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お念仏を申す生活法話

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怖くても一人じゃないよと誰かに言ってもらっているような気持ちになります

2020-11-22
 昨日の新聞のコラムに
自分の力ではどうしようもないことがあったとき
むかしの人たちは、おまじないをとなえてきました
と書かれてありました。
 
 小さな子どもが悪さをしてケガをしたときお父さんは
「そんな無茶をするからケガをするんだ」と叱ります。
 痛くて泣きじゃくる子どもに追い打ちをかけるように
「もう泣くな。男だろう」と言い放ちます。
 それを見ていたお母さんは子どもに駆け寄り
抱きかかえるように痛いところに手をかけて
「チチンプイプイ痛いの痛いの飛んでけ」と言います。
 
 それで傷が治るのかというとそうではありません。
でも「チチンプイプイ痛いの痛いの飛んでけ」という
お母さんの言葉で何か痛みが和らぎ安心できるのです。
 
 子どもの頃お念仏をおまじないのように
となえていたというお話です。
 ちょっと昔のことです。
トイレ便所は家の外にありました。
今みたいに電気があったわけではありません。
暗い中を我慢できなくて便所に行きたい。でも怖い。
 その時お母さんが
「お母さんが見てるから大丈夫
ナンマンダブツとお念仏となえて行きなさい」
と言ったことを思い出します。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すところ
一人じゃないから大丈夫だからというのです。
 暗い夜道を歩くとき不安ななかに
ナンマンダブツの声に安心できるといいます。
 
 南無阿弥陀仏はおまじないのお念仏ではありません。
ただこの口にナンマンダブツと
お念仏の声が出てくださることの安心です。
 
 お念仏の大本は阿弥陀さまの願いです。
苦悩の中で不安な私に寄り添って
ご一緒くださる仏さまの「まかせよ救う」の
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 このお念仏の声を伝え届けてくださったのが
皆さんのご先祖有縁の仏さま方なのです。
 皆さんのお父さんお母さんであり
おじいちゃんおばあちゃん有縁の方々です。
 
 南無阿弥陀仏の大きな願いがおはたらきとなり
この口からナンマンダブツとお念仏が出てくださって
今日も一日「一人じゃないよ 大丈夫だよ
どんなことがあってもあなたを見捨てないから」という
仏さまとご一緒に日暮らしさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.22)

「大きないのちに 貫かれた 私たちのいのち」

2020-11-21
 歎異抄を現代の言葉で味わう『日めぐり歎異抄』を
毎日お朝事のご縁にめくっていただいています。
 昨日20日の言葉は
「大きないのちに 貫かれた 私たちのいのち」です。
貫かれたという言葉に目が留まりました。
 
 もう大分前ですがお同行の方から頂いた年賀状に
「去年今年 貫く 棒の如きもの」
と俳人高浜虚子の句がありました。
 お念仏を喜び申し生き抜かれたお念仏の先人が
この俳句をどのようにいただいていたのかなと思います。
 
 去年から今年と新たな年に変わるけれども
私を貫く棒のようなものは変わらないということでしょうか。
 私を貫く棒のようなものを
お念仏といただかれたのではないかと思うのです。
 
 私たちの日々の日暮らしです。
去年今年と月日は過ぎて行きます。
 昨日今日そして明日ということですが
明日の命はわかりません。
 ただお念仏のみ教えを聞かせていただくと
私たちはいつでもどこでも南無阿弥陀仏の
おはたらきのなかにあるというのです。
 この私を必ず救うという大きなおはたらきが
私のいのちを貫いてくださっているといただきます。
 
 歎異抄第五条
「一切の有情は みなもつて 世々生々の 父母兄弟なり」
のお心を味わって
「大きないのちに 貫かれた 私たちのいのち」
と書かれたのです。
 
 解説に
「いのちあるものはすべてみな、大きないのちの流れの中で
父母であり兄弟姉妹であったのである」とある。
「わたしのいのち」という小さないのちではなく
もっと大きないのちの世界に目覚めた時
本当のいのちのあり方が見えてくる。
とあります。
 
 大きないのちとは南無阿弥陀仏のいのちです。
南無阿弥陀仏のいのちに貫かれつながった私たちのいのちです。
 仏法を聞かせていただくと
私たちは生まれ変わり死に変わりを繰り返して
今はこの人間界という迷いの世界に生きているというのです。
 何度も何度も生まれ変わる中で
親子であったり兄弟姉妹であったりといういのちにつながって
同じ南無阿弥陀仏のいのちに貫かれてあるというのです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きている私たちのいのちなのです。
 小さな小さな私の世界に閉じこもって生きている私に
本当のいのちのあり方を教え
南無阿弥陀仏の大きないのちの世界に生まれてこいよと
お念仏がはたらいてくださっているのです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.21)

変わりゆく生活環境の中で真実変わらないお念仏のみ教えを聞いて生きてまいりましょう

2020-11-20
 何か変な天気です。
昨日は温度が27度で車に乗っていて暑くて窓を開けました。
 夜中は雷が鳴り雨が降って蒸し暑かったです。
春雷は春を告げる雷といいますが
これから冬です。暗くなり寒くなります。
 コロナ感染者が全国的に増えてきて
大分も近くに感染者が出たということで
あらためて注意しなければと思います。
 
 今朝の地元紙一面に熊本川辺川ダムの記事がありました。
熊本県の知事さんがこれまでの施政方針を改めて
ダム建設容認を表明したということです
 この夏の豪雨で球磨川が氾濫し流域の多くの地域が
大変な水害に遭ったことで治水のための方向転換です。
 
 そして佐賀関の一尺屋に建設計画の風力発電のことです。
初めて聞くニュースです。
地域住民が賛成反対で分かれているといいます。
 
 この前玖珠九重に行き登山をしましたが
山並みに風力発電の大きな風車がいくつも見えました。
 気をつけて見ないとということですが
気をつけて見ると違和感があります。
 
 現代の社会問題です。
一気に進む地球温暖化対策の一環として
自然エネルギーの有効活用がいわれ
風力発電や太陽光発電が世界中で推進されています。
 この近くにも太陽光のパネルがいっぱいあって
ちょっと異様な感じもします。
 
 大自然のなかに私たち人間の営み生活があります。
自然は私たちに大きな恩恵をもたらしてくれますが
一方で自然の脅威は容赦なく私たちに襲いかかります。
 どんなに人間が偉くなっても
自然を自分たちの思いのままに
コントロールすることは到底できません。
 自然との共生を大きなテーマに
私たち人間社会の未来像を求めて
さまざまな取り組みがなされています。
 
 人それぞれその立場立場によって
いろんな意見があります。
 ただ変わりゆく生活環境の中で何もしないで
手をこまねいてばかりではいられません。
 いざ行動を起こすときに
施行者はひたすら丁寧に関係者に説明して
共に考えていく姿勢がいよいよ大事になってきます。
 
 私たちのふるさと三佐も
昭和30年代にきれいな遠浅の海が埋め立てられ
今は日本有数の臨海工業地帯になりました。
 子や孫の世代が三佐地区外に移り住み
円光寺のご門徒が多かった遠見地区が変わりました。
 縦横に広い立派な道ができましたが
家がなくなり住む人が少なく高齢者が多くなりました。
これから20年30年後どうなっていくのか
お寺のあり方もふくめて大きな問題です。
 
 自然の移ろい変わりゆく時代の流れのなかに
私たちは生きているということです。
 周りの生活環境ばかりでなく
私自身が変わって行ってるということです。
 
 真実変わらないお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いの法です。
 阿弥陀さまは誰一人取り残さないという
おはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 この私をこそ必ず救う決して見捨てないというのです。
 
 同じこの時代この社会に生まれて生きて
それぞれに生活ぶりが違う私たちお互いですが
大きな南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
共々に生かされて生きていることを
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.20)

南無阿弥陀仏のいのちの物語を聞かせていただきます

2020-11-19
 昨日お葬儀がありまして
お通夜葬儀とも自宅でされました。
 今のコロナ禍ということもあります。
家族親族だけ10人ほどのご縁になりました。
 
 お葬式は今もお家でできます。
ただ大人数が集まって何が一番困るかというと
駐車場です。
 昨日は隣のお家の空き地を借りたようですが
何十人もお参りがあると駐車場だけのことで
葬儀社やお寺といった広い会場で行うことになります。
 
 お家でのお葬儀には有難い意味があります。
以前はお家でのお葬儀が一般的でしたが
お仏壇を隠して荘厳壇をつくっていました。
 葬儀社は自前の葬祭場でしてほしいといいます。
会場駐車場そしてお道具も全て揃っているからです。
 昨日も葬儀社から係の方が5人来ていました。
こんなに人数がいるのかなと思うことですが
葬儀社からお道具を持ち込んだりが大変だそうです。
 
 葬儀社がお家で葬儀を行うときは
今は荘厳壇ではなく全体をお花で飾るということです。
 でもやっぱり仏壇を隠してしまいその中心に
葬儀社からお持ちしたお
お名号かご絵像のご本尊をご安置するのです。
 
 お家のお仏壇ご本尊を中心にしたお荘厳でいいのです。
お仏壇が最高のお荘厳なのです。
ここにお家でのお葬儀の大きな意味があるのです。
 お家の中心にあって日々私たちを見守ってくださる
ご本尊の阿弥陀さまに先に往かれた方も
後に遺った方も一堂に御礼ができるということです。
 
 葬儀社のご本尊は一時的な借りものです。
お家のお仏壇のご本尊はいつも変わらないホンモノです。
 まさにアットホームな雰囲気の中で
お葬儀のご縁を有縁の皆さんとご一緒にいただけるのです。
 
 そしてお寺もご門徒皆さんのホームなのです。
お寺もお家もご本尊の阿弥陀さまを中心にご安置している
阿弥陀さまのお家です。
 その阿弥陀さまのお家に
私たちが住いさせていただいているといわれるのです。
 そのお家で寝食を共にし一緒に暮らしてきた私たちを
どんな時も見守ってくださった阿弥陀さまなのです。
 
 お葬式の後火葬されお遺骨となって
懐かしい阿弥陀さまのお家に還ってみえます。
 お遺骨をお供してご遺族有縁の皆さんに
お寺参りしていただきます。
 お寺の本堂阿弥陀さまのおそばにご安置して
ご一緒にお勤めさせていただきます。
 
 その後懐かしいお家に帰られますが
これからもずっと仏さまとなって
私たちを見守ってくださるのです。
 
 南無阿弥陀仏のいのちのご縁つながりです。
浄土真宗の教えは南無阿弥陀仏のいのちの物語です。
 私たちもまたこの命終えていきますが
死んだらおしまいではなく
南無阿弥陀仏のお念仏となって後に遺った有縁の方々を
護り救うというおはたらきをさせていただくのです。
 
 この人生思い通りにならない色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりに生かされて
私たちは安心して共々に
お浄土への人生を生きて往けると聞かせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.19)

今日は何の日?

2020-11-18
 「今日は何の日?」とテレビでいっています。
今日11月18日はミッキーマウスの誕生日だそうです。
 そして今日は八幡製鉄所ができた日です。
1901年明治34年のことで日本史で習って覚えています。
 官営の製鉄所で日本が国力を結集してつくったものです。
鉄鉱石を輸入製鉄する工業中心の国づくりの先駆けとして
現代の日本の繁栄の大きな礎になった日ということです。
 
 今日は何の日?
世界的な日もあり日本の記念日もありますが
家族や個々人の思い出の日もあります。
 
 今日はお葬式があります。
先に往かれた大切なお方のお命日です。
 命日は人の命が亡くなった日ですが
同時に阿弥陀さまのお浄土に生まれた日
仏さまに成ってくださった日といただきます。
 
 誕生日にはプレゼントをもらったり
おめでとうと言葉をかけられたりして
周囲の人から人に生まれた誕生を祝ってもらいます。
 
 お命日にはお仏壇にお花やロウソクのお灯をお供えし
御仏前にお参りさせていただいてナモアミダブツと
お念仏申し仏さまにお礼をさせていただきます。
 
 人に生まれた誕生日のようにおめでとう
そしてありがとうと
お念仏申してお礼ができることの有難さを思います。
 
 死んだらおしまいではないのです。
人の命は終えますが仏さまのいのちとなって
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。
 
 私のことをいつも思い見守り導いてくださる
仏さまに成ってくださった誕生日がお命日なのです。
 
 誕生日と同じように祥月命日は一年一度のご縁ですが
月命日は月々毎月のお命日のご縁です。
 月命日には春夏秋冬があります。
時が移ろい自然の移ろいのなかに
私たちの生活も変わって行きます。
 
 月命日に仏さまのご縁をいただき
お仏壇にお参りしましょう。
 先に往かれた大切なお方が
今はお浄土の仏さまとなって私たちに
人生は無常だよ怠りなくつとめよと
ウカウカしていたら歳をとるばかりだよ
人に生まれた大切なことはお念仏のみ教えに遇うて
お念仏申す身になってこの人間界を生き抜き
命終わってそのままお浄土に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏のお喚び声を届けてくださるのです。
 
 今日は何の日?
皆さんそれぞれの思いをもって今日一日を
今を大切に日暮しさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.11.18)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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