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お念仏を申す生活法話

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「一日一番」

2020-11-17
 今大相撲11月場所の最中です。
大相撲の力士がよく使う言葉に「一日一番」があります。
一日一番の場所の取り組みに全集中する覚悟の思いです。
 
 元大関琴奨菊が引退しました。
36歳ですが大相撲の世界では古参の力士です。
体力が勝負の世界で20代後半がピークといわれます。
 
 琴奨菊は4年前日本出身力士として
10年ぶりに優勝しました。
 それまで10年間ずっと
モンゴルはじめ外国の出身力士が優勝していたことで
国技の大相撲に対するあつい思い入れもあって
待ち望んでいた優勝に日本中が大いに盛り上がりました。
 
 引退会見でライバルに稀勢の里をあげていました。
両力士共に大けがをして
琴奨菊は大関から陥落十両まで落ちて今回の引退です。
 稀勢の里はけがを押して出場したことが裏目に出て
横綱になったものの殆どが休場で引退になりました。
 
 今場所は横綱二人の休場で始まり
大関三人のうち二人が早々に休場して
今土俵に上がっているのは貴景勝ただ一人です。
 けがです。力士生命を大きく左右するものです。
元大関照ノ富士は序二段から小結まで復活してきましたが
両ひざの大きなサポーターが今も痛々しく心配です。
 
 一日一番とは命がけの決意です。
100キロ200キロを超える力士が頭から当たるのです。
一日一番の覚悟で土俵に上がらないとケガにつながります。
そして土俵に上がるまでの準備が大事なのです。
 
 琴奨菊はよく稀勢の里と申し合いの稽古をしたそうです。
前の日から準備を怠らなかったといいます。
 ちょっとでも気を抜くと
投げ飛ばされたり突き出されたりして
大けがにつながるといいます。
 一つ一つの準備が一日一番につながることなのです。
 
 阿弥陀さまのお念仏のご法義です。
十方衆生を救いたいとご本願を立てられ
命がけの修行を積まれて
南無阿弥陀仏の救いの法を成就され
「必ず救うまかせよ」とお念仏の声となって
私たちを喚び続けてくださっています。
 
 一日一番に今日も皆さんお朝事のご縁にお参りです。
ご一緒にお念仏申し阿弥陀さまに御礼申して
今日の一日を始めさせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきにつながって
今ここ阿弥陀さまの御仏前に座らせていただく有難さです。
 この私をこそ必ず救うと阿弥陀さまが何もかも
命がけで準備くださり用意してくださって
お念仏申す身にしてくださったのです。
 
 一日一番のお念仏をご一緒に申させていただき
今日も一日生き抜かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.17)

往ったり来たりのこの私をやさしく抱き取って阿弥陀さまがご一緒です

2020-11-16
 昨日は「なべの会」で久しぶりに皆さんと
ゆっくりご一緒できました。
 2時間という設定であっという間に時間が過ぎました。
お酒を飲み交わしながらいろんな話になりました。
 
 往ったり来たりの話です。
有難いご縁だなと思います。
 今はコロナ禍で三密を避ける生活習慣が当たり前になり
遠く離れていてもパソコンの画面で顔も見え話もできて
リモートの生活が進みました。
 
 ただやっぱり対面ですね。
顔と顔を合わせて話すなかに気持ちが伝わってきます。
 結論を求める話し合いではありません。
お互いに話し聞くなかにふっと思ったことをまた話して
往ったり来たりの話です。
 
 外から見れば何をくだくだ話しているのかと
時間ばかり経ってもったいないとのことかもしれませんが
これが私たちの日常の生活かなと思ったりします。
 往ったり来たり往ったり来たりです。
何をするでもなくぼーっとしている私がいます。
 
 ぼーっとしているこの私を阿弥陀さまは
微笑んで見てみてくださっているのかなと思います。
「ぼーっとしてるんじゃないよ」と叱るのではなく
ただ見てくださっているのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
あなたのことが心配でいつも見ていますよ。
南無阿弥陀仏と我が名を呼んでおくれ。
あなたに付いて離れずいつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても大丈夫安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて
生きて往きましょうと喚んでくださっています。
 
 往ったり来たりのこの私をやさしく抱き取って
阿弥陀さまがご一緒です。
 決して行きっ放しにはしないぞと
背を向けて逃げる私をどこまでも追いかけて
しっかりお慈悲の中に摂め取ってくださっているのです。
 
 この目には見えないけれどもお念仏の声となって
南無阿弥陀仏のおはたらきの中に
今日の一日も日暮らしさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.16)

「人間は一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?」ビートたけしさんからの問いかけです

2020-11-15
 2日前ビートたけしさんのインタビュー番組を観ました。
皆さんよくご存知の方で73歳といいます。
 どういう話をするのか興味深く聞きました。
 
 芸能界に入って漫才師から始まりタレント俳優映画監督
そして今は作家活動が忙しいという超マルチタレントです。
 これまでの人生を振り返り
若い頃はライバルの漫才師が出てくるとイライラが大変で
若い衆を連れて飲みに行き次の舞台にあがるという
繰り返しだったといいます。
 それが近頃は若い人のうまい漫才をみると
ああいいなって思うようになったというのです。
 もう戦う必要がなくなったという表現で
勝ったとか負けたとかではなくただうれしいといわれます。
 
 ファンから色紙を頼まれて
「人間一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?」
と書いたというお話です。
「で、どうする?」とその人に問いかけることでもあるし
たけしさん自身に問いかけるということで
いろんなことが言えるけれども
これっていう答えはまだ出ていないといいます。
 
 そしてこうも言っていました。
いろんな人生いろんな生き方それぞれあるけれども
一つ言えることはみんな死んでいくということで
死の前ではみんな平等みんな同じだというのです。
 
「で、どうする?」って
人生の大事な宿題です。
 物事を見る観点視点がすごいなと思います。
いのちを見つめていのちのあり方見方考え方です。
 仏法に聞くというのはここです。
 
「一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?」
自分で結論を出すのはすごく難しいことです。
 今日思ったことと明日思うことは違うでしょうし
昨日は違った答えだったと思います。
 生滅変化する日々の生活の中で
思いも移ろいやすくウロウロしている私です。
 
 この私に仏法を聞いて念仏申す身になって来いと
私のいのちの往く先をお浄土とすでに決めてくださり
私とご一緒くださる仏さまに成ってくださったのが
阿弥陀さまなのです。
 
 南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよとお喚びかけです。
私たちの人生生活ぶりはみんなそれぞれ違うけれども
南無阿弥陀仏のおはたらきで
みんな等しくお浄土に生まれさせるといわれるのです。
 死んだらおしまいではないのです。
お浄土に生まれて仏さまのいのちに成らせていただく
南無阿弥陀仏のいのちを私たちは今ここに生きているのです。
 今を大切に生きて往こうと仏法に聞かせていただきます。
 
 たけしさんは私より5つ年上です。
私のちょっと先を生きている人です。
 70歳を過ぎて私たちと同じ年頃の
著名な方が本を書いたり発言したりしています。
 
 皆さんも思うところがたくさんあると思います。
人の命を恵まれて同じ時代を生きている私たちお互いです。
 一人生きてと言われ
私が一人生きてきたという実感だと思いますが
仏法に聞かせていただきますと
一人生きたというのは
大切な人多くのいのちに支えられ生かされて生きてきた
ということではないでしょうか。
 
 生かされて生きてきました。
生かされて生きています。
そして生かされて生きて往こうと
お念仏申して今日も一日生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.15)

NHKラジオ深夜便「お寺が減っていく」を聴きました

2020-11-14
 NHKの『ラジオ深夜便』という番組があります。
知っていますがいつもは睡眠中で聴くことはありません。
 前日の深夜11時から翌朝5時まで毎日の放送です。
4時から一時間<明日へのことば>のコーナーで
各界で活躍されている方が出演して
アナウンサーの質問に答える形でお話が展開していきます。
 
 今朝偶々ラジオ深夜便を拝聴しました。
鵜飼秀徳さんというお坊さんでジャーナリストのお話です。
 5年前に『寺院消滅』の衝撃的なタイトルの本を書かれ
寺院関係者の間で大変注目され多くのお坊さんに読まれて
私も一度講演会でお話を聞いたことがあります。
 
 少子高齢化で過疎のお寺は門徒檀家が徐々に減って
お寺の護持が難しくなっていくなかで
新しい寺院のあり方を考えて行こうという問題提起です。
 
 特にコロナ禍で葬儀が変わり法事等お参りが減って
都市部のお寺も生活がおぼつかない状況ということです。
 一般の経済には国から公的資金の援助がありますが
お寺はじめ宗教団体には公的支援がありません。
 これは災害支援についてもそうです。
被害寺院に国県市から支援金もボランティアも
公的なものは入りません。
 
 門徒檀家の皆さんの布施(ダーナ)で成り立ってきたお寺の
土台そのものが今大きく揺らいでいるという現状なのです。
 厳しい現実をただ手をこまねいて眺めているのではなく
積極的に今あるものを活用して新しいお寺のあり方を考え
つくりあげていこうと
いくつかの方策例をあげて意欲的な提案を聞きました。
 
 お寺は変わらないといけないということですが
一番変わらないといけないのがお坊さんこの私です。
 お坊さんの考え方がもどかしいほど変わらないのです。
昔はよかったなあと思ってみても
コロナが収束したら
また元のようなお寺に戻ることではありません。
 
 私たちの円光寺です。
ご門徒皆さんのいろんな意見もいただきながら
変わって行きたいと思います。
 
 確かに現実を見れば難しい課題が次々と出てまいります。
でもこれは厳しい難しいということばかり言っていたら
皆さんがしり込みしてどこかに逃げて行ってしまいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きているお念仏の私たちです。
 お念仏申して阿弥陀さまのお喚び声お心を聞きつつ
面白いものをつくっていこうという気持ちで
楽しみをもって一緒にお寺づくりをしてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.14)

阿弥陀さまはこの私を決して見逃がさない仏さまです

2020-11-13
 新型コロナウイルスの感染者が大変多くなって
昨日は一日の全国感染者数が
これまでで最多となったということです。
 
 一波が来て二波そして今回は三波といいますが
感覚的には今までの受けとめ方とは何か違います。
 これまでの経験から感染対策が周知されてきて
日常生活での各自の対応が身についてきたのでしょうか。
 
 ただワクチンも治療薬もまだできていない不安な中で
これからどのように社会生活をしていくのかについては
見方が様々に異なります。
 
 感染対策の最前線にいる専門家医療従事者からは
GOTOキャンペーンはすぐにでも停止すべきだという
緊急提言が出されています。
 政府の関係者は経済の回復状況を見極めて
今の施策を止めてはいけないということなのでしょう。
 その人人の立ち位置によって見方考え方が違って
これからも変わってくるのだと思います。
 
 毎年この時期はインフルエンザの流行期ですが
その死者数をもってコロナ禍での死者は少ないという
発言を聞きました。
 感染者の数であり入院患者の数であり
そして死者の数のこれまでの推移統計は
これからの施策を考える時に分かりやすい判断要素です。
 
 ただ一人一人のいのちに関わることです。
十把一絡げに数で言われることに抵抗を感じます。
 コロナ感染が自分の家族であったり友人知人であったり
人人の状況でいのちの見方は全く違ってくると思います。
 平素からいのちそのものに向き合う見方が
できていないのがこの私のようです。
 
 昨日円光寺であった大海組の法中会で配られた
会報の「編集後記」が目にとまりました。
(※別途掲載しています)
 
 自殺のことにふれた内容で
日本で自殺者が年間3万人を超える事態が
1998年から14年間続き大きな社会問題になりました。
 マスコミも大きく取り上げ多くの識者が提言されて
各方面で自殺防止の様々な活動が取り組まれてきました。
 2012年以降自殺者の数は徐々に減ってきてはいますが
自殺者がなくなったということではありません。
昨年も20169人の方が自ら命を絶っています。
 
 私たちはすぐそばにいる人のことも
見ているようで見ていないところがありませんか。
 外見からでは見えないその人人の心の悩み苦しみです。
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
大切な人と本当に向き合うことができているでしょうか。
 
 阿弥陀さまはこの私を決して見逃がさない仏さまです。
南無阿弥陀仏となってどこまでも私を追いかけつかまえて
お念仏申す身にしてくださるのです。
 私の口からお念仏申させ
私のいのちにしっかり寄り添ってくださるのです。
 阿弥陀さまがいつでもどこでもどんな状況にあっても
ご一緒くださる大きな安心です。
 
 お念仏申して今日も一日南無阿弥陀仏のお慈悲のなかに
生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.13)
円光寺
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TEL.097-527-6916
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