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お念仏を申す生活法話

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今日も前住職と一緒にお朝事のお勤めをさせていただきます

2020-11-01
 11月に入りました。
今日11月1日は前住職の祥月命日です。
 
 21年前の平成11年11月1日の朝でした。
お朝事のお勤めを始めようと喚鐘をつこうとしていた時に
母が庫裡から飛ぶように走ってきて
父がお世話になっている病院からの電話で
父が亡くなったという連絡があったと言うのです。
 後のことはお朝事の皆さんにまかせて
すぐ母と病院に向かったことを思い出します。
 
 昨日遺影を余間に安置させていただきました。
変わりませんね。
 元気な父のそのまんまです。
父の声がいまにも聞こえてきそうです。
 
 74歳でした。
まだ若かったですね。
 そろそろ住職を継職する話もあったなかで
いよいよこれから何かしたいことも
あったのではないかと思います。
 
 今いつものように皆さんと
お朝事のお勤めをするなかで
前住職も一緒にお勤めをしてくれているように思います。
今日だけではなくこれまでもそうだったし
これからもそうです。
 
 お念仏のご法義は
死んだらおしまいのご法義ではありません。
 人の命は終えますが南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのままお浄土の仏さまと成らせていただき
遠い遠い世界に行きっ放しではなくて
いつでもどこでも南無阿弥陀仏となって
私たちのところに還って来て
私たちを護り救うというおはたらきを
してくださっていると聞かせていただきます。
 
 今日も私たちを見守ってくださってあると思いつつ
お朝事のお勤めをご一緒にさせていただいたことです。
 
 今日は10時から祥月命日のお勤めをします。
どうぞお参りしてください。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.1)

東京からご法事のご縁にお寺にお参りされました

2020-10-31
 昨日本堂でご法事のお勤めをしました。
施主のお家は大分にあるのですが
東京にお住まいの方で何度か電話があって
法事をしたいのですがこういう事情ですから
というご相談でした。
 
 コロナ禍という事情です。
一か月ほど前に日時等を決めて
東京から帰ってみえてお寺でのご法事になりました。
 
 お勤めの後で少しお話をしました。
マスクを着けても何か遠慮がちに
今東京の人はどこでも敬遠されるのですが
大丈夫ですかときかれて
いやそんなことはありませんよとこたえました。
 
 確かに東京は感染者が依然として多く
連日100人200人と横ばい状態が続いています。
 ただ東京都の人口は他の道府県に比べて多く
人の動きもかなりあって
東京ならではの事情があるということです。
 
 日本各地でそれぞれの事情が異なるということで
要は私ができる感染対策を各自がしっかりすることで
ステイホームでずっと家で
じっとしていくわけにはいかないのです。
 コロナ禍の中も私たちは生きていますし
生活をしていかなければなりません。
 
 そうした困難な状況の中で
ようこそご法事をお勤めしましたと申しました。
 飛行機で帰ってこられたといいます。
飛行機も空港の様子も以前とは全く違うということで
東京の生活も随分変わりましたというお話でした。
 
 コロナ禍で新しい生活様式が言われ
コロナ収束後も生活はすっかり変わることでしょう。
 
 今日で10月も終わり明日から11月です。
この一年例年以上にあっという間でした。
 一体この一年何をしてきたのだろうかと振り返って
いつものことはできないことが多かったけれども
しっかり生きてきました。
 
 その日々の生活の中で仏事のご縁です。
今日のお朝事もそうですが
仏さまのご縁は仏さまからいただくものです。
 コロナ禍で法事は家族や近隣の親族だけのご縁になり
県外遠方の方のお参りは殆どありません。
 お葬式もそうです。
 
 ご法事やお葬儀のあり方が変わりました。
ではコロナ収束後に元に戻るかというと
これまでの仏事のあり方が変わると思います。
 
 ただ仏さまのご縁をいただくことに
変わりはありません。
 ここは仏事のあり方を工夫して変えるチャンスです。
 
 世の中のことは全てコロナだからではなく
常に変わって行くのです。
私も変わっていきます。
 大事なことは諸行無常のただ中にあって
真実変わらないお念仏のご縁につながった
私たちだということです。
 お念仏を申すなかに今日の生業があります。
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.31)

浄土真宗のご法義の三本柱

2020-10-30
 浄土真宗は阿弥陀さまのご本願のお救いのご法義で
他力本願、悪人正機、往生浄土の三つの柱が根幹です。
 
 阿弥陀仏の本願によって(他力本願)
どんな悪人も(悪人正機)
必ず阿弥陀仏の浄土に往生させていただき(往生浄土)
仏に成らせていただく教えです。
 
 他力本願とは
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
必ず救うというのです。
 
 悪人正機とは
阿弥陀仏の救いのめあては悪人ということで
悪人とは阿弥陀さまがご覧になった
私のありのままのすがたなのです。
 毎日自己中心に生きて煩悩の心をおこしては
悩み苦しみ迷いの境涯を経めぐっている
まさに救われようのない凡夫
煩悩具足の凡夫とこの私を見抜かれたのです。
 
 往生浄土とは
どんな悪人もすべてのものを
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お浄土に生まれさせ仏に成らせるというのです。
 
 凡夫が仏に成る仏道です。
煩悩具足の身に阿弥陀さまのお心おはたらきが届いて
この私の口からナンマンダブツと
お念仏を申す身にさせていただくのです。
 お念仏申す身のそのまんま
命終わる時にお浄土に生まれて
仏に成らせていただけるのです。
 
 私たちは阿弥陀さまの大きなお慈悲の願いの中に
生かされて生きていると聞かせていただきます。
 凡夫の私がそのまま仏に成らせていただくいのちを
今ここに生きているのです。
 
 私一人だけではなく隣の人も隣の人もみんな
仏に成るいのちを今ここに生きているのです。
 阿弥陀さまのお心おはたらきを共々に聞かせていただき
お念仏申してお浄土への仏道を
ご一緒に歩ませていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.30)

忘れものは何ですか?

2020-10-29
 コロナ禍で毎年近くの公民館で行われる市民検診が
今年は校区の公民館でまとめてあるということで
昨日やっと鶴崎公民館で検診を受けることができました。
 
 事前に予約し早々に書類を作って準備万端ということで
検診に行ったのですが忘れものをしてしまいました。
 取りに帰るまでのものではなく検診は終わりましたが
その後でもう一つ検診を忘れていたのに気がついて
来月またその検診を受けに行くことになりました。
 
 私事です。今に始まったことではない私の性分です。
早くから準備できることもその期限が迫らないとしない
ところがあって結果バタバタして結局は間に合うのですが
周りからみたら「何しよんの」ということが多々あります。
 ただ前もって準備しておくと何か安心するのでしょうか
その当日大きな忘れものをすることが結構あるのです。
 
 そんなことを思って私たちの人生の営み
この人生の最後の最期のことを思います。
 人生の最期命終わる時に「しまった。何か忘れた」と
思ってもどうしようもないですよね。
 ただ準備万端ということも中々難しいことです。
いつ命終わる時が来ても大丈夫という準備です。
 
 私が仏法に遇うことを重ねて思います。
こんな人がいます。
 もうお寺にお参りして仏法を聞いて分かった大丈夫と
もうお寺に用事がないから
お寺にはお参りしませんという人です。
 お寺参りしていつも同じ話を聞くだけの
ことだからとでもいうのでしょうか。
 自分が聞いたことを頼りにして
大丈夫準備はすでにできているということでしょうか。
 
 念仏相続ということです。
私がお念仏相続すると私に力が入ることではありません。
 お念仏相続のもとは阿弥陀さまのご本願です。
阿弥陀さまが迷いの世界に苦悩する私をめあてに
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
喚び続けてくださっているということなのです。
 
 いつでもどこでも南無阿弥陀仏のお喚び声が
私に届けられて今こここの私の口から
お念仏が出てくださるのです。
 阿弥陀さまがいつもご一緒くださる
南無阿弥陀仏のお心おはたらきがこの私に届いて
ご縁ご縁に阿弥陀さまの御前に身をはこび
お念仏を申させていただくのです。
 
 阿弥陀さまのご本願を聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただいて
人生の最後の最期命終わる時に忘れものはありません。
 何も持ってはいけませんが
この身についた南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
そのまま阿弥陀さまのお浄土にお参りさせていただきます。
 
 お浄土参りに忘れものはありませんと
お念仏申す人生の日々の生活です。
 お念仏のみ教えに遇ってお念仏申す身にさせていただき
安心してお浄土への人生を歩ませていただける
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにまかせて救われる
浄土真宗のご法義の有難さです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.29)

植木を剪定していただきお寺がすっきり見違えるようです

2020-10-28
 一昨日昨日と二日間業者さんに入っていただき
中庭と境内のすべての植木を選定していただきました。
 見違えるようにすっきりしました。
山門からお寺に入ると本堂の右方に屋根とほぼ同じ高さの
中庭のもちの木が見えていたと思いますが
すっかり枝葉を落として
少し大きな枝が見えるほどになりました。
 中庭の反対側から見ると本堂の屋根が隠れていたのが
大きく高く見えるようになりました。
 
 最後に鐘楼を囲む槙の木を剪定していただきました。
葉が覆い茂っていた枝垂れ桜の木も
山法師もソテツも見事に散髪です。
 
 皆さんは何か特別な時に散髪に行きませんか。
散髪してもらって髪を整え心も気分一新です。
 気持ちも新たに始めようということです。
 
 今はコロナ禍でステイホームが身につき
GO TO キャンペーンで人の動きも徐々に戻ってきましたが
まだ以前のようなことではありません。
 コロナ後私たちの生活様式はかなり変わるでしょう。
 
 そうしたなかにあっても私たちは日々生活しています。
気持ちだけでも日々新たに生活していきたいものです。
 
 私たちの日々の生活はいのち毎日新しい生活です。
日々新たな気持ちでということですが
いのちそのものが一日一日新しいいのちなのです。
 
 今日のいのちの朝一番に皆さんとご一緒に
お朝事のお勤めをさせていただける有難さです。
 皆さんそれぞれの生活です。
今日も一日それぞれの生業に精を出して生活をされます。
 生活ぶりはそれぞれ違いますが
こうして毎日毎朝阿弥陀さまの御前に座らせていただき
ご一緒にお念仏申し阿弥陀さまにお礼をして
今日の一日を始めさせていただきます。
 
 日々いのち新たなお念仏申す生活です。
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒してくださる
今日の日暮らしを共々にさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.10.28)
円光寺
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