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お念仏を申す生活法話

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一日葬

2024-02-04
 ご門徒さんから一日葬について
質問がありました。

 新聞の広告チラシで
葬儀社から葬儀のいろんな提案があるなかで
一日葬というものがあるということです。

 実際に東京近辺、九州では福岡などの都市部で
早くから行われている葬儀の形態で
通夜と葬儀を一つにまとめて
一日で済ませるということです。

 通夜そして葬儀にはそれぞれ意味があります。
お通夜は最後の夜を通して
有縁の方々がいろんなお話をするなかに一緒に過ごし
お葬儀は葬送といって皆さんでお浄土に送ります。

 葬儀社からの提案ですが
葬儀の執行者はお寺の住職です。
 現代社会のあり方を考えれば
昔のような葬儀のあり方はできないこともありますが
日頃からお寺と連絡を取り合って
何でもご相談してください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.4) 

ルッキズム

2024-02-03
 またぞろ麻生さんの発言です。
地元の支持団体での挨拶で気を許したのか
いつもの聴衆受けを狙ったのか
上川外相について「おばさん」とか
「そんなにきれいな人とは言わない」などと言って
国会の代表質問にもなり
ついには発言撤回したということです。

 容姿や年齢などを揶揄する
「ルッキズム」(外見至上主義)というそうです。
 人それぞれに年齢も容姿も違います。
その一点を取りあげマイナス志向で
誰しもあれこれ言われたくありません。

 外野の声があれこれ飛び交う中で
上川さん自身は麻生さんの発言に
笑って答えずという姿勢で平静を装っていますが
今の時代この社会で
いろんな人それぞれの見方考え方があるなかで
「これが正しい」「こうでなければ」と
ある価値観にとわられることこそ
私たちが学習していかねばならないことだと思います。

 仏さまのものの見方考え方です。
すべてのいのちはそれぞれがかけがえのないものであり
すべてが等しく尊ぶべきものであります。
 自分のいのちを愛おしく思うように
他者のいのちも自分のいのちと同じように愛おしく思い
そのうえでお互いが尊び敬っていく人と人とのつながり
同じいのちの目線に立った関係でありたいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.3)

月参りのご縁です

2024-02-02
 月参りのご縁で
ご門徒のお家にお参りしました。

 先に往かれたお家の故人の方の
月命日にお参りします。

 月忌ともいい
以前は殆どのご門徒のお家で
月に一度のご縁をいただいていましたが
今は仕事で留守をするお家が多くなり
月参りのお勤めが少なくなりました。

 年回法要の法事とは違い
親族や有縁の方々がお参りするわけではありません。
 お家の方が一人ご一緒にお勤めされることが
殆どです。

 お寺さんをお家に迎えることですから
仏間をそしてお仏壇をきれいにして準備をされます。
 月参りのご縁は日頃は中々手が届かない仏間を
お掃除するご縁にもなります。

 日常生活の中で仏さまのご縁をいただくことです。
お寺さんとご一緒にお勤めをしお茶を出して話になります。
 お天気の話や身近な出来事などに終始することが殆どですが
仏教仏事の話にもなります。

 先に往かれた仏さまがつくってくださった
御仏前でのお念仏のご縁です。
 いろんな相談事に及ぶこともあって
答えが出るようなことではなくても
安心して日頃の悩みを吐露できる居場所が
この御仏前です。

 「困ったときにゃ お念仏に 相談しなされや」と
お念仏の先人は言われます。
 お念仏申して往生浄土の道すがらを
共々に生かされて生きる
月に一度の月参りのご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.2)

ご法事の俱会一処のご縁です

2024-02-01
 親戚のご法事
年回法要のご縁にお参りしました。

 ご本尊の阿弥陀如来をご安置する
浄土真宗のお仏壇の御仏前でお勤めをします。

 有縁の方々がお参りです。
近くに居ても日頃は集まることがない親戚縁者も
ご法事のご縁で再会します。

 先に往かれた方を偲ぶご縁で
先人をたずねていろんな思い出話になりますが
会ってすぐ「久しぶりやねえ」「どうしてる」などと
お互いの近況報告会になります。

 何か先人を置いてけぼりにして
すまない思いもありますが
先に往かれた仏さまのご縁です。
 仏さまが私たちにつくってくださった
「俱会一処」のご縁です。

 お経さまに阿弥陀さまのお浄土を「俱会一処」と説かれ
先に往かれた方々と俱にお浄土で再会できると
聞かせていただきますが
ご法事のご縁が私たちの俱会一処のご縁です。

 ご法事のご縁で有縁の方々と久しぶりに再会し
またそれぞれ日々の生活にかえっていきます。
 生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏を申す生活です。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
これからも共々に生かされて
仏さまのご縁にまた再会いたしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.1)

同じ「南無阿弥陀仏」ですが ※転載

2024-01-31
 久し振りに親戚の法事に出かけました。
その家は、京都の知恩院を本山とする浄土宗で
ほどなく住職が見えられ、読経が始まりました。

 他宗とはいえ、例えば真言宗や禅宗に比べると
同じ阿弥陀さまをご本尊とし
お念仏を称える宗旨ですから
よほど親近感を覚えます。

 読まれているお経も
『観無量寿経』や『阿弥陀経』など
耳に馴染んだものばかりで
人間とは妙なもので、「知ってる」と思うと
安心したりうれしくなったりするものです。

 ところが途中で何度か住職が
「さあ皆さん、ご一緒に、お念仏を大きな声で
十返称えて下さい」と、促されるのです。

 一同、手を合わせて大声で
「ナームアミダブ」と称えるのですが
それにはどうしても違和感があるのは
自分が浄土真宗で育っているからでしょうね。

 よく、浄土宗と浄土真宗は
どこが違うのですかという質問を受けますが
お念仏をどのように味わうかについても
大きな相違があるように思えます。

 浄土宗のお寺さんが
一緒に称えようとおっしゃるお念仏は
外に向かって
誰かに聞かせているような感じです。
 私の称えるお念仏を
阿弥陀さまに聞いていただくのでしょうか。

 浄土真宗はそのようなお念仏ではありません。
「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏
 つれてゆくぞの 親のよびごえ」という
有名な言葉がありますが
誰に聞かせるのではなく
間違いなく救うという
阿弥陀さまの喚び声として
自分の心の内に聞いていくのが
私たちのお念仏です。

  ※菅純和著「仏事の小箱」
         『御堂さん』2024年2月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.31)

円光寺
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