姿に接し有難く思いました。
中々できないことです。しなさいと言われてもできないことです。
 こちらが何も言うことではなくその人の身に付いたことで美しいなあと思います。
自然に身に付くというのは難しいことがそのままできる有難さです。
 
 それもこれも南無阿弥陀仏のおはたらき阿弥陀さまのお育てがあってのことだといただきます。
皆さんが今日こうしてこの時間にその席に座ってご一緒にお勤めができお念仏を申してお礼ができたということです。
 最初は私がという気持ちをもってということでしょうが
今はどのこと一つとっても私がということではなく
自ずからこの身にできるということさせていただくということです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきがこの身に満ち満ちでこの口からお念仏がでてくださると有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.15)
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