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お念仏を申す生活法話

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いのちの備えはできていますか

 コロナ禍のことで識者から新聞等に投稿が寄せられています。
世界各地で医療崩壊ということがいわれるなかで日本は特に危機管理が足りないという指摘です。
 感染の程度で重篤者、中軽症者に分けて入院治療したりホテルや自宅で療養したりと様々に対応していますが
基本的に感染症に対して専門の医師や看護師が足りない病院ベットが足りない
医療器材やマスクなどの装備品も足りないことが一気に露呈しました。
 今回のような事態が想定できていない準備ができていないということで
医療の現場で危機的な事態が物理的に起こるべくして起こっているとの指摘です。
 
 日本人には危機管理ができない心性が標準装備されていると言われます。
あいまいで楽天的なものの見方とでもいうのでしょうか。
こういうことは起こらないだろう起こっても何とか対処できるだろうといった根拠のない自信みたいなものです。
 例えば屋外で大きな行事をするときに
雨が降ったらどうするといった意見に対し
主催者リーダーが雨が降るわけがないと返すような論理です。
 
 雨が降るか降らないか天気はその時になってみないとわからないというのが正しいものの見方です。
だったら雨が降ることも想定して準備をしておけばいいことなのですが
そんなことを一々考えていたら大変で時間もかかるしお金もかかって無駄なことだとまで言い出すのです。
 当面のことだけやっていけばいいのであってその時はその時で考えたらいいというものの考え方がどこかにあって
今回のような事態になったというのです。
 当面のことだけ考えて無駄をなくし予算を削り人的物的なものを削除してきたということです・
 
 これは生老病死ということにも通じることです。
今は若くて健康であっても老いていきますし病むこともあってそして命終えていくというのが
私たちどんな人ものいのちのあり方です。
 人は生まれて老いて病んで死んでいくということは誰でも知っていることですが
自分のことと考えようとせず私は大丈夫と根拠のない自信でいのちの真実に中々向き合おうとしません。
 
 でもその時が来ます。
いつどんな形でかわかりませんがわが身の上に来るのです。
 その時に考えることさえ許されません。
そのまま引き受けていかねばなりません。
 
 私がこれからもずっと元気でいるということではありません。
私が病気になり生活の中からいなくなることを想定して元気なうちから考えていかねばならないことです。
 私の問題であり家族お互いの問題でもありますが
そんな時「縁起でもないことを言うなよ」と言い出したりするのです。
話をするのがはばかれます。そして時間だけが経っていきます。
 
 今回のコロナ禍は世界中の国の私たちの生活を揺るがす大きな問題です。
危機管理は危機的な最悪の事態を想定したものです。
 その時誰が困るのか。その時の人が困るんです。
私がその時生きていなかったら関係ないという話ではありません。
 今の時代を生きる私たちは次の世代に何を残し伝えようとしているのか
自分たちの享楽の果てに負の遺産を次の世代に送るようなことをやっているのではないでしょうか。
 
 私たちのいのちの歴史です。
先人の思いがあって今ここに私たちは生きているのではないでしょうか。
 先人が思ってくれたからこそ今の私たちがあるのです。
今度は今の私たちが後の者を思う番です。
 いのちの備えはできていますか。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて生きている私たちです。
「お念仏に生かされて生きてきた
 お念仏に生かされて生きている
 お念仏に生かされて生きていこうと
 手を合わす南無阿弥陀仏」
今こそ阿弥陀さまのご本願のお心南無阿弥陀仏のおはたらきに聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.8)

私たち一人一人それぞれのお念仏申す生活の営みです

 今は6時には太陽がすっと上がって明るい朝を迎えます。
新緑の風薫る候です。
 光り輝きさわやかな風が吹いて本当に気持ちのいい季節になりました。
いつもでしたらこんな日は外に出ろうということです。
 
 緊急事態宣言が延長になりました。
感染者の多い特定地域を除いて各県によっては対応がそれぞれ違ってきました。
 外出の自粛や休業要請も取り立ててしないということですが
私たち一人一人の自覚と行動にまかせるということで
私たちができることを一つ一つして生活していきましょうということだと思います。
 
 ステイホームから一歩外に出ましょうと受けとめます。
コロナ感染以前の生活に戻るということではありませんが
一つずつでも私にできることをさせていただこうと思います。
 
 外に出て新緑の空気をいっぱい吸うこともいいでしょう。
人に会うのもいいと思います。
 何かずっと気にかかっていたことを始めるのもいいのではないでしょうか。
 
 人人それぞれの日々の生活の営みです。
まだまだみんなで何かをしようということではありませんが
みんなというのも一人から始まることです。
 一人から二人に三人四人にということです。
 
 お念仏申す生活の営みを思います。
私たち一人一人のことですが
お念仏を申すところに阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒してくださる南無阿弥陀仏のご法義につながって
私たちは生きているのです。
 お念仏申すことで隣の人にもお念仏の声が届けられるということです。
 
 皆さんそれぞれに生活ぶりは違いますが
一人一人私ができる精いっぱいのことを今日も一日させていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.7)

共生といういのちのお付き合いです

 今日は振替休みでゴールデンウィークが終わります。
今年はコロナ禍の緊急事態宣言下でのステイホームウィークとなりました。
 今日までだった緊急事態宣言が5月31日までに延長されました。
生活の自粛要請が続きます。
 会社での仕事や学校での勉強ができないといった
これまでの社会活動のあり方が見直され工夫され変わりました。
 休業を余儀なくされている飲食店などのサービス業は
今後の見通しが困難を極め死活問題になっています。
 
 対コロナ戦争と世界のリーダーはコロナとの闘いを語り対策を講じてきましたが
コロナ感染は世界中に拡大蔓延しウイルスを止めることはできていません。
 今回のコロナウイルスは特にしつこく厄介で
今後も長期の取り組みになるとの専門家の見方です。
 
 強い気持ちをもってこの問題に立ち向かうことは本当に大事なことですが
コロナとうまく付き合っていくという視点で
これからの私たちの生活のあり方を展望することも大切になってくるのではないでしょうか。
 
 お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法は十方衆生といって
人間だけではなくあらゆる世界の生きとし生けるものに広く開かれた教えです。
コロナウイルスもその中のいのちだということです。
 
 長い長い人類の歴史の中でこれまでにも人類存亡の危機があったと思います。
感染症の問題もありました。
 私たちの一生にしてもそうですが
私たちがこの社会世の中を生きることについて
人間にとって自分にとって不都合なことがたくさんあります。
 私たちの先人は知恵と工夫でそうした不都合なこととうまく付き合って
生きてきたのです。
 
 自分に都合の良いものは取り込んで都合が悪くなったら排除すれば
結局最終的には自分が一人だけ取り残されることになってしまうのです。
 今回のコロナ禍は私たちのこれまでの人間中心のあり方自分中心の生き方が
根底から問われているような気がします。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて
共存していくという基本的なあり方です。
 専門者会議は新しい生活様式を具体的に提案しています。
この数か月で培った経験を活かし
今できる精いっぱいのことをさせていただく今日の一日でありたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.6)

明日をも知れないはかない命を生きている私たちです

 昨日月参りのご縁でお勤めの前に
「先日東京の弟が亡くなったのでそのお勤めをお願いします」と言われました。
 お勤めといってお葬儀やご法事はお衣も作法も異なりますが
急に言われてもいつもと同じお勤めです。
 普段のお参りでしたらお勤めの後お茶をいただき少し話をして失礼するのですが
ご法話をして白骨の御文章さまをいただきました。
 
 今日の御文章さまにも通じることで
「明日(みょうにち)もしらぬいのちにてこそ候にと」明日をも知れないはかない命を生きている私たちです。
 いつこの身に往生の死期が来るのかわからないなかにあって
仏法を聞かせていただくことの有難さです。
 ただ私たちの日々の生活は自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
仏法に遇うことは本当に難しいです。
 
 64歳で急に倒れられ40時間後には亡くなられたといいます。
特に悪いところはなかったといいますが、皆さんはどうですか。
 私は大丈夫というところがどこかにありませんか。
一度も病院にかかったことがないとか自慢げにおっしゃる方がいますが
本当に大丈夫でしょうか。
 
 どんなに健康で長寿を誇る人もみんな等しく命を終えていきます。
自分のことと聞きたくないけれども本当のことです。
死亡率100%の命を生きてる私たちお互いなのです。
 
 この命終えることについて親鸞聖人のご和讃
「本願力に 遇いぬれば 空しく過ぎる 人ぞなき」をいただきます。
 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきに遇うことによって
この人生色んなことがあるけれども「人間に生まれてよかった」と人生を歩むことができるというのです。
 
 お念仏申す人生は死んだらおしまいの人生ではなくて
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまに成らせていただき
この娑婆世界に還って来てすべてのものを救う阿弥陀さまのお手伝いをさせていただけるという
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて今生きているのですよとお話させていただきました。
 
 「死ということを身近に考え思うようになった」と言われました。
ご縁の深い大切なお方の死そして別れは私たちのいのちの琴線を揺さぶります。
 ただこれも時間が経てば私は大丈夫という自分に戻ります。
本当にしたたかでしぶとい私です。
 本当のことに向き合うことなく知らないふりしてごまかして生きている私がいます。
 
 阿弥陀さまはそんな私を放っておけない必ず救うとおはたらきの仏さまです。
ナンマンダブツとお念仏申してくれよとおはたらきです。
 ナンマンダブツとお念仏申して自分の思い通りに生きるという教えではありません。
ナンマンダブツとお念仏を申しても命終えていきます。
 お念仏申す人生のなかに思ってもみなかったことにもたくさん遭遇します。
 
 お念仏のお救いは私のことをいつでもどこでも見放さず南無阿弥陀仏と寄り添ってくださる
阿弥陀さまがご一緒の生活をさせていただくことです。
 南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに生かされて生きて
お浄土への人生を歩ませていただきます。
 
 お念仏のご縁に遇わせていただきましょう。
お念仏を申す身にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.5)

南無阿弥陀仏のおはたらきつながりのなかに共々に生かされている私たちです

 このたびのコロナ禍で私たちの日暮らしが否応なしに変わり
改めてこれまでの生活のあり方を見直すことです。
 ステイホームで生活の行動範囲が狭くなりました。
子どもは学校が休校で大人は仕事をテレワークでと家族が一緒に家に居る時間が増えました。
 
 夫婦でこんなに長く一緒に居ることが今までにあっただろうかと思うほど
一緒に居る時間が多くなったということです。
 夫婦のきずなが深まったということも聞きますが
自粛生活が続く中ストレスがたまり一緒に居ることで喧嘩が絶えずコロナ離婚ということも話題になっているそうです。
 
 人と人とのつながり関係の中で私たちの社会はできています。
家族は一番小さな社会のあり方であり
お互いに思い合い支え合って生きていかねばなりません。
 自分の思い通りにいけばいいのでしょうが
必ずしもそうはいかないなかで互いに不平不満がつのります。
 
 コロナ感染防止対策でソーシャルディスタンス社会的な距離間を保ちましょうと言われますが
今こそ人と人とのつながり関係がお互いにうまく保てるようになりたいものです。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏のご法義です。
阿弥陀さまはお念仏の声となって私のところに届いてくださっています。
 人と人とのつながりもそうだと思います。
人がいても声を交わすということがなかったら何か不信に不安に思います。
 
 今日も皆さんとご一緒にお勤めができました。
この口からお念仏が出てくださりこの耳に聞こえてきました。
 南無阿弥陀仏のお念仏の声がお互いに聞こえて安心できます。
南無阿弥陀仏の声の仏さまに成ってくださったおはたらきつながりです。
 
 コロナ禍にあって私たちの日々の生活を見つめ直すなかで
お念仏のみ教えに遇えて本当によかったと有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.4)
円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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