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お念仏を申す生活法話

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「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」

「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
 
 昨日届いた仏教こども新聞の6月のことばは
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」です。
 
 諸行無常の真理です。
この世の中で変わらないものは一つとしてない、この私自身も変わってゆくという仏さまの教えです。
 これからもいろいろなものが変わってゆくだろうけど
変わることを教えてくださる仏さまの真理だけは変わることがありません。
 
 南無阿弥陀仏の真実まことの法です。
生きとし生けるすべてのものを必ず救うそのまま救うおはたらきは
いつでもどこでも誰にでも変わらず行き届いてくださってあるというのです。
 
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏を畢竟依として生きていけよと
親鸞聖人のお正信偈さま蓮如上人の御文章さまを今日もいただきます。
 
 5月最後の一日になりました。
お念仏申して精いっぱい生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.31)

悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口からお念仏が出てくださいます

 コロナ禍の外出自粛の生活で人と人とが会うことが難しくなりました。
ただ今はネット社会でオンラインで人と人とがつながります。
 遠く離れた人と即座につながって顔を見て言葉を交わせます。
日進月歩の科学技術の進歩で私たちの生活は飛躍的に変わりました。
 
 ネットのSNSで誹謗中傷された女性プロレスラーの方が自殺され大きな問題になっています。
仏教でいう身口意の三業の口業です。
 私たち人間が行うすべての行為を3種に区別し、身に行う身業、口に言う口業、心に思う意業といいます。
仏教でいさめる悪い行為に
①殺生(せっしょう/生きものを殺す)②偸盗(ちゅうとう/ぬすみ)③邪淫(じゃいん/よこしまな性の交わり)
④妄語(もうご/うそいつわり)⑤両舌(りょうぜつ/二枚舌、人を仲たがいさせる言葉)
⑥悪口(あっく/ののしりの言葉)⑦綺語(きご/まことのない飾った言葉)⑧貪欲(とんよく/むさぼり)
⑨瞋恚(しんに/いかり)⑩愚痴(ぐち/真理に対する無知おろかさ)の10種があり
その中の4種が口業なのです。
 
 わが身を振り返ってこれまでに人を傷つける言葉を言ったことがなかったでしょうか。
言う側は忘れてしまっても言われた方はずっと忘れられない言葉ってありませんか。
 
 先ほどのSNSの件で有名人がコメントしています。
有名人は特に標的にされやすいといいます。
 「殆どは応援してくれる言葉で元気づけられるが
百の応援の言葉があっても一つ傷つくような言葉はずっと残って忘れられない」と言われていました。
 
 厳しい言葉でも言ってもらうことで気づくこともあり言葉が人を育てることもありますが
ネットの言葉の恐さは相手の顔が見えないということです。
 発信する方もその時の乗りとか感情のままに書き込みをするというようなことを聞きます。
 
 このコロナ禍で見えないウイルスより見える人間の方が怖いと言われます。
十悪といわれる悪業です。
 悪業を積み重ねて後生です。
私たちは何度も何度も生まれ変わり死に変わってこのたびは人間に生まれたといいます。
そしてこの命終えてまた生まれ変わるのです。
 善因善果悪因悪果の道理で
善いことをしたら善い世界に生まれ悪いことをしたらその報いで悪い世界に生まれると聞くと
何かうなずけますが
この私のことでいったらどうでしょうか。
 
 十悪の一つとして思い当たらないことはありません。
まさに十悪を積み重ねてきた私です。
 その私が後生に生まれるところは地獄でしかないと
親鸞聖人は「地獄一定すみかぞかし」といただかれ
地獄に真っ逆さまに堕ちる私をそのまんま抱き取ってくださる仏がいらっしゃっると教えてくださいます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまです。
 南無阿弥陀仏とわが名をよんでくれよとのおはたらきにあって
この口からお念仏が出てくださるのです。
 悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが十悪罪業の私に届いてくださってあるおすがたです。
 
 声に出してお念仏申しましょう。
その声は私の声であって阿弥陀さまのお喚び声です。
 私だけではなく私の周りの人にも聞こえるその声は
すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきの尊い南無阿弥陀仏のみ名なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.30)
 

後生の一大事の解決があって今ここを本当に生きることができるのです

 「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
後生たすけたまへです。
後生とは後に来るべき生涯の意で来生・来世のことです。
 ただそこだけをいいますと仏教お念仏の教えは死んでから後のことで
今の私には関係ないと受けとめられる方が多いのではないでしょうか。
 
 仏教では生死(しょうじ)の迷いといいます。
どんな人も生まれて老いて病んで死んでいきます。
どんなものも変わってゆくという真理です。
 ただ私だけは変わらないという自己中心の見方でいつまでも若く健康で長生きしたいと思い
本当のことに向き合うことなく真理にあがなうように生きている私がいます。
 自分の思い通りにならずに悩み苦しみ迷いの中にあると
私のありのままのすがたを見てとられた仏さまの教えです。
 
 生死の迷いを離れて真実変わらないさとりの世界に生まれて仏に成ること
生死の解決こそが仏教の目的です。
 仏法に遇い生死に向き合うことで後生の一大事の解決があって
今ここを生きる意味がはっきりするのです。
 
 生死の迷いに苦悩する私に阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
「われをたのめ わが名を称えてくれよ」と喚び通しに喚んでくださるのです。
 この人生思い通りにならない色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏を畢竟依といただきます。
 ただ単なる依りどころではありません。
生死の帰依処です。生きる依り処死して帰する処です。
 
 私たちの生きる依りどころは何でしょうか。
健康であったり家族であったり友だちであったりお金であったりではありませんか。
 皆さんそうだと思いますが
これらは全て生きてる間のことだけで死んで持っていけるものではありません。
 
 南無阿弥陀仏です。生きても死んでも阿弥陀さまのお慈悲の中です。
ナンマンダブツとお念仏申して健康に留意し家族やお友だちを大事にして生きていきましょう。
 私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞いて
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日も一日共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.29)

「雑行雑修のこころをすてて」のお心

昨日は浄土真宗のご法義を「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と
蓮如上人の法語から味わわせていただきました。
 今日の御文章さまにも「雑行雑修のこころをすてて」とありました。
雑行雑修の言葉は御文章さまに何度もでてまいります。
 
 法然聖人は著書の『選択本願念仏集』の三選の文で
出家在家にかかわらず誰もが救われる仏道は
聖道の道ではなく阿弥陀仏のお浄土に往生する浄土の道であり
浄土の道の正行と雑行から雑行を捨て
五つの正行の中から称名行を正定業と選んで
念仏一つで救われる専修念仏の仏道を明らかにされたのです。
 
 寺に寄進をしたり仏塔を建てるなどの善行を雑行といわれるのです。
善行をいくら積んでもお浄土に往生することはできないということで雑行なのです。
 正行こそがお浄土に往生できる正しい行ということですが
正行には、経典を読む読誦の行、瞑想して仏と会う観察行、仏を拝む礼拝行
口に仏の名を称える称名行、仏の徳をほめたたえる讃嘆供養行があります。
 
 法然聖人は5つの正行の中の称名行を正定業と選ばれ他の行を補助的な助業とすてられます。
親鸞聖人はお正信偈さまのなかに「本願名号正定業」といただかれています。
 阿弥陀さまがご本願を成就され南無阿弥陀仏のお名号に私たちの救いの手立てを全てととのえて
おはたらきくださってあるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生させていただけるのです。 
 
 蓮如上人は『領解文』に
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて 一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生
 御たすけそうらえとたのみもうしてそうろう」と信心獲得をお勧めです。
 
 浄土真宗のご法義は自力の心を捨てて他力に帰すことが肝要なのです。
他力とは阿弥陀仏の本願力南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏の「必ずたすける」のおはたらきを「必ずたすかる」と聞かせていただき
私の仏道は阿弥陀さまが選んでくださったお念仏の道といただいて
お念仏申すなかに今日の一日もお浄土への道を共々に歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.28)

「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と蓮如さまのご催促です

 毎朝御文章さまを拝読させていただきます。
本願寺第八代宗主の蓮如上人が私たちにくださったお手紙です。
 親鸞聖人からいいますと250年ほど後のお方です。
浄土真宗のご法義を中興された本願寺ご再興の上人ともいわれます。
 
 今日の御文章さまのなかにも一貫して示される中心的法語が
「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」です。
 
 タスケタマヘトタノムといったら
私たちは「助けてくださいお願いします」と理解するのではありませんか。
 私の方から助けてくださいと相手に頼むお願いするということで
宗教行為でいえば神仏に祈願請求する受け止め方が一般的です。
 
 弥陀にたのむというと「おたすけください阿弥陀さま」ということになりますが
親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗のみ教えは
私が阿弥陀さまにお願いするということではないと蓮如上人が明らかにしてくださったのです。
 
 私が阿弥陀さまに助けてくださいとお願いして、お願いしたから助かるのではありません。
私がたのむお願いする前から阿弥陀さまは迷いの世界に苦悩する私たちを見てとって
必ず救うとご本願を建てられ成就されたお姿がお立ち姿の阿弥陀さまであり
私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏に成就して私に届けてくださってあるのです。
 
 「たすけてください阿弥陀さま」ではなくて「たすけてくださる阿弥陀さま」なのです。
「必ずたすける」との南無阿弥陀仏の仰せを「必ずたすかる」と聞かせていただきます。
 
 浄土真宗のご法義の肝要であり間違って了解されるところでもあります。
雑行をすててと自力の心を捨てて他力をたのむ弥陀をたのむとの肝要です。
 他力とは阿弥陀さまの本願力必ず救うのおはたらきです。
必ず救うの仰せに「はいおまかせします阿弥陀さま」とお礼のお念仏を申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.27)
円光寺
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