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お念仏を申す生活法話

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家族葬という葬儀の簡素化です

2021-06-11
 今日お葬儀のご縁をいただきます。
最近のお葬儀は決まって「家族葬です」と言われます。

 何をもって家族葬というのか
いろんな家族葬のあり方があって違います。
 家族だけの葬儀というなら
どこまでを家族というのでしょうか。

 昨日のお通夜もこの前のお葬儀も
人数的には30人ほどの方がお参りして
一般的な葬儀のようでした。

 多くのご親族がお参りでした。
親族も家族という範疇なのでしょう。
 家族葬には一般の近所の方やお友だちのお参りは
ご遠慮いただくということを聞きます。

 家族葬は内々の葬儀ということで
司会がないとか弔辞や喪主の挨拶がないとか
香典返しの御礼状や品がないとかなどなど
これまでの葬儀にあっていたものがないことが多く
それもそれぞれの家族葬で内容が異なります。

 家族葬といわれる葬儀の簡素化です。
必要最小限の内容でなるべく無駄を省くことで
葬儀社も低料金の葬儀を競って宣伝しています。

 私たち僧侶の目から見ても
数十年前の大人数の葬儀は必要ないものも多くあり
お弔問の方に気を使って
ご遺族のご心労もあった大きかったと思います。
 家族だけで大切な方と最期の時間を
ゆっくり過ごすことに異論はありません。

 葬儀の簡素化ということでいえば
今まで縁もゆかりもない葬儀社の斎場より
お家の御仏前で葬儀を行ったらどうでしょう。
お寺でのお葬儀もいいのではありませんか。

 日常の生活の場を通して
お通夜のご縁で最後の夜を家族一緒に過ごし
葬送のご縁でお念仏申してお浄土に送るという
浄土真宗の葬儀の流れ意味です。

 簡素化というなかで大事な葬儀の意味が忘れられて
家族葬という形にとらわれてしまっている
ような感じがします。

 私たち僧侶の責任を思います。
日頃から浄土真宗の葬儀の意義を話してきたでしょうか。
 仏事のことはお寺に聞いてくださいと言いますが
今は使い勝手のいいインターネットが重宝されて
お坊さんは相談しにくい存在になっているようです。

 昨日のお通夜で気になったのは司会がいないことで
合掌するタイミングが分からないように思いました。
 黒い礼服に身を整えた大人数の方々が
隣の人を横目で見ながら落ち着かない様子です。

 僧侶の導師に合わせたらいいことですが
合掌しても中々お念仏がでません。
 昨日はお勤めが終わって私の方から
「ご一緒にお念仏申しましょう」と言いましたが
お念仏の声は殆ど聞こえませんでした。
 日頃からお念仏が身についていることの有難さです。

 大切な方のお葬儀のご縁で合掌しお念仏申して
「大変お世話になりました。有難うございました」と
御礼ができるのです。
 そして私たちのご法義でいえば
南無阿弥陀仏とお念仏を申すところに
先にお浄土に往かれた方が仏さまとなって
還って来られるという教えです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける
私たちの浄土真宗の葬儀のご縁の有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.11)


私の遺骨の行方は?

2021-06-10
別府鶴見霊園のようす(2021.6.9.10:00)
 昨日別府の鶴見霊園で墓じまいの
お勤めをさせていただきました。

 鉄輪から明礬に上がる所で
自然環境に恵まれた景色のいいところです。
 緑が美しい扇山に連なる山々を背景に
おそらく数千基のお墓が並ぶ大きな墓苑です。

 高度経済成長期に大きなお葬式が一般的に行われ
海の見える山の墓苑が注目されお墓を求められる方が
多かったのではないでしょうか。

 お父さんとお母さんのお遺骨を取り出し
円光寺の納骨堂に納骨しました。
 施主のご門徒さんは今は別府にお住まいで
別府霊園の方がお参りするのに実は近いのですが
見晴らしのよい墓苑はアクセス的には不便な所にあり
高齢で車の運転が難しくなれば
中々お参りしにくいというのです。

 管理会社の方に聞くと最近墓じまいが多くなって
お寺や近くの納骨堂に改葬するところが
増えてきたというお話です。

 お寺の納骨堂に預けたら大丈夫
安心ということでしょうが
お寺参りのご縁ができるという大切な意味があるのです。

 少子高齢化社会になり
これからお仏壇やお墓を誰が見ていくかという問題が
個々のお家で様々に出てまいります。
 まだ先の話と思わないで今から皆さんも
ご自分のこととして考えてみてください。

 どんな人も命終えて死んだらおしまいではありません。
何も遺すものはないといってもご自分の遺骨は遺ります。
 先日太平洋戦争の東京裁判で死刑になったA級戦犯の方が
処刑されて直ぐ火葬され東京湾上空から
海に散骨されたという報道がありました。
 遺骨が遺って神格化されないようにということでした。

 散骨したらどこにお参りしたらいいのかということです。
この目に見える形ではお遺骨であり埋葬されたお墓です。

 私の遺骨の行方です。
お家のお墓に先に逝った家族と一緒に納骨されるといって
何百年も何千年もずっとというわけにはいきません。
 お墓に納骨壇にお遺骨がいっぱいで
後に入らないという物質的な問題です。

 皆さんの四代五代前のご先祖のお遺骨はどこにあるか
といってこの目で見ることはできません。
 およそこの辺に埋葬されたと聞いても
どこにという所まで到底分かりません。

 でも確かにご先祖はいました。
数を数えきれないほどたくさんのご先祖がいて
私が今ここに生きているのです。

 私の命の大恩人のご先祖を偲ぶ縁の一つがお墓です。
お墓参りのご縁で仏法に出遇い
お念仏申させていただく有難さです。

 昨日納骨堂にお遺骨を無事納骨し
お勤めし終わって安心されたのでしょう。
少し涙ぐんでいるようでした。
 仏さまのご縁をいただく有難さを
ほっと安心して思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.10)


古い人間も新しい人間もみな共にお念仏につながっているのです

2021-06-09
 今朝の大分合同新聞の「灯」欄のコラムから
「古い人間になりそうです」というお話です。

 歳を重ねて段々と世の中についていけなくなったと
始まります。
 
 パソコンやスマホが中心のネット社会になり
このコロナ下で私たちは古い人間といわれるようです。

 今は現金を持たなくても日常生活に不便はないようで
コンビニの会計や駅の改札など
スマホで難なくスルーできます。
 私などの古い人間はやはり手元に現金がないと
何か心もとない不安にかられます。
 お金がこの目で見える安心です。

 時代の大きな変わり目です。

 コラムでは戦後価値観が180度変わる中で
欧米式の生活スタイルが入ってきて
日本人の暮らしぶりも徐々に変わり始めたとありました。

 筆者は小学5年生で
周りの生活が見るからに変わっていく中で
明治生まれの親のいる家庭に
新しい生活が中々やってこなかったといいます。

 そこでつい母親に「時代遅れの、旧式人間」と
言ってしまったことを思い出して
今自分も古い人間になったようで
親の思いが分かるようだというのです。

 まだまだこれから世の中は変わって行き
私もどんどん古い人間になっていきそうです。
 ただ今の新しい人間も古くなっていくのです。
古い新しいといって古い人間も新しい人間も
共に同じ社会時代に生きているのです。

 生活ぶりは変わっても
人がこの世に生まれて生きて老いて病んで
死んでいくことに変わりはありません。

 古いも新しいも共に生死の苦悩を抱えた迷いの凡夫と
阿弥陀さまは見抜かれて
「まかせよそのまま救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきを
分け隔てなくしてくださってあります。

 この同じ社会に生きている私たちは
南無阿弥陀仏に共々につながって生かされて生きていると
聞かせていただきます。

 何か自分一人で頑張って生きているようで
実は私たちはみんな根っこでつながっているのです。
 南無阿弥陀仏のお念仏のつながりです。

 世の中のことはこれからも変わって行き
戸惑うこともたくさんありますが
私たちが生きる根っこのお念仏のみ教えは変わりません。

 お釈迦さまから2500年の仏教伝播のなかで
親鸞さまから750年蓮如さまから500年の星霜を経て
今こここの私に届けられたお念仏のみ教えをいただいて
どうぞ皆さんの周りの方隣の人に
お念仏のみ教えを伝えてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.9)


満中陰のご縁でお葬儀の一連のお勤めが終わります

2021-06-08
 昨日四十九日満中陰のご縁がありました。
遠方のご門徒さんでお寺の本堂でお勤めをして
その後円光寺墓地に納骨させていただきました。

 お勤めが終わってご丁寧に
「おかげさまで有難うございました」と御礼を申されました。

 大切なお方とお別れして四十九日が経って
満中陰という大きな節目のご縁です。
 満中陰のご縁でお葬儀の一連のお勤めが終わることで
何か安心されたようなご様子でした。
「ようこそお勤めされました」と
言葉を返しました。

 一人暮らしのお母さんで
ご高齢になって施設に入所されていました。
 他家に嫁がれた娘さんばかりで
後のことがお互い心配だったと思います。
いろんなお話をされていたのではないでしょうか。

 親子の縁につながったお互いですが
生活はそれぞれ違います。
 親として子として出会って
別れていくということです。

 仏事はこれから百か日初盆一周忌三回忌と続きます。
お浄土の仏さまと成って遺った私たちに
お念仏申す身になってくれよと
仏さまのご縁をつくってくださるのです。

 懐かしいお母さんのお姿に会うことはかないませんが
この目で見える姿でお遺骨がお墓に納められて
これからお墓に会いにお参りされることだと思います。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきますと
私たちは命終わっても南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に
つながってあるといわれます。
 それは死んでから始まるつながりではなくて
もう今すでにこの私が生まれる前からつながってあると
聞かせていただきます。

 今はこの目に懐かしいお姿を見ることはできませんし
懐かしい声を聞くことはできませんが
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
これからもずっとずっとつながって
仏さまとなってこの私を護って共に生きてくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.8)


自然のおはたらきにまかせて日々折々にお念仏の華を咲かせてまいりましょう

2021-06-07
わが家の庭のお花たちです(2021.6.7.17:00)
 梅雨のこの時期に咲くお花があります。
境内にはさつきの花が咲き
今は山法師の白い花が咲いてきました。

 晴天の中よりしっとりと雨に濡れて
紫陽花や菖蒲、アヤメの花がよく似合います。

 四季折々の営みの中にいろんなお花が咲いて
私たちを楽しませてくれます。

 大自然の営みに生かされてお花もそして私たちも
いのちいっぱい咲かせて生きているのですね。

 親鸞聖人はお念仏のお救いの法を
自然法爾(じねんほうに)といただかれました。
 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 自然を「おのずからしからしむ」と示され
私のはからいを一切はさまず
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせるのです。

 私がどうこう思って行ってということではなく
阿弥陀さまがこの私をそのまま
お念仏を申す身にお育ていただくと聞かせていただきます。

 仏教詩人坂村真民さんの代表的な詩に
「念ずれば花ひらく」があります。
  苦しいとき
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのことからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

 母がいつも口にしていたお念仏を
私も口にするようにお育ていただいたのです。
 お念仏のおはたらきです。
母が申すお念仏がそのまま私に届けられて
お念仏申す身にさせていただくのです。

 今日も私の口からお念仏が出てくださいます。
お念仏申す身にさせていただいたのは
阿弥陀さまの仏さまのおはたらきですが
私たちのご先祖有縁の仏さまのお育てがあって
このしぶとい口からお念仏が出てくださったのですね。

 今日も一日お念仏申す身のままに
お念仏の華を咲かせてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.6.7)


円光寺
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