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お念仏を申す生活法話

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仏さまだけは分かってくださいます

2020-11-12
「泣きながら 御戸を開けば 御仏は たゞうち笑みて
 われを見そなわす」(甲斐和里子『新修 草かご』より)
                   の歌を味わって
 
 新型コロナウイルス等の影響により
晴れ晴れとしない日々が続いています。
 
 著名人の方の自殺のニュースなども続き
ネットの中を覗いてみれば
「俺が三浦春馬だったらイケメンだしお金もあるから
絶対自殺しない」
「幸せな家庭を築いているのに竹内さんは
なぜ自殺したのか。美人だし羨ましいくらいなのに」
などの悲しいコメントが溢れていました。
 
 自身の抱える苦しみなんて、
だーれも分かってくれないってことが分かります。
 
 誰にも言えない悲しさ苦しさを
嘆くことができる場所はどこでしょうか。
 
 小さな小さな自分の中に閉じこもっている私を
あたたかな眼差しで包み込み
仏さまだけは分かってくださいます。
 
 ※『れんそう会だより』第43号から
   (浄土真宗本願寺派大分教区大海組れんそう会発行)
  「編集後記」の文章をお届けします。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.12)

うなずきとジェスチャーでコミュニケーシが進みます

2020-11-12
 コロナ禍で感染防止のために
人と人が会って話をすることに気をつけます。
 そこで家に居ながらネットのオンラインで
遠くの家族と話したり仕事をしたり
学校の講義を受けたり友人同士の飲み会などと
新しいコミュニケーションのあり方が考えだされています。
 
 お寺の法要やご法話をネット配信することも聞きます。
以前は考えられなかった便利な社会になりましたが
ネット通話の問題点も指摘されます。
 会話は話し手と聞き手の相互の受け応えですが
オンラインでは話が弾まないというのです。
 
 昨夜のNHKテレビ『ためしてガッテン』で
カメラと画面の位置が違うことが指摘されていました。
 今もこうして皆さんの顔を見て話をしていますが
これがカメラに向かっての話だったら
やりにくいと思います。
 カメラには表情がなく
皆さんの顔が見え反応がうかがえて
次の話へと展開できると思うのです。
 
 番組では「うなずき効果」と言っていました。
オンラインの会話ではうなずきが減るという実験結果です。
 聞き手の一番わかりやすい反応がうなずきです。
うなずく姿を見て話を聞いてくれてるという安心感になり
共感一体感が生まれるというのです。
 
 もう一つは話し手の身振り手振りのジェスチャーです。
画面にはジェスチャーまでは映りません。
 じっと直立不動で話すのは話しにくいものです。
話が乗ると自然と身振り手振りがついてきます。
 落語の扇子も使い方次第で話がスムーズになるという
MC立川志の輔師匠のコメントです。
 
 皆さんも話し手の身振り手振りのお話に聞き入って
うんとうなずくのではないでしょうか。
 
 話をするというのは話を伝えて
聞いていただくということです。
 
 阿弥陀さまのお話は南無阿弥陀仏のお念仏です。
お念仏は阿弥陀さまのお喚び声です。
 ただ単なる音声ではありません。
迷いの私を必ず救うと南無阿弥陀仏のお心おはたらきで
「必ず救うまかせよ」と喚び続けてくださっているのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきがこの私に届き
私の口から南無阿弥陀仏とお念仏申させていただくのです。
 
 今日も皆さんご一緒に南無阿弥陀仏ナモアミダブツと
何度も何度もお念仏申せました。
南無阿弥陀仏と口が動きお念仏の声が出てくださるのです。
手が合わさりお礼ができます。
 
 身振り手振りでこの私にお念仏申させ
そのままお礼をさせてうなずかせてくださるのです。
 お念仏申してくれよと南無阿弥陀仏のおはたらきに
うなずいてお念仏申させていただき
今日も一日日暮らしさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.12)

「よくがんばったね。おつかれさま」と言ってくれる親がいます

2020-11-11
 プロ野球阪神タイガースの藤川球児選手の引退試合が
本拠地甲子園球場での伝統の阪神巨人戦でありました。
 いつもは勝っている試合の最終回に登板するのですが
昨日は負けている試合の9回に予告登板し
代名詞の火の玉ストレートで三者凡退に打ち取り
有終の美を飾りました。
 
 野球選手の引退試合で思い出すのは巨人の長嶋です。
私が大学4年の時でした。
 秋の陽が落ちるのも忘れて真っ暗な下宿の部屋の中で
一人ぼやーっと放心状態で涙を流しながら
テレビをつけっ放しにしていたことを思い出します。
 
 どの選手も引退試合ができるわけではありません。
実績人気も誰もが認める超一流のスーパースターだけです。
 どの選手も大きな夢をもってプロ野球の世界に入って
殆どの選手はこれといった成績も残せず
この時期に戦力外通告で失意のまま一人去っていくのです。
 
 少年時代から野球漬けの生活をしてきた人が
野球以外に生活の糧を求めて次の就職仕事を
探さなければならないのですから本当に大変です。
 
 自分の好きな世界で好きなことができてと思いますが
思うようにならないいかないのが現実です。
 
 私たちの人生においても
こうありたいと思いをもって生きていますが
思い通りにいかなくて
失望したり悔んだり恨んだり悩み苦しんで
そして誰もがこの命を終えていかねばなりません。
 
 引退セレモニーで藤川選手は万感の思いで
ここまでやってこれたのはチーム球団関係フアンの皆さん
友人そして家族のおかげですと感謝の言葉を述べました。
 
 先輩友人からは「お疲れさまでした」と
たくさんのメッセージが届けられました。
 栄光のかげにかくれた苦難の日々を
ずっと見てきた人だからこそ言える心からの贈る言葉です。
「よく頑張ったね。お疲れさま」と言ってくれる人です。
 
「球児」という名前は父親が生まれる前日に
草野球でノーヒットノーランをしてつけたといいます。
 名前に込めた親の大きな願いですが
子どもにとっては重荷になることでもあります。
 藤川選手はその名前の通りの活躍をしましたから
球児と名付けてくれたことに胸を張って
ありがとうとお礼を言っていました。
 
 子どもに夢をもって幸せになってほしいと
親は願いますが思い通りにはいきません。
 子どもとはいえその人その人の人生ですから
そもそも親の思い通りにできるものではありません。
 そして子どもも自分の思い通りの人生がかなわず
悶々とした日々を送ることにもなるのです。
 
 ただ親は最後まで子どものことが心配で
子どもを見守り続けます。
 人生の最後の最期に
「よく頑張ったね。お疲れさま」と
言ってくれる親がいるのです。
 
 親はもう亡くなっていなくなったのではありません。
子どもが生まれて親になるといいます。
 子どもが生きている限りどこまでも親は親なのです。
「よく頑張ったね。お疲れさま」と言ってくれる親です。
 
 お念仏の先人は阿弥陀さまのことを
親さまとよんで慕ってきました。
 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでもこの私のことを見守ってくださり
「よく頑張ってるね。私がいるから大丈夫だから安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて一緒に生きて往こう」
と喚んでくださる親さまです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに
お念仏申して共々に生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.11)

お念仏のご縁をいただけよ

2020-11-10
 仏教は縁起の理法を根本とする教えです。
縁起とは縁によって起こるということで
物事は必ず何らかの原因(因)があり条件(縁)があって
生じ存在しているという普遍的な原理です。
 
 ご縁をいただくといいます。
ご縁は私がつくるものではありません。
 私たちはいろんな思い願いをもって生きています。
自分はこうありたいと思い
他者にはこうあってほしいと願います。
 自己中心の一方的な思い願いですが
中々思い通りにはいきません。
 
 自分の都合に善いご縁も悪いご縁もあって
今こここの私を生きているのです。
 自分の思い通りにならなくて
悔しくて情けなくて悩み苦しみ
迷いの中に彷徨うこの私をこそ救わずにはおかないと
阿弥陀さまはご本願をお立てになり成就して
必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏のおはたらきを
してくださっているのです。
 
 ご縁をいただくとは仏さまのご縁
南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきをいただくことです。
 お念仏のご縁をいただいて今こここの私を生きています。
ご縁をいただくなかに色んなことがあったけれども
これからも色んなことがあるけれども
私たちは南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきのなかに
生かされて生きて往ける安心をいただくのです。
 
 親鸞聖人のお言葉に「縁」という言葉が
様々にたくさん出てまいりますが
「偶(たまたま)行信(ぎょうしん)を獲ば、遠く宿縁を慶べ」
との仰せです。
 生まれ難い人間に生まれ遇い難き仏法に遇って
今お念仏のご縁をいただいたことを心から慶ばれています。
 
 何であの人のように生きることができないのか
ああすればこうすればよかったというのではありません。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきのなかに
どんな時も何があっても生かされて
今こここの私を生きて往ける身の有難さを思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.10)

お寺とご門徒さんのお念仏のご縁つながりです

2020-11-09
 昨日別府でご法事があってその後のお勤めのお家に予め
別府のお参りで時間が多少前後しますと言っていました。
お勤めの後別府までお参りするのですかと聞かれました。
お寺の周辺だけでなく別府や大分鶴崎にもご門徒があって
今は三佐地区より数的には多くなりました。
 
 ご先祖が元々三佐に住まわれていたご門徒の方です。
お寺と門徒の関係は江戸時代寺請制度で決められたもので
三佐は岡藩の飛び地領地でした。
 周囲の家島は臼杵藩、鶴崎は肥後藩、大分は府内藩で
藩同士の交流住民の行き来はなく三佐の中の生活でした。
 
 明治以降といってもつい最近戦後のことになりますが
生活圏が自由に広がり三佐地区外の鶴崎や大分に
引っ越される方が多くなり子や孫も他所に出て
お寺とご門徒との関係が距離的に遠く離れて
ご門徒さんとのつながりが薄くなってきました。
 
 今は車社会ですから大抵のご門徒のお家に
別府大分の遠方でもお参りに行けます。
 ただ過疎の集落のお寺になると事情が違ってきます。
周囲のご門徒が減っていく一方です。
 町部へのお参りもできないことはありませんが
日常の法務は思うようにできません。
 
 一方で住いの近くに同じ浄土真宗のお寺があっても
昔からのお寺さんとのつながりを大事に思うのです。
 大きないのちのつながりの中に
生かされて生きているということです。
 
 歳を重ねるなかにいのちのつながりの有難さを
強く思うようになります。
 お寺のご縁はいのちの古里を訪ねるご縁つながりです。
私が生まれてからのご縁ではありません。
 私が生まれる以前のずっとずっとずっと昔から
会ったことがない名前も知らないご先祖の方々がいて
この私のいのちがつながってあるのです。
 
 私がどうこう思うのでなく確かにつながってあるのです。
お念仏のご縁つながりといただきます。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて安心して生きることができるのです。
 
 お念仏のご縁つながりのなかに日々の生活です。
ナモアミダブツとお念仏を申すつつ今日も一日
日暮らしをさせていただける有難さを思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.9)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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