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お念仏を申す生活法話

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仏壇仕舞いのご縁です

 昨日仏壇仕舞いのお勤めと仏さまをお迎えする入仏法要をお勤めしました。
 
 仏壇仕舞いのお家はもう三十年も留守のお家でご縁の方が年に一度東京から帰ってみえて
昨日久しぶりにお参りしましたが、家の中も家の周囲もよく片付いていました。
 ただお家はずっとそのままでお仏壇をご安置されていたのです。
このたび事情があって家を壊すということで仏壇じまいのご縁になったということです。
 
 御礼のお勤めといいます。
皆さんのお家もそうですが、お仏壇といってまん真中にご安置の御本尊の阿弥陀さまのお家です。
阿弥陀さまをお家の中心にいただき仏さまの大きな大きなご恩のなかに私たちは生かされて日暮しさせていただくのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでこの人生を生き抜き命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき
仏さまに成らせていただく大きなご恩です。
 
 私たちのこの目に見える形でお仏壇の阿弥陀さま親鸞さま蓮如さまのご縁をいただいているということです。
今日こうしてお朝事にお参りの皆さんにこんなお話をしても的外れですが
お家にお仏壇があっても日々の生活のなかで仏さまにお参りし御礼ができることは中々難しいことです。
 
 まさに仏さまに背中を向けているような日暮しをしている私たちをそのまんま
この阿弥陀仏さまはいつも見てござる、見守ってござる、守られてあるということです。
 
 阿弥陀さまのご縁をいただいてそのことに気づいてくれよ
み教えを聞いてお念仏を申す身になってくれよという仏さまのご縁です。
 お家の中心にあって私たちを護ってくださった仏壇仕舞いのご縁と
これからもずっと私たちを護ってくださる仏さまをお迎えする入仏法要の尊いご縁をいただいたことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.5)

お寺に手伝いに来てください

 ある老僧のお話です。
お寺にお参りしなさい、お参りしましょう、お参りしませんかと呼びかけても中々お寺にお参りしてくれないが
今度お寺でこういうことをするから手伝いに来てくれないかと声かけするとお参りしてくれるというお話です。
 
 ご門徒衆に今度の報恩講などいろんな法要行事の案内をさせていただきますが
お参りする方は大体決まっています。
 皆さんお寺からの案内をどう受け取っているのか想像します。
またお寺からの案内かと文章を読むことさえせず、文面は日時や講師が変わるだけでいつもあまり変わりませんが
それこそ右から左へそのままゴミ箱に直行ということもあるかもしれません。
 お寺からの案内ですが、そのまま阿弥陀さま親鸞さまからのお手紙といただいてほしいと思いますし
これからも何度も何度も厭きることなくご案内させていただきたいと思います。
 
 ただお寺に手伝いに来てほしいと直接声かけできる人間関係、日頃からのご門徒さんとのつながりができたらと
老僧のお話を聞きながら思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.4)

昭和44年、49年前の私を思います

 昨日は大海組内の親戚寺院のご法事にお参りしました。
お勤めの後のお斎の席で、昭和44年にそのお寺で勤まった法要の集合写真の話題になりました。
 
 今から49年前のことです。大海組の法中方も七條袈裟をつけて写っていました。
父もいました。44歳の時です。
 当時は政治の世界にあって県会議員の一期目で次の二期三期もと周囲の期待もあって
まさに飛ぶ鳥を落とすような絶頂期の頃です。
 実のところ次の二期目の選挙で落選することになります。
それで父の政治に対するけじめがついたのではないかと思います。
 お寺の事業に精を出します。庫裡そして本堂を当時は珍しい鉄筋コンクリート建てで新築しました。
そして新築なった本堂で昭和52年からずっと毎朝6時半のお朝事を勤めてきました。
 これまでの人生を振り返り大きな転機になる時代でした。
 
 昭和44年私は17歳の高校2年生でした。あの頃の生活を思い起こします。
その時父はどのように私を見ていたのかなとまた思います。
 
 写真に写った顔の表情からその人人の生活ぶりをちょっと勝手に想像します。
幸せいっぱいの時だったかもしれません。大きな苦しみ悩みを抱えていたのかもしれません。
ただ皆さんお念仏のご縁つながりのなかに生かされて生きていたということです。
 
 大方皆さんは同年輩の40代50代といった年齢ですが、写真では随分お年寄りのように見えました。
それは見る人の見方で、私たちも50年後には「えらい老けてるな」と見られるのでしょう。
 
 昨日のご法事のご縁でも思うことですが
ご先祖からのいのちの歴史お家の営みのなかに今こうして私があることをあらためて思います。
 そうしてこの私が円光寺の本堂の御仏前に座ってお勤めができるということを
有難いご縁だな思ってまた今日の一日を日暮しさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.3)

さんと呼びますか、君ですか、それとも……

2018-11-02
 今国会が開催中で昨日は衆議院の予算委員会がテレビで中継されていました。
委員長の野田聖子さんが発言する委員や答弁する大臣を「○○さん」とさん付で呼んだことが
今朝の新聞各紙で取り上げられていました。
 
 思い出すのは1993年といいますからもう25年前のことですが
当時女性初の衆議院議長になった土井たか子さんが国会議員をさん付で呼んだことが大きな話題になりました。
 それまでは男性も女性も「○○君」でした。
何か新鮮な感じがして国会のあり方も新しく変わるのかなという期待もあったのですが
土井議長が替わるとまた元のようにずっと「○○君」のままでした。
 
 これまでの慣例とはいえ男の人も女の人も君付けで呼ぶことに何か違和感をもつ人もあったと思いますが
それをみんな等しくさん付けで呼んだのです。
 一般に男女の別なくさん付けで呼ぶのは自然な言い方ということで、さん付で呼びましたと野田さんは言っています。
 
 あらためて皆さんだったら相手の方をどう呼びますか。
人人によってその呼び方は違うと思います。
 昔からの旧知の人仲のよい気心が知れた人には「〇○ちゃん」と愛称で呼んだり呼び捨てにしたりということですが
公衆の面前でどう呼ぶかというと、ちょっと考えますよね。
 通常○○君と呼ぶのは自分より年齢が若い人に対してのようです。先輩に君付で呼ぶことはとてもできません。
そこは○○さんであったり、ちょっと肩書きがつく人になると○○先生になったりします。
一般的には○○さんが自然で無難なような気がします。
 
 浄土真宗のお寺の住職はご院家さんと呼ばれます。
坊守さん、新院さんと、さん付で呼ばれると何か親近感をおぼえます。
先生と呼ばれることもありますが、何か違う世界にいるように勘違いしたりするようなこともあるのではないでしょうか。
 
 今回女性が女性の見方で国会議員の先生方を等しくさん付で呼ぶことの大きな意味を思います。
ただ25年経ってもこうした同じことが話題になるということ、25年経っても女性議員が少ない女性大臣が一人だけという
日本の政界の現実を見るにつけ、私たちのお寺の社会のなかにもまだまだ男女の格差があるように思います。
 あらゆるいのちを分け隔てなく救う阿弥陀さまのご本願のお心にまた聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.2)

前住職祥月命日のご縁です

2018-11-01
 今日11月1日は昭然前住職の祥月のお命日です。
いつもお話していることですが、19年前の今日ちょうどお朝事の喚鐘を打ち終わった頃に亡くなったとの連絡が入りました。 
 先ほど喚鐘を打ちながら19年前もこういう空だったかなこういう空気だったかな寒さだったかなと思いました。
何年経っても年に一度の祥月命日は特別な日としてこれからも当時のことをいろいろと思い起こすことだと思います。
 
 こうしてお朝事のお勤めを皆さんと共々に毎日ずっとさせていただいております。
念仏相続、念仏を続けるということですが、これは私が続けようと続けようと思って続いているお念仏ではありません。
阿弥陀さまのおはたらき「念仏申せよ、念仏申してくれよ」の南無阿弥陀仏のおよび声につられて
私の口からお念仏が出てくださるということであります。
 
 念仏相続させていただくなかにお念仏の先人がいたということです。
今日のご縁でいうと前住職ですが、前々住職も前々坊守もこのお寺を護ってくださったご門徒衆皆さんのおかげご縁で
今こうしてこの御仏前に座ることができてご一緒にお勤めができてご一緒に手が合わさって
ご一緒にお念仏申して阿弥陀さまに御礼ができたということであります。
 
 今日は10時から祥月命日のご法座のお勤めをさせていただきます。
どうぞご縁の方お誘いあわせお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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