浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
仏さまのお心がすっとこの身に入ります
 毎朝お正信偈さま御和讃御文章さまと、親鸞聖人蓮如上人のお手紙をいただきます。
御和讃は通常六首の繰り読みですが、七首の時もあり今日は最大の八首でした。
 高僧和讃の最後第七祖の源空聖人法然さまのご事績を讃えるご和讃で明日からは正像末和讃になります。
 
 和讃は和語で書かれた讃歌という意味で日本独特の話し言葉で
親鸞聖人が阿弥陀さまのお徳を讃えられたものです。
 お正信偈、阿弥陀経、讃仏偈、重誓偈などご門徒皆さんも読まれるもので
お経は一般に漢文で書かれていますから読んでそのまま意味がすっと入ってくることではありませんが
こうして御和讃そして御文章を繰り返し巻き返し毎日拝読させていただくなかですっと言葉が入ってくることもあります。
 
 仏さまのご縁です。
仏さまご縁をいただくなかにいよいよお念仏を申す身にさせていただく有り難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.7)
 
横田滋さん
 拉致被害者家族会の横田滋さんが昨日お亡くなりになりました。
娘のめぐみさんがいなくなって43年
北朝鮮による拉致が分かって他の拉致被害者と家族会を結成救出活動を始めて23年
北朝鮮が拉致を認め5人の被害者が帰国して18年
これまでずっと拉致被害者の救出を訴えて全国全県を巡る活動は皆さんの知るところとなり
中心的なシンボルとしてその温和な言動が全国民の大きな共感をよびました。
 
 娘に一目会いたい抱きしめたいとの親の情父の願いかなわずです。
拉致の事実が分かってすぐ近くの国のことなのに小さな消息すら教えてもらえない
横田さんの半生は人と人家族を引き裂く大きな政治の壁に翻弄され続けたものでした。
 家族会という立場で個人的な感情を極力抑えていつも穏やかに対処していた横田さんが
めぐみさんの死を通告されたときは人目もはばからず嗚咽されました。
どうしようにも何もできない父の無力さ歯がゆさだったと思います。
 そして北朝鮮から送られてきためぐみさんの遺骨が別人物のものだと判明したときの怒りは
強く深く心底からこみあげてくるものでした。
 
 ご心労はいかばかりだったかと思いますが
娘を助けたいという父親の思い一つでここまで生きてこられたと思います。
 横田さんの言動に接するにつけ慈父ということを重ねて思います。
お慈悲のお父さんです。
 どんなことがあってもあなたを決して見捨てない必ず救うとおはたらきの仏さまです。
 
 横田さん夫妻はひと時もめぐみさんのことを忘れることがなかったといいます。
その思いはお慈悲のおはたらきとなって遠く離れためぐみさんに届いていると思います。
 国とか政治とか私たち人間のはからいでもって妨げられるものではありません。
碍りない仏さまのおはたらきのなかに私たちは共々につながっていると
私の思いはからいを超えてみんなつながっているとお念仏のみ教えに聞かせていただきます。
 
 ただ悲しいです。凡夫の情です。
何でこんなことが起こるのか残念です。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.6)
 
南無阿弥陀仏の伝言掲示板です
 昨日テレビのニュースで駅の構内の伝言掲示板の話題がありました。
神奈川県の都市の駅で元々あった掲示板は取り払って使っていなかったといいます。
 今のような携帯電話のない時代に伝言掲示板は待ち合わせの連絡確認だったり
連絡不明の人を探す人と人とをつなぐまさに伝言板でした。
 今はスマホで即座に連絡がつく時代になって掲示板は無用なものになったということですが
このコロナ禍のなか入社3年目の若い女性駅員さんが伝言掲示板の復活を思いついたというのです。
 
 個人的な伝言ではなく名前も知らない会ったこともない人を思って
あなたの思いを言葉にして伝えてくださいということです。
 黒板にチョークで書きます。
一日終わったら時間を決めて全部消します。
 一日限りのことですが
その人人の思いを言葉に託して書くのです。
 
 コロナ感染防止の最前線にいる医療従事者の方へのお礼の言葉が書かれています。
看護師さんが書いた家に残した子どもや家族へのメッセージもあります。
 皆さんそれぞれにこれまで経験したことがない生活の中で
周りの人のことを気遣い思いやる言葉が並んでいるということです。
 
 一人の女性がずっとしばらく掲示板を見つめていてチョークを取られました。
その方へのインタビューが紹介されました。
 会社勤めで仕事はテレワークで会社に行かなくてもできたのですが
緊急事態宣言が解除になって久しぶりに会社に出社することになって初めての通勤日で
2か月間家に引きこもっていたというのです。
 ネットで顔が見れたり声が聞けるけれども
ずっと実際に人と会っていないなかで寂しさが募り不安になってきたというのです。
 掲示板でいろんな人人の生活や思いを知ってみんなとつながっていたと思ったそうです.
みんな人人がそれぞれの生活の場で頑張って生きていることを掲示板の言葉が教えてくれたというのです。
 特にその方が感謝の言葉を言われたのが医療従事者をはじめ
生活のインフラを支えてくださっているお仕事の方々でした。
 
 ステイホームで自粛生活をしていても
生きることは食べることで食料品店の方がいます。
食べることはごみを出すことでごみ収集のお仕事の方がいます。
公共の施設や交通機関で働く方も私たちの生活に欠くことができません。
 私たちの生きる基盤を支えてくださっている方々です。
名前も知らない会ったこともない多くの人たちに支えられて生きていることに気づかされ
本当にありがとうございますと感謝の思いで御礼を書きましたと涙ながらに言われていました。
 
 つながりです。つながっているのです。
私たちはすぐ近くに人がいてもつながりを感じることができない世の中になってしまっていたのではないでしょうか。
 伝言掲示板を通して人人がつながっていきます。
つながっていることの安心を思います。
 
 お寺の伝道掲示板今月のことばは「コロナ禍が教えること あたりまえが有難い」です。
当たり前のように思っていたことが決して当たり前ではない
有ることが難しいなかに私たちの生活があるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて生きている私たちの生活です。
お念仏申して共々につながって生きている有難さに大きな安心をいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.5)
 
わが家にマスクが届きました
 昨日わが家にマスクが届きました。
先週の土曜日には10万円の通知がありました。
 
 待てども来ないというなかで届けられて安心です。
もう来たという人もいて忘れられているのかと思いつつも届いてみるとやっぱり有難いものです。
 中にはこれから何度も長く使ってくださいと布マスクの洗い方まで詳しく書かれてありました。
 
 あれほどどの店にも無い無いといわれたマスクが今は店頭にたくさん並んでいますし
早くから手作りマスクが出回っていましたから
今頃マスクが届いてもという声も聞きますが
皆さん一緒に気持ちを合わせてこのコロナ禍を乗り越えていきましょう
というメッセージが届けられることの大事さを思います。
 
 昨日はプロ野球巨人の主力選手二人にコロナの陽性が分かったというニュースです。
抗体検査といって随分前に感染してすでに回復したなかでのことだそうです。
 これまでに全く症状も味覚嗅覚の異常もなかったということです。
だから恐いですね。
 この二人の選手は前の日の練習試合にも出ています。
注意はしていてもいろんな人と接触があったと思います。
 
 マスクの注意書きに「自分は感染者かもしれないという意識をもって症状がない人でもマスクの着用をお願いします」
とありました。
 目に見えないウイルスの恐さです。
最大限できる限りの予防をしていきましょう。
 
 新しい生活様式がいわれています。
うがい手洗いマスク着用三密を避けて工夫した生活スタイルです。
 お念仏申す生活を重ねて思います。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たち人間だけではなく
生きとし生けるすべてのものが共々に生きているということです。
 私たちのことを決して忘れない見捨てないいつでもどこでもご一緒くださる阿弥陀さまです。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のおはたらきのなかに共々に生かされて
お念仏申して私にできる精いっぱいのことを今日もさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.4)
 
臨終勤行でご一緒に阿弥陀さまにお礼をさせていただきます
 昨日ご門徒さんがお亡くなりになり臨終勤行にお参りさせていただきました。
お勤めをしてご尊顔を拝しお礼をさせていただきます。
 
 臨終勤行というのは既に息絶え亡くなっているのですが
臨終です終わりに臨んでご本尊の阿弥陀さまに今生最後のお礼をさせていただくというお勤めです。
 
 ご本人に代わってお寺の住職がお勤めさせていただきます。
ご一緒に阿弥陀さまにお礼を申し故人にお礼をして阿弥陀さまのお浄土に送らせていただくのです。
 
 お寺の住職とご門徒さんのつながりは臨終葬儀の時だけではありません。
日々の生活日頃からのご縁つながりがあって今生のお別れです。
 ご門徒さんそれぞれの人生の歩みがありその人人のいろんな思い出があります。
「いろんなことがありましたね。お世話になりました。ありがとうございました」とお念仏申して
「これからもよろしくお願いします」とお礼をさせていただきます。
 
 阿弥陀さまのご法義南無阿弥陀仏のお救いの法は
臨終を待って往生浄土を願いお念仏申す救いではありません。
 平生業成の今のお救いです。
平生に仏さまのご縁に遇って南無阿弥陀仏のお心を聞かせて信心いただきお念仏申す身となり
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで浄土に往生して仏と成ることが決まるのです。
 
 死んだらおしまいではなくて
お浄土に生まれて仏さまに成らせていただきこれからもずっと
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに共に生かされて生きて往くのです。
 
 愛するものと別離する悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.3)
 
俱会一処のお念仏の世界でいつも会ってる私たちです
 昨日円成会のご法座を久しぶりに開きました。
4月5月と二か月間お寺の行事をお休みして6月から徐々にいつもの仏さまのご縁をいただくことです。
 三か月ぶりのご縁で皆さんに会うのはしばらくぶりですが
お会いするとそんなに懐かしいということではなく昨日も一昨日もいつも会ってるという感じがしました。
 
 お念仏申す私たちがこの命終わって生まれて往くお浄土を俱会一処とお経さまに説かれてあります。
俱会一処のお念仏の世界です。
 南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきで私たちは共に一つ処で会わせていただけるのです。
遠く離れていても長い間会っていなくてもお念仏申すなかにご一緒させていただけるです。
 
 どんな人もこの命終えていきます。
皆さんの有縁の方々も命終えていかれました。
 ただ遠い遠いわからないところに行ってしまわれたということではありません。
阿弥陀さまのお浄土に往って仏さまに生まれて
南無阿弥陀仏のおはたらきとなってこの世に還ってみえてると聞かせていただきます。
 
 ただ懐かしいから帰ってくるのではありません。
この私を必ず救うという目的一つに還って来られていつでもどこでもご一緒くださる仏さまなのです。
 
 この目には見えないけれども南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまと仰いで
お念仏申すなかに今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.2)
 
6月新たなスタートです
 6月に入りました。新しい月です。
今日は月曜日で新しい一週間を迎えます。
 
 今日から全国的に学校の普段の授業が始まるということです。
学校が始まって子どもたちだけではなく大人もみんな社会全体の生活が始まるということで
新たな気持ちで今日の日を迎えます。
 
 まだまだコロナ感染は収束しておらず油断大敵ですが
長い間待ちわびた新たな一歩を踏み出すことです。
 
 新しい生活様式ということが言われます。
コロナ以前のような生活に戻ることは今は到底かないません。
 今回のことで今までの生活を見直すチャンスにもなりました。
コロナと共にある生活です。
 みんなでこうしましょうということも大事です。
ただこうしないといけないと言われてする前に
何か一つでも私にできることをさせていただく新たなチャレンジもいいのではないでしょうか。
 
 私たちの日々の生活はそれぞれ違いますが
私たちはお念仏のみ教えにつながったお仲間御同朋(おんどうぼう)です。
ご一緒にお浄土への人生を歩ませていただく御同行(おんどうぎょう)です。
共々にお念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
 6月新たなスタートです。
お寺の行事もぼちぼち再開してまいります。
 今日は10時から円成会をします。
懐かしい皆さんとまたお会いできる楽しみです。
 
 コロナ禍のなかにもずっと皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただきました。
お念仏の灯を毎日絶やさず守っていただいて今日のお念仏の生活があるのです。
 皆さんのおかげで6月新たなスタートをさせていただきます。
ありがとうございます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.1)
 
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」
 昨日届いた仏教こども新聞の6月のことばは
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」です。
 
 諸行無常の真理です。
この世の中で変わらないものは一つとしてない、この私自身も変わってゆくという仏さまの教えです。
 これからもいろいろなものが変わってゆくだろうけど
変わることを教えてくださる仏さまの真理だけは変わることがありません。
 
 南無阿弥陀仏の真実まことの法です。
生きとし生けるすべてのものを必ず救うそのまま救うおはたらきは
いつでもどこでも誰にでも変わらず行き届いてくださってあるというのです。
 
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏を畢竟依として生きていけよと
親鸞聖人のお正信偈さま蓮如上人の御文章さまを今日もいただきます。
 
 5月最後の一日になりました。
お念仏申して精いっぱい生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.31)
 
悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口からお念仏が出てくださいます
 コロナ禍の外出自粛の生活で人と人とが会うことが難しくなりました。
ただ今はネット社会でオンラインで人と人とがつながります。
 遠く離れた人と即座につながって顔を見て言葉を交わせます。
日進月歩の科学技術の進歩で私たちの生活は飛躍的に変わりました。
 
 ネットのSNSで誹謗中傷された女性プロレスラーの方が自殺され大きな問題になっています。
仏教でいう身口意の三業の口業です。
 私たち人間が行うすべての行為を3種に区別し、身に行う身業、口に言う口業、心に思う意業といいます。
仏教でいさめる悪い行為に
①殺生(せっしょう/生きものを殺す)②偸盗(ちゅうとう/ぬすみ)③邪淫(じゃいん/よこしまな性の交わり)
④妄語(もうご/うそいつわり)⑤両舌(りょうぜつ/二枚舌、人を仲たがいさせる言葉)
⑥悪口(あっく/ののしりの言葉)⑦綺語(きご/まことのない飾った言葉)⑧貪欲(とんよく/むさぼり)
⑨瞋恚(しんに/いかり)⑩愚痴(ぐち/真理に対する無知おろかさ)の10種があり
その中の4種が口業なのです。
 
 わが身を振り返ってこれまでに人を傷つける言葉を言ったことがなかったでしょうか。
言う側は忘れてしまっても言われた方はずっと忘れられない言葉ってありませんか。
 
 先ほどのSNSの件で有名人がコメントしています。
有名人は特に標的にされやすいといいます。
 「殆どは応援してくれる言葉で元気づけられるが
百の応援の言葉があっても一つ傷つくような言葉はずっと残って忘れられない」と言われていました。
 
 厳しい言葉でも言ってもらうことで気づくこともあり言葉が人を育てることもありますが
ネットの言葉の恐さは相手の顔が見えないということです。
 発信する方もその時の乗りとか感情のままに書き込みをするというようなことを聞きます。
 
 このコロナ禍で見えないウイルスより見える人間の方が怖いと言われます。
十悪といわれる悪業です。
 悪業を積み重ねて後生です。
私たちは何度も何度も生まれ変わり死に変わってこのたびは人間に生まれたといいます。
そしてこの命終えてまた生まれ変わるのです。
 善因善果悪因悪果の道理で
善いことをしたら善い世界に生まれ悪いことをしたらその報いで悪い世界に生まれると聞くと
何かうなずけますが
この私のことでいったらどうでしょうか。
 
 十悪の一つとして思い当たらないことはありません。
まさに十悪を積み重ねてきた私です。
 その私が後生に生まれるところは地獄でしかないと
親鸞聖人は「地獄一定すみかぞかし」といただかれ
地獄に真っ逆さまに堕ちる私をそのまんま抱き取ってくださる仏がいらっしゃっると教えてくださいます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまです。
 南無阿弥陀仏とわが名をよんでくれよとのおはたらきにあって
この口からお念仏が出てくださるのです。
 悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが十悪罪業の私に届いてくださってあるおすがたです。
 
 声に出してお念仏申しましょう。
その声は私の声であって阿弥陀さまのお喚び声です。
 私だけではなく私の周りの人にも聞こえるその声は
すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきの尊い南無阿弥陀仏のみ名なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.30)
 
後生の一大事の解決があって今ここを本当に生きることができるのです
 「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
 
 後生たすけたまへです。
後生とは後に来るべき生涯の意で来生・来世のことです。
 ただそこだけをいいますと仏教お念仏の教えは死んでから後のことで
今の私には関係ないと受けとめられる方が多いのではないでしょうか。
 
 仏教では生死(しょうじ)の迷いといいます。
どんな人も生まれて老いて病んで死んでいきます。
どんなものも変わってゆくという真理です。
 ただ私だけは変わらないという自己中心の見方でいつまでも若く健康で長生きしたいと思い
本当のことに向き合うことなく真理にあがなうように生きている私がいます。
 自分の思い通りにならずに悩み苦しみ迷いの中にあると
私のありのままのすがたを見てとられた仏さまの教えです。
 
 生死の迷いを離れて真実変わらないさとりの世界に生まれて仏に成ること
生死の解決こそが仏教の目的です。
 仏法に遇い生死に向き合うことで後生の一大事の解決があって
今ここを生きる意味がはっきりするのです。
 
 生死の迷いに苦悩する私に阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
「われをたのめ わが名を称えてくれよ」と喚び通しに喚んでくださるのです。
 この人生思い通りにならない色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏を畢竟依といただきます。
 ただ単なる依りどころではありません。
生死の帰依処です。生きる依り処死して帰する処です。
 
 私たちの生きる依りどころは何でしょうか。
健康であったり家族であったり友だちであったりお金であったりではありませんか。
 皆さんそうだと思いますが
これらは全て生きてる間のことだけで死んで持っていけるものではありません。
 
 南無阿弥陀仏です。生きても死んでも阿弥陀さまのお慈悲の中です。
ナンマンダブツとお念仏申して健康に留意し家族やお友だちを大事にして生きていきましょう。
 私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞いて
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日も一日共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.29)
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