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お念仏を申す生活法話

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歳末助け合い運動です

2020-12-07
 12月に入って一週間が過ぎました。
師走です。早いです。
 
 12月というと歳末助け合い運動です。
お坊さんの托鉢が12月歳末の歳時記になっていますが
今年はコロナ禍で少し様子が違います。
 
 先日班の役員さんが助け合い募金を集めにきました。
歳末から新年にかけて年越しのもち代にと
生活が困難な人もみんな笑顔で年越ししましょうと
同じ社会に生きる者同士の助け合いの実践です。
 
 先日報恩講のお参りでご門徒さんが
周囲に新しい家が何軒も建ち子どもがいる世帯が
多くなったということで
隣の家の子どもの声が聞こえていいと言われます。
 子どもの声というと元気な賑やかな声を思いますが
子どもの泣き声や親が叱る声も聞こえてくるといいます。
 
 私たちの生活の声です。
生きてるということです。
 自分の思い通りになって
いつも笑って生きていければいいのでしょうが
そんなわけにはいきません。
 泣きたい時もあります。
寂しいと声にならない時もあります。
 
 そうした人の生きる声が聞こえない
生活のようすが見えない社会になったように思います。
 「困っているから助けてくれ」と
声をあげることが難しいのです。
本当は困っているけれども内に隠してしまうのです。
 
 問題なのは見て見ぬふりをする
無関心を装う私たちの有り様です。
 縁あって同じ地域社会隣りに生きる者同士が
お互いに助け合い支え合っていきたいものです。
 
 仏さまのお心に聞かせていただきます。
布施の心です。
 私にできることをさせていただくことです。
見て見ぬふりをするのではなく
見えたら気づいたらさせていただく布施行です。
 
 浄土真宗の教章に
「自他ともに心豊かに生きることのできる社会の
実現に貢献する」とあります。
 自他共にです。
自分さえよければいいのではなく
自他共にと周りの方々と一緒に生きていける
お互いに支え合い助け合って生きる社会をめざして
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.7)

南無阿弥陀仏のいのちのロマンです

2020-12-06
 朝のニュースで宇宙探査機はやぶさ2号が
小惑星りゅうぐうから持ち帰った
砂の入ったカプセルが帰還したということです。
 はやぶさ2号はこれからも次のミッションのために
宇宙の旅を続け次の小惑星に2031年に着くといいます。
 
 はやぶさ2号が地球を出発したのが6年前です。
初代のはやぶさがの印象が強く残っていて
もう6年経ったのかという感じです。
 
 はやぶさは宇宙の小惑星をめぐり
宇宙の起源を探査するミッションをもっています。
 地球の生命体のいのちの成り立ちを
解明する科学的な使命です。
 
 うがった見方をしますと
そんなことをして一体何になるのか
多額のお金を使ってまでしてする必要があるのか
といった見方もあります。
 
 11年後私が人の命を生きているのかわかりません。
それ以上にこの命がどこから来てこれからどうなるのか
科学的に人知を尽くしても
推測の域を出ることはないでしょう。
 だからこそそこに大きなロマンがあり
壮大なロマンに魅せられる人がいるのでしょう。
 
 仏教は私たちのいのちのあり方を
教えてくださいます。
 縁あってこの人間世界に生まれて来た私です。
私が望んで願って選んで生まれて来たのではありません。
気がついたらこの私でした。
 
 どこから来たのかと仏さまに聞かせていただくと
私たちは何度も何度も迷いの生死を繰り返してきて
このたびは人間に生まれてきたというのです。
 ずっと迷ってきて今もまだ迷いの中にある
という見立てです。
 
 私が私がと小さな我執の世界に閉じこもるように生きて
我他彼此と自他分別の見方で苦悩しているというのです。
 
 迷いの世界に沈むこの私を見て取って
阿弥陀さまは必ず救うとご本願をたて成就して
南無阿弥陀仏のおはたらきで私を浄土に生まれさせ
さとりの仏にしてくださると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のいのちのロマンです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきの中に
私も隣の人もみんな等しく生きているというのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
これまでもそしてこれからもずっと生きて往けると
お念仏のみ教えに聞かせていただきます。
 
 人間界に生まれて来たのは
お念仏のみ教えに遇ってお念仏申す身となり
人の命終えて浄土に生まれ
南無阿弥陀仏のいのちに成らせていただくことだと
聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏のロマンです。
はやぶさのロマンもすごいですが
お念仏の悠久のロマンを聞かせていただき
お浄土への人生をお念仏申して共々に生きて参りましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.6)

仏さまのご縁でお仏壇がきれいにお荘厳されます

2020-12-05
 今門徒報恩講のお参りをしています。
地区ごとに日を決めてお参りするのですが
お寺からの案内をよく見ていないのでしょう
昨日お参りしたお家で「明日じゃないのですか」と言われ
お仏壇にお参りしたらそのままのお仏壇でした。
 
 平生日常の皆さんのお家のお仏壇はどうですか。
お寺からお参りがある日のお仏壇はどうですか。
お仏飯がお供えされお花もきれいにお荘厳されています。
 
 あるご門徒さんが
「家で法事をするっていいことですね」と言われます。
 家で法事をすると家が片付くというのです。
ご法事は何年に一度の大事なお客事です。
 
 今は親戚縁者もよほどの大事がない限り
実家であっても家に出入りすることが少なくなりました。
 何かあっても現地集合現地解散です。
お仏壇をご安置する仏間は今は殆ど用事がなくなりました。
 
 法事が唯一お家の仏間でおこなうお客事です。
きれいに掃除しておかないと後で何を言われるのか
分からないという緊張感があります。
 
 お寺からお参りする平生のご縁が月参りです。
お家のご先祖の月命日にお参りさせていただきます。
 平生のお参りですがお仏壇をきれいにお飾りして
大切なお方のお命日を迎える心構えが大事です。
 
 そして何より大事なことは
お坊さんにお経をあげてもらったらいいのではなく
そのご縁にご一緒に御仏前に座らせていただくことです。
 
 仏さまからいただくご縁です。
御仏前に座ってお念仏申して
仏さまに御礼をさせていただきます。
 仏法に遇ってお念仏申す身になってほしいとの
仏さまの願いを聞かせていただきましょう。
 
 きれいにお荘厳されたお仏壇の御仏前に座り
お念仏申させていただくそのままが
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきに生かされてあると
有難く味わわせていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.5)

コロナワクチンのこと

2020-12-04
 新型コロナウイルスのワクチンが
イギリスで承認され接種が始まるという報道です。
 昨年末中国で人への感染が確認され
瞬く間に世界中に広がり
世界保健機構がパンデミック世界的大流行を宣言し
今も全世界がコロナ禍にあります。
 
 日本も今は第三波といわれ
東京大阪北海道愛知と人の移動が多い大都市を中心に
感染者数が連日高止まりの状況が続き
昨日大阪は独自に緊急事態の赤信号を出して
一層の注意を喚起しています。
 
 いつになったらコロナ感染が収束するのか
その切り札がワクチンと治療薬の開発です。
 世界中が待ち望むワクチンですが
開発には通常長い時間がかかると言われています。
 感染防止に効果が有ることは勿論
副作用がないかと何度も慎重に治験を積み重ねて
認可ということになるのですが
世界は経済再生を睨んで一刻でも早くということです。
 
 どんな副作用があるのか
どのくらいの副作用だったら容認できるのか
今は誰も全く分かりません。
 全く健康な人の体に異物を混入するということですから
ワクチン接種を受けるかどうかは難しい判断です。
 
 通常大方の人が接種しその結果を見てということですが
どのくらいの割合での副作用だったら容認されるのか
何十万何百万何千万人に一例でもあっても
どうなのでしょうか。
 
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いの法は
十人は十人百人は百人ながらのお救いと
蓮如さまは御文章でお示しです。
 阿弥陀さまのお慈悲は一人も漏らさないというのです。
この私一人を救うために長い間のご苦労があったと
お聞きかせいただきます。
 
 千人のうち999人が救われたらいいのではありません。
救われない一人のためのお念仏のお救いなのです。
 
 ワクチンは接種することで効力を発します。
お念仏のお救いの法は聞かせていただくことに尽きます。
 お念仏の法に遇ってお念仏申す身になってくれよと
阿弥陀さまの願いおはたらきです。
 
 煩悩具足のわが身にお念仏の法が行き届いて
凡夫の私の口からお念仏が出てくださるのです。
 ワクチンのような異物ではありません。
お念仏のおはたらきで煩悩をもった凡夫の身が
そのまま救われていくのです。
 
 お念仏申す身にさせていただきましょう。
お念仏申すそのままが
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに摂取されてあるのです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.4)

将来役に立つ習い事は?

2020-12-03
 テレビのクイズ番組で
「子どもにどんな習い事が将来役に立つか?」という
質問に対する答えを当てるコーナーがありました。
 学習塾以外ということで1位が英会話2位がソロバンで
習字ピアノ水泳などがあがっていました。
 
 自分がしていた習い事を含めて子どもへの期待です。
子どもの習い事は今は当たり前のようになっています。
 学習塾の他に二つも三つもということも聞きますが
時間的にも経済的にもできる子どもはそうはいません。
 親の期待を一身に押しつけているようでもあり
子どもには大きな負担になっているかもしれません。
 
 私が子どもの頃は近くに学習塾はありませんでした。
ソロバンや習字の習い事はありましたが
わずかな子どもが行くぐらいで
大抵の子は学校から帰ったらランドセルを放り出して
友だちと遊びに行ったものです。
 
 稲刈りが終わった田圃で野球をして
日が暮れるまで遊んだものです。
 お寺の境内も結構な遊び場で
三角ベースで野球の真似事をしていました。
 家の手伝いもしました。
親に言われるまま買い物や風呂焚きをしました。
 
 習い事も遊び事も手伝いも
そのまま将来役に立つという話ではありませんが
小さい頃から積み重ねたいろんな経験が
今の私になっているということです。
 
 学校の授業も理屈を言えば
英語を習って将来生かせる仕事に就くでもないし
数学の難しい公式を覚えたところで
それがそのまま生活に役立つとはいえません。
 
 ただそれを無駄というのではなく
無駄と思うことも含めて今の私なのです。
 自分の思い通りに全てがうまくいけばいいのですが
中々うまくいかなくて
ああやこうやと思い悩み後悔することも多々あります。
 
 これまでの人生を振り返り
良くも悪くも全てを引き受けて今の私があるのです。
 それは私だけではなく隣の人もそうだし
家族の者もみんなそうなのです。
 
 阿弥陀さまは今の私をそのまますべて
受け入れてくれる仏さまに成ってくださいました。
 自分の思い通りにならないお互いこの私を
そのまま受け入れてくださるのです。
 
 ナンマンダブツとお念仏申すところ
「私がいるよ大丈夫だよ。
どんなことがあってもあなたを見捨てることはないから
大丈夫安心して
今のあなたのいのちを輝かせて一緒に生きて往こうね」
と喚んでくださる仏さまになってくださったのです。
 
 これから先どのくらい人生の時間はあるでしょうか。
あれもしたいこれもしたいと思うこともあります。
 そういうなかに今年も12月になり
この一年を振り返って何をしてきたのかなと思います。
 
 コロナのせいで今までしてきたことも
新たに始めようと思っていたことも
時間ばかり過ぎて何もできなかったのではありません。
 この一年しっかり生きてきました。
そして今ここに私が生きています。
 
 今日もこうしてお朝事のご縁で皆さんご一緒に
阿弥陀さまの御尊前にお念仏申して
この一日を始めさせていただけます。
 
 お念仏申す日々の営みの有難さです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.3)
円光寺
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