浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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お念仏のご縁につながって生かされて今を生きる
 昨日お昼頃ご夫婦の方がお寺にみえられました。
犬飼の方で、後でわかったんですがご主人とは一年に2回お寺の会合でお会いするご縁の方でした。
 
 写真を持っていらっしゃいました。
明治40年5月8日円光寺山門鐘楼落成法要の記念写真でした。
 この写真は私の方にもあって知っていましたが
曾祖父の方におくられた写真ということで家の整理をしていたら出てきたのでお持ちしましたということでした。
 
 その方のお手次ぎのお寺が野津町の了仁寺さんです。
実は私の曽祖父15代照然住職の出身の寺で、了仁寺から兄弟が多く他のお寺にも入寺しています。
 
 そんなお話もしながら明治40年頃の円光寺のことを思いました。
当時円光寺の門徒で山門鐘楼を普請することは到底出来ないことだったと思います。
それで親族のお寺にも声をかけて御懇志をあげていただいたのではないかなと思うのです。
 その曾祖父の方にも大きな御寄附をいただいて落成法要にもお参りいただいたことだと思います。
みんな貧しかった時代ですが、お寺への思いは大変有難いものがあったということです。
 
 明治40年もう100年以上前のことですが、ご縁ですね。
お話をしていると現在につながります。
ご親戚が三佐に嫁いでいるということで、うちのご門徒でいつも大変お世話になっているお家の方でした。
 
 この本堂でお話をしましたが、ご縁ですね。
仏さまのご縁をいただいている私たちだという有難さです。
 今の私たちもそうですが、先の世代の方々も昨日お話では曾祖父の世代です。
名前は知っていますが会ったことはありません。
でも確かにいらっしゃったのです。皆さんの曾祖父もいらっしゃったのです。
もっともっと前の世代の方もご先祖がいらっしゃって今の私たちがあるのです。
 
 皆さん南無阿弥陀仏のお念仏のご縁でずっと今もつながっているということです。
私たちのご縁つながりの中心です。
 浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来の仏さまです。
世代を超えて場所を超えていつでもどこでも私たちとご一緒してくださる仏さまです。
 
 昨日も今日も皆さん一堂に阿弥陀さまの御前に座ることができました。
手が合わさってナンマンダブツとお念仏申し仏さまに御礼ができました。
 皆さん同じくお念仏申す身にさせていただいたということです。
南無阿弥陀仏のおはたらき、お念仏の先人のお育てのおかげだと有難くといただきます。
お念仏申させていただくなかに生かされて生きてあるんだなとまた頼もしく思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.26)
 
お朝事から今日の一日が始まります
 今朝もいつものように起きてお朝事の準備で本堂にお参りし戸を開けて冷やっとしました。
雨の影響でしょう、昨日から温度が急に下がって秋の気配がします。
 
 今日も6時の梵鐘をついてその後ラジオ体操をしました。
夏休みが今日で終わります。7月20日から37日間です。
 今年で3年目になりますが、夏休みの期間中毎朝鐘つきと体操を続けました。
田仲さんと三浦さんがずっと参加してくださって今年もできました。
 
 それぞれの役割分担といいますか、私がこうしなさいと言ったことではありません。
三浦さんが6時前に来られて本堂のチャイムが「ピンポーンピンポーン」となります。
体操の準備をしてレコーダーを外にはこんでくれます。
 6時になると田仲さんが梵鐘をついてくださいます。
体操をして6時半からいつものようにお朝事のお勤めをご一緒します。
 こうして円光寺の一日が始まります。
毎日毎朝本当に有難いご縁をいただきます。
 
 皆さんそれぞれに朝の営みがあると思います。
いつまでも寝ているわけにはいきません。
 それぞれの日々の営みの中でこうしてご一緒に阿弥陀さまの前に座ることができて
お正信偈さまのお勤めができて阿弥陀さまに御礼のお念仏ができるということは本当に有難いことだなと思います。
 
 この後皆さんそれぞれのお家に帰られて今日一日もそれぞれの生活が始まります。
それぞれに今日一日も色んなことがあると思いますが日暮しして
明日の朝またこの本堂でご一緒して阿弥陀さまの前に座らせていただきます。
 
 「帰るところがある安心」です。南無阿弥陀仏です。
「帰命無量寿如来南無不可思議光」光といのちきわみない阿弥陀さまを南無阿弥陀仏と仰いで生活させていただきます。
 今日の一日もナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すなかに日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.25)
 
日韓関係悪化のはざまで
 今日本と韓国との関係が良くない状況になっています。
私たちの仏教でいいますと、仏教は5世紀の頃朝鮮半島から入ってきました。
 インドを起源とする仏教が北伝といって中央アジアを通って中国に入り
中国で大成された仏教が朝鮮半島を経て日本に入ってくるという歴史です。
 
 当時の日本は蘇我氏と物部氏という二つの大きな勢力があって
蘇我氏は仏教を受け入れる側物部氏は仏教を排斥する側で争いになり結局は蘇我氏の力が勝って仏教が伝来します。
そして間もなくして出られたのが聖徳太子さまなのです。
 
 聖徳太子は摂政という国政の重要ポストにあって仏教に基づく十七か条の憲法を制定するなど
仏教を広く弘める役割を果たします。
 親鸞聖人は聖徳太子さまを「和国の教主」日本のお釈迦さまと敬愛されています。
 
 国ということです。今回の日韓関係も国と国との問題です。
この地球上にはたくさんの国があります。
人と人との関係のように国と国との関係も仲の良し悪しがあり、それは時代や社会の現況に応じて変わってきます。
 
 国と国は国境という境界線で分け隔てをしています。
この目で見ることができない国境線ですが、人間が引いたものです。
 それぞれの国が主義主張を展開しある時は戦争の成果として自分たち本位に引いてきたのが国境線です。
ここは我が国の領土であり領土に侵入したものは容赦しないと主張し
線引きをするなかで私たち人間の争いの歴史がずっと続いてきたしこれからも続いていくのです。
 
 その争いの元こそ私たち人間がかねそなえている煩悩だと明らかにして
その煩悩がなくなるところに真の平和があると教えてくださるのが仏教なのです。
 欲の心怒りの心愚かな心の煩悩です。
この煩悩を断つことが肝要ですが私たちは互いに煩悩具足の凡夫の身を生きていることを聞かせていただくことが大事です。
 
 韓国も日本も仏教のみ教えを生活のなかで聞いてきた先人の歴史があります。
仏教の精神に立ち返ればお互いに何と情けない何と愚かなことをしていることだということです。
 国と国のはざまで一番迷惑を被っているのが一般市民です。
韓国から観光客が来なくなって生活が困窮しこの先大きな不安を抱える人もたくさんいらっしゃいます。
 今こそお互いに先人の歴史に学び仏さまの大きな広いお心を聞かせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.24)
 
涙いろいろ
 昨日は夏の高校野球決勝戦で大坂の履正社高校が石川の星陵高校を破って初優勝しました。
今大会ナンバーワン投手といわれた星陵高校の奥川投手は常に笑顔を絶やさない投球でした。
試合終了の最後まで笑顔でしたが、閉会式ではずっと泣きじゃくっていました。
 
 勝って涙、負けて涙、見て涙です。
勝った喜び、負けた悔しさ、選手の健闘に見て涙ということでしょうか。
 涙は私たちの喜怒哀楽の思いがそのまま出る表情です。
 
 つとめて笑顔をつくることがあります。
周りの人が不安にならないように思いやってということもあります。
周りを思いやる気持ちです。余裕がないと中々できません
 スマイルシンデレラの愛称がつけられたゴルフ女子全英オープン優勝の渋野日向子選手です。
本当に周りを幸せな気持ちにしてくれました。
 
 ただいつも笑っておられるわけではありません。
何でこんな目に遭わなければならないのかと思い通りにならないことに
自分の至らなさに腹が立って悔しくって流す涙です。
 
 人前で泣くなんて見っともない涙を見せてはいけないと言われそうです。
でもしてはいけないと言われるほどしんどいきついことはありません。
 
 いいんだよ、そのまま泣いて泣きじゃくってもいいんだよ
涙が枯れるまで私の胸で泣きなさいとおはたらきなのが南無阿弥陀仏のお心だといただきます。
 阿弥陀さまのお姿を見ると胸がはだけています。
何か見方によってはだらしがないと思われるかもしれませんが
阿弥陀さまの摂取不捨のお心があらわれたお姿なのです。
 
 誰が見ていても気にしないで私の胸に顔をうずめて泣きなさい
涙いっぱい流していいからそのまま私が引き受けるからと
涙する私をそのまま抱き取ってくださるお姿なのです。
 どんなことがあっても決して私はあなたを見捨てることはないから
ナンマンダブツのお念仏となっていつも私に寄り添って共に生きてくださる仏さまに成ってくださったのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.23)
 
お仏壇は仏さまの教えそのものです
 昭和30年から40年50年代にかけて戦後の日本社会がまだ不安定だった頃
新興宗教が大きなブームになりました。
 その最たるものがSG会です。
SG会は斥伏といってそのお家の仏壇を焚き払いSG会の仏壇にして改宗させるというわかりやすさがありました。
 一方RY会とかRK会といった新興宗教は伝統仏教宗派の仏壇にそのまま入ってくるんです。
例えば浄土真宗のお仏壇だったらご本尊の阿弥陀さまはそのままで
その中にその宗教独自のものが目に見える形で入ってきて浄土真宗の仏壇とは全く様子が違ったものになるのです。
 
 三佐もある時期新興宗教が大流行しました。
今生きていたら100歳前後の方が有力メンバーとなって地縁血縁の関係を通して入会勧誘するのです。
 はっきりと断わる人もいたと思いますが
日頃から昔からの付き合いのなかで家の宗教そのものは変わらないなどと言われて入会した人もいたのではないでしょうか。
 ご門徒を預かるお寺の住職として当時どのように対処していったのかご苦労を思います。
 
 今は信仰する人も殆どいなくなりましたが
その宗教の姿形がお仏壇のお荘厳となってそのまま残っています。
 実際に信仰しているわけではなくても親や身内が信仰していたものに触ることができず
子どもの頃から見て育ったお家の仏壇を変えることに抵抗があるのではないのでしょうか。
 これが本当に厄介なのです。
 
 ここはお寺の住職の出番ですが
むやみにこうしなさいと言えないところがあります。
これはこれまで問題を放置してきた住職の責任です。
 ご縁ご縁に少しずつお話をして徐々に本来の浄土真宗のお仏壇に返していただくことが大事だと思います。
お寺の住職だからといって中々難しいところがあるのです。
 
 そしてもう一つこうした宗教を信仰しているご門徒さんほどお寺を大事にしてくれるのです。
お寺にもよくお参りするし色んな協力お手伝いも率先してしてくれます。
 有難いご門徒さんなのです。
そういうところが逆に悩ましいのです。
 
 どうぞお念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。
聞くいって言葉で聞くことですが、見て聞くということもあります。
 お仏壇は仏さまのみ教えそのものです。
仏さまのみ教えがお仏壇のお荘厳姿形となってくださってあるのです。
 お仏壇はこの目で見せていただく仏さまの教科書です。
その教科書に私の手が入ったら教科書ではなくなってしまいます。
 
 お仏壇にお参りしてそのまま聞かせていただきましょう。
お仏壇のお荘厳を日々一つ一つ丁寧にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.22)
 
8月21日の今を生きる
 8月21日です。
小中学生の頃この日は夏休みの中の登校日でした。
 いよいよ夏休みもあと10日を残すなかで、夏休みの宿題です。
大方夏の友などの宿題は済んでいましたが、残った宿題は工作であったり読書感想文です。
ちょっと腰を据えてかからないと簡単には済まない宿題ばかりです。
 
 早く済ませておけば後はゆっくり最後の夏休みを楽しめるということですが
明日がある明日があると宿題を先送りにして最後の10日間一週間数日間があっという間に過ぎて苦痛でした。
 
 この人生もある意味夏休みの宿題のように思います。
若いうちは夢をもって自分がやりたいことを結構してきましたが
歳を重ねていくなかで一年一年があっという間に過ぎ去り
気が付いてみれば60歳になり70歳を間近に控えて
大きなため息とともにこの人生を振り返りそして思います。
 
 果たしてこの人生、一体何をして生きてきたのだろうか、やり残したことはないかと。
人生の宿題です。
 この先残された時間はどのくらいあるのかわかりませんが
限られた時間をどのように生きていくのか。
人生最後の宿題です。
 
 一度しかない人生です。
昨日を振り返ることでも明日を夢見ることでもありません。
確かなことは今を生きるということです。
 
 お念仏申す生活のなかにお浄土への人生を歩ませていただきます。
この人間界に生を享けて仏法聴聞のご縁に遇わせていただきました。
 煩悩いっぱいに生きる私をそのまんま抱き取りご一緒してくださる南無阿弥陀仏のおはたらき一つに
この人生を生き抜かせていただきこの命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれさせてもらい仏さまと成って
これからもずっと阿弥陀さまのお手伝いをさせていただけると聞かせていただきます。
 
 8月21日の今をお念仏申して私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.21)
 
何かおかしい、嫌な社会の事件です
 常磐自動車道であおり運転をして暴行をはたらき指名手配されていた容疑者男女が逮捕された事件が
トップニュースとなって大きく報道されています。
 
 ドライブレコーダーの映像が何度も放映されるたびに本当に嫌な思いがします。
高速道路に車を止め行く手をふさいで「殺すぞ」と叫び駆け寄り無抵抗の人を何度も殴打するものです。
高速道路で運転することがある私が何か一方的にやられている感じがして恐怖さえ覚えます。
 
 逮捕状が出て顔が映し出されその怒り狂った剣幕をみて
また逮捕された時の二人の言動をみても、とても常軌の沙汰とは思えません。
 
 自己中心の極まり自分勝手な行為で周囲に嫌な思いをさせることで本当に情けなく悲しい気持ちになります。
容疑者の男性の供述では前に行く車がのろのろしていたからといいますが
そういうことって私にも経験があります。
すーっと横を追い越して行ったから腹が立ったということもあります。
 でもそれでもって相手の車を止めて暴行に及ぶことには中々ならないと思うのですが
同乗の女性も同じく逮捕されました。
 
 こんな凶行に及んだら普通は友だちだったら止めますよね。
しかしこの女性、今回の映像からはまさに助勢しているように
はやし立てるというか、この女性も自己中心の極みです。
 
 子どもを虐待して死亡させた事件を思い出します。
虐待したのはお父さんですがお母さんもそこにいました。
言うことを聞かなかったら自分がやられると、言われるままに虐待に加担し見て見ぬふりをしたというのです。
我が子を守ることより自分のことです。どこまでも自己中心です。
 
 何かおかしいですね。
自分のすることは何でも正しくて他人のすることは間違っているという自己中心のものの見方考え方です。
 そのおかしさが自分ではわからないのでしょうが
だからこそ周りの者が諌め止めるんですよね。
 それが賛同者になり小さな小さな自分たちの世界に閉じこもって自己中心の妄想を一層ふくらまして
それが重大な事件取り返しのつかない事件になるのではないでしょうか。
 
 社会が病んでいるようにも思います。
そして私もこの社会の一員なのです。
 この社会は私一人では生きてはいけません。
それぞれ生き方生活ぶりの異なる者同士が一緒に生きているのが私たちの社会です。
お互いが自分勝手な言動で自分中心に振る舞って自分さえよければと生きていたら
どこかしこで衝突が起こって社会そのものが成り立っていきません。
 だからこそお互いに認め合い支え合って生きようと知恵を出し合って生きるのではないでしょうか。
人間の知恵の限界さえ思います。
 
 仏さまの智慧にみ教えに聞かせていただきましょう。
御仏前阿弥陀仏の御前に身を置きましょう。
南無阿弥陀仏の救いの法を聞かせていただきましょう。
自己中心煩悩いっぱいのありのままのこの身の真実を知らせていただきその上で救うてくださるのです。
 阿弥陀仏に手を合わせナンマンダブツとお念仏申してお礼をさせていただきましょう。
私一人ではなくてあなたも私も共々にお礼のお念仏ができるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきに遇わせていただき
「そのまま救う我にまかせよ」のおよび声に支えられ励まされて生かされて生きていけるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.20)
 
私たちそれぞれの日常いつものことの有難さ
 京都アニメーション社の放火殺人事件から1か月が経ちます。
新聞等の報道で亡くなられた方のことが取り上げられています。
 
 35人の方それぞれの日常に思いをはせます。
朝目が覚めて一日の生活が始まり食事をし仕事をして友だちと語らい遊んで過ごすいつもの日常です。
 一人一人それぞれの日常があってそれぞれの人生を夢をもって生きる日暮しです。
生きよう生きようと精いっぱい生きる日常です。
 
 終戦の日を機縁にこの時期戦時中のことが取り上げられます。
特攻隊志願兵の方々の人生です。国のため家族のためにと死を覚悟し亡くなっていかれた方々です。
 その人人のそれぞれの日常です。
手紙などの遺品が出てきて、その日常にふれます。
 その日常はどこにでもあるような普段の日常です。
その日常にふれることでご遺族関係者の方々の気持ちが揺れます。
 
 誰しも生きよう生きようという思いをもって生きています。
それがどんな生き方生きざまであっても誰彼から批評されたりするものではなく
その人人なりに精いっぱい生きている日常です。
 
 その日常を容赦なく一方的に奪ってしまう無くしてしまったのが京都アニメの事件です。
誰一人犯人と面識ある人はなく恨みつらみの感情もない事件です。
 
 今日もこうしてお朝事という私たちの日常です。
このお朝事から私たちそれぞれの日常が始まります。
 お念仏申して始まる日常です。
それぞれの日常ですが、大きな大きな阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
共々に生かされてあることを尊く有難く思います
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに皆さんご一緒に生かされて往くという尊さ有難さです。
 
 今日の一日、いつものような日常の繰り返しかもしれませんが
ナンマンダブツとお念仏申すなかにこのいのち精いっぱい輝かせて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.19)
 
お念仏の声となって私のことを思うてくださる
 お念仏申す生活をさせていただきます。
念仏は仏を念じると書きます。
 念の字は今の心、今こころする今思うということです。
仏さまを思います。
 
 お念仏の心は、これまでもそしてこれからも今の私に寄り添ってくださる南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
これまでもずっと私が仏さまを思う前から仏さまから思われていたということです。
 そしてこれからもずっとです。
それは今の私にずっと寄り添ってくださることなのです。
 
 今の私を思うてくださる
「どんなことがあってもいつも私が一緒だから安心して、あなたの命を精いっぱい輝かせて生きて往こうね」と
私が思う前に仏さまの方が私のことを思うてくださるのです。
 
 「あなたを必ずお浄土に生まれさせて仏にさせるよ」という思い一つです。
その思いが私のところに至り届いてナンマンダブツと私の口から出てくださるお念仏はお礼のお念仏といいます。
 ナンマンダブツ、聞こえてきますね阿弥陀さまのおよび声が。
南無阿弥陀仏のおよび声に励まされて支えられて生かされてこれからも生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.18)
 
三願転入のお救いの道
 今日拝読のご和讃は「大経讃」といって大無量寿経のお心を讃嘆されたものです。
親鸞聖人は浄土三部経のなかで大無量寿経を真実の教とお示しです。
 
 この大無量寿経には阿弥陀さまのご本願が説かれてあります。
阿弥陀如来の四十八願です。
 このご本願の中の第18願に私たち凡夫が救われていく道が説かれてあるといただきます。
 
 今日拝読のご和讃には第18願のお心そして第19願のお心、明日は第20願のお心がでてまいります。
この第18願,19願,20願を三願とよび、三願転入の道を示されます。
 阿弥陀さまの浄土往生を願う三願です。
三願ともに浄土往生を願う心は同じですが、その往生の手立て道すがらは異なります。
 
 第19願は自力修行、自ら善行を積んで浄土往生を願うのです。
第20願は自力の念仏を積み重ねる功徳によって浄土往生を願うのです。
ただ19願も20願も方便化土の願といって真実報土の浄土には往生できないといわれます。
浄土は浄土でもお浄土の片隅に生まれるといいます。
 
 ただこの方便ということ、方便と聞くと皆さん嘘も方便ということで方便イコール嘘と聞かれますが
方便とは真実に至る道すがら真実に導くための手立てというのです。
 
 真実の本願こそ第18願です。
他力回向の願といいます。
 阿弥陀さまの本願力回向の南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちの往生が定まり
私たちは阿弥陀さまの本願力を信じおまかせするばかりだと聞かせていただきます。
 
 第19願20願が方便の願といわれるのは自力で浄土往生を願う心がおこるということで
阿弥陀さまの他力におまかせする心が欠けているということなのです。
 
 この三願転入の道すがらは親鸞聖人の歩まれた道でもあります。
比叡山での厳しい学問修行です。自力の念仏修行もありました。
そして法然聖人にお出遇いされて「雑行を捨てて本願に帰す」と他力の念仏に帰入されたのです。
 
 私たちも親鸞聖人と同じように三願転入の道すがらを歩まなければ真実報土の浄土往生ができないのではありません。
要は阿弥陀さまのご本願のお心南無阿弥陀仏のお心を聴けよとお聴聞をおすすめなのです。
 聴いて聴いて聴きぬけといわれます。
仏さまの前に身を置いてお念仏申す身にさせていただくことです。
 
 これも自力といえば自力のようですが
お念仏申す身にさせていただいた上はすべてが阿弥陀さまのお手回しであったといただけるのが
阿弥陀さまの本願念仏のお救いのお心なのです。
 
 私の救いの大本は南無阿弥陀仏の仏さま阿弥陀如来さまですが
皆さんのご先祖有縁の仏さまです。
 皆さんのご先祖有縁の仏さまのおはからいがあってお手回しがあって
この私が今こうして御仏前に座ることができているこの口からナンマンダブツとお念仏申すことができているのです。
そのことをそのまま喜ばせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.8.17)
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