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お念仏を申す生活法話

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今日から「正像末和讃」に入ります

2021-01-10
 昨日から今日にかけて全国的に大変厳しい寒さです。
九州でも長崎や福岡ですごい大雪になっています。

 毎朝6時半からお朝事のお勤めをしています。
今日は仏教壮年会の月例会で皆さんようこそのお参りです。
 朝早くそれぞれのお家から身支度をして出て来られます。
道中寒くて暗い中を大変決心のいることだと思います。

 さっき6時の梵鐘を撞きに外に出ましたら
南の空に三日月が見えました。
 冷たい冬の澄んだ空気の中
暗い夜空にくっきりと冴えわたって光り輝いていました。

 この時期この時間だから見れるのです。
明るい日中も空にはたくさんの星が出ていますが
どんなに視力の良い人でも星を見ることはできません。

 昨年末には梵鐘を撞いて鐘楼から庫裡に戻る時に
西の空に真ん丸お月さんが沈んでいくのが見えました。

 お朝事のご縁に大宇宙のロマンが観察できます。

 諸行無常です。
すべてのものは移り変わっていくという真理の法です。
すべての命が日々生き生きと生きているのです。

 私たちのこの目は外を向いていますから
外の変化はよくわかりますが
諸行無常とはこの私のことを教えてくれているのです。

 私たちはそれぞれにこの身この命を生きています。
日々刻々と変わり行くこの身この命です。
 自分の思い通りに生きていければいいのでしょうが
思い通りにならないことがこの身にたくさんあったし
これからも起きてきます。

 お釈迦さまは生老病死の四苦といい
人世は苦なりと
生きることは思い通りにならないと教えます。

 毎日親鸞聖人が書かれた三帖和讃を拝読します。
「浄土和讃」「高僧和讃」と繰り読みして
今日から「正像末和讃」に入ります。
 正像末和讃は親鸞さまが86歳頃の作といわれ
浄土和讃高僧和讃は76歳頃のものといわれます。

 親鸞さまは90歳という長寿でしたが
今のような生活環境でないなかで
最晩年で筆をとられて精力的に著作活動をされます。
 このことだけは遺し伝えなければという
強い意思を感じます。

 今日の最初の御和讃です。
「釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまふ
正像の二時はをはりにき 如来の遺弟悲泣せよ」
 お釈迦さまが入滅されてから二千年余りの時を経ておられる
正法・像法の時代はすでに終っているのであり
お釈迦さまの教えを受け継ぐ弟子たちは嘆き悲しむがよいと

 今はすでに末法の世になって
仏道を修行する人も仏の悟りを開く人もいない
仏の教えだけが残るといいます。

 ただ末法濁世にあっては
さまざまな善行を修める教えは竜宮に隠れてしまって
阿弥陀仏の本願の教えだけが広まるといわれ
お念仏の救いの法をお勧めになるのです。


 今日もお正信偈さま御文章さまをいただきました。
親鸞さま蓮如さまが南無阿弥陀仏の救いの法を
私たちにお勧めくださる浄土真宗のみ教えです。

 お寺参りのご縁は仏法聴聞のご縁です。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせて信心いただき
お念仏申す身にさせていただき
お浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。

 これからもご縁ご縁にお寺参りさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.10)


お念仏の自分軸

2021-01-09
 今はコロナ禍で右往左往と迷い不安で
自分第一になって心が狭くなりがちな日暮らしのなかで
自分軸をしっかりもとうという新聞のコラムを読みました。
 
 お釈迦さまは「自灯明法灯明」という言葉で
「私が亡き後は自分自身を道しるべとし
これまで私が説いてきた仏法を道しるべとしなさい」
と言われたといいます。

 自分軸ということで
自分の生きる軸を仏法を依りどころにして
自分の人生を生きなさいと聞かせていただきます。

 仏法はこの私のために開かれた教えであります。
他人事と知識として聞くのではありません。
 死の準備のように年老いて病気になって
聞くものでもありません。
 諸行無常の世にあっていつどんな形で
命終えていくのか誰しも分かりません。

 仏法は今この私が聞かせていただくものなのです。

 私の生きる依りどころを
仏法に聞かせていただきます。
 この人生色んなことがあります。
思い通りにならないこと思いがけないことに
これからもたくさん遭遇するでしょうが
仏法に聞かせていただく私の立ち位置です。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるという
お念仏のみ教えの立ち位置です。

 今の皆さんの立ち位置です。
阿弥陀さまに向かって御仏前に座っています。
 阿弥陀さまがここに座れと向かせてくれた
この立ち位置です。

 御仏前に座らせていただくのは
ある意味厳しいことです。
 ありままの私をそのまま見せてくださることで
見たくない私かもしれませんが、本当の私です。

 造悪不善の煩悩具足の凡夫の私を
見せて知らせてくださってそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏を自分軸にもたせていただき
お念仏を申して今日も日暮らしさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.9)


言葉の力

2021-01-08
 新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく
緊急事態宣言が出されました。
 東京首都圏を中心に爆発的なコロナ感染が
日々拡大する非常事態です。
 今や有事の時で一致団結して
感染対応をはかろうと要請する主旨です。

 4月の緊急事態宣言の時のような緊迫感がありません。
あの時よりコロナ感染者数は圧倒的に多く
今や首都圏から急激に全国に広がる様相です。

 飲食時の感染防止対策に力点を置くものですが
徹底感がないとでもいうのでしょうか
経済への影響を懸念してか
菅首相の言葉に力を感じません。

 テレビのコメンテーターや町の人たちも
この一か月での事態改善には懐疑的な声ばかりです。
 コロナ感染は私の喫緊の問題なのに
何かまだ他人事のような感じです。
 まさか自分が感染して初めて
事の緊急性重大さを知ることになるのでしょうか。

 言葉の力です。

 アメリカでは先の大統領選挙の不正を訴え
負けを認めようとしないトランプ大統領が
熱狂的な支持者を言葉で煽り連邦議会議事堂に多数が乱入
銃撃などで4人の死者も出たというニュースです。

 トランプ氏が大統領在任中の4年間で
SNSや演説などで自らの主義主張を強い言葉で
繰り返し発信してきた結末ともいえます。

 浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来さまは
言葉になってくださった仏さまです。
 生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救うと
ご本願をおたてになり南無阿弥陀仏のお名号となって
「我にまかせよ必ず救う」とこの私を喚び通しに
喚んでくださっている仏さまです。

 浄土真宗は南無阿弥陀仏のお名号の力おはたらき一つで
どんな人も救われるという本願他力の救いのみ教えです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきはお念仏の声となって
阿弥陀さまから諸仏諸菩薩に届けられ
この耳から私に入りこの口からお念仏の声となって
出てくださるのです。
 そしてまた耳から入り口から出てはと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
阿弥陀さまがいつでもどこでも
この私にご一緒してくださるのです。

 お念仏の声の力です。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
南無阿弥陀仏のお心にかなった
お念仏申す生活をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.8)


法然さまから親鸞さまにお念仏のみ教えが届けられ

2021-01-07
 今日から御和讃が高僧和讃の源空讃に入ります。
七高僧さまの第七祖源空聖人です。
 親鸞聖人が唯一直接お会いし教えを聞かれた面授の師で
浄土真宗を開かれた本師源空と讃嘆されています。
 私たちは学校の歴史で浄土宗の開祖法然と習いましたが
法然房源空といって同じ人です。

 御和讃に「善導・源信すすむとも 本師源空ひろめずは
片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし」
善導大師や源信和尚が勧められても
源空聖人が説きひろめてくださらなかったら
インドから遠く離れた日本で
さまざまな濁りに満ちた世に生きるものたちは
どうして真実の教えを知ることができたであろうと

 源空聖人のおかげでお釈迦さまの仏教お念仏のみ教えが
遠く離れた日本のこの世に届けられ

「曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」
果てしなく長い間生れ変り死に変りし続けてきたものは
迷いの世界を離れさせる
本願のすぐれたはたらきを知らなかった
もし源空聖人がおられなければ
このたびの生涯もむなしくすごしたことであろうと

 親鸞さまは法然さまとの出遇いを
心から喜ばれているのです。

 よき師法然さまを生涯慕いつつ
お念仏申して苦難の人生を喜びいっぱいに生き抜かれた
親鸞さまのお心を有難くいただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.7)


嵐が去ってきれいな虹が見えるように

2021-01-06
 去年の大晦日人気アイドルグループ「嵐」の
ラストコンサートがありました。
嵐の活動はこれから休止するということです。

 2年前に活動休止の発表があって
NHKの東京オリンピックスペシャルナビゲータに起用され
最後は紅白で締めくくるプランが
コロナ禍で最後のコンサートも無観客だったそうです。

 最後に嵐のメンバー五人がそれぞれリモートで
フアンにメッセージを送りました。
 そのなかで「嵐が去ってきれいな虹がかかるように
朝の来ない夜はない」との言葉がとても印象的でした。

 今の私たちの現実です。
大きな災害が続きました。
そしてこのコロナ禍です。

 大変困難ななかに生きている私たちですが
嵐が去ってきれいな虹がかかるように
暗く寂しい夜も明るく輝く朝が来るように
希望をもって生きていこうというメッセージです。

 私たちが生きるこの人世です。
仏教で娑婆といい忍土といいます。
 私たちが生きるこの世界は耐え忍ぶ世界という意味です。
思い通りにならなくて苦しみ悩み
真っ暗闇の迷い世界といわれます。

 阿弥陀さまのお浄土は無量光明土といわれます。
光あふれる明るい悟りの世界です。
 浄土仏教は迷いの世界に生きる私が
お浄土に生まれて仏に成る教えですが
親鸞聖人がいただかれたお浄土は
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきそのものでした。

 今は苦悩の中にあるけれども辛抱したら
明るいお浄土が待っているよと受け止められますが
お浄土から阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきで
もう今すでに摂取の光明のなかに救われていると
聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる教えです。
阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心いただき
お念仏申して往生浄土の人生を今生かされ生きているのです。

 嵐の後に虹が出ると朝が来ない夜はないと聞いて
勇気をいただき今を頑張って生きることができます。
 ただ朝が来たらまた夜が来ます。
私たちの日々は朝が来て夜が来てまた朝が来て夜が来る
その繰り返しです。
 実は私たちはずっと迷いの境涯を生きて
苦悩の世界から離れることはできないのです。

 水戸黄門の主題歌に
「人生楽ありゃ苦もあるさ」とあります。
 苦と楽は表裏一体のもので苦があれば楽がある
楽があれば苦があるということでから
私たちは苦楽から逃れることはできません。

 仏教はこの苦楽の境涯を超える道の教えです。
苦楽を超えたところに本当の楽があるのです。
 極楽です。
極楽は私たちが思っている楽の極みではありません。
 苦楽を超えて往く世界が極楽
阿弥陀さまのお浄土です。

 真実の報土真実の世界です。
私たちが生きているこの娑婆は虚仮不実の世界です。
 私が私がと自己中心にものごとを見て考えて行動しては
自分の思い通りになると有頂天になりそれこそ楽です
思い通りにならないと落ち込みことがあったら沈む苦です。
 その繰り返しです。
これこそ迷いだというのです。

 浄土真宗は迷う私をそのまま救うてくださる
南無阿弥陀仏のお救いのみ教えです。
 今日の源信和尚を讃える御和讃
「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて 常にわが身を照らすなり」です。
 煩悩に眼をさえぎられて
あらゆるものを摂め取るという
阿弥陀仏の光明を見ることはできないが
その大いなる慈悲は見捨てることなく
常に私を照らしてくださっているのです。

 どんな苦しい境涯にあろうとも阿弥陀さまはこの私を
いつでもどこでも見てござる護ってござるというのです。

 南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のおはたらきの中に
今日も生かされてお浄土への人生を生きて往けるのです。
 今日の一日どんなことがあるか分かりませんが
お念仏申して確かに確かに生き抜かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.6)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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